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第七部 三章「信じる者」
「欲する者」
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エリーは困惑と眉をひそめていた。
自分の席は上質な素材で仕上げられた赤と金のソファー。触り心地は普段とは比べ物にならない分、あまり触れない物のせいか居心地が悪く思えてしまう。
ソファーだけではなく、周囲の家具にも目を向けては顔をしかめてしまう。
どれもこれも、一般人が手にする事が困難とも思える。棚も、それに置かれている宝石を飾った壺も、敷かれている絨毯も、天井から室内を照らすシャンデリアも。見ているだけで空気と気分が重くなってゆく。
綺麗なのに、そう心の底から思えない空間。物の価値などわからないが、この空間から早く抜け出したいという気持ちはあった。
だが、そうできない理由もある。
「……」
エリーは少し後ろにへと視線を傾けた。
ソファーの後ろでは顔を合わせようとしないネアがたたずんでいる。
いつもなら隣にいてもおかしくないはずなのだが、後ろにつくのみで会話すら交わそうとしない。
最初に目覚めたのはこのソファーの上。それからずっとだ。
彼女に聞きたい事は多々あるのだが、その様子にエリーはなかなか声がかけられず、渋々前にへと向き直る。
透明とガラスでできたテーブルを挟み、対面した席には一人の男がこちらを機嫌良さそうに眺めている。
金の短髪と、歳は三十を超えた様子で、まだ若さを感じられる。
「さすがは、一流の情報屋のネアだ。ここまで要望にしっかり応えるとはな」
ネアを褒める男。だが、ネアは仏頂面で嬉しさなど全くなく、「それはどうも……」と、ぼそっと呟き返す。
ようやく言葉を発したため、エリーはやっとの思いでネアに問いかけた。
「……あの、ネアさん。これはどういう事なんですか? ……クロトさんたちは? それに、この人は?」
なんとなくの直感から近くにクロトはいないと悟る。
だが、ネアはクロトの事には触れず、二つ目の質問にだけは答えた。
「レガルの貴族。……この屋敷の主であるレジット・シュトールよ。個人的には、覚えてほしくない名だわ」
最後は小言で悪態を吐く。
エリーはどういう意味かと首を傾け、再度レジットを見直す。
彼の貴族らしい身なりで、どこかなるほどと納得できた。
赤と金のコートは周囲に馴染み違和感がない。
そう思えた直後、レジットは席を立ち、ずいっとエリーに顔を寄せた。
突然の事にエリーは目を見開き、その星の瞳をまじまじと観察される。
「これが、あの【厄災の姫】か。……噂通り……いや、それ以上だ。素晴らしい」
賞賛されるも戸惑う事しかできず、何故褒められているのかすら理解できない。
驚いた様にレジットは鼻で笑ってから近すぎた顔を離し席に戻った。
「驚かせてしまってすまないね。会えて光栄だよ姫君。……それと、急にそんな殺気を飛ばさないでもらおうか? ――半魔」
声を少し低くし、レジットはエリーの奥にいるネアに微笑を浮かべる。
エリーの背には、ビリビリとした緊迫とした空気が漂っていた。後ろを振り向かなくてもわかる。ネアの圧に緊張でエリーの肩が上がった。
当の本人であるネアは、レジットに殺意のある鋭い眼光を飛ばしていた。
普通の男なら、ネアのその圧に腰が砕けるのだが、このレジットは余裕としている。
すぐにネアも圧を緩めて、詫びる様に頭をわずかに傾ける。
「レディの扱いには気を付けてほしいものだわ。……それだけよ」
「それだけ……ねぇ。まあ、いいか。こちらとしては気分が良いのでな。今のはなかった事にしてやるさ」
……おかしい。
ネアがここまで男性の前で下手に出ているのは違和感でしかない。相手の立場もあるのかもしれないが、このネアの態度にはエリーですらおかしいと感じてしまう。
「ずっと見てみたかった……。この世のものとは思えない、星の瞳」
エリーを見るなり、レジットはまるで飾られた美術品でも見るかの様。その視線には不穏を感じる。
