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四章
第61話 帰還
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「あの村は、ゲオルグさんが作ったんですか?」
短い休憩を終え、再びレオの背に跨って私は聞いた。
レオは相変わらずカデムよりも早いスピードで軽快に走って行く。この感じなら私とセスが村を出た時よりもかなり早く着くだろう。
「そうだ。ゲオルグは親を亡くした子供や、他で生きられないような弱い者をあの村に集めて支援している。ミトス以上に弱肉強食だからな、ルブラは…」
「なるほど…すごいんですね…」
「綺麗事がどこまで通用するか、などと最初は思っていたが、意外と上手くいっているようだな。ゲオルグだけではなく、その考えに同意する他の魔族も時たまあそこを訪れ支援をしたり、行き場のない者を連れて来たりしている。私やモニカもかつてはそうしていた」
行き場を失くした者の最後の砦、ということか。子供だけではないのだろうけれど、イメージ的には村全体が孤児院みたいな感じだろうか。
「どうしてゲオルグさんは…それを始めたんですか?」
「モニカ…ゲオルグの妹は、ヴォルデマ族の象徴ともいえる白い炎を操る力を持たずして生まれたために、親からも一族からも捨てられた。だからゲオルグは妹のために故郷を飛び出し、たった1人でモニカを育て上げたのだ。そんな経験から同じような境遇の人間を放っておけなかったのだろう」
「そう、だったんですか…」
「ゲオルグとモニカが冒険者として安定した生活を送れるようになった頃、私は2人と出会った。一緒に旅をしたり、あの村の支援をしている内にモニカと心を通じ合わせた私は、モニカと2人で旅をしたい、とゲオルグに申し出た。ゲオルグも私ならば、とモニカを任せてくれた。なのに私を守るためモニカが命を落とす結果になって、さぞゲオルグは私が憎かったことだろう。死んで楽になど、させたくなかっただろうさ」
「……」
私はヘルムートの前に座っているのでヘルムートの顔は見えない。だが自嘲するかのようなその言葉からは、激しい後悔の念が感じられた。
しかし、苦労して育てた妹が想い人を守るために命を落としたら、それはやはり何としてでもその人には生きてほしいだろう。いいか悪いかは別として、ゲオルグがこのような手段を取った気持ちもわかる。
「何があってモニカさんは命を落としたのか…聞いてもいいですか?」
「ミトスの人間に利用されたのだ。私を…クビト族の血の力を」
それを聞いてもいいのかどうか悩んだが、ヘルムートは躊躇う様子も見せずに話してくれた。
「治癒の力を…?」
「そうだ。モニカと2人でミトスを旅していた途中、ひどい怪我を負ったヒューマのパーティーを見つけた。4人組で…1人は助からなかったが残りの3人は私の血の力を使って何とか助けられた。3人は私たちにいたく感謝し、お礼をしたいから近くの街まで共に来てほしいと申し出た。一度は辞退したがどうしてもと押し切られ、結局私たちは3人について行った…が、それは私たちを騙すための口実だったんだ。街に着いて案内された場所でモニカを人質にとられ、私は血を提供するように強要された。モニカを廻し餌として、ね」
「そん、な…ひどい…」
恩を仇で返すどころの話ではない。
下衆、そんな言葉を出しかけて飲み込んだ。
「しかしやつらは…モニカが炎を操る能力を持っていないことを聞いていたために、モニカの力を封じることをしなかった。実際道中でもモニカは戦闘に参加していなかったから、戦う力を持たないと思い込んでいたのだろう。だがモニカは炎を操る力は持っていなかったが、呪術は使えた。だから私を助けるため、呪術を使って3人を呪い殺したんだ。自分の命を代償として…」
「自分の命を…代償として…」
