クルスの調べ

緋霧

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四章

第60話 すれ違い

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 ヘルムートが用意してくれた食事は、パンと葉物野菜、焼いた何かの肉だった。
 この肉が何の肉か聞く前に、人肉じゃないから安心して食べるといい、私だって普通の食事を摂るものだから、とヘルムートは苦い笑みを浮かべながら言った。

「ゲオルグに解呪させて早めにここを出よう。呼んでくるから食べていてくれ。それは全部君の分だから」

 私の返事も待たずに、ヘルムートはそう言い残して出て行ってしまった。
 ゲオルグは素直に解呪してくれるのだろうか。ヘルムートはそれも私を食べれば解決すると言っていたけれども、もしゲオルグがそれを拒否したらどうするつもりなのだろうか。
 解呪を諦めてこのままミトスに向かうつもりなのか…それとも、あくまで解呪にこだわるのか。
 ヘルムートの考えは分からないが、もし解呪にこだわるのならば拒否された場合、ゲオルグを殺すという道しかなくなる。私を食べれば解決、ということはそれができるだけの力を取り戻せる、という意味なのは間違いないはず。
 しかし、果たしてそれは正しい道なのだろうか。仮にヘルムートにゲオルグが殺せるのだとしても、それをしてまで私をミトスに帰すことに意味はあるのだろうか。

 そんな物思いにふけっていたら、ゲオルグを連れて思いの外すぐにヘルムートが戻ってきた。

「…喰ったというのには偽りないだろうが、その割にずいぶんと自由にさせているじゃないか」

 ダイニングテーブルで食事をしていた私を見るなり、不機嫌そうにゲオルグが言った。
 それはそうだろう。術は封じられているが、隣の部屋にはヘルムートが所持している武器だって残されたままだ。それを手にして逃げ出すことだって状況的には可能なのだ。まぁ、そんなことをしたところで生き延びられるとも思えないし、元よりヘルムートを裏切るつもりもないが。

「シエルはお前が私にと獲ってきた餌だろう?お前の望み通りシエルを喰ったのだから、その後に私がどう扱っても構うまい」

「…それで?そのシエルを連れてミトスに行くから解呪しろと?」

「そうだ」

 その話をしながらこちらに向かってきたのだろう。ヘルムートはさも当然かのように答えているが、ゲオルグの表情は依然として険しいままだ。

「ミトスに連れて行った後はどうするつもりだ?」

「…お前には関係のないことだろう」

 怪訝そうに問うゲオルグに対し、ヘルムートが冷たく返す。感情の籠っていないこの冷たい感じがセスとよく似ていると思った。

「関係ないだと?関係ないわけあるか。シエルをミトスに帰して死に場所を探すつもりなら俺は許さんぞ」

「だとしても今さらシエルをお前に返すつもりはないし、解呪しないと言うのならばお前を殺すだけのことだ」

「…本気か?お前に俺が殺せるとでも?」

「嘘だと思うのなら試してみても構わないが、私がお前なら素直に解呪して見送るけどね。ここにはまだお前が必要なのではないか?」

「……」

 何だかとんでもない話になっている。
 私をミトスに連れて行った後のことをゲオルグが知る術はないので、ゲオルグとしても簡単には譲れないのだろう。だったらゲオルグも着いて来ればいいのに、と思うのだが、この村にゲオルグが必要だと言うのなら、そういう訳にもいかないのかな。

「ゲオルグ、お前の望みは私が自ら望んで生きることなのだろう?このままここに居続けていても、その時は永遠に来ない。でも今私は自ら望んでシエルを喰い、ミトスに行きたいと願っている。ここで死を望む私と、ミトスに行くために一時的にでも生を望む私のどちらに意味があると思う?」

「…その後に死を望むなら同じことだろう」

「同じこと…か。そうか、お前にとっては同じことなのか…。私には今回のこの行動には意味があった。久しぶりに、生きたいと思った。目的を果たした後に再び意味を失うのだとしても、一度は人を喰らい、生きようと願ったことに意味はあったのだと…お前にも認めてほしかった」