話からして、目の前の男はこちらの素性を知っている。知っていて尚、この人間は恐怖の念を一切抱いていない。この瞳と、【厄災の姫】がどういうものか本当に知っているのかとすら疑いたくなる。
「……私に、なんの用ですか?」
思わず警戒の眼差しを返す。
当然の質問に、レジットはまたしても鼻で笑ってから応答。
「――姫には、好きなものはあるかい?」
「……? 好きな、もの?」
思わず言葉を詰まらせた。
「私はとても珍しいものが好きでね。この部屋にあるものなどとは違う。この世に一つと思える、唯一無二なものがあれば欲が溢れてしまう」
「どういう意味ですか?」
「姫。私はキミが欲しいのだよ。その美しき星の瞳を宿した姫をね。なんなら、時がくれば娶りたいとも思っている。姫は正に、芸術そのものだからね」
エリーの背筋を酷い寒気が襲う。
「もちろん、姫は丁重にもてなそう。わざわざ素性を隠しながら無理な旅などする必要はない。姫はただ、この屋敷で安全に過ごすといいよ。その瞳が傷ついてしまってはいけないからね」
一見、快く身を引き取るというものなのだが、とてもそれが信じられない。
それはレジットのエリーを見る目だけでも理解できた。
レジットの目は人を見る目ではなく、物として見ている様にも見えた。
エリーはレジットにとって、そこらの美術品と変わらない。物としてでしか思っていないという視線に、落胆を抱く。
ふと、クロトも自分を道具とハッキリ言ってきたのを思い出すが、それとはまた別のものだ。
クロトには信頼できる安心感があるからだ。
「そういうわけで、これまでの事は忘れて――」
「――お断りします」
悠々と語っていたレジットが無意識に言葉を止めた。
少女から返ってきたのは、せめてもの謝罪としてわずかに頭を下げ、提案を呑まないというもの。
何故否定したのかわからない様子で固まったレジットをエリーはその目でまっすぐ見つめた。
「私には一緒にいると約束した人がいますので、その人と離れるわけにはいきません。なので、すいません」
レジットは目を見開く。
エリーの星の瞳は、彼女の意志と同化でもしているのか、曇りのない澄んだ様で際立っている。
更に輝きを増した宝石の如く、それを目にして引き下がれる欲をレジットは持ち合わせていない。
より一層欲を掻き立てられる。
「ははっ。それは無理だよ姫。……情報屋」
呼ばれたネアはピクリと反応した。
「何かしら?」
「いや。姫と共にいた輩どもは、彼女を取り戻しに来ると思うか?」
これはクロトとイロハの事だ。
ネアは迷う事もなく、彼らが取るであろう行動を言い放つ。
「必ず来るかと。それなりに黙らせたつもりだけど、それで諦めるくらいなら最初っからこの子と一緒になんていないわよ。……そちらにはその覚悟があるのかしらね?」
「私を誰だと思っている? そのためにお前には色々調達してもらったからな」
レジットは席を立つと、片腕を払ってネアに命じる。
「ならば、来たその輩どもを排除すればいい。そうすれば姫は私のもの。お前なら、その程度容易いだろう? ――異端者」
静かに、ネアは握りこぶしを作り、堪えた様子を表情に出さず、
「わかってるわよ。……そのために私はいるし、アイツらは私よりも弱いんだから」
冷めた口調で自分と他者の力量の差を断言する。
この返しにエリーは困惑とネアを見上げる。会話の流れから、ネアはクロトたちが此処に来れば戦うつもりだ。
これまでの事を思い返しても、ネアがその選択を選ぶなどあり得ない。そうエリーは思っていたのだから。
「そこは頼りになるな。そういう事だ姫。まぁ、叶わぬ願いは早々に諦めるべきだよ」
部屋を固く閉ざし、扉の前には二人ほどの見張りが置かれた。
扉は一つしかなく、エリーは部屋から出る事を禁じられる。
少女一人を残し、レジットは見張りに命令を下していた。
「姫をけして出すなよ? なにかあれば使用人を連れてこさせろ」
「招致しました」
見張りは当然のように命令を受ける。
この屋敷にいる者は全てレジットの言いなりだ。少しの失態で彼らは物の様に排除されるのだから。
ネアはレジットに付き添いながらその部屋を後にする。
長い通路。片方は壁と扉。もう片方は外を眺める事の出来るガラス張り。
月は天にへと上り、すっかり夜更けである。
