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[外伝]リドルの美味しい珈琲
3.リドルとコーヒーメーカー
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王女に日々振り回され続けていた俺だったが、コーヒーメーカー開発のヒントは意外なところからもたらされた。
それは、いつものように王女の部屋で執筆の手伝いをしていた時のことだ。
「そういえば、リドル様。先日貸していただいたコーヒーメーカーを家で使ってみたのですけど、焙煎した豆をしばらく置いてから使うって知らなくて、すぐ淹れてしまって失敗しましたの。数日寝かせるのは面倒だし、焙煎した豆は売っていませんの?」
と、侍女のメアリが言い出した。
今、俺は王女の侍女たちに頼まれ、コーヒーメーカーをいくつか貸し出していたのだった。
独身男性は難しくても、今、主にコーヒーを入れる担当になっている女性は使ってみたいと思っているらしかった。
「ええ、私もぜひそれをお願いしたいと思っていましたの。今、ルバート様の結婚でコーヒーが流行りでしょ?うちの主人は毎朝お前の淹れた魔法のコーヒーが飲みたいなんて言うのだけど、朝の忙しい時間にやっていられないわ。もう粉にしたものを売って欲しいくらい!」
侍女のアンナは子供が二人いるといっていたから、朝は忙しいのだろう。
「でも、それだと味が落ちると思うんだよね。」
と俺が言うと、アンナが首を左右に振った。
「毎朝のことですもの、そこまで味に拘りませんわ。そもそも、うちの主人ったらコーヒーメーカーを使って淹れたことに気づかなかったんですよ。今日も美味しいなですって!全く、失礼しちゃう!」
そう言って、アンナは怒った顔をしてみせた。
確かに、魔力の量には個人差がある。
アメリアのように特別な魔法をかけられる方が珍しいのかも知れない。
「そういえば、先日、バルト家ではちょっとした騒動があったそうよ。ご主人がその日のコーヒーを絶賛したところ、それは奥様ではなく侍女が淹れたコーヒーだったんですって!それで、2人が不倫関係にあったことがバレてしまい、今、大変なことになっているらしいわね。」
侍女のマリーがそんな物騒な話をしたところ、女たちが様々な噂話に花を咲かせ始めた。
こういう情報は一体どこから仕入れてくるんだろうと思いつつ、彼女たちの情報網のすごさに驚く。
マリーが言ったような騒動は他にもあるらしく、どうやら魔法のコーヒーは良い面ばかりでもないらしい。
「そういえば、アナベルは近衛騎士のプロポーズを断ったんでしょ?あんなにぞっこんだったのに。」
「ええ、断ってやりました。『俺のために毎朝コーヒーを淹れてくれ』なんて言うんですもの。百年の恋も冷めましたわ!そんなに毎朝コーヒーが飲みたいなら、リドル様のところでコーヒーメーカーを買ったらいかが?って言ってやりましたの。美味しいコーヒーが飲みたいのは男だけじゃありませんのよ!」
ルバートの結婚にまつわる話をきっかけに、今、コーヒーは貴族の間で大流行していた。
今や、「俺のためにコーヒーを淹れてくれ」と言うのが流行りのプロポーズの言葉になりつつある。
けれど、言われる方の女性にとっては、そんなに嬉しいことではないらしい。
確かに、アメリアのコーヒーが飲めなくなった当初、自分で何度か挑戦してみたことがあるのだが、コーヒーを淹れるのは意外と手間がかかる。
だから、コーヒーメーカーを作ろうと思い立ったわけだが、コーヒーを淹れるのが好きだというアメリアみたいな人間の方が少数派なのだろう。
やはり、コーヒーメーカーは需要があるんだと、俺は自信を深めた。
◇
会社に帰ってその話をすると、シンとヒューゴも俺の意見に賛成してくれた。
「焙煎した豆を売るっていうのはいいですね。焙煎部分をこれ以上小型化するのは無理だと思っていたのところなので、逆に大量に焙煎できるように大型化するのであれば、より効率的な設計ができると思います。それに、焙煎した豆を使って淹れると考えれば、コーヒーメーカー自体はかなり小さくできます。」
「女性向けに販売するっていうのも、いいアイデアですね!リドル様のせいで、すっかりモテない男のイメージが定着してしまったコーヒーメーカーの汚名を晴らせるかも知れません。僕、ちょっとポスターの新しい案を考えてみますよ。」
ヒューゴの言い方がかなり気になったものの、まあ事実なので反論もできない。
と、まあこんな感じで始まった新しいコーヒーメーカーの開発のため、俺の日常はさらに忙しくなった。
必要な資材の調達、組み立て工場への連絡、焙煎した豆を置いてもらう店の開拓、ポスターの準備などをこなしながら、王女の呼び出しに応じる日々。
すっかり疲れ果てて会社に戻ると、シンとヒューゴがまだ残って仕事をしているようだった。
「また、魔法のコーヒーメーカーの開発ですか?普通のコーヒーメーカーの開発だけでも大変でしょうに、シンさんは本当に社畜ですよね。」
部屋の中から、ヒューゴの声が漏れ聞こえてくる。
それに対して、シンは
「これは仕事じゃないよ。私がリドル様に美味しいコーヒーを飲んでもらいたいだけなんだから。」
と言った。
それは、一体どういう意味なんだろうと思う。
俺がコーヒーを淹れてくれる人を見つけられそうもないから、コーヒーメーカーの方で何とかするってことですかね?
