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第三部 二章 「鏡迷樹海」

「鏡の迷宮」

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 太陽が上にへと傾き始めて数時間後。樹海に存在した鏡の前は、しんと静まっていた。
 まるで音すら消え去ったその場では人の姿は一切なく。代わりに小さな光の粒――微精霊が一つ飛翔する。

   ◆

「~♪」

 鼻歌を奏でる頭上では夜闇と月を透かすガラスの奥で雷鳴が鳴り響く。
 魔界。十三魔王の集う王の間では玉座に座る八番席魔王――【猛華のアリトド】がまん丸なオリジンを抱きながら機嫌良くいた。
 普段純粋空間のゆりかごに身を置くオリジンも稀にこうして直に他者と触れ合うことがある。
 赤子を抱くようにいるアリトド。それを見ては誰もがこう思った。

 ――いったいアリトドになにがあった。……と。

「アリトドはんすごーくご機嫌やねぇ。なにかええことでもあったんやろか?」
 
 ついに十二番席魔王――【商業王のソファレ】が口を開き全員に聞こえるように独り言を放つ。
 気にしないようにとしていた在席中の面々がソファレと目を合せようとしない。
 会話に入りたくないのだろう。
 常この場に存在するイブリースが会話をまともにしないのはわかりきっている。二番目の常連であるクロノスは聞こえていないかの如く、時計を眺めるのみ。ハーデスも死書で顔を隠し見向きもしない。ロードは……コクリと首を傾け眠気を晒している。
 もしドラゴニカがいれば悪態を吐いたやもしれない。セーレもおらず、ソファレは正面を向き直るとファーセンスで顔を隠し「よよよ」と泣き真似。
 
「そこまで無視されたのを気にすることないだろうが……。嘘泣きでも少しワシは傷つくぞ……」

 最初に音を上げたのはハーデスだ。

「え~ん。ウチ、ウサギやさかいほっとかれると寂しくて死んでしまうんよぉ……。もっと構ってほしいんよぉ」

「……いつから十二番席はこんな軟弱になったのか」

 ポツリと、ロードは呟き、そして再び眠りだす。
 しん、と泣くことをやめたソファレ。センスから顔を出すと、パチンッと鳴らして少々ため息。

「せやかて、気になりまへんの? あのアリトドはんがご機嫌ならまだしもオリジンはんと仲よぉしとられるんよぉ? ウチも長いことこの席におりますけど、滅多に見られん光景なんで」

「――さっきから聞いていればなんだソファレ! オリジンを抱いてるのがそんなに悪いのか!?」

 とうとうアリトドが顔を赤らめ怒号をあげる。いつもの不機嫌な顔を見せたことでソファレは気の迷いが吹っ切れたようにホッとしていた。

「悪くはありまへんよぉ♪ 気になっただけなんで~。でもいつものアリトドはん見れて、ウチ嬉しいわぁ」

「軽く馬鹿にしているなこのウサギ! ふん! オリジンに免じて今回は許してやるっ」

 これもまた珍しい。
 ソファレは言葉を慎みそれ以上の発言を押しころした。
 【猛華のアリトド】。彼女はとても怒りやすい正確をしている。短気であり怒りに触れた多くの者は彼女の荒れ様に圧倒される。
 この場で下位であるソファレもまたその対象に成りえる。本来なら威嚇の一つはするだろうと思っていたが、この様子だ。
 先日、親しかったセントゥールを失ってからの彼女の様子は魔王としてとても不穏であったことがより一層この状況を唖然とさせる。セントゥールが戻るまでは続くと思われていたが……。



「……お前、余計なことをしたな」



 呆然としていた面々が目を丸くし一点に視線を向ける。
 二番席に居座るクロノスだ。彼女は時計を幾つも眺めつつそう呟いた。
 誰にかなど、それは当の本人を見ればすぐに理解できる。
 機嫌良くいたはずのアリトドは一変。オリジンを抱きしめたままクロノスに目を細めた。

「バレないとでも思っていたのか? いったい私の目が何処まで届くと思っている」

「……オリジンは問題ないと協力しただけだ」

「純粋精霊のそいつが自身の決めたことに反するわけがないだろうが。……お前、あの樹海の種を人間界に仕掛けたな」

 クロノスの言葉に外野である面々が落雷がその身に落ちたような衝撃を受ける。
 ハーデスとソファレは苦虫を噛みしめるように顔色を青くさせ、寝ていたはずのロードもふと目を開く。
 
