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第1章 忍び寄る黒い影
3 変化する日々
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椅子から立ち上がったレイシーはコンツェットと向かい合う。
「君もあの人も」
あの人と言って、レイシーはファンローゼの父クルトをちらりと見る。
「貴族の考えていることはさっぱりわからないよ。いつ隣国エスツェリアがこの国に攻め入ってくるかどうかわからないっていう状況なのに、危機感がないよね。君はちゃんと新聞を読んでる? 町の人たちの声に耳を傾けている? こんなふうに暢気に読書会なんてやっているけれど」
まるでその口調は、クルトを非難しているように聞こえた。
否、非難しているのだ。
「いつまでも穏やかで平和な日々が続くと思わない方がいいよ。情勢は急激に変化する。昨日まで平穏だと思っていたのに、まるで手のひらを返したようにね」
確かに情勢は少しずつ変わりつつある。
隣国エスツェリアが勢力を拡大しようと、東の国ラグバットを攻め落とし、さらに、その手が、西の国であるこのエティカリア国へ伸ばそうという噂が少しずつ広まっているのだ。けれど、これまでエスツェリア国とエティカリア国は友好な関係を築き上げてきた。
だから、それはないだろうとみな、心のどこかで思っているのは事実であった。
「そんなこと、分かっているさ」
「本当かな。本当に分かっているのかな? まあ、いいや。その時、あの子を守るだけの強さと賢さが君になければ、君は大切なあの子を失うことになるよ」
レイシーの碧い瞳が氷のごとき冷たさを放つ。
「君に言われるまでもない!」
「やだな、むきになって。君ってほんと、幼いよね」
レイシーは小ばかにしたように鼻で嘲笑いコンツェットの脇を通り過ぎた。
その瞬間、レイシーの顔に子どもらしい、にこやかな笑みが作られた。
その笑顔を保ったまま、ファンローゼの元へと走っていく。
「レイシーもいっしょに食べようね」
「うん、僕も手伝う」
「ありがとう、レイシー」
レイシーははにかんだ顔でファンローゼの横にちゃっかりと座り、ファンローゼに取り分けてもらったアップルパイを頬張っていた。
これまでこちらからどんなに誘ってもいっさい応じてこなかったレイシーだったが、今回は素直だった。
あたかも、ファンローゼがこれで誘ってだめだったらあきらめると言ったのを聞いていたかのように。
ファンローゼもようやくレイシーと打ち解けたことが嬉しいのか、ご機嫌であった。
おやつを食べた後もファンローゼの誘いに応じてレイシーは数人の子どもたちと混じりカードゲームを楽しんだ。
先ほどコンツェットに見せた態度が嘘であるかのように、レイシーはおとなしく控えめであった。
夕方になり読書会も終了すると、一人、二人、それぞれ帰っていく。
「じゃあね、レイシー。今日は楽しかったわ。また一緒に遊びましょう」
「うん、ありがとう。僕も楽しかったよ。ファンローゼ、またね」
父親に手を繋がれ、去っていくレイシーに手を振る。
彼らが見えなくなった頃、コンツェットはようやく口を開いた。
「レイシーに気を許してはだめだ」
突然、そんなことを言い出したコンツェットに、ファンローゼは目を丸くさせた。
「どうしたの? コンツェットがそんなことを言い出すなんて」
「とにかく! 彼に近づいてもいけない」
「レイシーと何があったの?」
「それは……」
コンツェットは視線を斜めに落とした。
「レイシーはおとなしいし、優しい子よ。きっと、とても恥ずかしがりやさんだから、打ち解けられないでいたのね」
「あいつとまともに会話したの今日が初めてじゃないか。どうしてそう言い切れる! ファンローゼは人がよすぎるんだ!」
声を荒らげるコンツェットに、ファンローゼは戸惑いの表情を見せる。
「ねえ、何があったの? 今日のコンツェットは本当におかしいわ」
「それは……」
話すべきかどうか迷う様子のコンツェットだったが、決意したように視線をあげ、口を開きかけたその時。
「コンツェット、私たちも帰るよ」
コンツェットの父が屋敷の前に車を寄せコンツェットを呼ぶ。
「ファンローゼ……」
ファンローゼは首を傾げてコンツェットを見つめ返す。
「いや、何でもない。また明日」
「またね。コンツェット」
コンツェットを乗せた車が走り去る。コンツェットは何度も何度もファンローゼの姿を車の中から振り返った。
その年の暮れ、隣国エスツェリアがいよいよエティカリア国を支配下におこうと、密かに兵を動かしているという噂が静かに広まった。
それでも多くの人々は噂はあくまで噂として本気にとることはなかった。けれど、中には貪欲に勢力を肥大するエスツェリア国を恐れ、早々と国外へ逃げ出す者もいた。
父が主宰する朗読会にやってくる人数も日ごとに減っていき、ファンローゼを好きだと言ったレイシーの姿も、ある日を境にぷつりと消えた。
さらに翌年の冬。
とうとうエティカリア国はエスツェリア国の侵略を受け、その支配下に置かれることになった。
