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第五部 三章 「獣道」

「幼き蛇」

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 ――それは、数百年前の事。
 

「――コゥラァアアアアアアァアアアア!!!! ニーズヘッグゥウウ!!!!」






 どなる低い声は火山の噴火と同時だった。
 まるで山の怒りかの如く。噴火した山が静まった頃、は火山から少し離れた暗い荒野でむくれていた。
 
「なんだよ、クソ爺……っ。そんな怒る事ね~だろうがよぉ。……いってぇ」

 焼けたような焦色の頭には、殴られた痕か腫れており痛む。
 少年は痛む場所を擦ると、同じように手の上から擦るものが揺らめく。
 それは衣だ。薄く、しなやかであり、上質な羽衣は生き物かの様に動き揺らめいて少年を慰める。
 少年の名は――ニーズヘッグ。
 世に知らしめるような異名を持たぬ、幼き竜種の悪魔。
 
「あ~、相棒。お前って奴は本当に可愛いよな~」

 ニーズヘッグはそう羽衣を心の底から褒めたたえる。
 生を受けた時から方時も離れずに共にいた存在。それは自身の一部でもあり、一種のとも思える。
 ニーズヘッグに親という存在はない。
 その命は魔界に充満する魔素と、魔王の魔力の欠片が合わさって世に放り出された個体。――顕現せし者。
 生まれた時から魔界の知識があり、幼くも世の理を既に頭に叩き込まれていた。
 
 ……そう。弱い者はいつだって、力で虐げられてゆく。

「おい、そこのガキ。なかなかいい物を持ってるじゃねぇか」

 ニーズヘッグが羽衣に頬ずりしていると、ようやく機嫌を直したところでそう呼びかけられる。
 幼い金の瞳を丸くさせ、ニーズヘッグは上を見上げる様に後ろを振り向く。
 逆さに映るのは、五匹ほどの獣人。頭部は狼の獣面で、二足歩行をしている。ボロ布と毛深い胴体には窮屈そうな面積の少ない鎧。おまけに手には弱者が力不足を補うための刃物や鈍器といった武器を備えて。
 まるで人ではないかとすら思える。
 ……が。それよりもニーズヘッグの方が外見は人に寄っていた。
 そのせいか口に出さず、心にその思いをとどめておく。
 ニーズヘッグは理解した。この数匹の獣人はいわば山賊というものだ。
 第一にニーズヘッグの纏う羽衣に目を付けてきた。
 そして、お決まりの様に獣人たちは幼い身であるニーズヘッグにずかずかと言い寄ってくる。

「その羽衣、なかなか上物じゃないか」
「ガキには勿体ねぇって」
「死にたくなければそれを置いて行くんだな」

 なんと予想通りのセリフの数々。
 まるで台本を渡された悪役の様な言葉ではないか。
 それもふまえてニーズヘッグは顔を向き直すと、呆れた様子でため息を吐く。

「……んだよテメェら? 俺の相棒が褒めまくりたくなるような可愛い奴でも、やれるような安いもんじゃねーんだよ。非販売もんだ。諦めてください、どーぞ」

 と。獣人たちをあしらう。
 ハッキリ言い返すも、もちろんそれでこの問題が解決できるなら苦労はない。
 ニーズヘッグの見た目は人間で言えば十ほど子供。そんなニーズヘッグの応答に立派な図体の獣人たちが怒りを刺激されないわけもなく。
 先頭に立っていた一番体格の良い獣人が唸り、背を向ける少年に向け刃を突き立てる。
 
「なめた口してんじゃねぇぞ小僧っ。ガキは大人しく強い者の言うことを聞いていればいいんだよ。それがこの世界の掟だろうがぁッ」

 人狼はそう言って牙をむき出しに吠えた。
 弱肉強食。弱い者は強い者に従うルール。そう、ここは力こそが全ての魔界だ。
 この場で少年は彼らにとって格好の獲物だったのだろう。
 そう判断された途端、更にニーズヘッグからはため息が出てしまう。