そんな空を見ていると、あれからどれだけ時間が経過したかがよく理解できた。
「いやぁ。私はとても運が良い。まさか、お前が【厄災の姫】と繋がりがあっとはな。まず姫が生きていた事すら耳を疑ったものだ。クレイディアントは崩壊し無様な有様。そこから生還していたなど……」
「……」
「感謝はしているよ。あの瞳は直で見て手に入れたいと思っていた。最初は剥製として永久保存するつもりだった。老いていく姿などあの瞳には似合わないからなぁ。だが感情のあるあの瞳も惜しい……」
「……」
「……ああ、それとだなぁ」
ピタリと、レジットは語りながらいた歩みを止める。
振り向くと同時に腕を払い、彼の手の甲はネアの白い肌を強く叩いた。
ネアの足元は微動だにしない。叩かれた頬のみが赤みを帯び、涼し気と冷めた目だけがレジットを見る。
レジットはその態度に思わず舌打ちをする。
「異端者が……。あまり私の気に障る言動をするなよ? 瞳は価値あるだろうに、目つきと態度は気に入らない。主人に対して躾のなっていない獣には手を焼くものだ」
「私は依頼でやっただけよ。……本当ならアンタなんかに従いたくもない。でも――」
思うところがあるのか、ネアは言葉を詰まらせる。
少しの弱みを見つければ、レジットは口元を歪めて不気味に笑う。
「ああ……、わかっている。わかっているとも。仕方なく……だろぉ?」
「……っ」
「女だけの隠れ村。本当に実在していたとは驚きだったよ。だが不用心だなぁ。街中を出歩いて目を付けられたのだからなぁ」
ネアは堪えた表情で顔を逸らす。
その表情が見たかったのか、更に話を続ける。
「最初は適当に売れる容姿と思ってな。拉致してみれば片方が簡単に口を割って、そしてお前に辿り着いた。あの有名な情報屋を手駒にすれば、それなりの働きをすると。それも中途半端な半魔だ。これは使えると思ったわけだよ」
「……あの子たちは、運が悪かっただけよ。アンタなんかに目を付けられて。あの子たちだって村のために頑張ってるの。アンタみたいな男が怖くても、無理して頑張ってるのっ。それなのに……。頼まれた魔界から必要な物も取ってきた。エリーちゃんだって……っ。もうじゅうぶんでしょ!? これ以上、アンタの都合で村の子たちを巻き込まないで! いつまでも村の外になんて出してられないの!」
「そうだなぁ。今お前に任せている姫を盗もうとしている輩どもを始末できれば、考慮してやってもいいぞ?」
「ちょ……ッ。せめて二人だけでも解放してあげて! それくらいはできるでしょ!?」
「それが主人に対する言葉か? お前のような異端者は信用できないところがあるからなぁ。彼女たちは保険だ。それすらできないのなら、彼女たちにはもう価値がない。養う理由もないからな。その時は……言うまでもなくわかってるだろう?」
その先は容易に理解できた。
刹那、紫電が走り、レジットに向け鋭い拳が襲う。
しかし、それは寸でで止まり、彼を殴りつける事すら叶わなかった。
届きそうな拳を唇を噛みしめながら堪えたネアは、噴火しそうな怒りを押し殺す。
「……わかってる、わよ。邪魔なアイツらが来たら諦めさせればいいんでしょ? いいわよ、やってやるわよ。不死身だろうが何だろうが、完膚なきまでにへし折る。それであの子たちが救えるなら、私はなんだってしてやるっ」
拳を下げ、ネアは瞬時にその場から姿を消す。
最後にレジットがこちらに向け薄ら笑いを浮かべていた事が脳裏に焼き付いて離れない。
男は嫌いだ。その考えが頭の中を幾度も駆け抜け、酷い嫌悪感に苛まれる。
疾走の最中に沸き上がる憤怒に紛れ、ネアは喉を締め付けられる感覚を得ながら言葉を漏らす。
「嫌い……嫌い……。誰か……、誰かあの子たちを……エリーちゃんを………………助けてよ……っ」
泣き言だったかもしれない。
そう助けを求めても、ネアの選んでしまった道には誰もいない。
自分で選んだ道だ。誰にも頼らず、自分で終わらせると……。
狭く、細く、今にも崩れてしまいそうな歪な道を、ネアはただ進む。
その先で道が途絶えていようと、ネアはただ進み続けるしかできない。
脳裏にふと、一人の人物が浮かぶ。
どうしようもない時に、何故か頼ってしまうような存在が、淡い様で。