 ゲオルグの返答にヘルムートは悲しげな表情を見せてそう言った。

「……」

 ゲオルグは答えない。
 ゲオルグにとっては、その先もずっと自ら望んで生き続けないと何の意味もないということか。
 その気持ちはわからなくもないけれど、他人の心はどうにもできない。望まない人間に無理やりそうさせることにこそ、意味がないのではないだろうか。
 まぁ、本人が望んでいないにも関わらず自らの命を犠牲にしてセスを助けてしまった私が言っても、説得力はないのだけれども。

「…お前たちは本当によく似ているよ。弱者を簡単に切り捨てるこのルブラで、お前は弱者のための村を作り、ただ1人でそれを支えている。モニカも同様だった。困っている人間に手を差し伸べ、自らの身を顧みず他者を助ける。この世界に必要なのはお前たちのような人間だ。できれば、殺したくはないのだが?」

 何も言わないゲオルグに、ヘルムートが優しく諭すように言った。
 モニカというのはゲオルグの妹であり、ヘルムートの恋人だった人だろう。
 それにしても弱者のための村を作った、ということは、この村はゲオルグが作ったということだろうか。弱者のためにと村1つ作ってしまうなんてすごい。すごいのだが、そこまで他者のために尽くせる人が地族や天族を餌としか考えていないなんて何だか少し残念だ。

「…この世界に必要なのは俺のような人間だと言いながらも、従わなければ殺すと言うのか」

 長い沈黙を経て、ゲオルグが絞り出すように口を開いた。

「ああ。私の為すべきことは1つだからな。その弊害となるものは排除しなければならない」

 ヘルムートは即答だ。真剣な顔でゲオルグに真っ直ぐ向き合っている。それが言葉に嘘はないのだと知らしめているようだった。

「…何がお前をそうさせたんだろうな。天族とシエルがお前たちのようだったからか?1人残された天族と自分を重ねて憐れんでいるのか?」

 ゲオルグもまたヘルムートを真っ直ぐ見つめていたが、フッと視線を逸らして諦めたかのように悲しく笑って言った。

「…そうかもしれないな」

 そんなゲオルグに呼応するようにヘルムートも悲しく笑った。

「…俺は一体何のためにお前を騙し、命乞いを無情に蹴ってまでここに連れて来たんだろうな…。ヘルムートに人を喰わせることに固執しすぎて目的を見失っていたのかもしれん」

 ゲオルグはそう言いながら懐から私が着けていた触媒を出し、私に差し出した。返してくれるということだろう。お礼を言い、素直に受け取る。

「でも貴方がいなければ…僕は確実に生きていなかった。だから感謝しています。ゲオルグさん」

「……」

 私の言葉にゲオルグは何も答えずに、胸の文様がある場所に手を当てた。

「解呪」

「……っ!?」

 ゲオルグがそう口にした瞬間、針で刺されたような痛みが走り思わず身を引いてしまった。が、ゲオルグはそれ以上何かをすることもなく、私を見下ろしている。今ので解呪ができたということなのだろうか。
 試しに水を湧かせてみるとすぐに手の平一杯に水が溜まった。

「ゲオルグさん、ありがとうございます」

「すぐ発つつもりなのだろう?お前のローブは先ほど洗ったばかりでまだ乾いていないが、持ってこよう」

 私から視線を逸らしてゲオルグが言った。
 若干気まずそうだ。

「洗った…?あれをどうするつもりだったんですか?」

「金に換えるつもりだった。術師用のローブは破損していたとしても高く売れるからな」

 なるほど、力を増幅させる役割を持った特殊な生地だからか。
 換金してこの村の人たちのために使うつもりだったのだろう。

「そういうことなら、あれはゲオルグさんの自由にしてください。また買いますから…」

「お前、金は全部カデムに積んだままだったんだろう?その荷物を回収するまでどうするつもりだ?」

「…たしかに、そうですね…考えていませんでした…」

 お金が入ったリュックをリッキーに括り付けたままだったことを忘れていた。セスがそれをすぐに使ってしまうことはないだろうが、いつ合流できるかもわからない。それまでの食事代や宿代すら今は持っていない状況だ。ローブが換金できるのなら、それで一度お金を作った方がいいかもしれない。ゲオルグさんの自由にしてください、なんてかっこつけたこと言ってしまった手前、今さら返してくださいと言うのも恥ずかしいけれど。