「今まであの村を支援してきた私たちにとって、弱き者を助けるのは当たり前のことだった。見返りを求めていた訳でもなかったのに、こんなにもひどい仕打ちを受けるなんて予想もしていなかったよ。魔族には血も涙もないような人間も多いが、地族も大概だと思ったね」
「……」
ヘルムートは淡々と話しているが、ここに至るまで一体どれほど悔やんで、憎んで、悲しんだのだろう。
逆の立場なら彼女を殺して共に死んだ、というヘルムートの言葉も分かる気がする。これほどの絶望の中、1人残されるのは辛い。
「じゃあ…どうして、僕を助けてくれたんですか?僕も、地族です。同じように恩を仇で返されるかもしれないとは、考えなかったんですか?」
「君は相手を助けるために自分の身を犠牲とし、相手を助けるために殺せないはずの人間を殺した。モニカと同じだ…。だから助けたいと思った」
「殺せないはずの…?」
ヘルムートの言っている意味はわかる。
確かに私のしたことはモニカがヘルムートにしたことに似ている。弱者を助けることに尽力してきたモニカが、人を殺せるような人間ではなかっただろうことも推測できる。
だとしてもなぜ私のことも同様に言うのだろう。セスも以前私は人を殺せない、と断定していたが、何かわかりやすいサインでもあるのだろうか。
「モニカは、虫1匹殺せないような人間だった。慈愛に溢れ、自分を捨てた親を恨むことすらなく、同じような境遇の者に手を差し伸べていた。そのモニカが、私を助けるために人間を呪った。殺せないはずの人間を、呪って…殺した。君はそんなモニカと同じ目をしている」
「…そう、なんですか?でも僕は、モニカさんみたいに…慈悲深い人間じゃ、ないですよ…」
好きな人のために誰かを呪えるのだとしても、誰かれ構わず手を差し伸べられるような善人ではない。
保身のために弱い人間を見捨てるような…そんな人間だ。
「それでも、私には同じに見えたんだ。だから君が手の平を返すような人間だとは思っていない。それで騙されるなら、いっそそれでも構わないさ」
そう言いながらも私が裏切らないと確信しているかのようだった。
モニカのような善人とは程遠い人間なのになぜだろう。
「…信じてくれて…ありがとうございます…」
「どういたしまして」
とりあえずお礼を言ってみるとクスクス笑ってヘルムートは答えた。
なんだか大人の余裕みたいなものを感じる。
森の入り口に着いたのはまだ日も暮れる前だった。
セスと2人、カデムで走った時より格段に速い。
「ここからリンクまで、できれば一気に抜けたい」
そう言ってヘルムートはレオから降り、私に保存食を差し出した。
最後の休憩、ということだろう。
お礼を言ってそれを受け取り、保存食に口をつけた。正直全く食欲はないが、カーダと戦うのだし少しでも食べておこう。
と、思ったのだがそんなことを心配する必要はなかった。
まずレオがとんでもなく速いのでカーダが寄ってこない。寄ってきたとしてもヘルムートが放気で倒してしまうので私の出番はほぼない。
森を一気に抜けたい、という言葉通りに、朝を迎えたころには再びあの円状の地に到達することができた。
私とセスがあれだけ苦労して森を走ったのは何だったのかと思うほどだ。
「ない…なにも…」
まさか前回来た場所の反対側から出てきた、というわけでもないだろうに、見渡す限り何もなかった。
フェリシアの死体も、この場所に残したはずのセスの剣も。
「何かここに置いてきたのか?」
私の小さな呟きを拾ってヘルムートが聞いてきた。
「僕が倒したロア族の女の死体と…セスの剣がここにあったはずなんです。でも、何もない…」
「…なるほど。このリンクは金のいらないリンクとあって、利用者もそこそこ多い。カーダさえ何とかできれば向こう側は安全だからね。だからここを通った誰かに"利用"されたのだろう」
「死体…を…?」
「死体を」
