春恋ひにてし~戦国初恋草紙~

橘 ゆず

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第二章 花の廓

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「このお邸にいる者のなかで、私が一番御館さまとご一緒に過ごした時間が少ないのですもの。他の方々は皆さま、御館さまが高遠のお城にいらした頃からご一緒におられましたのに」
「いや、皆ではないぞ。こちらへ移ってから迎えた者も何人かは……」
「そんなこと存じません」

 佐奈姫はますますふくれてみせた。
「ずるい」
「何がずるい」
「私は御館さまの正室でございましょう?」
「無論、そうだ」
「それなのに、 御館さまとご一緒した時間が一番少ないだなんてそんなのずるうございます」
「そんなことを 言っても仕方がなかろう」
「仕方なくてもずるうございます」

 勝頼は、ふくれている姫の桜色の頬をやわらかくつまんだ。
「ならば、どうすれば良い」
「ご一緒にいられなかった分を取り返せるくらい、ずっとずっと佐奈のもとにいらして下さいませ」
「そうしておる。姫が嫁いできて以来、余は、すべてそなたの言いなりだ」
「うそ」
「嘘なものか」

「昨日も、その前も会いにいらして下さらなかったくせに」
「それは表の評定が夜遅くまでかかったからだ。姫はいつも宵の口にはもう眠ってしまうではないか」
「そんなことは ありませぬ」

「いや。この間などもいぬの刻を過ぎたらもう脇息にもたれながらうとうととしておった」
「そんなことありませんったら」
 佐奈姫は怒って、勝頼の胸を小さなこぶしで叩く真似をした。
「そうやっていつも子供扱いなさって」

「子供ではないか。庭先に鳥が飛んでくる度に大騒ぎをして縁先に飛び出してゆくし、腹が減ったり眠たいときには不機嫌になるし」
「まあ!」

 佐奈姫が本当に憤慨した顔になった。
「子供扱いはおやめ下さいと申しております」

「……やめても良いのか?」
「え?」

「子供扱いをやめても良いのかと言うておる」

 そう言って、肩を引き寄せてやると途端に佐奈姫はおとなしくなって俯いた。
 雪のように白い肌が首筋まで赤く染まっている。

 箱入りの姫とはいえ輿入れ前に乳母たちから教えられひと通りのことは知っているのだ。
 当然、勝頼が自分と過ごす夜が夫婦の本来のあり方とは違うことも知っているはずである。

「なんだ。 急に静かになって」
 佐奈姫は答えない。
 じっと俯いている。

 顔を覗き込もうとすると勝頼の胸に顔を埋めるようにして隠してしまった。
 勝頼はその背をなだめるように撫でた。
「姫」
 勝頼は、腕のなかの姫にやさしく声をかけた。
「無理はせずともよい。そなたの嫌がることはしたくない。嫌われて鶯のように小田原へ飛んで帰られては
 叶わぬからな」
「……帰りませぬ」
 胸に顔を埋めたままくぐもった声で佐奈姫が言った。

「佐奈はどこへも参りませぬ」
「そうか」

 抱きしめたからだの温もりとともに温かな気持ちが湧き上がってきて、勝頼は姫の頭をぽんぽんと撫でた。
 婚礼の夜以来、実質的な行為に及ばずに日を過ごしてきたのは無理強いして怖がらせることで佐奈姫が 心を閉ざしてしまうやも しれぬと思ったためだった。
 かつての妙姫のように。


「姫はいい子だ」
 髪を撫でる勝頼の袖がきゅっと握られた。

「……で下さい」
「ん?」
「子供あつかい……なさらないで下さい…っ!」

 一瞬、顔をあげて真っ赤な顔でそう言うと、佐奈姫はまた急いで勝頼の胸に顔を伏せてしまった。
「姫?」
 そのあとは、なんと声をかけても決して顔をあげようとはしなかった。

「そうか」
 勝頼は短く言って、そっと姫を抱きしめた。

 侍女のひとりがやって来て遠慮がちに表へ戻る刻限で小姓が迎えに参っていることを告げた。

「──酉の刻過ぎには戻る。よい子で起きて待っていられるか?」

 尋ねると、腕のなかの姫は顔を隠したままでこくんと微かに頷いた。




 その夜、部屋を訪れた勝頼は約束通り、佐奈姫を大人として扱った。
 佐奈姫はぎゅっと目を閉じて、勝頼が自分の体を扱うのに身を任せていた。
 勝頼は十分に優しく、けれど時に姫が思わず戸惑いの声をあげてしまいそうになる大胆さで、彼女のからだをあつかった。

 輿入れ前、乳母の藤野が声を低めて語り聞かせてくれた話の意味を、この夜、佐奈姫は初めてすっかり知った。

 翌朝。藤野は、いつもなら寝起きが良くはやばやと起きてきて身じまいを整え、勝頼が起きてくるのを
にこにこと機嫌良く迎える佐奈姫がなかなか起きてこず、勝頼に促されるようにして起きてきたあとも視線を避けるように俯いてばかりいるのを見て、すべてを悟りほっと胸を撫で下ろした。

 それと同時にこれまでの武田に対する悪感情はおいて、勝頼の佐奈姫に対する年長の夫らしい優しい気配りに感謝した。





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