だが、ネアはその存在に嫌悪を向けた。
「アンタと私は違う。だから――」
自分の席は上質な素材で仕上げられた赤と金のソファー。触り心地は普段とは比べ物にならない分、あまり触れない物のせいか居心地が悪く思えてしまう。
ソファーだけではなく、周囲の家具にも目を向けては顔をしかめてしまう。
どれもこれも、一般人が手にする事が困難とも思える。棚も、それに置かれている宝石を飾った壺も、敷かれている絨毯も、天井から室内を照らすシャンデリアも。見ているだけで空気と気分が重くなってゆく。
綺麗なのに、そう心の底から思えない空間。物の価値などわからないが、この空間から早く抜け出したいという気持ちはあった。
だが、そうできない理由もある。
「……」
エリーは少し後ろにへと視線を傾けた。
ソファーの後ろでは顔を合わせようとしないネアがたたずんでいる。
いつもなら隣にいてもおかしくないはずなのだが、後ろにつくのみで会話すら交わそうとしない。
最初に目覚めたのはこのソファーの上。それからずっとだ。
彼女に聞きたい事は多々あるのだが、その様子にエリーはなかなか声がかけられず、渋々前にへと向き直る。
透明とガラスでできたテーブルを挟み、対面した席には一人の男がこちらを機嫌良さそうに眺めている。
金の短髪と、歳は三十を超えた様子で、まだ若さを感じられる。
「さすがは、一流の情報屋のネアだ。ここまで要望にしっかり応えるとはな」
ネアを褒める男。だが、ネアは仏頂面で嬉しさなど全くなく、「それはどうも……」と、ぼそっと呟き返す。
ようやく言葉を発したため、エリーはやっとの思いでネアに問いかけた。
「……あの、ネアさん。これはどういう事なんですか? ……クロトさんたちは? それに、この人は?」
なんとなくの直感から近くにクロトはいないと悟る。
だが、ネアはクロトの事には触れず、二つ目の質問にだけは答えた。
「レガルの貴族。……この屋敷の主であるレジット・シュトールよ。個人的には、覚えてほしくない名だわ」
最後は小言で悪態を吐く。
エリーはどういう意味かと首を傾け、再度レジットを見直す。
彼の貴族らしい身なりで、どこかなるほどと納得できた。
赤と金のコートは周囲に馴染み違和感がない。
そう思えた直後、レジットは席を立ち、ずいっとエリーに顔を寄せた。
突然の事にエリーは目を見開き、その星の瞳をまじまじと観察される。
「これが、あの【厄災の姫】か。……噂通り……いや、それ以上だ。素晴らしい」
賞賛されるも戸惑う事しかできず、何故褒められているのかすら理解できない。
驚いた様にレジットは鼻で笑ってから近すぎた顔を離し席に戻った。
「驚かせてしまってすまないね。会えて光栄だよ姫君。……それと、急にそんな殺気を飛ばさないでもらおうか? ――半魔」
声を少し低くし、レジットはエリーの奥にいるネアに微笑を浮かべる。
エリーの背には、ビリビリとした緊迫とした空気が漂っていた。後ろを振り向かなくてもわかる。ネアの圧に緊張でエリーの肩が上がった。
当の本人であるネアは、レジットに殺意のある鋭い眼光を飛ばしていた。
普通の男なら、ネアのその圧に腰が砕けるのだが、このレジットは余裕としている。
すぐにネアも圧を緩めて、詫びる様に頭をわずかに傾ける。
「レディの扱いには気を付けてほしいものだわ。……それだけよ」
「それだけ……ねぇ。まあ、いいか。こちらとしては気分が良いのでな。今のはなかった事にしてやるさ」
……おかしい。
ネアがここまで男性の前で下手に出ているのは違和感でしかない。相手の立場もあるのかもしれないが、このネアの態度にはエリーですらおかしいと感じてしまう。
「ずっと見てみたかった……。この世のものとは思えない、星の瞳」
エリーを見るなり、レジットはまるで飾られた美術品でも見るかの様。その視線には不穏を感じる。
話からして、目の前の男はこちらの素性を知っている。知っていて尚、この人間は恐怖の念を一切抱いていない。この瞳と、【厄災の姫】がどういうものか本当に知っているのかとすら疑いたくなる。
「……私に、なんの用ですか?」
思わず警戒の眼差しを返す。
当然の質問に、レジットはまたしても鼻で笑ってから応答。