「……?」

 ついでに、煽り文句もしておく。
 それを合図に人狼族は全員が武器を構える。
 一斉に手にする凶器が少年に襲いかかろうとした寸前、キンッ! と、甲高い音が全員の聴覚を刺激する。
 動きをピタリと止めた時には、獣人たちの殺気がふっと一瞬かき消された。
 その合間に、天から銀の刃が地にへと降り、獣人たちの足元にへと突き刺さった。
 それは先ほどニーズヘッグに向けられていたはずの刃物の刀身。持っていたはずの件を見下ろせば、半分ほど刀身が綺麗に切断されていたのだ。
 その断面は、まるで瞬時に焼き切られたかの様に熱を怯えている。
 次に獣人たちの視界で動いた物に意識が動く。
 先ほどまで目を付けていた代物。ニーズヘッグの纏う衣がゆらゆらと揺らめいており、その奥で金の瞳が覗いている。
 思わず汗をにじませたものだ。その瞳は幼い子供の物とは違う。
 さながら、獣人たちは蛇に睨まれた蛙の心境を味合わされていた。

「予想以上に脆いな……。この程度の熱でスパッといくんだからよぉ?」
 
 ニーズヘッグは羽衣の形状を変化させた。
 それは薄い刃の如く。試しと近くの岩を払う。
 高熱を帯びた刃は岩を一瞬で切断し、綺麗な断面を見せつける。
 呆気に取られた面々。次に続けられたニーズヘッグの言葉に心臓を強く跳ね上がらせる。

「確かぁ、弱い奴は強い奴に…………なんだっけ?」

「……っ」

「悪いが、俺の相棒だけでテメェらを全滅させることができるぞ? テメェらも立派なここの住人なら、それなりの覚悟があるんだろうなぁ?」

 ニーズヘッグは一歩たりともその場から動いてなどいない。
 刃を切断したのも、岩を切断したのも、全て身に纏う羽衣一つで行った事だ。
 形状を変化させられるのであれば、その間合いも予測がつかない。
 既に蛇の身に覆われたと思っても過言ではなかった。
 
「念のために聞いといてやるよ。――此処で焼かれる覚悟は……あるか?」






 ニーズヘッグはまだ幼いながらも、そこらの魔界住人と張り合える実力があった。
 それを自身は誇り、そして魔界の住人としてその力を見せつけた。
 見事に突っかかってきた獣人たちは尻尾を丸めて逃げる犬かの様であり、自分に自信が持てるというもの。
 ……なのだが。

「帰ってきたかと思えばそんな事を武勇伝の様に語るでないわっ。小さいのぉっ」

 落ち着いた頃合いを見計らい、ニーズヘッグは火山にへと戻る。
 熱い地面の上で腰を下ろし、またしてもむくれ顔。
 その原因は溶岩風呂に浸かる赤い鱗を纏ったにあった。
 伸びた尻尾をくねらせ、頭には折りたたんだタオル。ふぅっと吐く息と共に、口からは細かな炎までも。
 幾つも存在する火山の一つを縄張りとしている火竜の一種――サラマンダーだ。
 老いたトカゲは顎に伸びるヒゲを撫でてから、更に話を続けてゆく。

「たかが下級の獣人を追い払う程度で図に乗りおって。まだまだ子供だのぉ」

「……なんだよっ。自分は火山から出ねぇで風呂に浸かってばっかのくせしやがって……。俺、爺が他と張り合ってるとこ見た事ねーんだけど?」

「かーっ。まるでワシがぐーたらしてるだけの様な言いぐさではないかっ。こうして火山の正常かどうかを確認するのも重要な事なのだぞ? 先ほど噴火したばかりだからな。……どこぞのガキのせいで」

