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第三部 二章 「鏡迷樹海」

「疑心」

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 世にも恐ろしいとされた――【鏡迷樹海きょうめいじゅかい】。
 その樹海は歩き進むことで様々な場所にへと変わる。
 樹の入り組んだ樹海らしさや、まるで洞窟かのような空間。今エリーとクロトがいるのは樹といった植物などなく、鏡のみが密集したミラーハウスかのような場所だ。
 これまで見てきた空間とは違い鏡のみの空間は視界すら影響を及ぼしてしまう。

「……。――ひゃうっ! ……うぅ、鏡?」

 クロトを追っているつもりが鏡にへとぶつかってしまう。鏡面が更に反射をし見分けの区別がつかない。
 ぶつけてしまった鼻をさすり、エリーは失態による恥ずかしさで顔を赤らめてしまう。
 
「迷うなよー」

「は、は~い……」

 涙目になりつつ、エリーは正面をふと見上げる。ぶつかった鏡には自分の姿が鮮明に映し出されていた。
 自分の星の瞳に釘付けになってしまう。キラキラと輝く星の瞳。見栄えは綺麗やもしれないが、その呪いの証が自身の危険さを物語っている。
 ヴァイスレットを崩壊まで追い込もうとした【厄星】。束の間の休息で見えたヴァイスレットの戦場跡。自分がどれだけの存在なのかを身も心も思い知らされた。
 だからこそ、あの約束だけは違えてはいけない。

「……陛下。私、頑張りますね」

 ――強く生きなさい。
 それはヴァイスレットのアヴァローから託された言葉だ。
 あの七つの黒星はけして使ってはいけない。そう心に固く誓う。
 

『――本当に、それでいいの……?』


「――ッ!?」

 エリーはハッと目を見開き鏡を見る。
 映る自分はじっとこちらを鏡映しに見合い、そしてどこか悲しげな表情をしていた。
 表情につられてか、異変のある鏡から目が離せず……。

『私はいてはいけないから……。いたら皆に迷惑かけてしまう。最後はきっと……あの人にも捨てられてしまう』

「……ち、がい……ますよ。例え私がそうでも、今はクロトさんのためにあるんです……。最後にあの人に捨てられるのも、私は承知してます。……私は、……本当の私はあの人にとって」

『――いらない存在だから』

 わかりきっていたこと。自分でも理解していたことを。同じ姿とはいえ他人から言われてしまえば心が抉れる気分でもあった。
 悲しそうにする自分を見て、強く彼女を否定することができない。
 彼女は泣きそうな顔で己の首にへと手を回し……

『だったらいっそ……、後で苦しむ前に……』

 ――ドボンッ!

 水面に体が衝突する感覚になってようやくエリーは気がついた。
 鏡に映っていた自分は、自分で自分の首を絞めるように見えていたが、実際はエリーの首を掴み鏡の中にへと引きずり込んでいたと。
 
『裏切られる前に……、終わらせて……っ』

 これは誰の願いなのか……。
 自分の姿を模して、自分の今を否定して……心を迷わせる言葉の数々。
 ふと、ネアの言った言葉が脳裏をよぎる。これが鏡が見せる現象なのだと。
 鏡の中というよりは正に水の中であり呼吸など上手くできない。藻掻いて逃げようとすれば体力を酷く消耗するのみ。
 息が尽きようとした時、エリーの身が急に引っ張られ鏡の外にへと出た。

「……っ!?」

 肺が空気を求めて大きく呼吸をとる。現状を確認しようとすればエリーの両目は塞がれ暗闇である。
 
「……あんまり此処の鏡を見すぎるなよ?」

 クロトの声が聞こえた。
 今目を塞いでいるのはクロトなのだとわかった途端、状況に混乱しつつエリーは動かないようにじっとする。
 次に、クロトにそのまま引かれ二、三歩ほど後退。熱風が体を煽り、両目が解放された。
 真っ先に見えたのは先ほどまで見ていた鏡に纏わり付く炎だ。
 炎々と燃え上がる炎により、鏡はロクに姿を映しなどはしなかった。

「あの女も言っていただろう? 鏡の声はただ惑わすだけの幻聴にすぎない。耳を傾けず、俺の声だけを聞いていろ……」

 その言葉は以前にも聞いたことがあり、安心するようなものでもある。
 だが……。不思議と纏わり付くような声にエリーは首を傾ける。
 
「――わかったな?」

 心の底から……エリーは「はい」ということが言えずにいた。 
 惑わされたばかりのせいか。ちょっとした違和感に、最初から一緒にいるクロトにわずかながらの疑心が芽生えてしまう。
 ――本当に。このクロトは……クロトなのか?
 




