クルスの調べ

緋霧

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三章

幕間 リィン・2

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 シエルの匂いは地下から強く感じた。
 そこに至るまでもう何人セスは殺したのだろう。
 私はただそれを見ていただけで何一つやっていない。
 セスもそんな私に何かを言うことはなかった。

「準備はいい?シエルの安全の確保は頼んだよ、リィン」

 地下へと続く階段の前でセスが止まって言った。

「…わかった。準備はいいよ」

「じゃあ行くよ」

 私の返事を聞いて、セスは階段を下りていく。
 震える足で、私もそれに続いた。

 階段を下りた先は牢屋だった。
 広い通路を挟んで左右にいくつか牢が並んでいる。

 通路の突き当たりに、男が1人とシエルがいる。
 男は私たちが下りてきたのに気づくと、体を横向きに回し、顔だけこちらを向いた。
 距離があるのでここからでは表情がよくわからない。
 シエルは、天井から吊るされた鉄枷に両手を拘束されているようだった。
 ここからでも全身が血に塗れているのがわかる。生きているのか、それとももう手遅れなのか、私にはわからなかった。
 その凄惨な光景に、胸が痛いくらいに締め付けられる。

 セスは躊躇うこともなく先へ進んでいく。
 その後を追いながら左右の檻に目をやると、人がいる檻がいくつかあった。
 いずれも獣人族の子供だ。怯えている子供や、泣いている子供もいる。

「ようこそ」

 奥まで私たちが歩いていくと、男が不敵に笑いながら言った。

 シエルの意識はなかった。
 でもおそらくシエルは生きている。
 全身に傷を負ってはいるが、見た限りはそのどれもが致命傷には至っていない。
 死なないように苦痛を与え続けられた、そんな状態だった。
 思わず、目を背けたくなってしまうほどに惨たらしい。

 私は瞬時にシエルの血を使って血結界を張った。
 血結界は血を操り陣を描き、その中にいる者にすべての攻撃を無効化する吸血族特有の能力である。
 ちなみに、誰かに血結界を張りながら同時に自分にも張れる優れものだ。
 維持するために何も出来なくなるが、これでシエルの身の安全は確保される。

「なるほど、血結界か。リンフィーの結晶は囮だったとはな」

 血結界でシエルがこちら側と遮断されても男は笑みを崩さない。

「…ずいぶんと惨い仕打ちをしてくれたようだな」

 私の隣に立つセスが、表情を変えずにいつもよりも低い声で言う。
 無表情さとその低い声が一際私の恐怖を引き立たせる。

「なかなか粘られたものでな。拷問に耐える訓練も受けていないであろうエルフがここまで頑張るとは俺も驚いた。あまりにも吐かないから薬を使わざるを得なかったくらいだ」

「…何を打った?」

「ファネルリーデ」

 その答えを聞いたセスが表情を険しくした。
 私には男の答えが何を意味しているのかわからない。
 ただ、セスのその様子からしていいものでないことは確かであろう。

「それで得られる答えに信憑性などないことはわかっているだろう」

「そうだな。だが面白いものは得られた。お前たちはずいぶん稀有なものを持っていたようだな」

 2人の言葉の意味が全くわからない。
 1人追いていかれているようで、焦りが生まれる。

「……」

 セスは何も言わない。
 その稀有なもの、という言葉に心当たりがあるのだろうか。

「シエルはミトス語ではない言語を口にした。当然ルブラ語ではない。だが、アルディナ語でもなかろう。極限状態に陥った人間が口にするのは一番使い慣れた言語だ」

 男がさらに言葉を続ける。
 ミトス、ルブラ、アルディナ、そのどれでもない言語が存在していることは私も知っている。
 稀に生まれるという、異世界からの転生者。その人物が異世界で使っていた言語だ。

「シエルは異世界からの転生者だな?お前たちがどこの手の者か知らないが、ずいぶんと貴重なものを囮として使うじゃないか。残念ながら廃人にしてしまったかもしれん」

 残念ながら、などと口にはしているものの、そうは思っていないような笑みを浮かべて男が言う。
 シエルが転生者であったことなど、私は知らなかった。
 おそらくヒューイだって知らなかったはずだ。
 セスはそれを知っていたのだろうか。慌てた様子も、驚いた様子も見せないのでその答えを窺い知ることはできない。

