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第三部 三章 「愛を捨てし者」

「クロトの願い」

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 ――これから語るのは炎蛇が体験したもの。

 魔銃の一部となった炎蛇オレが意識を取り戻したのは今より数年前。最初に感じ取ったのはとある人間の声。
 歳はまだ十もいっていない幼いガキだった。

「うあっ、ああっ、ああああ……!」

 ガキは耳障りな声で泣いていた。
 何故こんな人間を目にすることになるのかと疑問を抱いていればあの魔女の声が聞こえてくる。
 俺を魔銃に閉じ込めた忌まわしき魔女の声。

「可哀想にね。貴方はなにも悪くないのに、世界はなんて残酷なのかしら」

 魔女はガキに寄り添って慰め哀れむ。
 あの魔女が目を付けたガキだ。何かあるのだと思った。
 ガキが少しでも落ち着けば魔女は魔銃オレをそいつに渡す。

「貴方の願いを聞かせてちょうだい。可哀想な貴方の願いを。……この子が叶えてくれるわ」

 ……は?
 俺がこのガキの願いを叶えるなんて冗談じゃねーんだが?
 そうは思うも纏わり付く枷が強制的に俺の力を行使する。俺に拒否権というモノはないようだ。
 そもそも、そんな願いを叶えるような力はさほどない。にも関わらず俺の魔力が有りもしない力にへと変換されていく。
 ……この魔銃のせいだ。この魔銃は俺をベースにして効率よく使えるように作られている。

「貴方はどうしたいの?」

「……っ、俺……は。こんな場所から……でたい……っ。俺を縛るモノを……壊したい」

 よく見ればそのガキは脚を鎖で繋がれている。
 だが体に特にといった外傷はない。そのことから囚人や奴隷などでないということはわかった。
 何に閉じ込められてるんだコイツ?

「そう。それは何かしら? ……貴方は何がいらないのかしら?」

 願いの詳細を聞き出そうとする魔女にガキはブツブツと確かな答えを出していった。
 
「俺はただ……信じたかったんだ……。でも、俺は騙されてるんだろっ? だったらこんな所、とっとと出て行ってやる! …………それなのにぃっ」

 ……なんだよこのガキ。お前も俺と同じで縛られてるのか?
 その子供は見えない鎖でがんじがらめだった。複雑に絡んで解くことのできない縛め。
 
「……いらねぇっ。こんなが俺を此処に繋いでんなら、こんなモンいらねーんだよッ!」

 そして俺に願う。

 ――俺に、【愛情】という名の感情はいらない……と。





 このガキと繋がったのはその直後だ。
 願いを叶え契約した直後。俺はその子供の成り立ち……記憶を見てしまう。
 
「父さんっ、これ! 借りてたアイルカーヌの学院の教本。この前読み終わったんだ」

 数年前のものか、少し背の低いさっきのガキが……何食わぬ顔で持っていた分厚い本を父親らしき男に渡す。
 自然と情報が流れ込んできた。
 このガキは北の大国のアイルカーヌ出身。確か、魔科学を極めた国か……。
 一般よりも大きな家柄で裕福な暮らし。
 ……正直緩すぎる育ちであくびが出た。
 
「早いなクロト。苦労したんじゃないか?」

「全然。結構興味深くて……、面白いから逆に楽しかった」

「そうかそうか。クロトは将来良い学者になるかもな」

「うん! 俺、いっぱい学んで、父さんみたいな立派な学者になるのが夢なんだっ」

 父親は子供を褒めて撫でる。ハッキリとした親の概念を持たない悪魔の俺にはよくわからない光景だ。
 俺は大気の高濃度魔素、そして魔界に流れる魔王の力の断片によって顕現した、親を持たない存在。そういう奴は大抵が大物の悪魔になる。
 
