クルスの調べ

緋霧

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三章

第44話 診療記録:シエル

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 記録者:セス・フォルジュ

 12/5
 <21:00>
 ・自白を目的としてファネルリーデを投与されており、錯乱状態に陥る可能性が懸念されるが、ひとまず身体の拘束は行わない方向で治療を進める。
 ・アルシス投与
 <22:00>
 ・状態は安定しているが意識は回復せず。
 <23:00>
 ・同上

 12/6
 <0:00>
 ・同上
 ・アルシス投与
 <1:00>
 ・同上
 <2:00>
 ・同上


 記録者:ファロス・リデール

 <6:00>
 ・アルシス投与
 <7:00>
 ・意識の覚醒は見られない。状態は安定している。


 記録者:セス・フォルジュ

 <8:00>
 ・同上
 ・2:30~2:45の間に脱走を図った。5:00頃発見に至るが、腹部に深い刺傷があり、2分の1以上の出血が認められた。生存は不可能と思われたが、呼吸は止まっておらず、吸血族の能力と治癒術により回復に成功した。ファネルリーデの影響下による自傷の可能性が高いため、やむなく両手を拘束する措置を講じた。
 <9:00>
 ・同上
 ・アルシス投与
 <9:30>
 ・意識が回復するも強い幻覚症状にあり、激しく暴れたためカルデルを投与。人物の判別がついておらず状態は芳しくない。
(アルディナ語で何かが書かれている)
 シエルからは私がニルヴァに見えているようなので、精神の安定を図るため医術師を交代する。


 記録者:ファロス・リデール

 <10:00>
 ・カルデルの影響下で昏睡状態にある。
 <11:00>
 ・同上
 <11:45>
 ・目を開いてはいるものの追視等の身体的な動きは見られない。こちらの言葉には反応を示さず言葉も発しない。
 <12:00>
 ・アルシス投与
 ・覚醒と昏睡を繰り返している。


 記録者:セス・フォルジュ

 <12:35>
 ・夢にうなされ激しい興奮状態にあったため、カルデル投与


 記録者:ファロス・リデール

 <13:00>
 ・カルデルの影響下で昏睡状態にある。
 <14:00>
 ・同上
 <15:00>
 ・覚醒と昏睡を繰り返している。
 ・アルシス投与 
 ・意識は覚醒しており、こちらからの呼びかけに応えた。幻覚症状のあるなしは判断がつかない。騎士団の管理下にあることが信じられないようで、「殺してください」と口にしていた。
 <15:30>
 ・昏睡状態にある。

(ここからはしばらく記述の変化がない)

 <21:00>
 ・同上
 ・アルシス投与
 ・状態は安定してるが、あまりにも意識の覚醒が見られない。


 記録者:セス・フォルジュ

 <22:00>
 ・意識は回復せず。刺激を与えても反射等が見られない。

(ここからはしばらく記述の変化がない)

 12/7
 <8:00>
 ・ここにいる治癒術師及び医術師のいずれもこの昏睡には何かしらの要因があると考えているが、その要因が特定できない。
 <9:00>
 ・同上
 ・呼吸は安定している。
 ・アルシス投与
 <10:00>
 ・同上
 <11:00>
 ・同上
 <12:00>
 ・同上
 ・アルシス投与
 ・ファネルリーデの情報が少ないために昏睡の要因となり得るのか判断が難しい。しかしアルシスが要因となることは考え難いことから、ファネルリーデの影響下と考えることで見解は一致した。
 <13:00>
 ・同上
 <14:00>
 ・同上
 <15:00>
 ・同上
 ・アルシス投与
 ・意識が消失してからほぼ丸1日が経過した。変わらず刺激に対して反射は見られない。
 <16:00>
 ・同上
 ・ファネルリーデの中毒症状にある段階でのカルデル投与に原因があった可能性を話し合うが、カルデル投与後に一度会話が成立するほどの意識回復が見られたので見解は別れた。
 <17:00>
 ・同上
 <18:00>
 ・同上
 ・アルシス投与
 <19:00>
 ・同上
 ・ファネルリーデやカルデルなどの物理的要因ではなく、精神的要因である可能性を話し合うとやはり見解は別れた。その場合、刺激に対して反射は見られるだろうという意見が多数を占めた。