「は~……。それは……そのぉ…………。悪かったって……」

 小声で謝るニーズヘッグ。
 それに対してサラマンダーは、ぺっ! と唾と一緒に火の塊を地に吐き捨てる。

「まったくじゃ! 静かに眠っとる溶岩竜にちょっかいを出しおってっ。奴は寝起きが悪いため下手に起こすなとあれほど言っとるだろうが!! おかげで火山は予期せぬ大噴火! 近隣のもんから苦情がきたわい! 年寄りに余計な労働させるな、小僧が!!」

 怒鳴るオオトカゲ。その怒声から身を守るため、ニーズヘッグは近くを散歩していた火蜥蜴を盾代わりに扱う。
 ぬいぐるみの様な柔らかな蜥蜴から顔を出し、苦笑しながらの事が始まった。

「勘弁してくれってぇ。ちょっと溶岩竜の起きてるところが見たかっただけなんだってぇ~。火精霊サラマンディーたちから聞いてたんだけどよ、溶岩竜ってマジですげーんだろ? まあ、熱や炎の耐性俺抜群だから、なんの危険もねーけど。ちょっとした好奇心だって~。可愛い孫みたいな俺に免じて、許してくれよ爺ちゃん♪」

 子供がねだる様に甘えてサラマンダーに言い寄る。
 火蜥蜴を抱え、愛らしさを見せつけるなど子供らしい姑息な手を使う。
 ちょっとでも機嫌を取ろうと必死なのもあり、毎度の事ながらもサラマンダーの憤怒が揺らいでしまうところ。
 しかし、今日こそはと許さぬ意思を通そうとした。

「ならんっ。お前も顕現した素質ある悪魔なら深く反省すべきじゃ。ワシは許さんぞっ」

 一点張りを貫こうとする。
 しかし……

「……ダメかぁ?」

 その時。ニーズヘッグは金の瞳を潤ませ、幼い外見と上目遣いという、心に罪悪感を刻みつける一撃を放つ。
 思わずサラマンダーの顎が下にへと下り開いた口が塞がらない。
 その口はそんな仕草に惑わされぬ様断るべきのはず。
 だが、その言葉が出ない。
 
「俺、悪いって思ってるしぃ。……俺、爺ちゃんの事嫌いじゃねーもん。爺ちゃんに俺嫌われたくねーよぉ……」

 ――達が悪い!!

 サラマンダーはそう心で叫んだ。
 今目の前で悲しくするニーズヘッグ。
 子供でありがちな泣き落とし。それは時に演技でありその場をしのぐための行為の一つでもある。
 しかし、ニーズヘッグはそれを意図せず素の感情でやっているのだ。
 言っている事も本心であり、それを一番してほしくないタイミングで行ってくる。
 上目遣いなところも、目に涙をためるのも。ニーズヘッグはその場の感情任せでしかなく、演技やしたくてやっているわけではない、自覚なき行為。
 おかげでサラマンダーは説教していたはずがあたふたと泣き出すニーズヘッグに困惑。

「わ、わかったっ。わかったから泣くな、みっともないのぉ。それでも四の王に属する竜種か……!?」

「んなの関係ねーもん。爺ちゃんに嫌われる方が嫌だぞぉ……」

「だ~っ、本当に子供じゃのぉ……っ」

 その後、サラマンダーはの様にニーズヘッグを許してしまう。
 血の繋がりなどない。共通点があるとすれば、それは同じ四の王に属しているだけ。
 にも関わらず、サラマンダーはニーズヘッグを我が子の様に傍に置いていた。
 生まれて間もない小さな悪魔。生き方だけを叩き込まれて顕現したニーズヘッグを最初に拾ったのはサラマンダーだった。
 まだ未発達な肉体のニーズヘッグに施しを与え、いつしか親代わりとなった事で二体の関係は身内も同然となる。
 悪戯もする手を焼く子供であるが、ニーズヘッグの逸材たる力の使い道を教えるため共に時を過ごす。

 いつか、自分が誇れる大悪魔になる事を願って……。
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