あぁ、そうか。人の血肉を食料にする魔族もいるわけだし、死体であっても何かしらの利用価値はあるのか。
だとしてもセスの剣がないのはなぜだろう。名剣、というわけではないらしいのに。
まぁ、考えたところで分かるわけではないし、ないものはしょうがない。きっともうセスだってミトスで新しい剣を手に入れているはずだ。
そんなことを考えている内に、リンクの手前までたどり着いた。
直径3mくらいのオレンジ色に輝く柱が、天まで高く昇っている。
ヘルムートがレオから降りて荷物を降ろし始めたので、私もリンクを横目にヘルムートを手伝った。
「さぁ、レオ、ゲオルグのところに帰りなさい。ここまでご苦労だった」
そうヘルムートがレオを撫でながら言うと、レオは目を細めて顔を擦り付け、踵を返してすごい速さで走って行ってしまった。
「レオだけで大丈夫なんですか?」
「あぁ、問題ない。レオは強いから」
「なるほど…」
カーダと戦える、ということだろうか。
ゲオルグもここから帰って来れると思っていたからヘルムートにレオを貸したのだろうし。
「さぁ、行こうか、シエル。ミトスへ」
「…はい…!」
ミトスに帰るためオレンジ色の光に手を伸ばした瞬間、体を持ち上げられる感覚と共に視界が暗転した。
そこは、緑豊かな森だった。
空気は澄み渡り、風が清らかで、空も青い。近くには川があるのか、せせらぎの音がここまで聞こえた。
ちょうど丘のようになっているここから見える先には脈々と連なる山が荘厳と聳え立っており、その麓にある街の至る所から煙が立ち上っている。
「はぁ…息が…楽だ…」
体に纏わりつく煙が一瞬で晴れたように、呼吸が楽になった。
急速に自分の身に神力が戻ってくるのを感じる。鉛のように重かった体も軽くなってきた。
「私は逆に、少し苦しくなったよ。まぁ、すぐに慣れるだろうけれど」
苦い笑みを浮かべてヘルムートが言う。
「そうですよね、ここには神力があるから…」
ミトスは神力と魔力が入り混じる地だ。天族や魔族にとっては逆に辛く感じるだろう。
「あれがロッソだ」
丘から見下ろせる街を指さし、ヘルムートが言った。
あのリンクを通ってここに出た人間は必ず立ち寄るのではないかと思うほどに近い。
「セスは…あそこにいるでしょうか…」
「ここからどこに行くにしろだいぶ長い旅路になる。君の死から立ち直るまではロッソにいると思うのだがな」
「案外すぐ立ち直っているかも…」
何せセスは暗殺者であり医者だ。今までたくさんの人間を殺して、たくさんの人間の死を目にしてきた。それこそ、愛した人だって殺したのだというし、パーシヴァルの死にもそこまで悲しむ様子は見せなかった。死に慣れすぎていて、仲間という関係でしかなかった私が死んでもすぐ立ち直れるのではないだろうか。
と、予防線を張っておかないと会えなかった時のダメージが大きすぎる。
「まぁ、行ってみよう。できれば日が暮れる前にはロッソに入りたい」
「はい」
森を抜けると、だんだんと草木が少なくなってきた。
あるにはあるが、先ほどまでの青々としたものではなく、秋を思わせるような黄色い葉の草木だった。
地面もゴツゴツとした岩肌に代わり、ここが鉱山地帯であることを知らしめている。
どことなく空気も重く感じ、鉄のような匂いが鼻をついた。
ヘルムートの目論見通り、日暮れ前にロッソに到着した。
山肌を削り取るようにして作られたのであろうそこは、無機質な石の建物や剥き出しの鉄骨が至る所にあり、煙突からはモクモクと白い煙が立ち上っている。
道行く人も当然ながらドワーフが主で、今まで見てきた街並みとあまりにも違ってひどく新鮮だ。
「シエル、君たちはカデムに乗っていたのだよね」
「え、あ、はい」
街を眺めるのに集中していて、突然話しかけられた言葉にすぐさま反応できなかった。
「だとしたら必ずカデムを厩舎に預けるはずだ。そこに君たちが乗っていたカデムがいれば、彼はまだここにいるということになる。こちらの入り口に近い厩舎を回ってみよう」