 記録者:ファロス・リデール

 <20:00>
 ・呼吸は安定しているが、刺激に対する反射は見られない。


 記録者:セス・フォルジュ

(ここからはしばらく記述の変化がない)

 12/8
 <7:00>
 ・同上
 ・ファネルリーデの文献が城に存在しないかファロスに調べてもらうことになった。

(ここからはしばらく記述の変化がない)

 <15:00>
 ・同上
 ・アルシス投与
 ・意識の消失から丸2日が経過した。回復の兆しは見られない。
 <16:00>
 ・聴覚、触覚、痛覚、全てにおいて何の反応も見られない。
(アルディナ語で何か書かれている)

(ここからはしばらく記述の変化がない)


 記録者:ファロス・リデール

 <20:00>
 ・同上
 ・ファネルリーデについての文献は見つからず、新しい情報は得られなかった。


 記録者:セス・フォルジュ

(ここからはしばらく記述の変化がない)

 12/9
 <8:15>
 ・意識が回復した。ファネルリーデの影響は見られないが、一時的な回復の可能性も考えれるので、拘束はさらに1日続ける。



「……」

 診療記録から目を離しセスを見ると、少し離れた所の椅子の背もたれにもたれかかるように座って目を閉じていた。

 この記録に記述があるように、私は意識を回復させた後も1日手枷も首輪も外してもらえなかった。
 それでもみんながちょこちょこと来てくれたし、セスもほとんどの時間をここで過ごしてくれていたので、起きている間は精神的には安定していたと思う。
 ただ誰もが、私が眠っている間のことを口にしなかった。今はそんなことを考えずにゆっくりと休んで、と言うだけだった。

 セスが食事やお風呂に行っている間は、ファロスという人がここにいてくれた。
 この人のことは覚えている。私はこの人に、泣きながら殺してくださいと頼んだ。
 その時のことを謝ると、君は何も悪くない、と優しく言ってくれた。

 食事は、枷に繋がれて自分で食べられないのでセスが食べさせてくれた。
 でも長いこと食事をしていなかったので、胃が受け付けずにすべて吐いてしまった。
 朝、昼、夜と続けてそんな状態で、このままいつまで経っても食べられないんじゃないかとセスに不安を打ち明けたら、大丈夫だからと優しく背中をさすってくれた。

 夜、ニルヴァの所にいる夢を見た。夢を見て、起きて、泣き叫んだ。
 眠りたくないと子供みたいに泣く私に、セスは睡眠薬を打とうか、と言って注射器を手にした。でもその注射器がダメだった。ニルヴァに薬を打たれたあの瞬間のことをどうしても思い出してしまってダメだった。
 それとは違うものだとわかってはいたのに、注射は嫌だとさらに泣いて暴れた。
 セスはごめんと言いながらもそんな私を強い力で押さえつけ、針を刺した。その時のセスの酷く辛そうな顔を、今もはっきりと覚えている。

 夢は見ずに朝まで眠った。

 そして朝、セスはヒューイに私の手枷と首輪を外すように指示をした。
 夜にあんなに暴れたのに何故、と聞くと、薬は抜けているから、という答えが返ってきた。
 お風呂に入るため点滴を外し、久しぶりに地面を踏むとその足は崩れた。手伝おうか、というセスの申し出を無理やり断り何とか1人でやり切った。

 お風呂から上がると、点滴はまだやらないとダメなんだけど、とセスは申し訳なさそうに言った。
 昨日私が注射器を見て暴れたからだ。
 ご飯を食べていないのでそれはしょうがないと、最初から最後まで針を見ないように固く目を閉じて乗り切った。痛かった。

 ふと気になって今何日なのかと聞いたら、セスは私にこの診療記録を手渡した。

 1時間毎に記載された記録で、どれだけ私のために尽力してくれていたかわかる。
 セスは一体いつ休んだのかと思うほど、私の側にずっといてくれていた。ファロスも、セスが私の側にいなかった時に同様に尽力してくれている。

