クルスの調べ

緋霧

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三章

幕間 リィン・3

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 血の匂いがする。
 餌にはしたことのない人間の血の匂いだけれど、誰のものかわかる。
 セスだ。確実に傷が開いている。
 私はその匂いを追った。
 多分セスの怪我は命には関わらない。急所は避けているし、吸血族みたいに特殊な回復能力はないにしても地族に比べたら格段に高い回復能力は持っているはずだ。
 それでもセスはシエルの治癒で消耗した体力を回復させていない。出血が酷くなれば動けなくもなる。今のセスを1人で行動させるのは危険だ。

 ヒューイに人員を投入させたとは言え、ヒューマは夜の闇では大した役には立たない。
 多分今この闇の中でシエルを見つけられるとしたら私かセスかのどちらかだろう。
 本来ならば手分けして探すのが効率がいいのだけど、セスを1人にもできない。

「セス!!」

 程なくしてセスに追いついた。
 開いた傷から流れた血が地面に散っている。

「……!」

 私の声にセスが止まった。

「はぁ…はぁ…っ…リィン…」

 セスは傷口を強く押さえて壁によりかかった。

「その怪我で走るなんて無茶だよ!」

 私は傷口を押さえるセスの手を無理やり外し、流れた血を戻し、止めた。
 流れた血、と言ってもここに来るまでの道中に散っているのでそう多くは戻せない。

「傷、塞いで!治癒術で!」

「…そんな力は…今はない」

 シエルの治癒に尽力した後も休まずにいるからだ。
 今のセスはおそらく、神力よりも体力の方がない。
 シエルの治癒のために使った神力は時間と共に回復してきているだろうが、それに伴って消耗した体力を怪我のせいで回復できないでいる。
 神力を消耗していった場合はリミッターがかかるが、体力にはかからない。体力がない状態で神力を消耗していけば先に体力が尽きて死んでしまう。

「じゃあ戻って。帰還点に送るから。シエルは私が探す」

「これは、俺のせいだ…。やはり身体の拘束は行わなければならなかった。俺の判断ミスで、シエルがいなくなってしまった…。俺が、探さないと…」

 自分に言い聞かすように言ってセスが私の手を外す。
 再び傷口から血がじわじわと滲み出した。

「でも…!」

「大丈夫だ。これくらいの傷じゃ、死なない。大丈夫だから」

 そう言ってまた走り出す。

「セス!!」

 私はそれを慌てて追った。
 あの状態ではこれ以上言っても聞きはしないだろう。仕方がない。



 探し始めて1時間は経っただろうか。見つからない。

「はぁ…っ…シエル…どこだ…」

 私もセスも焦りを隠せない。
 シエルは外傷が全て治癒されたので、私ではシエルの場所を知ることはできない。

「そもそも、こっちに来てない可能性もあるよ…」

 第2待機施設はカルナの南西部にあるが、そこからどこの方向へも行ける。
 私たちは今南の方を探しているが、北に向かった可能性だって大いにあるのだ。
 そうなれば南の方をいくら探しても見つかりはしない。
 シエルは地族だ。この闇の中で道がわかるとも思えない。闇雲に移動しているだろう。

「でも…シエルの位置を特定できない以上…こうやって探すしか…」

 その通りだ。
 入り組んだ路地を虱潰しに探していくしかないのだ。



 もうだいぶ空が白んできた。
 見つからない。
 ヒューイが投入した人員とは一度すれ違った。
 何故同じ確率なはずなのにシエルには会えないのか。

「……!!」

 急にシエルの血の匂いがした。
 何かがあったとしか思えないほど急に濃く感じる。

「セス!セス!!シエルの血の匂いがする!!」

「……!?」

 私が叫ぶとセスも止まった。

「すごい出血をしている…早くしないと危ない…!」

「どこだ!?」

 私の言葉にセスが焦ったような表情で私の肩を掴んできた。痛い。その力にどれだけ焦っているかがわかる。

「こっち!!」

 走った。私とセスはとにかく走った。
 やばい出血量だ。命に関わるほどの怪我をしている。
 早く。早くしないと。
 でも近い。本当に近いところにいる。

「シエル!!!」

 路地を曲がってすぐにシエルが見えた。
 血だまりの中に倒れている。
 近寄って呼吸を確認すると、まだ息があった。
 まだ息がある。今はまだ。このままでは死ぬ。
 私は流れている血を体内に戻して留めた。