いやいや、ヒューゴならまだしも、シンはそう言う意味で言ったんじゃないだろうと思い直す。
普通に技術者としての興味であって、俺が結婚できないって言っているわけではないはず!
最近、疲れが溜まっていて、つい暗い方向にばかり考えが及んでしまう。
その言葉を聞こえなかったことにして、扉を開ける。
「ただいまー。」
俺に気づいたシンが作業台から顔を上げる。
「おかえりなさい。また霧発生装置の不具合ですか?」
「あー、まあそうだな。」
「そんなに頻繁に不具合が発生するようなら、一度、私が見に行った方がいいのではないでしょうか。どこか基幹部分の問題かもしれませんし。」
「いやっ、ダメだ!じゃなくて、大丈夫だ。俺で対応できる。」
以前は週に一度の霧発生装置の調整というか清掃の時だけ、王女の創作に付き合っていたものの、最近は締め切りが近づいてきたこともあり、呼び出しが頻繁になっていた。
そのため、霧発生装置の不具合ということにしているのだが、あんなところにシンを連れて行くわけにはいかない。
思わずため息がもれる。
「だいぶ、お疲れのようですが、大丈夫ですか?」
「ああ、ありがとう。大丈夫だ。」
シンの優しさが身に染みる。
最近、王女の呼び出しが頻繁なこともあって、疲れが溜まっている気がするが、そんなことを言っている場合ではない。
「リドル様、ちょっと見て欲しいところがあるんですが、よろしいでしょうか?」
そう言って、シンは俺を作業台の横へ来るよう促した。
「これくらいの大きさの魔石を実験用に欲しいのですが、難しいですかね?」
シンはコーヒーメーカーの基幹部分を器用にばらし、その石を見せた。
シンは何故か俺には内緒にしているのだが、魔動コーヒーメーカーが売れないのは品質のせいだと思って、今、魔力が込められるものの開発を頑張ってくれているらしい。
コーヒーメーカーが売れないのは完全に俺のせいなので、本当に申し訳なく思う。
「ああ、魔石の調達のことは心配しなくていい。もう目処がついたから、大丈夫だ。でも、これ以上味にこだわらなくてもいいんじゃないか?今のままでも十分美味しいんだから。」
もちろん魔法のコーヒーが淹れられるコーヒーメーカーができれば需要はあるだろうが、今のコーヒーメーカーだって十分に美味しい。
魔法のコーヒーが飲めなくたって、全然淋しくなんかない!