 ここに来てからのことはある程度覚えている。
 逃げ出した時のことも、セスがニルヴァに見えて暴れたのも、拷問される夢を見たことも、ぼうっとして何も考えられなかった時のことも覚えている。
 記録書にも同様の記述があり、自分の記憶は間違っていないんだと知った。

「セス…ごめん」

 私がそう謝るとセスは目を開けて私を見た。
 真っ直ぐに私を見つめるその青い瞳を見返すことができず、私は目を逸らした。
 全てが申し訳なさ過ぎた。
 色々な人に迷惑をかけてしまった。
 何日も、私のために時間を使わせてしまった。

「君が謝るようなことは何もない。謝らなければならないのは俺の方だ。最初から君を拘束していれば君はあんな風に自分を傷つけることはなかった」

 セスは立ち上がり、そう言いながら私の側へと歩いてきた。

「君はこの場所にも来たことがなかったし、状況からして薬による錯乱状態に陥っていることは確実だった。騎士団の管理下にいると判断できる状態ではない。それを、わかっていたはずなのに…。俺が判断を間違えた結果、君の命を危険に晒してしまった。リィンがいなかったら、君を助けられなかった…。本当に申し訳なかった」

 セスが苦しげに目を閉じた。
 記述に照らし合わせるとおそらく私がいなくなったことはすぐに気づいて、探しに出てくれたのだろう。何時間も探して、それなのにやっと見つけた私は自分で自分を刺して死にかけていた。

「…わからないんだ。なぜ死ぬほど深く刺してしまったのか。目が覚めた時、僕は血まみれだった。だからまだニルヴァに捕えられてるんだと思って、ここから逃げた。逃げて、この出血でリィンが気づいてくれれば助けに来てくれると思った。でも周りが明るくなって自分を見たら、血の一滴だってついていなかった。これじゃリィンが僕を探せないと思って、瓶の破片で自分を傷つけた。それで死のうと思っていたわけじゃない。ただ、リィンに気づいてもらいたくて…それが、死ぬほどのものだったなんて思わなかったんだ。本当にごめん」

「それが、薬による幻覚作用だ。そうなる可能性をわかっていながら君を拘束せずに、しかも目を離してしまった。だからこれは俺の責任なんだ。今回のことで、君が謝ることは一つもない。だから謝らないでくれ…君は俺を責めてもいいんだ…」

 私が逃げ出した後の6時、7時はファロスが記録を行っている。つまりこの間セスは動けなかったということだ。それくらい、私を助けるために必死になってくれた。
 そんなセスを責めることなど到底出来ない。

「セスは僕を助けるために必死になってくれたんでしょ?約束通り、僕を助けに来てくれて、その後も僕のためにこんなに尽力してくれた。記録を見たらわかるよ。だからセスを責めるつもりなんてない」