「しかしそれを換金しただけでは心許ないだろう。仲間と合流するまでは私が何とかするつもりだ」

 少し離れたところから話を聞いていたヘルムートが口を挟んだ。
 セスと合流するまでの間、金銭的援助をしてくれるということか。

「ヘルムートさん、ありがとうございます。仲間から荷物を受け取ったら、その分はお返ししますね」

 私の言葉にヘルムートはどことなく悲しげに微笑んだだけで、何も言わなかった。
 ゲオルグもまた、何も言わずに部屋から出て行った。ローブを取りに行ったのだろうか。

「あまり食欲がないようだが、もう少し食べたほうがいい。私はその間準備をしてくるから」

 そう言い残してヘルムートは隣の寝室へと入って行った。
 私も食べておきたいところなのだが、正直呼吸が苦しくてあまり食が進まない。全速力で走って呼吸が乱れている時にご飯を食べられるかと言ったら、それは誰でも無理な話だろう。今の私はまさしくそんな状態だ。
 それでもせっかく用意してもらった食事なので、何とか口に運んで半分くらいは食べた。味付けはシンプルながら肉も柔らかく中々美味しいので、体調が万全の時に食べたかった。

 ローブを取ってきたゲオルグと、準備を済ませたヘルムートがこの部屋に現れたのはほぼ同時だった。
 びちゃびちゃ状態のローブをゲオルグから受け取り、温風を作り出して生乾き程度まで乾かす。着る予定はないのでそれくらいで十分だ。

「ゲオルグ、レオを借りたい。リンクの手前で村に戻すから」

「…好きにすればいい」

 ローブを乾かしている時にヘルムートとゲオルグがそんな話をしていた。
 レオというのは、あの白い獣のことかな?あの白い獣ならば足も速いし、森を1匹だけでも抜けられそうではある。

 全ての準備が整い、外に出た時には辺りは真っ暗だった。
 ゲオルグの手の平から白い炎が立ち上っていて、それが周りを仄かに照らしている。あの白い炎は私が操れる元素の炎とは違う。きっとあれで私の傷口を焼いたのだろう。
 白い獣は、あの時と変わらずこの家の近くに繋がれていた。ヘルムートが荷物を積み込んでも嫌がる素振りも見せず、大人しくしている。

「レオ、頼んだよ」

 ヘルムートが白い獣を撫でると気持ちよさそうに目を閉じて顔をなすりつけていた。仕草がまるで猫のようだ。

「さて、行くとしようか。シエル、準備はいいか?」

「は、はい」

 ヘルムートと共にレオに乗る。その様子をゲオルグはただ静かに見つめていた。

「…もう、お前に会うことはないのだろうな…」

 突然、消え入りそうなほど小さい声でゲオルグが呟いた。
 ヘルムートに向けて言っているのだろう。

「さぁ、どうだろうな。私自身、この先のことはあまり決めていないものでね。ただまぁ、ここにはもう戻らないだろう」

「俺はモニカのためと言いながら、お前の気持ちを何も考えてはいなかった。でも同時にお前も俺の気持ちなど考えていなかっただろう。結局、俺たちはモニカがいなければ相容れることのない関係だったんだ」

「……」

「それでも今こうして去っていくお前を見ていると、寂しく感じる。俺はただ、モニカがいなくなった穴をお前と共に埋めたかっただけなのかもしれん。どのようなやり方をすれば、俺はそれができたのだろうな」

 妹を亡くした寂しさを、愛した人を亡くしたヘルムートと共有したかった。そして2人で立ち直りたかった。ゲオルグはそう言いたいのだろうか。
 なのにヘルムートがそれを望まないからこのような結果になった。
 私が口を挟めることではないので何も言うつもりはないが、その穴が埋まることもなくヘルムートさえも失うことになるゲオルグに同情の念を隠しきれない。
 きっと私がこうしてここに来なくてもその穴は埋まらなかったのだろうけど、何だか申し訳なくなる。