「どちらであってもお前には関係ないだろう。ここで死ぬのだから」

 セスが低い声で静かに言った。
 生かして捕らえるという選択肢は全くない言い方だ。

「はは、ずいぶんな自信だな、天族。俺とてそう簡単に命をやるつもりはないぞ」

 そう言いながら男が体ごと完全にこちらを向いた。

「俺はニルヴァ。お前の名は?」

「セス」

 男の質問にセスは素直に答えた。
 そして私を見る。

「下がって。自分の身は守れるよね?」

 私はその言葉に頷き、檻のすぐ側まで歩いてセスから距離を離し、短剣で自分の足を切ってその血で自分にも血結界を張った。
 セスはそれを横目で見て確認すると、地面を蹴った。

 一瞬でニルヴァとの間合いを詰め横殴りに振った剣は、ニルヴァがいた場所を凪いだ。
 ニルヴァは音もなく一瞬で姿を消した。私からはそう見えた。
 そしてセスの背後からいきなり現れて同じく横殴りに剣を振る。
 それをわかっていたと言わんばかりに、セスは体を深く落として避け、立ち上がりざまに下段から上段へと剣を振る。
 男が再び音もなく姿を消し、その剣は空を切った。

「……」

 ニルヴァは姿を見せない。
 セスは目を閉じて佇んでいる。きっとニルヴァの魔力の動きを探っているのだろう。
 影移動の源は魔力だ。消える時も現れる時も、そこには魔力が発生する。
 視覚を封じることで、セスはその魔力の流れをより感じようとしているのだ。
 戦闘訓練として最初にやる基礎的な動きだ。

 セスの影が蠢いた。
 だがそれは一瞬で弾け飛ぶように散る。
 セスの気が相殺させたのだ。ゾクっとするような強い神気だった。
 ニルヴァがセスの頭上から現れ上段から剣を振り下ろす。それをいとも簡単に受け止め、剣を弾いてニルヴァを後方へと追いやった。

「…チッ」

 着地したニルヴァが舌打ちする。
 ニルヴァの攻撃はセスに効いていない。
 だが、セスの攻撃もまた、ニルヴァに届いていないように思える。
 このままでは負けないけど勝てない戦いになりそうな気がする。
 かと言って加勢ができるとも思えない。私ではかえって足手まといだ。成り行きを見つめることしかできない。

 ニルヴァが剣を構えて地面を蹴った。
 セスはそれを構えることもなく見つめている。
 なぜ構えないのか、と思ったその時、セスが凄まじい気を発した。

「うっ…」

 その強い神気に私の体は震えた。
 息ができない。苦しい。体が痺れる。立っていることができずに膝をついた。
 シエルと私に張っていた血結界が崩れる。保つことができなかった。

「はっ…はぁ…っ」

 何とか空気を吸い込もうと体が必死で呼吸をする。
 でも吸っても吸っても空気が入ってこない。
 苦しい。

 やがてその気がスッと消え、私は顔を上げて2人を見た。
 ニルヴァの剣がセスの右脇腹に深く食い込んでいる。
 そしてセスの剣は、ニルヴァの心臓を貫いていた。

「くっ…」

 ニルヴァが苦悶の声を上げる。
 セスが剣を引き抜くと、ニルヴァは倒れて動かなくなった。
 床に夥しい量の血が流れていく。

「はっ…は…」

 セスの右脇腹から流れた血が白いシャツを赤く染めていく。
 荒い息を吐きながらセスは傷口を押さえた。その左手も流れる血が赤く染めていった。

「セ、セス…」

 その血を止めることは私にはできる。
 流れた血を戻して止めることは、吸血族には造作もない。
 だが体が震えて動けない。もう気は消えているのに震えが止まらなかった。
 この男の血を欲しいなどと思った自分を殴り倒したくなる。この男は恐ろしい人間だ。首筋に牙を立てる前に、自分が一瞬で殺されてしまう。

「…ごめん、こんなやり方をして…。時間が、なかったから…」

 セスが剣を鞘に収め、私の前まで来て言った。
 セスは強い神気を一瞬で放出させることで、私とニルヴァの動きを封じた。
 あれは無理だ。おそらくニルヴァだって相殺を試みたのだろうが、並大抵の魔族では到底太刀打ちできない。あんな強い神気を出せる天族がいるなんてアルディナは末恐ろしい。