「厩舎に…」
そうか、宿に泊まるにしてもカデムを連れてはいけないから、必ずどこかに預けなければならない。そうするための施設があるということだ。
そしてリッキーとライムを連れたセスは必ずその厩舎に2頭を預ける。道中で野に放したりしてなければ…だけど。でもさすがにそれはないと思いたい。
「リッキー…ライム!」
2件目に訪れた厩舎で、見慣れた2頭を見つけた。
駆け寄って2頭の頭を撫でると嬉しそうに喉を鳴らして顔を擦り付けてきた。忘れられてはいないようだ。
「ということは、まだここにいるようだね」
後ろからゆっくり歩いてきたヘルムートが言った。
「はい、よかったです…!」
「こんな時間に旅立つことはないだろうから、ひとまず先に宿を確保しよう」
「はい!」
安堵感と喜びで胸を躍らせながら、私はヘルムートの後をついて行った。
ヘルムートは厩舎にほど近いところの宿を取り、再び厩舎に戻った。
ちなみにこの宿を取る時に、ここにセスという人間は泊まっているかと尋ねてみたが、この宿には泊まっていないということだった。
しかしあっさりそれを教えてくれるところが日本とはえらい違う。
「あのカデム2頭はどういう期間で預けられている?」
リッキーとライムを預けた人間と知り合いだ、ということを話した上でヘルムートは厩舎の管理人にそれを聞いた。
管理人もリッキーとライムが私に懐いている様子を見たからか、特に訝しむこともなく依頼のリストに目を通し始めた。
なるほど、そうすればセスがいつまでロッソにいるつもりなのかわかるもんな。
「ひとまず2週間、ということで預かっている」
ロッソはドワーフの街だが、この厩舎の管理人は50代くらいのヒューマの男性だった。
つまり2週間は確定でロッソにいるということか。
リストを机の上に置いているので何が書かれているのか私からでも見ることができる。先ほどの宿といい、これといい、プライバシーも何もあったものではない。
「あれ…預けに来たのは昨日…?」
リストには、昨日の夕方くらいの日付と時間が記載されている。リンクの前でセスと別れてから3日は経っているのに、空白の2日間はどうしていたのだろう。
「おそらく、あの場所で君を待っていたのではないかな」
私の疑問が聞こえたかのようにヘルムートが言った。
「2日間も…?」
リンクから出てきたあの場所の近くには川もあった。食料もカデムに積んである。確かにあそこで待つことは可能だったことだろう。
しかしだからと言ってあの場所で2日間も待っていたというのだろうか。
そんなに、私を待っていてくれたのだろうか。
「もしセスが1人でカデムを引き取りに来たら、シエルという名を出してここに来るように伝えてほしい」
ヘルムートのその言葉で思考が中断され、現実へと引き戻される。
ヘルムートはそう言いながら、宿の名前や部屋が書かれた紙とチップを管理人に手渡していた。
チップがあったからなのか管理人も快く承諾してくれて、セスの名前が書かれた欄に"シエル"と書き足した。
その後は、いつセスと合流できるかもわからないので服を何着か買うことにした。ヘルムートがお金を出してくれると言ってくれたのだが、宿の代金も支払ってくれているのでローブを売ってお金を作り、それで服を買った。
あの状態のローブでも金貨1枚で売れたのには驚いた。生地の価値が高いのだろう。
夕食は外で食べた。私たちが泊まっている宿にセスがいないことは確実なので、宿に併設されている食堂で食べていてもセスに会えることはない。なるべく出歩いて探す時間を確保したい、というヘルムートの考えの元だ。
今日はセスがロッソにいるということがわかっただけでもよかった。
ルブラで失った神力ももう完全に戻ったし、久しぶりに食事がおいしいと思えた。
短い休憩を終え、再びレオの背に跨って私は聞いた。