「はあー。」
また大きくため息をついて、長椅子に寝転ぶ。
「リドル様、そんなところで寝てしまうと風邪をひきますよ!」
シンがまるで母親のように声をかけてくる。
ちょっとだけだから大丈夫と言うと、シンが呆れた顔で立ち上がって、毛布を俺の体に掛けてくれた。
シンは本当によく気が付くやつだ。
ああ、こんな風に毛布をかけてくれる嫁が欲しい。
そんなことを考えながら、俺は眠りに落ちた。
◇
結局そのまま会社で寝てしまった俺は、翌朝、少しの寒気を感じて目を覚ました。
見れば、シンがあのあともう一枚毛布を追加して掛けてくれたようだったが、春とはいえ、まだ肌寒い季節だ。
ぶるっと身震いする。
そのまま、毛布にくるまっていると、やがてシンが降りてくる音がした。
シンは会社と同じ建物の上の階に住んでいる。
「おはようございます。お目覚めですか?」
そう言って、シンが顔を出した。
忙しいこともあって、最近は会社に泊まってしまうことが増えていた。
ぶっちゃけ、この狭い長椅子の方が、自宅のベッドよりよく眠れる気さえする。
ここには問題ばかり持ち込む親父殿も、神経質で小言の多い母上もいない。
このままこっちに住んでしまおうかと思うほど居心地がいい。
おはようと返せば、シンが「よく眠れましたか?」と言って、柔らかく微笑む。
朝日に照らされたシンの笑顔が、やけに眩しく見える。
「今、朝食を持ってきますから、顔でも洗ってきたらどうです?」
促されて、顔を洗って戻れば、会社の休憩室に朝食の準備がされていた。
シンの淹れてくれたコーヒーが、朝の寝ぼけた体に染み渡る。
ふと、こうやってシンと一緒にコーヒーを飲むのは何回目なのだろうと思う。
早いもので、シンと一緒に働くようになって、もう九年が経った。
こうやって一緒に朝食を取ることもあるが、仕事中にコーヒーを淹れたり、淹れてもらったり、またコーヒーメーカーの出来栄えを確認するためにも飲んでるし、二人で飲んだコーヒーの杯数は相当な数だろうなと思う。
思えば、この九年間、色々なことがあった。
超長距離口述筆記魔具の開発の時は、二人で国中を回って、各街道への中継機の設置と要所への本体の設置に奔走したし、霧発生装置の開発の時も徹夜で会社に泊まり込んだ。
一番大変だったのは、もちろんあの辺境伯領との往復強行軍だが、シンは悪路でゲロゲロ吐き続ける俺をずっと介抱してくれたりもした。
シンは俺にとっては、腕がいい魔具技師という以上の特別な存在だ。
あまりに腕がいいので、他の魔具会社に引き抜かれるんじゃないかと思ったこともあったが、シンはそんな誘いにも乗らず、ずっと俺を支えてくれる。
実際、超長距離口述筆記魔具の権利を売り渡すとき、フェリクスお抱えの魔具開発部にはシンごと譲って欲しいと何度も強請れられたのだ。
シンは俺に恩を感じて断ってくれたようだが、本来ならシンは俺の会社にいるべき人間じゃない。
シンのためを思うならば、もっといい環境に移った方がいいことも分かっている。
けれど、俺はシン以外の人間と組んで仕事をするなんて、とても考えられなかった。
だから、シンが作ったコーヒーメーカーの素晴らしさをもっと広め、その腕の良さを世に知らしめたいとも思っていた。
それなのに、俺自身が足を引っ張ってしまうなんて、本当に情けない。
「もう、九年か。」
気がつけば、そう呟いていた。
向かいに座るシンの顔をまじまじと見つめる。
15歳の少年だった頃の面影は、今はもうない。
あの頃の陽に灼けた健康的な肌の色はすっかり失われ、今は抜けるような白い肌をしている。
王女が舞台役者にも負けない美青年と言ったのも頷ける容姿だ。
事実、取引先の女性陣たちには、俺よりもシンの方が圧倒的に人気がある。
貧乏貴族の跡取り息子より、腕のいい魔具技師の方が将来性があるに決まっているのだから、当たり前の話だが。