「…そう、言うと思った」

 どこか悲しそうに笑ってセスは言った。
 
「どうして、最初から拘束しなかったの?」

「…目を覚ました時に拘束状態にあったら、辛い思いをするのではないかと思って…」

「ほら、僕のためじゃないか」

 シェスベルの時と同じだ。
 私のためにとやってくれたのに、私がそれを裏目にしてしまった。

「……」

 セスは何も言わずにただ悲しそうに微笑んでいる。

「謝りたいくらいだけど、謝らないでってセスが言うから僕は謝らない。その代わり、セスも僕に謝らないでほしい。大事なのは、結果よりも過程だよ」

「…それは、君にとって許容できる過程であり、許容できる結果だったから言えることだ」

「いいじゃん。僕は今の話をしているんだから。"じゃあこうだったらどうする"って話は今いらないんだよ」

 セスのことだからそんなことを言い出してきそうで、とりあえず先手を打つ。

「ははっ…」

 私の言葉にセスは自嘲気味に笑って視線を逸らした。

「……」

「……」

 沈黙が流れる。
 若干気まずい。

「…俺の負けだ。もうこの話はこれで終わりにしよう」

 長考を経て、セスは諦めたように笑ってそう言った。
 その間で一体何を考えてそういう結論に至ったのか非常に気になるが、聞くのは憚られた。

「わかった。この話はこれでお終いね。じゃあ最後に一つ、聞いてもいい?」

「なに?」

「ここ、何が書いてあるの?」

 私は聞きながら記録をセスに見せ、アルディナ語で書かれている部分を指差した。
 私がセスのことをニルヴァだと勘違いして暴れた時の記述だ。

「君はこの時、異世界の言語を口にしていた。ファロスも目にする記録書だから、ファロスにわからないよう、アルディナ語で書いたんだ」

「元の世界の言葉…だから僕はその時セスが言っていた言葉がわからなかったんだ…」

「それも、薬の作用だろうね」

 日本語を話していた記憶は全くなかった。完全に無意識だ。

「聞かれたのがセスでよかった…」

「リィンは…君が転生者であることを知っている。君はニルヴァに薬を打たれた時にも異世界の言語を口にしていたようで、ニルヴァはそれを聞いて君が転生者であると気づいたんだ。そしてその事を、俺とリィンに話していた」

 その言葉に心臓が早鐘を打った。
 転生者であると、セスの他に知ってしまった人間がいる。ニルヴァはもう死んだから影響はないけれど、リィンは騎士団の人間だ。どうしよう。

「大丈夫だ。リィンはヒューイに言わないと言っていたし、実際言っていないようだ。リィンに君をどうこうするつもりはないと思う」

「あ、そうなんだ…」

 私の動揺がわかったのかセスが言った。
 そういうことならば一先ずは安心だ。よかった。

「じゃあ、こっちは?何て書いてあるの?」

 私が目を覚まさなくなって丸2日が経過した際の記述の下にも、アルディナ語で何かが書いている。中々の長文だ。
 私はそこを指差してセスに見せた。

「……」

 それを見て、セスは何も言うことなく目を逸らした。
 言いたくないこと、という訳か。丸2日何の反応も見せずに眠り続けたのだ。もう二度と目を覚まさないかもしれない、とか、いっそ殺したほうが、とか書いてあるのだろうか。

「言いたくないならいいよ、ごめん」

「"シエルが目を覚まさないのは精神的要因にあると俺は考える"」

 記録書に目をやりながら、抑揚のない言い方でセスが話し始めた。
 このアルディナ語の文を訳して言っているのだろう。

「"シエルは俺がニルヴァに見えていた12月6日の9時半、俺の名を呼び、異世界の言葉で助けてと口にした。しかしそこからわずか6時間で、殺してほしいと懇願するほどに精神を消耗している。助けは来ないと絶望し、死を望んだのにそれすら叶わず、自分の意思で深く意識を閉ざしたのではないだろうか。あの時に助けることができていればきっとこのような結果にはならなかった。カルデルに頼らず、もっとちゃんと向き合っていればシエルが差し出した手を取れたかもしれない。俺はシエルを裏切ってしまった"」

 それを淡々と読み上げるセスの顔は、無表情だった。何も思っていないというわけではなくて、悲しいとか、苦しいとか、そういう感情を通り越した人間が見せる表情だと思った。

 胸が締め付けられるように痛い。
 助けて。その言葉は依頼が始まる前にお互いに教えあった言葉だ。だからセスにはその言葉の意味がわかってしまった。それをわかってしまったが故に、セスはこんなにも苦しい思いをすることになってしまった。

 しかも、裏切ったのは私の方だ。セスとリィンは絶対に助けに行くと言ってくれていたのに、それを信じられずに逃げてしまった。
 こんな気持ちを抱えて私の前に立っていたのに、私はセスに殺してほしいと残酷な言葉を吐き、結果よりも過程が大事だと無慈悲な言葉を吐いた。一体それをどんな気持ちで聞いていたというのか。
 どんな気持ちで私が目を覚ました時に優しく声をかけてくれて、どんな気持ちで泣いている私の手を握ってくれていたのか。

 涙が一筋流れた。
 セスはそんな私を黙って見つめている。

 何故セスは、これを私に告げたのだろうか。
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