レオは相変わらずカデムよりも早いスピードで軽快に走って行く。この感じなら私とセスが村を出た時よりもかなり早く着くだろう。
「そうだ。ゲオルグは親を亡くした子供や、他で生きられないような弱い者をあの村に集めて支援している。ミトス以上に弱肉強食だからな、ルブラは…」
「なるほど…すごいんですね…」
「綺麗事がどこまで通用するか、などと最初は思っていたが、意外と上手くいっているようだな。ゲオルグだけではなく、その考えに同意する他の魔族も時たまあそこを訪れ支援をしたり、行き場のない者を連れて来たりしている。私やモニカもかつてはそうしていた」
行き場を失くした者の最後の砦、ということか。子供だけではないのだろうけれど、イメージ的には村全体が孤児院みたいな感じだろうか。
「どうしてゲオルグさんは…それを始めたんですか?」
「モニカ…ゲオルグの妹は、ヴォルデマ族の象徴ともいえる白い炎を操る力を持たずして生まれたために、親からも一族からも捨てられた。だからゲオルグは妹のために故郷を飛び出し、たった1人でモニカを育て上げたのだ。そんな経験から同じような境遇の人間を放っておけなかったのだろう」
「そう、だったんですか…」
「ゲオルグとモニカが冒険者として安定した生活を送れるようになった頃、私は2人と出会った。一緒に旅をしたり、あの村の支援をしている内にモニカと心を通じ合わせた私は、モニカと2人で旅をしたい、とゲオルグに申し出た。ゲオルグも私ならば、とモニカを任せてくれた。なのに私を守るためモニカが命を落とす結果になって、さぞゲオルグは私が憎かったことだろう。死んで楽になど、させたくなかっただろうさ」
「……」
私はヘルムートの前に座っているのでヘルムートの顔は見えない。だが自嘲するかのようなその言葉からは、激しい後悔の念が感じられた。
しかし、苦労して育てた妹が想い人を守るために命を落としたら、それはやはり何としてでもその人には生きてほしいだろう。いいか悪いかは別として、ゲオルグがこのような手段を取った気持ちもわかる。
「何があってモニカさんは命を落としたのか…聞いてもいいですか?」
「ミトスの人間に利用されたのだ。私を…クビト族の血の力を」
それを聞いてもいいのかどうか悩んだが、ヘルムートは躊躇う様子も見せずに話してくれた。
「治癒の力を…?」
「そうだ。モニカと2人でミトスを旅していた途中、ひどい怪我を負ったヒューマのパーティーを見つけた。4人組で…1人は助からなかったが残りの3人は私の血の力を使って何とか助けられた。3人は私たちにいたく感謝し、お礼をしたいから近くの街まで共に来てほしいと申し出た。一度は辞退したがどうしてもと押し切られ、結局私たちは3人について行った…が、それは私たちを騙すための口実だったんだ。街に着いて案内された場所でモニカを人質にとられ、私は血を提供するように強要された。モニカを廻し餌として、ね」
「そん、な…ひどい…」
恩を仇で返すどころの話ではない。
下衆、そんな言葉を出しかけて飲み込んだ。
「しかしやつらは…モニカが炎を操る能力を持っていないことを聞いていたために、モニカの力を封じることをしなかった。実際道中でもモニカは戦闘に参加していなかったから、戦う力を持たないと思い込んでいたのだろう。だがモニカは炎を操る力は持っていなかったが、呪術は使えた。だから私を助けるため、呪術を使って3人を呪い殺したんだ。自分の命を代償として…」
「自分の命を…代償として…」
「今まであの村を支援してきた私たちにとって、弱き者を助けるのは当たり前のことだった。見返りを求めていた訳でもなかったのに、こんなにもひどい仕打ちを受けるなんて予想もしていなかったよ。魔族には血も涙もないような人間も多いが、地族も大概だと思ったね」
「……」
ヘルムートは淡々と話しているが、ここに至るまで一体どれほど悔やんで、憎んで、悲しんだのだろう。