「急にどうしたんです?」
「いや、シンもいい歳になったんだなと思ってさ。結婚とかしないの?俺に遠慮しなくていいんだぞ。」
と言いつつ、シンに先を越されたらどうしようと一瞬焦る。
けれど、シンは笑って、首を左右に振った。
「そんなこと考えられませんよ。今は仕事の方が大事ですから。」
まあ、今の給料じゃ結婚なんて考えられないよなと気づいて、ますます申し訳ない気持ちになる。
シンの頑張りを無駄にしたくない。
何を犠牲にしても、今度こそ売れるようにしなければと、俺は決意を新たにした。
◇
事件が起きたのは、その数日後のことだった。
「リドル、どうしよう!本が出版できなくなりそうなの!!」
突然、王女が俺の会社を訪れたのは、シンが買い出しに出かけているときのことだった。
これまで急に呼び出されることはあっても、押しかけられたのはその日が初めてのことだった。
シンに会わせずに済んだことを安堵しつつ、何があったのかと尋ねると、王女は珍しく落ち込んだ様子で、話し始めた。
「お父様とお母様に、私が書いている本の内容がバレたの。それで、いくら偽名で出しているとは言え、王女が出すのに相応しくない内容だから発禁にするって!どうしよう、リドル!」
「ばっかだなー。バレないと思ってたところがすごいよ。いくら好きにしていい権利があるって言ったって、やりすぎなんだよ。」
「せっかくあと少しのところまで書いたのに・・・。こんな形で出版できなくなるなんて。」
俺の目の前に立ち尽くした王女は、ドレスを強く握りしめ、泣きそうな表情で俯いた。
あんなに頑張って書いていたんだ。悔しい気持ちは分かるが、さすがに男同士の恋愛の話は無理だろうと思わなくもない。
しかも、二巻は内容が過激になっている。
リーンハルトとユリアンが両思いになっていく内容だから仕方ないとはいえ、やはり王女が書くのに相応しい内容ではない。
まあ、これ以上おかしな噂に巻き込まれたくない俺としては願ったり叶ったりなのだが。
と、その時、王女が急に俺の手を握り、真剣な眼差しで俺を見つめた。
「リドルが書いたことにしてくれないかしら。」
王女が低く小さい声で呟く。
「はあ?」
思わず大声を出してのけぞった俺に、王女はさらにずいっと前に出て畳みかける。
「お願い、リドル。あなたじゃなきゃダメなのよ!!」
王女がそう大声で叫んだと同時に、何かが割れる音が室内に響いた。
振り返れば、そこには驚いた表情のシンが立ち尽くしていた。
それは、いつものように王女の部屋で執筆の手伝いをしていた時のことだ。
「そういえば、リドル様。先日貸していただいたコーヒーメーカーを家で使ってみたのですけど、焙煎した豆をしばらく置いてから使うって知らなくて、すぐ淹れてしまって失敗しましたの。数日寝かせるのは面倒だし、焙煎した豆は売っていませんの?」
と、侍女のメアリが言い出した。
今、俺は王女の侍女たちに頼まれ、コーヒーメーカーをいくつか貸し出していたのだった。
独身男性は難しくても、今、主にコーヒーを入れる担当になっている女性は使ってみたいと思っているらしかった。
「ええ、私もぜひそれをお願いしたいと思っていましたの。今、ルバート様の結婚でコーヒーが流行りでしょ?うちの主人は毎朝お前の淹れた魔法のコーヒーが飲みたいなんて言うのだけど、朝の忙しい時間にやっていられないわ。もう粉にしたものを売って欲しいくらい!」
侍女のアンナは子供が二人いるといっていたから、朝は忙しいのだろう。
「でも、それだと味が落ちると思うんだよね。」
と俺が言うと、アンナが首を左右に振った。
「毎朝のことですもの、そこまで味に拘りませんわ。そもそも、うちの主人ったらコーヒーメーカーを使って淹れたことに気づかなかったんですよ。今日も美味しいなですって!全く、失礼しちゃう!」