エスツェリア国に抗う者は誰であろうと容赦なく殺された。
そして、四年の月日が流れた。
「君もあの人も」
あの人と言って、レイシーはファンローゼの父クルトをちらりと見る。
「貴族の考えていることはさっぱりわからないよ。いつ隣国エスツェリアがこの国に攻め入ってくるかどうかわからないっていう状況なのに、危機感がないよね。君はちゃんと新聞を読んでる? 町の人たちの声に耳を傾けている? こんなふうに暢気に読書会なんてやっているけれど」
まるでその口調は、クルトを非難しているように聞こえた。
否、非難しているのだ。
「いつまでも穏やかで平和な日々が続くと思わない方がいいよ。情勢は急激に変化する。昨日まで平穏だと思っていたのに、まるで手のひらを返したようにね」
確かに情勢は少しずつ変わりつつある。
隣国エスツェリアが勢力を拡大しようと、東の国ラグバットを攻め落とし、さらに、その手が、西の国であるこのエティカリア国へ伸ばそうという噂が少しずつ広まっているのだ。けれど、これまでエスツェリア国とエティカリア国は友好な関係を築き上げてきた。
だから、それはないだろうとみな、心のどこかで思っているのは事実であった。
「そんなこと、分かっているさ」
「本当かな。本当に分かっているのかな? まあ、いいや。その時、あの子を守るだけの強さと賢さが君になければ、君は大切なあの子を失うことになるよ」
レイシーの碧い瞳が氷のごとき冷たさを放つ。
「君に言われるまでもない!」
「やだな、むきになって。君ってほんと、幼いよね」
レイシーは小ばかにしたように鼻で嘲笑いコンツェットの脇を通り過ぎた。
その瞬間、レイシーの顔に子どもらしい、にこやかな笑みが作られた。
その笑顔を保ったまま、ファンローゼの元へと走っていく。
「レイシーもいっしょに食べようね」
「うん、僕も手伝う」
「ありがとう、レイシー」
レイシーははにかんだ顔でファンローゼの横にちゃっかりと座り、ファンローゼに取り分けてもらったアップルパイを頬張っていた。
これまでこちらからどんなに誘ってもいっさい応じてこなかったレイシーだったが、今回は素直だった。
あたかも、ファンローゼがこれで誘ってだめだったらあきらめると言ったのを聞いていたかのように。
ファンローゼもようやくレイシーと打ち解けたことが嬉しいのか、ご機嫌であった。
おやつを食べた後もファンローゼの誘いに応じてレイシーは数人の子どもたちと混じりカードゲームを楽しんだ。
先ほどコンツェットに見せた態度が嘘であるかのように、レイシーはおとなしく控えめであった。
夕方になり読書会も終了すると、一人、二人、それぞれ帰っていく。
「じゃあね、レイシー。今日は楽しかったわ。また一緒に遊びましょう」
「うん、ありがとう。僕も楽しかったよ。ファンローゼ、またね」
父親に手を繋がれ、去っていくレイシーに手を振る。
彼らが見えなくなった頃、コンツェットはようやく口を開いた。
「レイシーに気を許してはだめだ」
突然、そんなことを言い出したコンツェットに、ファンローゼは目を丸くさせた。
「どうしたの? コンツェットがそんなことを言い出すなんて」
「とにかく! 彼に近づいてもいけない」
「レイシーと何があったの?」
「それは……」
コンツェットは視線を斜めに落とした。
「レイシーはおとなしいし、優しい子よ。きっと、とても恥ずかしがりやさんだから、打ち解けられないでいたのね」
「あいつとまともに会話したの今日が初めてじゃないか。どうしてそう言い切れる! ファンローゼは人がよすぎるんだ!」
声を荒らげるコンツェットに、ファンローゼは戸惑いの表情を見せる。
「ねえ、何があったの? 今日のコンツェットは本当におかしいわ」
「それは……」
話すべきかどうか迷う様子のコンツェットだったが、決意したように視線をあげ、口を開きかけたその時。
「コンツェット、私たちも帰るよ」
コンツェットの父が屋敷の前に車を寄せコンツェットを呼ぶ。
「ファンローゼ……」
ファンローゼは首を傾げてコンツェットを見つめ返す。
「いや、何でもない。また明日」
「またね。コンツェット」
コンツェットを乗せた車が走り去る。コンツェットは何度も何度もファンローゼの姿を車の中から振り返った。
その年の暮れ、隣国エスツェリアがいよいよエティカリア国を支配下におこうと、密かに兵を動かしているという噂が静かに広まった。
それでも多くの人々は噂はあくまで噂として本気にとることはなかった。けれど、中には貪欲に勢力を肥大するエスツェリア国を恐れ、早々と国外へ逃げ出す者もいた。
父が主宰する朗読会にやってくる人数も日ごとに減っていき、ファンローゼを好きだと言ったレイシーの姿も、ある日を境にぷつりと消えた。
さらに翌年の冬。
とうとうエティカリア国はエスツェリア国の侵略を受け、その支配下に置かれることになった。
エスツェリア国に抗う者は誰であろうと容赦なく殺された。
そして、四年の月日が流れた。
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