「セス、傷を塞いで!!早く!!体力が尽きないくらいでいいから!!」

 シエルの傷口に手を当てて血を止めながら後ろにいるセスに叫ぶ。
 手を離せばまたすぐに出血する。傷を塞がなければ。
 だけどセスはすぐに来なかった。

「セス!!何してるの早く!!」

 振り向くとセスは私の後ろで立ち尽くしていた。
 目を見開いて、瞳を揺らして、立ち尽くしている。
 あぁ、セスからは、医術師であるセスからは、あの出血量ではもう手遅れに見えただろう。
 呼吸が止まるのを待つだけの状態に見えただろう。
 それが自分が判断を誤った結果だから、動けないのだろう。
 そもそもこれはセスをあの部屋から連れ出した私の責任でもある。セスだけが悪いのではない。だから、私も必死でシエルを助ける。今ならそれができる。

「セス!!まだシエルは生きてる!今なら間に合うから!!」

 そんなセスを叱咤する。
 セスが治癒術をかけなければシエルを助けられない。
 私の叫びにセスは荒い息を吐きながらヨロヨロと近寄ってきた。

「…シエル…」

 そして力なく側に膝をつく。

「セス!!しっかりしてよ!!早く治癒術をかけて!!シエルが死んじゃう!!!」

 私だって無限に血を止めていられる訳ではない。
 もちろん魔力を消耗していく。
 この量の血を戻し止めることはそれなりに力を使う。

「セス!!」

「……!」

 再三の呼びかけに、やっと我に返ったのかセスが治癒術をかけ始めた。
 その手がわずかに震えているように見えた。

 シエルは、近くにあった酒瓶を割ってその破片で自分を傷つけたようだった。
 普通自分でやるには痛みが邪魔をしてここまで深く刺せないだろう。これがファネルリーデの影響なのだろうか。

「はっ…はぁ…ゴホッ…ぐっ…」

 シエルに治癒術をかけていたセスが突然血を吐いた。

「もういい、やめて」

 私はセスの手を掴み、無理やりやめさせた。
 体力が尽きないくらいでいいから、とは言ったものの、それ以上やろうとするであろうことはわかっていた。
 体力が少ない状態で神力を使えば内臓を損傷していく。
 今のセスは割合的に体力以上に神力が残っているためにリミッターにも引っかからない。このままでは死んでしまう。

「うっ…ゴホゴホッ…」

 口元を押さえたセスの手の隙間から血が溢れる。
 正直あの状態のセスに治癒術を使わせることは致命的だ。それでもやらなければシエルは助けられなかった。
 ひとまず血が出てこないくらいにはシエルの傷は塞がっている。今急いで戻ればどちらも助かる。

 私はセスとシエルの肩を掴み、帰還点へと帰還した。



 第2待機施設へと戻り、私は治癒術師の2人を叩き起こした。
 1人をシエルの治療に当たらせ、もう1人をセスの治療に当たらせる。
 セスは当然それを拒否したが、抵抗する力も残ってなかったので治癒術師に無理やり治癒させた。
 先ほどセスがシエルに治癒術をかけた際に損傷した内臓は元に戻った。傷も完全ではないものの、だいぶ塞がったようだ。今は無理やり薬で眠らされている。

「…これでいいのか」

 シエルの両手を鉄枷で拘束し、ヒューイが言った。
 セスは薬で眠らされる直前、ヒューイにそれを頼んでいたのだ。

「うん。本当は自分で自分を傷つけないように最初からこうしなければいけなかったってセスは言ってた。ニルヴァに打たれた薬の影響で、強い幻覚症状に陥っているみたいだから…」

「そうか…。この首輪は、バルミンドを捕えに来た男が着けたものだと自供していた。それならば今は逆に外さない方がいいのかもしれないな」

 シエルに着けられた封力の首輪はニルヴァを殺しても外せなかった。
 それは後で考える、とセスはその時に言っていたのだが、誰が着けたのか判明したようだ。

「ブライトウェルの手の者によって着けられたのなら、シエルが眠っているうちに外させて私たちの誰かが着け直したほうがいいと思う」

 シエルの怪我は完全に治癒されていた。
 私が血を戻したのとセスが傷を塞いだことにより、ここにいる治癒術師1人でも完治までもっていけたようだ。
 だが意識は戻らない。昏々と眠り続けている。
 シエルはブライトウェルの人間に会いたくはないだろう。あのような仕打ちを受けたのなら、会うことで余計に錯乱させてしまう可能性もある。それだったら知っている人間がいつでも外せるように、今のうちに外させて着け直しておいた方がよさそうに思える。