「でも、困りますよ。この子ったらこの前徹夜でこれを読んでたんですよ? 早く寝なさいって何度も言ったのに聞かなくて……」

「か、母さん! それは言わない約束だろう!?」

「この前棚にあったお菓子を勝手に食べた罰です。子供の頃から目の下にクマなんて作ってたら怖がられるわよ?」

「……うっ。やっぱ、バレてたか。でも父さん! コレ読み終わったら続きの貸してくれるって約束、お願い!」

「まあ、夜更かしも学者の第一歩みたいなもんだ。でも母さんを困らせるなよクロト。ちゃんと約束できるなら、父さんも約束を守るからな」

「……~っ。わかった」

「よしっ。じゃあ今から父さんの書斎に来なさい。約束の分ともう一冊選ばしてやるよ」

 ……これが人間の環境。家族というものか。
 うわ……、どうでもいい。これがさっきの奴とどう結びつくっていうんだ?
 見せられているということは願いと関係していると思える。……どう考えてもこの家族にそんな要素が見られない。
 ただの脆弱な生命体による幸福な時間。そういうのは魔界では無縁なものだ。こんな形、あそこでなら簡単にぶっ壊れる。

 そう。そして目の前でそれは簡単に壊れてしまった。

 唐突に時間が進み、一つの悲劇が映り込む。
 黒装束で棺に向かい、さっきのガキが泣き崩れる母親の傍でそれを支えている。

「……母さん、俺がいるから。だから……もう、泣かないでよ。俺、父さんの分も頑張るからっ。だから……だから……っ」

 棺の中は先ほどの父親だ。どうやらその脆弱さが死にへと向かった。それだけのこと。
 それから記憶が何処かおかしくなる。
 
 ――出せよ……。

 なんとか支え合う母親と子供の生活風景に紛れノイズが入り、そんな声が響く。
 笑い合う両者の姿が切り取られ、それを壊すような音と共に。

 ――出せよ……っ。

 記憶の一部一部が亀裂を増して、明るかった光景が暗くなり……。
 あのガキは、魔女と話していた部屋で……自分の枷を壊そうとしていた。

 ――此処から出せよ!!!

 途切れた記憶を拾い上げる。
 映るのは部屋に閉じ込められるこのガキ。そして閉じ込めたのは母親だった。
 理由としては単純。母親はこのガキを溺愛し傷つかぬように部屋にへと閉じ込めた。
 幽閉された時間は一年を超える。
 最初は仕方ないと思っていたのだろう。直に出られると信じ、そして今に至るまで待った。
 稀に来る母親は大事そうに抱擁して、このガキはそれに応える毎日。

「母さんは、俺のためにしてるんだろ? ……寂しくないから、大丈夫だよ」

 母親は病んでいた。ガキはそれを刺激しないように優しく接する。
 それでも一言は言ってやればよかったんだ。本当は出たいのだと……。
 ようやくコイツを縛っている正体がわかった。
 コイツを縛っているのは母親が悲しまぬように思う感情――【愛情】だ。
 【愛情】から生じる思いやりを捨てれば言えたかもしれないな。
 お前の束縛から逃れたいってのには同情した。俺だって自由になりたい。
 お前はその感情が邪魔して気付きもしなかったんだな。

 ――この母親はお前のためなんて思ってない。ただ自分の孤独を埋めたいがためにお前を閉じ込めている。
 
 無意識だろうが騙されてたんだよ。その優しくし大事にする好意は偽物だ。全部、その母親は自分のためにやってるだけなんだよ。
 お前の本当の願いは今のままでは叶えられない。