逆の立場なら彼女を殺して共に死んだ、というヘルムートの言葉も分かる気がする。これほどの絶望の中、1人残されるのは辛い。
「じゃあ…どうして、僕を助けてくれたんですか?僕も、地族です。同じように恩を仇で返されるかもしれないとは、考えなかったんですか?」
「君は相手を助けるために自分の身を犠牲とし、相手を助けるために殺せないはずの人間を殺した。モニカと同じだ…。だから助けたいと思った」
「殺せないはずの…?」
ヘルムートの言っている意味はわかる。
確かに私のしたことはモニカがヘルムートにしたことに似ている。弱者を助けることに尽力してきたモニカが、人を殺せるような人間ではなかっただろうことも推測できる。
だとしてもなぜ私のことも同様に言うのだろう。セスも以前私は人を殺せない、と断定していたが、何かわかりやすいサインでもあるのだろうか。
「モニカは、虫1匹殺せないような人間だった。慈愛に溢れ、自分を捨てた親を恨むことすらなく、同じような境遇の者に手を差し伸べていた。そのモニカが、私を助けるために人間を呪った。殺せないはずの人間を、呪って…殺した。君はそんなモニカと同じ目をしている」
「…そう、なんですか?でも僕は、モニカさんみたいに…慈悲深い人間じゃ、ないですよ…」
好きな人のために誰かを呪えるのだとしても、誰かれ構わず手を差し伸べられるような善人ではない。
保身のために弱い人間を見捨てるような…そんな人間だ。
「それでも、私には同じに見えたんだ。だから君が手の平を返すような人間だとは思っていない。それで騙されるなら、いっそそれでも構わないさ」
そう言いながらも私が裏切らないと確信しているかのようだった。
モニカのような善人とは程遠い人間なのになぜだろう。
「…信じてくれて…ありがとうございます…」
「どういたしまして」
とりあえずお礼を言ってみるとクスクス笑ってヘルムートは答えた。
なんだか大人の余裕みたいなものを感じる。
森の入り口に着いたのはまだ日も暮れる前だった。
セスと2人、カデムで走った時より格段に速い。
「ここからリンクまで、できれば一気に抜けたい」
そう言ってヘルムートはレオから降り、私に保存食を差し出した。
最後の休憩、ということだろう。
お礼を言ってそれを受け取り、保存食に口をつけた。正直全く食欲はないが、カーダと戦うのだし少しでも食べておこう。
と、思ったのだがそんなことを心配する必要はなかった。
まずレオがとんでもなく速いのでカーダが寄ってこない。寄ってきたとしてもヘルムートが放気で倒してしまうので私の出番はほぼない。
森を一気に抜けたい、という言葉通りに、朝を迎えたころには再びあの円状の地に到達することができた。
私とセスがあれだけ苦労して森を走ったのは何だったのかと思うほどだ。
「ない…なにも…」
まさか前回来た場所の反対側から出てきた、というわけでもないだろうに、見渡す限り何もなかった。
フェリシアの死体も、この場所に残したはずのセスの剣も。
「何かここに置いてきたのか?」
私の小さな呟きを拾ってヘルムートが聞いてきた。
「僕が倒したロア族の女の死体と…セスの剣がここにあったはずなんです。でも、何もない…」
「…なるほど。このリンクは金のいらないリンクとあって、利用者もそこそこ多い。カーダさえ何とかできれば向こう側は安全だからね。だからここを通った誰かに"利用"されたのだろう」
「死体…を…?」
「死体を」
あぁ、そうか。人の血肉を食料にする魔族もいるわけだし、死体であっても何かしらの利用価値はあるのか。
だとしてもセスの剣がないのはなぜだろう。名剣、というわけではないらしいのに。
まぁ、考えたところで分かるわけではないし、ないものはしょうがない。きっともうセスだってミトスで新しい剣を手に入れているはずだ。
そんなことを考えている内に、リンクの手前までたどり着いた。