「なるほど、ではそのようにしよう。外させて、俺がまた着けておく」

 特に理由を聞いてくることもなくヒューイは頷き、すぐに男を連れてきて首輪を外させた。



 セスは、2時間ほどで目を覚ました。
 本当はもっと長く眠っているはずだったのに、と睡眠薬を投与した治癒術師は困ったように呟いていた。
 それに対して俺はリュシュナ族だから、と答えになっているのかなっていないのかわからない返答をして、セスは再びシエルの治療に戻った。

 シエルの治癒を担当した治癒術師はさすがに疲労困憊のようで、医術師であるファロスという男が後を引き継いでいた。セスの怪我を最初に外科処置したのもこのファロスである。
 ファロスはセスが眠っている間の現状を説明しながら、もう少し休んだ方がいいとセスに勧めていた。だがセスはヒューマじゃないから大丈夫だと、無理やりファロスから治療を引き継ごうとしていた。
 私とヒューイはそのやり取りを聞きながら、ファロスにセスの好きにさせてあげてほしいと頼み、眠っているシエルを見舞った。
 それが、朝8時のことだった。

 9時半を少し過ぎたころ、シエルが目を覚ましたとセスが私とヒューイの元へ報告に来た。
 ならば様子を見に行こうと席を立った私たちに、セスは首を振った。

「酷い幻覚症状にある。俺のことをニルヴァだと思っているようだ。激しく暴れたので薬で眠らせた。申し訳ないが、ファロスに後を頼みたい。俺では多分…また同じようになる」

「そうか…わかった。セス、少し休むといい。食事を用意させよう」

「……」

 ヒューイの言葉にセスは辛そうな表情で、目を伏せた。

 それから、セスは一度もシエルの所には行っていない。
 その間にお風呂に入ったり、食事や仮眠を取ったりしながらファロスからの定期報告を受けている。
 シエルは、昼前にはセスが打った睡眠薬による昏睡状態から回復した。
 しかしどこか一点を見つめたまま、こちらからの呼びかけには一切の反応を示さず再び昏睡状態に陥ったと話すファロスの言葉を、セスは表情を変えることもなく聞いていた。

 昼過ぎ、私は1人でシエルの元へと出向いた。

「リィン、少しシエルを頼めるかな。軽く食事を摂りたいのだが」

 部屋に入るなり、ファロスが私に言った。

「いいけど、目を覚ましたらどうすればいいの?」

「どんな様子だったか、後で教えてほしい。目を覚ましてもやれることはないから」

「なるほど。わかった」



 そう言ってファロスを見送ってしばらく経った時、シエルがうなされ始めた。

「う…うぅ…」

 もがくように首を左右に振り、手足を激しく動かしている。
 両手に着けられた鉄枷の鎖がガシャガシャと鳴った。

「あぁぁ…ああ…」

 どうしよう。ファロスを呼ぶべきか。それとも、このまま様子を見るべきか。
 悩んだ末に一応声だけはかけてみようと廊下へ出たら、セスが見えた。
 ヒューイの元へ行こうとしているようだ。

「セス」

 声をかけると止まって振り向いた。

「セス、シエルがすごいうなされてる」

「ファロスは?」

 私の言葉にそう聞きながらセスは近づいてくる。

「軽く何か食べてくるって」

「そう…俺じゃ、逆効果になりそうだけどどうかな…」

 それでもシエルの様子は見てくれるようだ。
 私の後に続いてセスも部屋へと入った。

「うぅ…うあぁ…」

 シエルはまだうなされている。
 玉のような汗を浮かべ、苦しげな表情でもがいている。

「シエル」

 私が声をかけると急に聞いたことのない言語で話し始め、叫びだした。

「シエル…」

 これが異世界の言語か。わかったのはその中に含まれていた"ニルヴァ"という単語だけだった。
 ニルヴァの元にいた時の夢を見ているのだろうか。苦しげにもがくシエルは見ていられないほどに痛々しい。