 セスが右手を差し出している。
 私は素直にその手に掴まって立ち上がった。立ち上がろうとした。でも膝が崩れてできなかった。

「ご、ごめ…」

 セスにもたれかかるように倒れ込んだ私の体を、セスは抱きかかえた。
 まるで怪我などしていないかのように。
 ここに来た時みたいに、男の人にそうされてドキドキするなんて余裕はない。
 恐怖に震える体を鎮めることに必死だった。

「頑張って帰還点まで送ってくれ…。頼む。早くシエルを治療しないと」

 そう言いながらセスは私をシエルの側に下ろし、机の上に置いてあった鍵でシエルの枷を外した。
 私の横にシエルを横たえる。
 ぐったりとしてピクリとも動かない。

「ごめん、腕、切って…お願い」

 震える腕をセスに差し出した。
 自分の血がなければ術を使えない。でも自分を傷つけることすらできなかった。

「……」

 何も言わずにセスがコートから短剣を取り出して、私の腕に滑らせた。
 血が滴って地面に染みを作る。

「つっ…私の、手を握って」

 痛みには慣れているはずなのに思わず声が出てしまった。
 隣にいるシエルの肩に触れながらセスに再び手を差し出す。
 同時に転移するには触れていなければできない。セスもそれは当然わかっているだろう、素直に私の手を握った。

「我が血の元へと送りたまえ」



 ヒューイからは、私たちがいきなり現れたように見えただろう。
 執務用の机で何か事務作業をしていたようだが、衝動的にガタッと立ち上がった。

「…3人とも…!」

 私たちの元へと駆け寄ってくる。
 そしてシエルを視界に入れて、あまりの惨たらしい様子に、青い顔をして顔を背けた。

「目を背けるなよヒューイ…!」

「……!」

 そんなヒューイにセスが掴みかかった。
 胸ぐらを掴んで、険しい表情でヒューイを睨みつけている。
 ヒューイは驚愕の表情でセスを見つめ返した。

「これはお前が始めたことだ…その結果に責任を持て!」

 そう強い口調で言って乱暴な動作でヒューイをシエルの側へと引っ張った。
 ヒューイはバランスを崩したようにシエルの側に膝をつくと、そのままシエルの息を確認し、顔を歪めて強く目を閉じた。

「…すぐに治癒させる」

 今まで目にしたことのない2人の様子に、私は何も言えなかった。

 ここに配置してあった2人の治癒術師の治癒術と、吸血族の血を戻し止める力を持って、シエルに治癒が施された。
 セスの怪我も浅くはなかった。だがセスは私の力も、治癒術も拒否した。その分の力を全てシエルに回して欲しい、と。
 自分で自分を治癒することもせず医術師に外科的な処置を頼み、それが終わるとすぐにシエルの治癒に加わった。

 シエルを完全に治癒させるのには時間がかかった。
 目に見える怪我の他に、骨折など体の中の怪我も酷かったからだ。
 私たちがこちらに戻ってきたのは朝方のことだったと思うが、シエルを完全に治癒させられたのは21時前だった。

 そしてそこからはセスが医術師としてシエルの側にずっと付き添っていた。
 正直セスの怪我を思うとそれができるほどの状態だとは思えない。それでもセスは休むことなくシエルの治療に当たっていた。