「モニカが生き返らない限り、私に空いた穴は埋まらない。どれだけ時間をかけても、何をしようともだ。そして、もしお前に空いた穴を誰かが埋めてくれるというなら、それは私ではない」

「…そうか…」

 ヘルムートの言葉に、ゲオルグはただそれだけを答えた。
 白い炎に仄かに照らされたゲオルグの表情はとても悲しげで、今にも泣き出しそうに見えた。

「さらばだゲオルグ。お前には世話になった」

「ゲオルグさん…ありがとうございました」

「……ああ」

 何ともあっさりした別れの挨拶を交わして、ヘルムートと私は夜の闇へと足を踏み入れた。






「ヘルムートさん…火を灯しましょうか?」

 レオと呼ばれた白い獣は、辺りが真っ暗にもかかわらずしっかりした足取りで走っている。
 しかし自分の姿さえ見えないほどの深い闇にどうしても不安が掻き立てられ、私はヘルムートにそう問いかけた。

「大丈夫だ。君は見えないのかもしれないがレオには見えているし、私にも見えている」

「見えているんですか…?こんなに暗いのに…」

「レオはイディラという種類の魔獣なんだが、元々は夜行性なんだ。それに、私は魔族だからね」

「そうなんですね…」

 レオはともかく、魔族は夜でも周りが普通に見える、ということだろうか。
 でもそうか、だからニルヴァには男に攫われた私のことが見えていたのか。今まで疑問に持つこともなかったが、あの時かなり周りは暗かったはずだ。ヒューマだったら私だと断定することは難しかったかもしれない。

 そんなことに、今さら気づくなんて。

「不安なら眠ってしまえばいい。体も辛いのだろう。レオに体を預けるといい」

「そう、ですね…。そうさせてもらいます…」

 確かにその通りなので、ここはヘルムートの言葉に甘えることにした。
 ゲオルグに連れて来られた時と同じくヘルムートの前に座っているので、抱き付くようにレオの背に体を預ける。振動が心地よく、私はほどなくして眠りに落ちた。





 目が覚めた時には、辺りは薄っすらと明るみ始めていた。
 こんな体勢だったのに、ずいぶんと眠ってしまったようだ。

「起きたか」

「…すみません、結構寝てしまったみたいで…」

「いや、構わない。眠れるならいくらでも眠るといい。一度休憩を取ろうか」

 そう言いながらヘルムートはレオに指示を出して止まらせた。
 ヘルムートがレオから降りたので、それに習って私も降りる。眠ったというのに、体が鉛のように重く、呼吸もここを出た時より苦しい。

「レオに水をやってほしいのだができるか?」

「はい、大丈夫です」

 ヘルムートの問いかけに平静を装って答え、両手に水を湧かせてレオの口元へと持って行った。
 特に警戒することもなく、私の手から水を飲んでくれている。舌がざらざらとしていて本当に猫のようだ。

「何か食べるか?保存食は軽く持ってきているが」

「いえ、今は大丈夫です…」

 気を遣って聞いてくれたが、食欲はあまりない。ヘルムートの家で食べてから大して動いてもいないし。

「ヘルムートさん、あの村の人たちに挨拶をしないでよかったんですか?」

 草原に腰を下ろしているヘルムートの隣に座りながら私は話しかけた。
 結局、一度もあの村の住人と顔を合わせることはなかった。私は別にそれで困ることはないが、ヘルムートはあの家に住んでいたはず。戻らないつもりでいるのならば、別れの挨拶をしたほうがよかったのではないだろうか。

「別に構わない。私は居候のようなものだったからな」

 ヘルムートは表情を変えることなくそう答えた。

「そうですか…」

 ずいぶんと希薄な人間関係だ。
 日本ですらあまり付き合いがなくとも引っ越す時には隣の家に挨拶に行くというのに。この世界ではこれが普通なのだろうか。
 あっさりしすぎて何だか寂しく感じる。
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