「――姫には、好きなものはあるかい?」
「……? 好きな、もの?」
思わず言葉を詰まらせた。
「私はとても珍しいものが好きでね。この部屋にあるものなどとは違う。この世に一つと思える、唯一無二なものがあれば欲が溢れてしまう」
「どういう意味ですか?」
「姫。私はキミが欲しいのだよ。その美しき星の瞳を宿した姫をね。なんなら、時がくれば娶りたいとも思っている。姫は正に、芸術そのものだからね」
エリーの背筋を酷い寒気が襲う。
「もちろん、姫は丁重にもてなそう。わざわざ素性を隠しながら無理な旅などする必要はない。姫はただ、この屋敷で安全に過ごすといいよ。その瞳が傷ついてしまってはいけないからね」
一見、快く身を引き取るというものなのだが、とてもそれが信じられない。
それはレジットのエリーを見る目だけでも理解できた。
レジットの目は人を見る目ではなく、物として見ている様にも見えた。
エリーはレジットにとって、そこらの美術品と変わらない。物としてでしか思っていないという視線に、落胆を抱く。
ふと、クロトも自分を道具とハッキリ言ってきたのを思い出すが、それとはまた別のものだ。
クロトには信頼できる安心感があるからだ。
「そういうわけで、これまでの事は忘れて――」
「――お断りします」
悠々と語っていたレジットが無意識に言葉を止めた。
少女から返ってきたのは、せめてもの謝罪としてわずかに頭を下げ、提案を呑まないというもの。
何故否定したのかわからない様子で固まったレジットをエリーはその目でまっすぐ見つめた。
「私には一緒にいると約束した人がいますので、その人と離れるわけにはいきません。なので、すいません」
レジットは目を見開く。
エリーの星の瞳は、彼女の意志と同化でもしているのか、曇りのない澄んだ様で際立っている。
更に輝きを増した宝石の如く、それを目にして引き下がれる欲をレジットは持ち合わせていない。
より一層欲を掻き立てられる。
「ははっ。それは無理だよ姫。……情報屋」
呼ばれたネアはピクリと反応した。
「何かしら?」
「いや。姫と共にいた輩どもは、彼女を取り戻しに来ると思うか?」
これはクロトとイロハの事だ。
ネアは迷う事もなく、彼らが取るであろう行動を言い放つ。
「必ず来るかと。それなりに黙らせたつもりだけど、それで諦めるくらいなら最初っからこの子と一緒になんていないわよ。……そちらにはその覚悟があるのかしらね?」
「私を誰だと思っている? そのためにお前には色々調達してもらったからな」
レジットは席を立つと、片腕を払ってネアに命じる。
「ならば、来たその輩どもを排除すればいい。そうすれば姫は私のもの。お前なら、その程度容易いだろう? ――異端者」
静かに、ネアは握りこぶしを作り、堪えた様子を表情に出さず、
「わかってるわよ。……そのために私はいるし、アイツらは私よりも弱いんだから」
冷めた口調で自分と他者の力量の差を断言する。
この返しにエリーは困惑とネアを見上げる。会話の流れから、ネアはクロトたちが此処に来れば戦うつもりだ。
これまでの事を思い返しても、ネアがその選択を選ぶなどあり得ない。そうエリーは思っていたのだから。
「そこは頼りになるな。そういう事だ姫。まぁ、叶わぬ願いは早々に諦めるべきだよ」
部屋を固く閉ざし、扉の前には二人ほどの見張りが置かれた。
扉は一つしかなく、エリーは部屋から出る事を禁じられる。
少女一人を残し、レジットは見張りに命令を下していた。
「姫をけして出すなよ? なにかあれば使用人を連れてこさせろ」
「招致しました」
見張りは当然のように命令を受ける。
この屋敷にいる者は全てレジットの言いなりだ。少しの失態で彼らは物の様に排除されるのだから。
ネアはレジットに付き添いながらその部屋を後にする。
長い通路。片方は壁と扉。もう片方は外を眺める事の出来るガラス張り。
月は天にへと上り、すっかり夜更けである。
そんな空を見ていると、あれからどれだけ時間が経過したかがよく理解できた。
「いやぁ。私はとても運が良い。まさか、お前が【厄災の姫】と繋がりがあっとはな。まず姫が生きていた事すら耳を疑ったものだ。クレイディアントは崩壊し無様な有様。そこから生還していたなど……」