「…調教施設に行かせた部下が帰ってきた。奴隷として捕らえられていた獣人以外に生きている者はいなかったそうだ。セスが殺したのか?」

 もうすぐ日が変わる時分、私はヒューイに1人呼び出された。
 部屋に入るなり私を真っ直ぐに見つめてヒューイが問う。

「…うん」

「では、地下牢で死んでいたという銀髪の男がニルヴァか?」

「うん」

「…そうか」

 そう言って窓の外を見つめ、ヒューイは口を閉ざした。
 想定内だったのか、想定外だったのか。何を考えているのか窺い知ることはできなかった。



「セス…少し休んだ方がいいよ」

 夜中の2時過ぎ、ずっとシエルに付き添ったまま休みもとらないセスを見兼ねて、私は声をかけた。
 シエルの意識は戻らないが、状態は安定しているという。

「…大丈夫…」

 とてもそうは思えない様子でセスが答える。
 酷く顔色が悪い。

「軽食、用意したよ。少し食べなよ」

「……」

 セスは戻ってきてから仮眠すら取っていない。食事もほとんど口にしていない。

「このままじゃセスが倒れちゃうよ」

「…そうだな…ごめん、少し、もらおうか」

 セスは手にしていた紙とペンを置いて私の元へ歩いてきた。
 私はセスを休憩のために用意してある部屋へと案内した。

「食べられる?」

「…ありがとう」

 セスは私が用意したサンドイッチを二口ほど口にして、目を閉じた。

「…はぁ…っ…は…」

 椅子の背もたれにもたれかかってセスが荒い息を吐く。
 痛みに耐えるように顔を歪めている。

「傷、痛む?」

「…さっき自分で痛み止めは打ったんだけど、切れてきたようだからね…。日が昇ったら、彼らに治癒術をお願いするよ」

 意外にも正直にそう口にした。それだけ辛いのだろう。
 シエルを治癒した治癒術師の2人も疲労困憊で今は休んでいる。
 皆が皆、満身創痍だった。

「ねぇ、シエルが転生者だって、知ってたの?」

「……」

 唐突な私の質問にセスは目を開いて私を見た。

「…知っていた」

 そして長い沈黙を経て、そう答えた。

「そっか」

 私もそれだけを答えた。
 セスがそれを知っていたからといってどうするということはない。シエルが転生者であったからといってどうするということもない。私には興味のないことだ。

「…ヒューイに言うの?」

 セスの質問に考えを巡らせる。
 ヒューイであれば、転生者の利用価値を見いだすかもしれない。
 シエルを再び、利用しようとするかもしれない。
 それは嫌だと思った。これ以上シエルを騎士団に関わらせたくない。

「言わないよ」

「…そう」

 私の言葉に、セスは短くそう言って再び目を閉じた。
 しばらくそうしてからシエルの元に戻る、と席を立った。

 セスの後に続いて私もシエルの元へと向かう。
 何度か私も様子を見には行っているが、一向に意識は戻らない。

「ファネル…なんだっけ、あれってやばい薬なの?」

 歩きながら私はセスに尋ねた。

「ファネルリーデは…ルブラにのみ生息する麻薬だ。薬が抜ける前に2度打てば確実に廃人になる。全ての感覚を麻痺させた後、強い幻覚症状に苛まれるのが特徴だ。本来、自白のために使うのには向いていない。自傷行為をする可能性もあるから、本当は身体を拘束したほうがいいんだけど…今のシエルにはあまりやりたくな…」

 言いながらシエルがいる部屋の扉を開けたセスは唐突に言葉を切った。

「……?」

 部屋に入らず立ち尽くすセスの横から部屋を覗く。

「シエル…?」

 ベッドには誰もいなかった。
 奥の窓が開いている。
 私はセスを押しのけて部屋の中に入り、窓の外へと顔を出した。
 ここは1階だ。落ちて下にいるということはなかった。どこかへと行ってしまっている。
 私たちがこの部屋を開けたのはほんの15分程度のことだ。今まで目を覚まさなかったシエルがこんな時に限って目を覚まし、こんな時に限ってどこかへと行ってしまった。

「私探してくる!」

 驚愕の表情で立ち尽くすセスに私は言った。
 短剣で腕を切ってこの部屋に帰還点を設置する。

「俺も…俺も行く」

 そう言って私の返事を待たずにセスは走って行ってしまった。
 無茶な。あの怪我で。

「セス!!」

 大きい声で呼んだけれど当然戻ってはこない。
 私は急いで2階へと上がり、ヒューイが仮眠をしている部屋の扉を乱暴に開けた。

「ヒューイ!シエルが…シエルがいなくなった!急いで人員を投入して!!」

 部屋に入るなり叫んだ私の言葉にヒューイは飛び起きた。

「なんだと!?」

 ヒューイは私たちが戻ってから調教施設を押さえたり、バルミンドを捕らえようとしたブライトウェルの手の者から事情を聞き出したりと忙しく動いていた。
 休んだのはついさっきのことだ。
 それでもそんなことは気にしていられない。

「ヒューイ、頼んだよ!私も探してくるから!」

 そう言い残して私も夜の闇の中へと走り出した。
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