「……嘘、やんねぇ? アレって人間界でも育つん?」

「……」

「どうなんだアリトド!? ワシらはともかく生者にとってあの樹海は迷い込めば正に墓場だぞっ。この前流れ込んだ奴の魂などすっかり壊れ果てて修復して来世などに送れぬわ!」

「……」

 アリトドはだんまりだ。彼女は語ろうとせず、ただ黙秘権を行使する。

「……墓場にするつもりなのだろ。例のの。やはり怒りは癒えていないか」

 ロードに指摘されればアリトドも反応し肩を跳ね上がらせる。
 同様した二体も察した。アリトドはオリジンに人間界の監視をさせ標的のためだけにとある樹海の種を植え付けた。
 魔界では知る者ぞ知る、この世で最も最悪な樹海と称されたもの。魔界でもアリトドの領地に存在し入った者が帰ってくる話は早々に聞かないと言われている。曰く付きの樹海。
 人間だろうが魔界の住人だろうが、八番席の支配下でない者にとって近づきたくない領域の一つ。

「…………許せるわけが、ないだろう。直接手を下せなければこうすればいい。……問題はないだろう? ――イブリース」

 イブリースは何も言わない。それはこの行為を見過ごすということと同意である。
 
「そういうことだクロノス。ちょうど他も呑まれたところだ。これであの厄災の娘が死ねば安泰だろう?」

「……好きにしていろ。――結果が楽しみだな」

   ◆

 最初に感じたのは肌が感じる空気が変わったこと。そして次に体が落下するという感覚。
 落ちるということに気付けば誰もが声をあげた。状況など確認することよりも、ただ視界を閉ざして落ちきるのを待つのみ。それは死に繋がると思えば恐怖が増す。
 長く思えた落下時間はほんの一瞬であり、叫んだ声は落ちきることでようやく止まる。

 ――ドサッ! ドサッ! ドササッ!!

 イロハを下敷きにネア、そしてエリーを抱えたクロトが落ち身を打ち付ける。
 三人がその後身を起こすのに時間をかけた。

「~~っ、ぐぅ。くそっ、頭打った……」

「あ~ん! お姉さんやっぱ重いぃ!」

「この野郎!! また言いやがったわね!?」

 再び言い争いが始まる。落下が止めばエリーも閉ざしていた視界を開く。
 体を起こし、騒ぐイロハとネアに目が集中してしまうと……。

「……おい」

 ふと、クロトに声をかけられエリーは思わず声の方にへと顔を向ける。
 聞こえたのは自分よりも下から。自然と向いた自分の下には仰向けに倒れているクロトがいた。
 数秒。クロトの体勢をなんの違和感もなく眺めてから、エリーはハッと我に返って頬を真っ赤に染めた。
 庇ってもらったせいか。エリーはクロトを下に敷いて馬乗りになっていた。

「――ひにゃぁああああぁあああ!!? ごごご、ごめんなさいぃ!!!」

 叫び声と共に一気にクロトから離れる。真っ赤な熱を帯びる顔を両手で隠しパニック状態へ。

「重かったですよね!? そうですよね、ごめんなさい!!」

 先ほどのイロハの言葉を気にしてでもいるのか。エリーもクロトを下敷きにしてしまったことに対し、申し訳なさでいっぱいだ。
 クロトとしてはいつまでも上に乗られているのが不愉快だっただけであり……。
 
「……どうでもいいから黙ってろ」

「ふぅ~……」

 



 一通り騒動が治まれば全員周囲を見渡す。
 途絶えた記憶の前。迷う樹海の中、見つけた怪しい鏡の前にいたはずの四人。唐突な光に呑まれ、現在はこの不気味な空間にへと存在している。
 周囲は変わらず樹海だ。だが、ただの樹海ではない。
 至る所に鏡を宿した樹が連なり視界のズレで異様な輝きを放つ。一枚だけだったはずの妖しい鏡。樹と同化しているものや吊されているものなど。それは今となっては無数に存在し四人を映していた。
 
「……なんなんだ此処は? 気持ちわりぃな」

 あちらこちら。いろんな角度で映る自分たちがいる。視線を寄せれば鏡映しに返ってくる無数の自分。
 正直を言って気分の良いモノではない。
 明らかに別の空間に取り込まれた。それもまた樹海でしかない。