そう言って、アンナは怒った顔をしてみせた。
確かに、魔力の量には個人差がある。
アメリアのように特別な魔法をかけられる方が珍しいのかも知れない。
「そういえば、先日、バルト家ではちょっとした騒動があったそうよ。ご主人がその日のコーヒーを絶賛したところ、それは奥様ではなく侍女が淹れたコーヒーだったんですって!それで、2人が不倫関係にあったことがバレてしまい、今、大変なことになっているらしいわね。」
侍女のマリーがそんな物騒な話をしたところ、女たちが様々な噂話に花を咲かせ始めた。
こういう情報は一体どこから仕入れてくるんだろうと思いつつ、彼女たちの情報網のすごさに驚く。
マリーが言ったような騒動は他にもあるらしく、どうやら魔法のコーヒーは良い面ばかりでもないらしい。
「そういえば、アナベルは近衛騎士のプロポーズを断ったんでしょ?あんなにぞっこんだったのに。」
「ええ、断ってやりました。『俺のために毎朝コーヒーを淹れてくれ』なんて言うんですもの。百年の恋も冷めましたわ!そんなに毎朝コーヒーが飲みたいなら、リドル様のところでコーヒーメーカーを買ったらいかが?って言ってやりましたの。美味しいコーヒーが飲みたいのは男だけじゃありませんのよ!」
ルバートの結婚にまつわる話をきっかけに、今、コーヒーは貴族の間で大流行していた。
今や、「俺のためにコーヒーを淹れてくれ」と言うのが流行りのプロポーズの言葉になりつつある。
けれど、言われる方の女性にとっては、そんなに嬉しいことではないらしい。
確かに、アメリアのコーヒーが飲めなくなった当初、自分で何度か挑戦してみたことがあるのだが、コーヒーを淹れるのは意外と手間がかかる。
だから、コーヒーメーカーを作ろうと思い立ったわけだが、コーヒーを淹れるのが好きだというアメリアみたいな人間の方が少数派なのだろう。
やはり、コーヒーメーカーは需要があるんだと、俺は自信を深めた。
◇
会社に帰ってその話をすると、シンとヒューゴも俺の意見に賛成してくれた。
「焙煎した豆を売るっていうのはいいですね。焙煎部分をこれ以上小型化するのは無理だと思っていたのところなので、逆に大量に焙煎できるように大型化するのであれば、より効率的な設計ができると思います。それに、焙煎した豆を使って淹れると考えれば、コーヒーメーカー自体はかなり小さくできます。」
「女性向けに販売するっていうのも、いいアイデアですね!リドル様のせいで、すっかりモテない男のイメージが定着してしまったコーヒーメーカーの汚名を晴らせるかも知れません。僕、ちょっとポスターの新しい案を考えてみますよ。」
ヒューゴの言い方がかなり気になったものの、まあ事実なので反論もできない。
と、まあこんな感じで始まった新しいコーヒーメーカーの開発のため、俺の日常はさらに忙しくなった。
必要な資材の調達、組み立て工場への連絡、焙煎した豆を置いてもらう店の開拓、ポスターの準備などをこなしながら、王女の呼び出しに応じる日々。
すっかり疲れ果てて会社に戻ると、シンとヒューゴがまだ残って仕事をしているようだった。
「また、魔法のコーヒーメーカーの開発ですか?普通のコーヒーメーカーの開発だけでも大変でしょうに、シンさんは本当に社畜ですよね。」
部屋の中から、ヒューゴの声が漏れ聞こえてくる。
それに対して、シンは
「これは仕事じゃないよ。私がリドル様に美味しいコーヒーを飲んでもらいたいだけなんだから。」
と言った。
それは、一体どういう意味なんだろうと思う。
俺がコーヒーを淹れてくれる人を見つけられそうもないから、コーヒーメーカーの方で何とかするってことですかね?
いやいや、ヒューゴならまだしも、シンはそう言う意味で言ったんじゃないだろうと思い直す。
普通に技術者としての興味であって、俺が結婚できないって言っているわけではないはず!