「睡眠薬を入れよう。深く眠らせれば夢も見ないだろう」

 少し離れていたところで見ていたセスがそう言いながら何かを準備し、注射器を持ってシエルの前へとやってきた。

「う、うわああああっ!」

 暴れるシエルの腕をセスが強く押さえると、シエルはさらに叫んで暴れた。
 異世界の言葉で何か言っていたが、セスは意に介さずそのまま針を刺した。

「シエルがさっき何を言っていたかセスはわかった?」

 シエルが深い眠りに落ちたのを見届けて、私はセスに聞いた。

「いや…」

 さすがにセスも異世界の言葉はわからないようだ。
 短くそう答えて首を振った。

「ヒューイやファロスがいる時に、異世界の言葉を口にしなければいいけど…」

「……」

 私の呟きに、セスは何も言わなかった。



 その後シエルは昏睡と覚醒を繰り返した。
 私とヒューイが見に行った時には目を開いてどこか一点を見つめ何の反応も見せず、ニルヴァの元にいた男をこの施設で見張っていたガヴェインが見に行った時には、昏睡状態に陥っていたという。
 ファロスからも同様の報告がなされた。

「シエルはちゃんと元に戻るんだよね」

 元に戻る、という言い方は正しくないのかもしれない。
 でもそう言いたくなるほどの状態であることは確かだ。

「まだ、何とも…一度でも意思の疎通ができれば大丈夫だと思うんだけどね」

 私の言葉にセスは表情を変えずに答えた。

「そっか…」

 大丈夫、という言葉が欲しかった。
 そんな私とセスの会話を、少し離れたところからヒューイが辛そうな表情で聞いていた。

「ヒューイ中佐」

 突然、扉の向こうからノックと共にヒューイを呼ぶ声が聞こえた。ファロスの声だ。

「入れ」

 その言葉で勢いよく扉を開けたファロスは、どこか焦ったような表情をしていた。

「シエルに何かあったのか?」

 ただならぬ様子にヒューイが聞く。

「目覚めたシエルと会話が成立しました。ですが騎士団の管理下にあることが信じられないようで、殺してほしいとしきりに口にしていて…どなたか来ていただきたいのですが」

 殺してほしい。その言葉に胸がキュッと締め付けられた。
 ファロスはシエルと面識がない。知っている誰かがいなければシエルとしては信じられないのだろう。
 でも会話が成立したということはこれで大丈夫ということだろうか。

「行こうか」

 ヒューイの言葉に頷いて部屋を出る。
 だがセスは着いて来なかった。

「行かないの?」

「ああ…君たちのことが認識できるようなら、後で俺も行く」

 戻ってセスに聞くと、視線を合わせずにそう言った。



 結論から言うと、私とヒューイが行った時にはシエルは再び昏睡状態に陥っていた。
 その時はまた目が覚めたら、と思っていたのだが、シエルはそこから昏々と眠り続け一向に目を覚まさなかった。
 なぜ目を覚まさないのかわからないと、セスとファロスは相当の焦りを見せていた。
 何でも、刺激に対して何の反射も見せないのだという。ただ眠っているだけというわけではないらしい。
 治癒術師たちを入れた4人で何度も原因を探り合い、ファロスはファネルリーデの文献がないかどうか城まで調べに行ったりしていた。
 私もヒューイもガヴェインも、医術に携わる者がこぞって焦る様子を見て、シエルの身に予期せぬ事態が起こっていることは嫌でもわかった。そんなシエルの元をちょこちょこと訪れ声をかけたり手を握ったりと何もできないながらもシエルのために尽力した。
 特にヒューイは忙しい合間を縫って頻繁に通っていたと思う。それだけ、責任を感じていたのだろう。
 だがシエルは目を覚ますどころかピクリとも動かなかった。不安になって何度も息があるかを確かめてしまったくらいだ。

 セスは仮眠も食事もほとんど取らずに、ずっとシエルの側にいた。
 何度も何度も声をかけ、肩を揺らし、それでも何の反応も見せないシエルを前に、セスは辛そうな表情を隠さなかった。
 まるで泣きそうな表情だと、私はそれを見て思った。調教施設で、出会う人間を片っ端から無表情で斬り殺した人と同じ人だとは思えなかったくらいだ。
 そんなセスに、誰も何も声をかけられないまま、丸2日が経過した。

 3日目に、やっと目を覚ましたと安堵の表情で報告に来たセスを前にして、私たちも心から胸を撫で下ろした。
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