 いつの間にか二人の間では沈黙が続いてしまった。
 クロトには言葉を親しく交わすような存在などおらず、基本として無口を貫くことが多い。それはエリーも例外ではない。
 ただひたすら目的のものを探す。
 ……これだけでしかない。
 だが、さすがにその間が長すぎたことに、クロトは眉を潜める。

 ――なんか……静かすぎないか?

 後ろで付いてくるエリー。彼女も用がなければ多くは話さない。
 それは日頃からクロトの気を害さないためでもある。余計な会話はクロトの癇に障るのが一番の原因。クロト自身もそう今まで接し黙らせるよう教え込んできた。
 しかし、今回ばかりはあまりにも静かすぎる。
 言葉を交わすことは避ける。されどエリーは勝手に声を出すことはよくあることだった。
 エリーにとってほとんどの世界は珍しいものでしかない。そのため周囲に目が行き無意識に声を出してしまう。
 そんなそわそわとした言動が後方からくるのは日常茶飯事。そのはずだった……。
 今は静かに、まるで慣れた様子で何にも気を取られずまっすぐ付いてくる状況。
 このような樹海でそのように冷静かつ沈着に行動できるとはとても思えない。

「……」

 疑心が沸き上がる。
  最初から。この鏡の樹海に来た時から一緒にいる二人。今更ながら違和感があるのは確かだ。
 ただ、迂闊な行動は気が進まない。
 万が一。この違和感がただの勘違いがだけなのだとしたら、余計な疑心は大きくなり今後の支障にもなる。
 まずは、どうこの事態を解決するか。
 その事を考えつつ静かに歩みを止めることなく前へ進んだ。




 
 歩き続けてエリーは少々苦い顔をする。
 クロトのことが気になってか、しばらくの間全く会話もなにもなく。エリー自体も言葉を慎んでしまっていた。
 自然とそうなってしまったことに、エリーは気まずさを感じてしまう。
 
 ――どうしよう……。クロトさんはずっと一緒にいたし、疑うなんてしたくないのに……。

 仮に。もしも目の前にいるクロトが偽物だとしてそれを証明する手立てはない。
 口で言いくるめられればエリーはそれを信じてしまう。なにか決定的な証拠があり偽物と断定できれば生存本能に基づき逃げ出すという道も選べる。
 今は様子見とするしかエリーに為す術は無い。

 ――でも、もし本物のクロトさんなら……、えっと……。

 エリーは普段のクロトを指折りして思い返す。
 
 ――クロトさんは……、うーん、私を守ってくれる人。不死身で、魔銃使いで……。冷たいですけど、私は優しいところもあると思うし……。

 魔銃使いクロト。その普段は他者に冷たく己のみを優先とする、人を傷つけることも厭わない存在。人を殺した経験もある。感情のなにかしらが欠落してしまっている、冷酷にして炎を扱う魔銃使い。
 性格は短気。少しでも気にくわないことがあれば怒鳴りもするし、銃を容易く向けてくる。
 今こうして一緒にいるのも命を繋がれた者同士で仕方のないこと。そうでなければ一緒になどいない。

 ――……うぅ、私にクロトさんが本物かどうかなんて直ぐに見分けられませんよぉ。ネアさんなら今頃わかってるのかな?

 考えればクロトの良いところよりも悪いところが割り込んでくる。それだけ行動が全うでないということが明白となっていくようだ。
 エリーは首を横に振り、「そんなことはない」と言い聞かせる。

 ――バカバカ……っ。そんなこと考えちゃダメっ。私はクロトさんに守ってもらってるんだから、悪く思っちゃダメ。

 他者から見ればクロトは悪人だろう。だがエリーにとってはそうではない。
 そんな迷いを振り払っていると……

「――きゃうッ!」

 黙々と考え事をしながら歩いていたエリーはまたしても額をぶつけてしまう。
 今度は樹木だ。

「……おい」

 思わず振り向いていたクロトが呆れ顔をしている。

「ごご、ごめんなさいっ! ……ちょっと考え事をしていて」

「よそ見してるとはぐれるぞ。……さすがにお前とはぐれるのは面倒だ」

「……クロトさんは、私のこと疑わないんですね? ちょっと触られただけなのに」

 確認方法として行ったのは少々抱き上げたのみ。
 それだけで判断できるほどわかりやすい何かがあったとでもいうのか……。
 クロトは顔を逸らす。

「それくらいわかる……」

「そうなんですか? わかりやすいなにかって、ありますか?」

「…………」

 問いかけるとクロトははっきりとした返答をしない。
 あるのは、ぶつぶつと聞き取れない言葉のみだ。
 何を言っているのかわからず。しかし、それを追求するということもせず、エリーはその真意を聞き流すことでクロトの癇に障らないようにと心がけた。
 しばらくクロトが呟いている最中。エリーは少し疲れた身を樹木にへと寄せる。
 こうも長く不安漂う空間にいては肉体よりも精神的に疲労が溜まってしまう。
 