直径3mくらいのオレンジ色に輝く柱が、天まで高く昇っている。
ヘルムートがレオから降りて荷物を降ろし始めたので、私もリンクを横目にヘルムートを手伝った。
「さぁ、レオ、ゲオルグのところに帰りなさい。ここまでご苦労だった」
そうヘルムートがレオを撫でながら言うと、レオは目を細めて顔を擦り付け、踵を返してすごい速さで走って行ってしまった。
「レオだけで大丈夫なんですか?」
「あぁ、問題ない。レオは強いから」
「なるほど…」
カーダと戦える、ということだろうか。
ゲオルグもここから帰って来れると思っていたからヘルムートにレオを貸したのだろうし。
「さぁ、行こうか、シエル。ミトスへ」
「…はい…!」
ミトスに帰るためオレンジ色の光に手を伸ばした瞬間、体を持ち上げられる感覚と共に視界が暗転した。
そこは、緑豊かな森だった。
空気は澄み渡り、風が清らかで、空も青い。近くには川があるのか、せせらぎの音がここまで聞こえた。
ちょうど丘のようになっているここから見える先には脈々と連なる山が荘厳と聳え立っており、その麓にある街の至る所から煙が立ち上っている。
「はぁ…息が…楽だ…」
体に纏わりつく煙が一瞬で晴れたように、呼吸が楽になった。
急速に自分の身に神力が戻ってくるのを感じる。鉛のように重かった体も軽くなってきた。
「私は逆に、少し苦しくなったよ。まぁ、すぐに慣れるだろうけれど」
苦い笑みを浮かべてヘルムートが言う。
「そうですよね、ここには神力があるから…」
ミトスは神力と魔力が入り混じる地だ。天族や魔族にとっては逆に辛く感じるだろう。
「あれがロッソだ」
丘から見下ろせる街を指さし、ヘルムートが言った。
あのリンクを通ってここに出た人間は必ず立ち寄るのではないかと思うほどに近い。
「セスは…あそこにいるでしょうか…」
「ここからどこに行くにしろだいぶ長い旅路になる。君の死から立ち直るまではロッソにいると思うのだがな」
「案外すぐ立ち直っているかも…」
何せセスは暗殺者であり医者だ。今までたくさんの人間を殺して、たくさんの人間の死を目にしてきた。それこそ、愛した人だって殺したのだというし、パーシヴァルの死にもそこまで悲しむ様子は見せなかった。死に慣れすぎていて、仲間という関係でしかなかった私が死んでもすぐ立ち直れるのではないだろうか。
と、予防線を張っておかないと会えなかった時のダメージが大きすぎる。
「まぁ、行ってみよう。できれば日が暮れる前にはロッソに入りたい」
「はい」
森を抜けると、だんだんと草木が少なくなってきた。
あるにはあるが、先ほどまでの青々としたものではなく、秋を思わせるような黄色い葉の草木だった。
地面もゴツゴツとした岩肌に代わり、ここが鉱山地帯であることを知らしめている。
どことなく空気も重く感じ、鉄のような匂いが鼻をついた。
ヘルムートの目論見通り、日暮れ前にロッソに到着した。
山肌を削り取るようにして作られたのであろうそこは、無機質な石の建物や剥き出しの鉄骨が至る所にあり、煙突からはモクモクと白い煙が立ち上っている。
道行く人も当然ながらドワーフが主で、今まで見てきた街並みとあまりにも違ってひどく新鮮だ。
「シエル、君たちはカデムに乗っていたのだよね」
「え、あ、はい」
街を眺めるのに集中していて、突然話しかけられた言葉にすぐさま反応できなかった。
「だとしたら必ずカデムを厩舎に預けるはずだ。そこに君たちが乗っていたカデムがいれば、彼はまだここにいるということになる。こちらの入り口に近い厩舎を回ってみよう」
「厩舎に…」
そうか、宿に泊まるにしてもカデムを連れてはいけないから、必ずどこかに預けなければならない。そうするための施設があるということだ。
そしてリッキーとライムを連れたセスは必ずその厩舎に2頭を預ける。道中で野に放したりしてなければ…だけど。でもさすがにそれはないと思いたい。