 ……ああ、そうか。だから願ったのか。

 再び願いの場面にへと切り替わる。
 当時は理解できなかったが、俺はその願いを肯定してやった。
 その結果。次に見た光景には思わず目を疑ったもんだ。






「……なん、で……? クロト……っ」

 アイツは……、クロトはなんの躊躇いもなく母親を撃った。
 親を撃ってもなんの悲しみも湧かない。むしろ、愛していたはずの存在を蔑んだ目で見下ろしている。
 
「俺を閉じ込めてて……満足かよ? 俺はこんな所から出たくて、出たくて。……なんで今まで出ようとしなかったんだ? 俺」

 産まれてからこれまで抱いていた感情の一つ【愛情】が抹消されゼロにへとなったクロトは何も感じない。
 【愛情】は他者への思いやりにも繋がる根源。それをクロトは自ら消し去り今に至っている。
 何故閉じ込められることを受け入れていたのか。その理由を探ろうとしても理解できなかった。
 記憶はある。だが、なぜそれらに好意を持っていたのかがわからない。
 何故今まで記憶の自分が幸せそうにしていたのかすら、その時の感情を覚えていない。
 今のクロトの目に映る母親は愛した存在ではない。それだけを切り取られ、削除され。自身を閉じ込め騙したことに対する怒りと憎悪のみ。
 母親を殺したクロトはその後、盛大に笑った。まるで残虐な悪魔のように。
 自由を手にしたクロトはコレまで押し殺していたものを解き放ち、開放感に狂い笑う。
 好意は偽善と、他者の愛情や好意すら拒絶して嫌う。

 ――ああ。本当に哀れでどうしようもないクソガキだな……。

 親に裏切られて壊れる寸前に叫んだ願いの先。
 だが、その姿にはどこか共感できた。
 そう。弱い者が死んで強い者が生き残る。
 お前は俺という力を手にした。
 こんなガキに使われるのは癪だが、そのイカれた思考には笑えるものがあった。
 
 これが魔銃使いクロトの誕生。
 冷酷にして他者を思いやることをしない。ただ己だけのために生きる、悪魔に縋った者の始まりの姿。
 自身の【願い】を叶えた……一人の人間だ。

   ◆

「そうだろう? クロトっ。お前は母親が大好きだったんだよなぁ? なのに幽閉され、耐えきれずにあの魔女にそそのかされ俺に願ったっ」

「……やめろ」

 ニーズヘッグはクロトの願いを語る。
 間違いのない事実にクロトは言葉を拒絶することしかできない。
 
「嫌気がさしたんだよなぁ? 溺愛する母親のそれはお前を閉じ込めて歪んだ【愛】という名の檻を作り出した。……それもお前のためじゃない。自分自身のためにだ。裏切られ騙されていたっ」

「うるさい……」

「――だからお前は俺に願ったんだろ? 【愛情】が自分を苦しめるのなら、そんな感情いらねー、って!」

「――黙れぇえええッッ!!!」

 過去が暴かれる瞬間、クロトは毒の熱など振り払う勢いで叫ぶ。
 それはクロトにとって始まりのこと。願い、叶え、理想の生き方を手にした魔銃使いとしてのクロトが誕生した話。
 屈辱にクロトは悔しがりながら歯を食いしばる。
 
 ――知られた……。俺の……、俺の過去をっ。……よりにもよって……このクソガキにっ。

 エリーにだけは知られたくなかった。ただでさえ他人を思いやるエリーはクロトにとって最も憎悪の湧く存在。そんな真逆にも等しいエリーが自分のあられもない過去を知るなど、死にたくなるほどの屈辱でしかない。
 エリーは愕然としクロトを見る目は話の内容を疑っていた。
 クロトの幼少期よりも、実の母親をその手で殺したという事実に。

「なに今更そんな顔してんだよクロト。ひょっとして今更悔いているのか? 母親を殺したことを」

「……っ、んなわけ……あるかよ。アレを殺した事にんなもんあるわけねぇだろうが!! 俺のしたことは……、間違ってないっ」

 クロトは母親殺しに未練などなかった。その行いを今でも肯定している。
 正しかった判断だと、クロトは言い切る。
 障害である母親を排除したクロトにとってそれは当たり前であり、そして生き方そのもの。魔銃使いとなった原点だ。
 自ら【愛情】を断ち切り躊躇いをなくす。信じることができるのは己だけ。寄せられる好意すら偽善と受け止め誰にも愛されず、誰も愛せない魔銃使い。
 