「……?」
 
 ふと、エリーは目を丸くさせた。
 何かが……体に触れた感覚がある。
 自分から寄せた身が樹木と接触するものとは違い、なにやら妙な触り心地のある触感だ。
 不思議とに目を向ける。
 エリーの樹木に触れる手にはにゅるりとした感覚。を直視した途端、エリーの背筋を這い上がる寒気がゾゾッと襲った。
 手に触れるのは白く、そして赤い瞳をしただ。
 見事な稀の綺麗な蛇。だがそれは苦手なものがあった。蛇は困惑と硬直してしまったエリーをじっと眺め、見つめながら長く細い舌をチロリとさせる。
 爬虫類の鱗が地肌に擦れ、エリーはついに目を回し涙目ながらその蛇を払い身を遠ざけた。
 
「――ッ!!!」

 息を詰まらせたような声をあげてしまう。 
 しばらくは触れてしまった手から蛇の感触が消えるということはなく、ぞわぞわとしたものが続く。
 蛇は払われると樹の枝に絡みつき、ずっとエリーを見下ろしていた。
 咄嗟のことで驚いてしまい、気持ち悪くても申し訳なさはエリーにもあった。なんとか傷つけることがなかったことには複雑ながらホッとする。
 
「……っ、へ、蛇!?」

 頭と体では理解していたが思考が追いつかず、今になってハッキリと蛇と認識。
 まさかこの樹海で自分たち以外の生き物を見ることになるとは思ってもいなかった。
 ……そこでエリーはハッとする。
 この樹海には食料が無い。それを思い出した途端クロトの存在が頭をよぎる。
 やらないとは思うが、クロトは万が一この蛇を食べ物にしてしまうのではないのかと……。
 そうとなればなんと悲惨な蛇か。エリーは落ちていた細枝を持って蛇を突く。少しでもクロトの視界から遠ざけたくあった。
 その思いが届きでもしたのか、蛇は頭を引っ込めて樹々中にへと身を隠していく。

「ふぅ……、よかったぁ……。あの蛇も此処に迷い込んでしまったのかな?」

 考える暇も無く、遠くではクロトがエリーを呼ぶ。
 エリーはそれに従い、また彼の後を追った。
 ――クロトへの疑いはまだ晴れないまま……。

   ◆

 ――……さて、かなりややこしいことになってきたわね。

 最初の位置でクロトたちと別れてしまったネアはとにかく出口を求めて行動をした。
 道らしい道を進み、しらみつぶしに鏡を確認。だが出口への手掛かりなどなく、一枚一枚を調べているということに無意味さを感じてしまう。
 やはり核というハッキリとしたものを探すのが一番だ。
 だからこそ周囲の鏡に注目などしない。ただ道を進み核を探すこと数十分。
 ネアの苛立ちは、ひたすらに溜まる一方だった。

「……なんか同じようなとこグルグル回ってる感じ? やなとこだね」

 同行しているイロハ。彼の存在はネアにとって不愉快以外の何ものでもない。
 男と二人っきりで行動など、ネアにとっては耐えがたい地獄のような時間だ。それに限界を感じると、ときおりネアは怒号のような雄叫びをあげてしまう。
 それがこれで何度目か。ネアは叫んだ後にイロハを睨み付けた。

「な、なに……? お姉さん」

「…………べつにっ」

 顔も見たくないというように、ネアはイロハから直ぐに視界をそらす。
 ここでネアは悩んでいるのはイロハと一緒に行動し樹海の核を探さねばならない、ということだけではない。
 ネアは取り乱してしまいそうな感情を少しでも別の方向に向けようと別のことに頭を回す。

 ――コイツと一緒っていうよりも、どっかに行った二人の方が心配だわ。……たぶんクロトは本物……。ああいう奴だからこそあんな行動をとるのにも納得がいくし、ちゃんと不死身の能力も発動した。樹海の作る偽物がそこまで事細かなことすらマネできるのなら私の目でも簡単には見分けが付かない。最悪の状況として、最初っからクロトが偽物ならエリーちゃんが危ない。……そして、もっと最悪なのは、全員が一人ずつばらけさせられてしまってないかってこと。

 チラリと。ネアはイロハを見る。
 一見普段と変わらない様子だが、これもよくできた偽物という可能性もある。
 既にネアには疑心が根付いてしまいイロハを信用できずにいた。
 
 ――何処かでちゃんと本物かどうかの区別を付けないと。…………?

 ネアは視線を前に戻す。視界には人影らしきものが入り、すっと消える。
 今進んでいた方向に誰かがいた。それが誰なのか……。
 クロトか。エリーか。それとも本物かもしれないイロハか。……あるいはこちらの思考を乱す偽物の影か。
 ネアは息を呑む。そして――突然前方にへと一気に駆け出した。
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