「……」

 他が物珍しそうにしていれば、一人ネアが表情を険しくしつつ周囲を観察する。
 目に入る情報といえば樹海であることと鏡が無数に存在し、どこまで続くかわからないということのみ。それだけしか手掛かりのない状況にも関わらず、突如、ネアは目を見開き顔色を蒼白とさせる。
 
「……嘘、でしょ? なんの冗談よこれ。まさか生き物がいなかった理由ってこれなわけっ」

「ネアさん?」

「なんか知ってんのかよ」

 何かしらの手掛かりを得たのか、全員ネアの元へ集まった。
 ネアは顔をこちらに向けるも目をそらし発言を拒む様子。情報があるならと安心したくもあったが、先ほどの口ぶりと表情から状況が悪いという事だけは理解できた。

「知ってんなら言えよ。余計気になるだろうがっ」

「……後悔、しないでよ?」

「知らないまま進むよりマシだろうが」

「…………わかったわ。私だって一人でこの件を抱えるなんて嫌だもの。じゃあ、これから言うことをよく聞いてね?」

 観念したネアはしっかりとこちらに向き直る。気まずそうな顔をし、一つ深呼吸をしてからその話は始まった。

「状況としては最悪よ。……この樹海、私の予想が正しければ厄介な所。魔界でも有名な禁忌領域の一つ、――【鏡迷樹海きょうめいじゅかい】」

「鏡迷……。つまりは鏡の迷路ってとこか。……で? 対処方は?」

 軽い様子でクロトはネアから情報を聞き出そうとする。

「俺らは別の場所に飛ばされたというよりはこの空間に閉じ込められたって言う方が妥当だろう。外に出られれば後はなんとかなる」

「その外に出る方法が難しいの。……対処方はあるにはある。一つ、この樹海には核となる種子が存在している。それを壊すこと。もう一つは、一つだけ出口となっている鏡があるから、それを見つけること。……以上」

 出された対処方は二つ。核を壊すか、当たりの鏡を見つけるか。
 いったん頭の中を整理してからクロトは考え直し周囲を見渡す。

「……確かに面倒だな。この空間の規模もわからねぇし、アホみたいに広ければ鏡の量も半端ないからな」

 既に周囲には数百枚近くが目に入る。この周囲の鏡を一つ一つ確認するにも時間が掛り、更にはあと何枚あるかわからない鏡からも探さねばならない。運が良ければ当たるが、ハズレの可能性の方が遥かに高い。
 核を壊すということも空間の規模しだいで困難だ。迷路にもなっているらしく迷う確率も高くある。
 だが、見つければ良いだけの話でしかない。

「要は時間を掛けて探せってことだろ? だったら根性出して探せばいいだけ――」

 
「――悪いけど。時間は限られてるからね?」

 
 即座に見つけず時間があればなんの問題もなかった。だが、その時間すらないとネアは言う。
 
「……此処。食料って一切ないのよね」

「は?」

「だから、食べ物がないって言ってるのよっ。此処はそういう場所なの!」

「だからなんだよっ。最悪そこら辺の葉でも喰えばいいだろうが」

「冗談言わないでよねっ。だったらこの葉、撃ってみなさいよ!」

 地に落ちていた葉を手に、ネアは宙にへと払い投げた。
 ゆっくりひらひらと舞う木の葉。その程度を撃ち抜くことなど容易であったクロトは癪に障るも瞬時に魔銃を取り出し素早く引き金を引く。
 銃声を耳が感じ取ると同時に着弾。
 だが一同は予期せぬ光景を目撃してしまう。
 確かに木の葉に銃弾は当たった。しかし、それは貫かれず着弾した途端弾み、そして地にへと落ちる。
 ネアは落ちた葉を拾い上げ、それをクロトに強く見せつける。銃弾を受けて尚、穴のない木の葉を。

「……アンタ、こんなのが食べれると思う?」

「な、なんなんだよコレは!?」

「この樹海の植物はねぇ、全部こんな感じで馬鹿みたいに硬いの。ただ硬いだけの鉄板みたいのと違って植物独特の繊維がみっちりした柔軟で威力を吸収しちゃう感じの! いわばゴムよこんなの! ゴムの塊!! ふざけんじゃないわよ!!」

「俺にキレんなよ!!」

 
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