「リッキー…ライム!」
2件目に訪れた厩舎で、見慣れた2頭を見つけた。
駆け寄って2頭の頭を撫でると嬉しそうに喉を鳴らして顔を擦り付けてきた。忘れられてはいないようだ。
「ということは、まだここにいるようだね」
後ろからゆっくり歩いてきたヘルムートが言った。
「はい、よかったです…!」
「こんな時間に旅立つことはないだろうから、ひとまず先に宿を確保しよう」
「はい!」
安堵感と喜びで胸を躍らせながら、私はヘルムートの後をついて行った。
ヘルムートは厩舎にほど近いところの宿を取り、再び厩舎に戻った。
ちなみにこの宿を取る時に、ここにセスという人間は泊まっているかと尋ねてみたが、この宿には泊まっていないということだった。
しかしあっさりそれを教えてくれるところが日本とはえらい違う。
「あのカデム2頭はどういう期間で預けられている?」
リッキーとライムを預けた人間と知り合いだ、ということを話した上でヘルムートは厩舎の管理人にそれを聞いた。
管理人もリッキーとライムが私に懐いている様子を見たからか、特に訝しむこともなく依頼のリストに目を通し始めた。
なるほど、そうすればセスがいつまでロッソにいるつもりなのかわかるもんな。
「ひとまず2週間、ということで預かっている」
ロッソはドワーフの街だが、この厩舎の管理人は50代くらいのヒューマの男性だった。
つまり2週間は確定でロッソにいるということか。
リストを机の上に置いているので何が書かれているのか私からでも見ることができる。先ほどの宿といい、これといい、プライバシーも何もあったものではない。
「あれ…預けに来たのは昨日…?」
リストには、昨日の夕方くらいの日付と時間が記載されている。リンクの前でセスと別れてから3日は経っているのに、空白の2日間はどうしていたのだろう。
「おそらく、あの場所で君を待っていたのではないかな」
私の疑問が聞こえたかのようにヘルムートが言った。
「2日間も…?」
リンクから出てきたあの場所の近くには川もあった。食料もカデムに積んである。確かにあそこで待つことは可能だったことだろう。
しかしだからと言ってあの場所で2日間も待っていたというのだろうか。
そんなに、私を待っていてくれたのだろうか。
「もしセスが1人でカデムを引き取りに来たら、シエルという名を出してここに来るように伝えてほしい」
ヘルムートのその言葉で思考が中断され、現実へと引き戻される。
ヘルムートはそう言いながら、宿の名前や部屋が書かれた紙とチップを管理人に手渡していた。
チップがあったからなのか管理人も快く承諾してくれて、セスの名前が書かれた欄に"シエル"と書き足した。
その後は、いつセスと合流できるかもわからないので服を何着か買うことにした。ヘルムートがお金を出してくれると言ってくれたのだが、宿の代金も支払ってくれているのでローブを売ってお金を作り、それで服を買った。
あの状態のローブでも金貨1枚で売れたのには驚いた。生地の価値が高いのだろう。
夕食は外で食べた。私たちが泊まっている宿にセスがいないことは確実なので、宿に併設されている食堂で食べていてもセスに会えることはない。なるべく出歩いて探す時間を確保したい、というヘルムートの考えの元だ。
今日はセスがロッソにいるということがわかっただけでもよかった。
ルブラで失った神力ももう完全に戻ったし、久しぶりに食事がおいしいと思えた。
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★━戦闘シーンや猟奇的発言あり
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魔法・魔物あり。
ざぁま薄め。
恋愛要素あり。
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