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第3章 お師匠さまの秘密を知ってしまいました

お師匠様を思う気持ち 2

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 真剣な表情でツェツイを見下ろす。
 じりっと、一歩ツェツイの元につめ寄ると、小さな身体を引き寄せ片腕で軽々と抱き上げた。
 そのまま、窓辺にツェツイを座らせカーテンをさっとひく。
 差し込む夕陽が遮断され、眩しさが和らぐ。
 物音一つない静かな部屋に二人きり。
 イェンは両手でツェツイの頬に触れた。
 ツェツイはぴくりと肩を震わせる。
 頬に添えた手を滑らせるように落とし、ツェツイを挟むようにして腰をかがめ窓の縁に手を置く。
 カーテン越し、イェンの端整な顔に赤い夕陽の影が落ちる。
「本当に、いいのか?」
 確かめるように、ツェツイの目をまっすぐに見つめる。
 はい、とうなずくツェツイの瞳に揺らぎは見られなかった。
 イェンはわずかに目を伏せる。そして、緩やかに視線を上げたイェンの黒い瞳に熱を帯びた光が揺れる。
 ツェツイの頬に片手を添えた。
「ツェツイーリア……」
 耳元で初めてその名前をささやく。
 低く甘い声。
 ツェツイの身体が再びびくりと跳ね、
 驚いて後ろに身を引こうとする。が、窓ガラスに背中があたり、これ以上逃げようがない。
 震える手でツェツイはくまのぬいぐるみを抱きしめた。
 けれど、抱きつくものが違うだろ、とイェンはぬいぐるみをツェツイの手から抜き取る。
 くまのぬいぐるみがツェツイのひざに落ち、イェンの足元にころりと転がった。
 空に浮いたままの手をどうすればいいのかと戸惑うツェツイの手首をとり、イェンは自分の腰に導く。
 たとえかりそめでも、ツェツイの願いを受け入れたのなら、今は唇が離れる瞬間までの小さな恋人。
 大切に大切に、優しく扱わなければならない。
 しなやかなイェンの指先がツェツイの髪に触れた。
 愛おしげにツェツイの柔らかい髪をすくい、その一房をとり口づけをする。
 ふわりと優しいお日様のような香りがした。
 深く身をかがめ、ツェツイの唇にイェンは顔を近づけていく。
 イェンの長い髪が肩から胸へと滑り落ちる。
 目のやり場に困ったツェツイは瞳を揺らして視線を泳がせている。
「目、閉じて」
 その言葉に従い、ツェツイはきつく目をつむる。
 互いの吐息が感じられる距離。
 腰に添えられたツェツイのぎこちない手が、震えながらぎゅっとイェンのシャツを握りしめる。
 あとほんの少しで二人の唇が重なろうとしたその刹那。
「ごめん……」
 イェンはツェツイの頭を片手で引き寄せ、自分の肩口に押しつけた。
「ごめんな。やっぱりできねえよ」
 唇が触れる寸前までは本気だった。
 本気でツェツイにキスをするつもりだった。
 それがツェツイの望みなら。
 けれど、できなかった。
 どんなにお願いをされても唇にはできない。
 もし、ツェツイがもう少し大人だったらどうだったろうか。
 もう一度、ごめんと耳元で呟いてツェツイのひたいに手をあて、優しく口づけを落とし頭をなでる。
 これで許して欲しいと。
「いいんです。あたしのほうこそ無理を言って、お師匠様を困らせてしまってごめんなさい」
「ツェツイ……」
「お師匠様の色っぽい顔、間近で見たからすごく心臓がどきどきしてる。あたし、背伸びしすぎちゃったかな」
 えへへ、と笑うツェツイの目から、大粒の涙がぽろりとこぼれ落ちる。
 慌ててツェツイはあふれる涙をごしごしと手の甲で拭い、顔を上げ微笑んだ。
「おでこだって嬉しいです。ほんとは、こうしてお師匠様に頭をなでてもらうのも好き」
 イェンの背に腕を回し、ツェツイがきつく抱きついてくる。
「でも、もうなでてもらえない。あたし、ディナガウスに行く決心はしたけど、やっぱり、お師匠様と離ればなれになるのは寂しいです」
「泣くな、ツェツイ」
 イェンの指先がツェツイの涙を拭う。
「前にも言ったろ。もう二度と会えないわけじゃない。会おうと思えばいつだって会える。俺はおまえの師匠であることに変わりはない。大切な弟子だ。ずっと、おまえのことを見守っている。暇があればいつでも帰ってこい。何か困ったことがあれば俺を呼べ。すぐにおまえの元に飛んでいく。どこにいても必ずおまえを見つけだしてやる」
「ほんとう?」
 目を真っ赤にしながらツェツイはイェンを見上げる。
「ああ、約束だ」
 イェンは小指をツェツイの前に差し出した。
「お師匠様……」
 イェンの小指にツェツイは自分の小指をかけた。
 そして、ツェツイはうわーと声を上げて泣いた。
 肩を震わせて泣きじゃくるツェツイの頭を抱き寄せ、イェンは何度も何度も優しくなでた。
 ツェツイの涙がとまるまで。ずっと。
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