「……」
「感謝はしているよ。あの瞳は直で見て手に入れたいと思っていた。最初は剥製として永久保存するつもりだった。老いていく姿などあの瞳には似合わないからなぁ。だが感情のあるあの瞳も惜しい……」
「……」
「……ああ、それとだなぁ」
ピタリと、レジットは語りながらいた歩みを止める。
振り向くと同時に腕を払い、彼の手の甲はネアの白い肌を強く叩いた。
ネアの足元は微動だにしない。叩かれた頬のみが赤みを帯び、涼し気と冷めた目だけがレジットを見る。
レジットはその態度に思わず舌打ちをする。
「異端者が……。あまり私の気に障る言動をするなよ? 瞳は価値あるだろうに、目つきと態度は気に入らない。主人に対して躾のなっていない獣には手を焼くものだ」
「私は依頼でやっただけよ。……本当ならアンタなんかに従いたくもない。でも――」
思うところがあるのか、ネアは言葉を詰まらせる。
少しの弱みを見つければ、レジットは口元を歪めて不気味に笑う。
「ああ……、わかっている。わかっているとも。仕方なく……だろぉ?」
「……っ」
「女だけの隠れ村。本当に実在していたとは驚きだったよ。だが不用心だなぁ。街中を出歩いて目を付けられたのだからなぁ」
ネアは堪えた表情で顔を逸らす。
その表情が見たかったのか、更に話を続ける。
「最初は適当に売れる容姿と思ってな。拉致してみれば片方が簡単に口を割って、そしてお前に辿り着いた。あの有名な情報屋を手駒にすれば、それなりの働きをすると。それも中途半端な半魔だ。これは使えると思ったわけだよ」
「……あの子たちは、運が悪かっただけよ。アンタなんかに目を付けられて。あの子たちだって村のために頑張ってるの。アンタみたいな男が怖くても、無理して頑張ってるのっ。それなのに……。頼まれた魔界から必要な物も取ってきた。エリーちゃんだって……っ。もうじゅうぶんでしょ!? これ以上、アンタの都合で村の子たちを巻き込まないで! いつまでも村の外になんて出してられないの!」
「そうだなぁ。今お前に任せている姫を盗もうとしている輩どもを始末できれば、考慮してやってもいいぞ?」
「ちょ……ッ。せめて二人だけでも解放してあげて! それくらいはできるでしょ!?」
「それが主人に対する言葉か? お前のような異端者は信用できないところがあるからなぁ。彼女たちは保険だ。それすらできないのなら、彼女たちにはもう価値がない。養う理由もないからな。その時は……言うまでもなくわかってるだろう?」
その先は容易に理解できた。
刹那、紫電が走り、レジットに向け鋭い拳が襲う。
しかし、それは寸でで止まり、彼を殴りつける事すら叶わなかった。
届きそうな拳を唇を噛みしめながら堪えたネアは、噴火しそうな怒りを押し殺す。
「……わかってる、わよ。邪魔なアイツらが来たら諦めさせればいいんでしょ? いいわよ、やってやるわよ。不死身だろうが何だろうが、完膚なきまでにへし折る。それであの子たちが救えるなら、私はなんだってしてやるっ」
拳を下げ、ネアは瞬時にその場から姿を消す。
最後にレジットがこちらに向け薄ら笑いを浮かべていた事が脳裏に焼き付いて離れない。
男は嫌いだ。その考えが頭の中を幾度も駆け抜け、酷い嫌悪感に苛まれる。
疾走の最中に沸き上がる憤怒に紛れ、ネアは喉を締め付けられる感覚を得ながら言葉を漏らす。
「嫌い……嫌い……。誰か……、誰かあの子たちを……エリーちゃんを………………助けてよ……っ」
泣き言だったかもしれない。
そう助けを求めても、ネアの選んでしまった道には誰もいない。
自分で選んだ道だ。誰にも頼らず、自分で終わらせると……。
狭く、細く、今にも崩れてしまいそうな歪な道を、ネアはただ進む。
その先で道が途絶えていようと、ネアはただ進み続けるしかできない。
脳裏にふと、一人の人物が浮かぶ。
どうしようもない時に、何故か頼ってしまうような存在が、淡い様で。
だが、ネアはその存在に嫌悪を向けた。
「アンタと私は違う。だから――」
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