最近、疲れが溜まっていて、つい暗い方向にばかり考えが及んでしまう。
その言葉を聞こえなかったことにして、扉を開ける。
「ただいまー。」
俺に気づいたシンが作業台から顔を上げる。
「おかえりなさい。また霧発生装置の不具合ですか?」
「あー、まあそうだな。」
「そんなに頻繁に不具合が発生するようなら、一度、私が見に行った方がいいのではないでしょうか。どこか基幹部分の問題かもしれませんし。」
「いやっ、ダメだ!じゃなくて、大丈夫だ。俺で対応できる。」
以前は週に一度の霧発生装置の調整というか清掃の時だけ、王女の創作に付き合っていたものの、最近は締め切りが近づいてきたこともあり、呼び出しが頻繁になっていた。
そのため、霧発生装置の不具合ということにしているのだが、あんなところにシンを連れて行くわけにはいかない。
思わずため息がもれる。
「だいぶ、お疲れのようですが、大丈夫ですか?」
「ああ、ありがとう。大丈夫だ。」
シンの優しさが身に染みる。
最近、王女の呼び出しが頻繁なこともあって、疲れが溜まっている気がするが、そんなことを言っている場合ではない。
「リドル様、ちょっと見て欲しいところがあるんですが、よろしいでしょうか?」
そう言って、シンは俺を作業台の横へ来るよう促した。
「これくらいの大きさの魔石を実験用に欲しいのですが、難しいですかね?」
シンはコーヒーメーカーの基幹部分を器用にばらし、その石を見せた。
シンは何故か俺には内緒にしているのだが、魔動コーヒーメーカーが売れないのは品質のせいだと思って、今、魔力が込められるものの開発を頑張ってくれているらしい。
コーヒーメーカーが売れないのは完全に俺のせいなので、本当に申し訳なく思う。
「ああ、魔石の調達のことは心配しなくていい。もう目処がついたから、大丈夫だ。でも、これ以上味にこだわらなくてもいいんじゃないか?今のままでも十分美味しいんだから。」
もちろん魔法のコーヒーが淹れられるコーヒーメーカーができれば需要はあるだろうが、今のコーヒーメーカーだって十分に美味しい。
魔法のコーヒーが飲めなくたって、全然淋しくなんかない!
「はあー。」
また大きくため息をついて、長椅子に寝転ぶ。
「リドル様、そんなところで寝てしまうと風邪をひきますよ!」
シンがまるで母親のように声をかけてくる。
ちょっとだけだから大丈夫と言うと、シンが呆れた顔で立ち上がって、毛布を俺の体に掛けてくれた。
シンは本当によく気が付くやつだ。
ああ、こんな風に毛布をかけてくれる嫁が欲しい。
そんなことを考えながら、俺は眠りに落ちた。
◇
結局そのまま会社で寝てしまった俺は、翌朝、少しの寒気を感じて目を覚ました。
見れば、シンがあのあともう一枚毛布を追加して掛けてくれたようだったが、春とはいえ、まだ肌寒い季節だ。
ぶるっと身震いする。
そのまま、毛布にくるまっていると、やがてシンが降りてくる音がした。
シンは会社と同じ建物の上の階に住んでいる。
「おはようございます。お目覚めですか?」
そう言って、シンが顔を出した。
忙しいこともあって、最近は会社に泊まってしまうことが増えていた。
ぶっちゃけ、この狭い長椅子の方が、自宅のベッドよりよく眠れる気さえする。
ここには問題ばかり持ち込む親父殿も、神経質で小言の多い母上もいない。
このままこっちに住んでしまおうかと思うほど居心地がいい。
おはようと返せば、シンが「よく眠れましたか?」と言って、柔らかく微笑む。
朝日に照らされたシンの笑顔が、やけに眩しく見える。
「今、朝食を持ってきますから、顔でも洗ってきたらどうです?」
促されて、顔を洗って戻れば、会社の休憩室に朝食の準備がされていた。
シンの淹れてくれたコーヒーが、朝の寝ぼけた体に染み渡る。
ふと、こうやってシンと一緒にコーヒーを飲むのは何回目なのだろうと思う。
早いもので、シンと一緒に働くようになって、もう九年が経った。
こうやって一緒に朝食を取ることもあるが、仕事中にコーヒーを淹れたり、淹れてもらったり、またコーヒーメーカーの出来栄えを確認するためにも飲んでるし、二人で飲んだコーヒーの杯数は相当な数だろうなと思う。
思えば、この九年間、色々なことがあった。
超長距離口述筆記魔具の開発の時は、二人で国中を回って、各街道への中継機の設置と要所への本体の設置に奔走したし、霧発生装置の開発の時も徹夜で会社に泊まり込んだ。
一番大変だったのは、もちろんあの辺境伯領との往復強行軍だが、シンは悪路でゲロゲロ吐き続ける俺をずっと介抱してくれたりもした。