「だろうなっ。願い叶ったら何の躊躇いもなく殺せたもんな。それがお前だクロト。だからこそ、お前に姫君は似合わねぇ。お前と姫君は真逆の存在だからだ。そしてお前はなによりも姫君のそういう優しさを嫌っている。……お前は【愛】を憎んで恨んで捨てて、……そして恐れている。惑わされてたあの頃に逆戻りしたくねぇんだよなぁ?」

 エリーは、クロトが言っていたことを思い出す。
 ――【好意】は【偽善】だ。と言ったことを……。
 他者の好意を受け止め信じた末路。中身が澱んでしまった【愛情】がクロトにその判断を植え付けている。
 
「姫君も可哀想にな。……わかっただろう? コイツに誰かを思いやるような感情はない。自分から捨てたんだよ」

「……」

「姫君がどれだけ好意を抱こうと、どれだけ優しくしようとしても。それはコイツにとって毒でしかない。自分を害する毒はコイツにとって排除すべきゴミ以下の価値でしかないんだよっ」

 クロトとエリーは、共にあるべきではない。エリーの存在はクロトにとって理由がなければその手で殺しているもの。クロトの傍らにエリーの存在は本来必要のないものでしかない。
 こうしているのも、ただ……仕方のないことなだけ。
 クロトは会ってからずっと自分のために行動をしてきた。その際に他の理由などあるわけがない。
 ……それは、確かに正しいことなのだろう。

「だから姫君。俺と来いよ。コイツは姫君を愛せない。俺だけが姫君の全てを愛してやるよ。俺は姫君の存在を肯定する。例え世界が否定しても、俺はそんなことしない。……なぁ?」

 再度ニーズヘッグはエリーに手を差し出す。例の取引の続きを今行おうとしていた。

「でも……、私は…………」

 この手を取ればまたクロトが怒鳴ることだろう。
 視線を合わせれば酷くエリーを睨んでいる。
 この手を選ぶことは許さない。そんな目だ。

「……貴方も……私を殺すんですか?」

「…………結果的には、な。俺は姫君のことを愛している。そして、その力も欲しい。悪魔っていうには欲張りなもんさ。大丈夫。痛みなんてないように、ゆっくりゆっくり溶かすように……」

「――ッ!」

 エリーは差し出された手を払う。 
 その後、払った手首を簡単に掴み取られる。

「ひょっとして殺されるってわかって怖くなったか? 気持ちはわかるが姫君にそこまでの権限ってないわけ。別に今すぐじゃない。ちゃんと姫君が望んで差し出してくれた時に頂くから。それならいいだろう?」

「そんなんじゃ、ありませんっ」

 ふと、金の瞳が丸くなる。
 
「……いや、それはないだろう? 姫君は死ぬのが怖いはずだ」

「怖い、ですよ……っ。私は皆さんのためなら死んでもいいって、そう思っても死ぬのは怖いっ。それでも……皆さんを捨てきれない……」

「だったら選ぶべきだろう? 俺なら姫君が怖くならないように優しくその命を喰ってやるから……」

「でも……、それではクロトさんが助からない。私が死んだら、クロトさんは……っ」

 拒んだ理由は自分の死が待っているからではない。その先にクロトの安全がないことが致命的であること。
 命は確かにあるが、クロトは呪いで永遠の眠りにつく。間違っていない取引にある落とし穴。
 呪いがある限り、エリーは死ぬことを許されない。

「じゃあ、どうする? なんだったら、このまま力ずくっていうのも……」

 力を加えられ細腕が軋む。人の、ましてや子供の腕など簡単にへし折ることも悪魔であるニーズヘッグには可能だ。
 
「ほら、姫君。痛いのは嫌だろう?」

「……うっ」

「どんなにスゲー力を持っていても扱えなきゃただの弱者だ。弱くて可愛い姫君は俺には抗えない。弱い奴は強い者に従ってれば、それでいいんだ。弱い奴が抗ったって、なにもできないんだからな」

「ぁ……っ、くぅ!」

「さあ、選べよ姫君っ。そうすれば……っ」

 力による強硬手段が始まろうとする。
 割れた鏡がその一面を映し、そして淡く光言葉を発した。
 
 
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