シンは俺にとっては、腕がいい魔具技師という以上の特別な存在だ。
あまりに腕がいいので、他の魔具会社に引き抜かれるんじゃないかと思ったこともあったが、シンはそんな誘いにも乗らず、ずっと俺を支えてくれる。
実際、超長距離口述筆記魔具の権利を売り渡すとき、フェリクスお抱えの魔具開発部にはシンごと譲って欲しいと何度も強請れられたのだ。
シンは俺に恩を感じて断ってくれたようだが、本来ならシンは俺の会社にいるべき人間じゃない。
シンのためを思うならば、もっといい環境に移った方がいいことも分かっている。
けれど、俺はシン以外の人間と組んで仕事をするなんて、とても考えられなかった。
だから、シンが作ったコーヒーメーカーの素晴らしさをもっと広め、その腕の良さを世に知らしめたいとも思っていた。
それなのに、俺自身が足を引っ張ってしまうなんて、本当に情けない。
「もう、九年か。」
気がつけば、そう呟いていた。
向かいに座るシンの顔をまじまじと見つめる。
15歳の少年だった頃の面影は、今はもうない。
あの頃の陽に灼けた健康的な肌の色はすっかり失われ、今は抜けるような白い肌をしている。
王女が舞台役者にも負けない美青年と言ったのも頷ける容姿だ。
事実、取引先の女性陣たちには、俺よりもシンの方が圧倒的に人気がある。
貧乏貴族の跡取り息子より、腕のいい魔具技師の方が将来性があるに決まっているのだから、当たり前の話だが。
「急にどうしたんです?」
「いや、シンもいい歳になったんだなと思ってさ。結婚とかしないの?俺に遠慮しなくていいんだぞ。」
と言いつつ、シンに先を越されたらどうしようと一瞬焦る。
けれど、シンは笑って、首を左右に振った。
「そんなこと考えられませんよ。今は仕事の方が大事ですから。」
まあ、今の給料じゃ結婚なんて考えられないよなと気づいて、ますます申し訳ない気持ちになる。
シンの頑張りを無駄にしたくない。
何を犠牲にしても、今度こそ売れるようにしなければと、俺は決意を新たにした。
◇
事件が起きたのは、その数日後のことだった。
「リドル、どうしよう!本が出版できなくなりそうなの!!」
突然、王女が俺の会社を訪れたのは、シンが買い出しに出かけているときのことだった。
これまで急に呼び出されることはあっても、押しかけられたのはその日が初めてのことだった。
シンに会わせずに済んだことを安堵しつつ、何があったのかと尋ねると、王女は珍しく落ち込んだ様子で、話し始めた。
「お父様とお母様に、私が書いている本の内容がバレたの。それで、いくら偽名で出しているとは言え、王女が出すのに相応しくない内容だから発禁にするって!どうしよう、リドル!」
「ばっかだなー。バレないと思ってたところがすごいよ。いくら好きにしていい権利があるって言ったって、やりすぎなんだよ。」
「せっかくあと少しのところまで書いたのに・・・。こんな形で出版できなくなるなんて。」
俺の目の前に立ち尽くした王女は、ドレスを強く握りしめ、泣きそうな表情で俯いた。
あんなに頑張って書いていたんだ。悔しい気持ちは分かるが、さすがに男同士の恋愛の話は無理だろうと思わなくもない。
しかも、二巻は内容が過激になっている。
リーンハルトとユリアンが両思いになっていく内容だから仕方ないとはいえ、やはり王女が書くのに相応しい内容ではない。
まあ、これ以上おかしな噂に巻き込まれたくない俺としては願ったり叶ったりなのだが。
と、その時、王女が急に俺の手を握り、真剣な眼差しで俺を見つめた。
「リドルが書いたことにしてくれないかしら。」
王女が低く小さい声で呟く。
「はあ?」
思わず大声を出してのけぞった俺に、王女はさらにずいっと前に出て畳みかける。
「お願い、リドル。あなたじゃなきゃダメなのよ!!」
王女がそう大声で叫んだと同時に、何かが割れる音が室内に響いた。
振り返れば、そこには驚いた表情のシンが立ち尽くしていた。
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そのまま攫われた公爵令嬢ビアンキーナは、誘拐されたはずなのに超VIP待遇。
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選ばれる側から、選ぶ側へ。
これは、誰も断罪せず、すべてを終わらせた令嬢の物語。
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