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第1章 忍び寄る黒い影

2 レイシーという名の男の子

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 ファンローゼは軽い足取りで窓際に座るレイシーに近寄っていった。
「こんにちは」
 ファンローゼはにこりと、レイシーに微笑みかけた。
 金髪碧眼の可愛らしい顔だちの少年だ。
 再びにこりと微笑むファンローゼに、レイシーもぎこちない笑みを浮かべた。
「こんにちは……」
 聞き取れるかどうかの声で挨拶を返してきた。
 ファンローゼは嬉しそうに目を輝かせた。
「ねえ、あっちでいっしょにおやつを食べて、それから、カードゲームをしない?」
 ファンローゼの誘いに、レイシーはそろりとコンツェットに視線を向けた。
 互いに言葉もなく見つめ合う二人。
 視線を逸らす素振りもなければ話しかける様子もない。
 まるで相手の心を探るような目。
「ねえ、レイシー。レイシーが読んでいる本『ロッタの冒険』よね。私もその本が大好きなの」
 ファンローゼはレイシーが手にしている本を指差した。
「ほんと?」
 途端、レイシーの目がきらきらと輝く。
「僕も、ロッタの冒険が一番好きなんだ」
「レイシーも?」
 興奮気味にファンローゼは身を乗りだした。
「私ね、ロッタが実は魔法の国の王子様だって分かったときは本当にどきどきしたわ」
「僕もだよ。ページをめくる手が震えた」
「ロッタの危機を何度も救ってくれた親友が、実は敵の魔法使いだったってことも驚かされたわ」
『親友と敵の魔法使いの名前が、アナグラムになっていたね』
 そうそう! とファンローゼは一番お気に入りの本の感想で興奮した様子だ。
 二人は顔を見合わせくすりと笑う。
 初めて見せたレイシーの笑顔に、やはり話しかけたかいがあったとファンローゼは嬉しそうであった。
「そろそろ、アップルパイが焼けますよ」
 そこへ、キッチンからファンローゼの母サラの声が聞こえてきたと同時に、シナモンのきいたおいしそうな香りがただよってくる。
 それまで熱心に語り合っていた大人たちも会話を中断し、笑みをこぼす。
「さて、休憩をしよう」
 クルトの一声で一気に和んだ空気が流れ、子どもたちもわあと、はしゃいだ声をあげた。
「私、お母様のお手伝いをしてくる。ねえ、パイを食べたら一緒に遊びましょう」
 にこりとレイシーに微笑みかけ、軽やかな足取りでキッチンへと去っていくファンローゼの背中を見つめていたレイシーの視線が、すっとコンツェットへと向けられた。
 その目は先ほどまでにこやかに笑っていたものではなかった。
「僕があの子と話をするのがおもしろくないみたいだね」
 コンツェットは眉間にしわを寄せた。
「束縛心が強いんだね。思いっきり顔に出ているよ。彼女に近づくなってね」
 どこか棘を含んだ声で、レイシーは口元に冷ややかな嗤いを浮かべる。
 ずいぶんと大人びた口調だ。
 ファンローゼに接していた態度とはまるで別人。
「おまえ……」
「あの子のことが好きなんだね。でも、僕もあの子のことが大好きだ。明るくて可愛いし優しい」
 険しい表情を浮かべるコンツェットに、レイシーは肩をすくめた。
「やだな、そんなに怖い顔をしないでよ。安心して。だいいち、あの子は僕のことなんか何とも思っていないよ。さっきみたいに話しかけてきたのも、僕が一人で、それも部屋の隅で寂しそうにしているのを気にかけただけ。あの子は優しいからね。それに、あの子の心は君でいっぱいだ。僕の入り込む隙はない。でも、この先は分からないけどね」
 レイシーはくつくつと肩を震わせ、手にしていた本を乱暴に閉じる。
 本の表紙は『ロッタの冒険』。
「僕この本、本当はそんなに好きじゃないんだ。だって、魔法とか妖精とか子どもじみていてばかばかしいと思わない?」
 レイシーは本を頭上にかかげ、足をぶらぶらとさせた。
「もっとためになる本はあるのに、たいていの大人たちは、子どもはこういう冒険ものが大好きだって思い込んで買い与えるんだよね。こんな現実味のないおとぎ話なんてくだらないだけなのに」
「おまえ、さっきファンローゼには、その本が大好きだと言ったじゃないか。あれは嘘だったのか?」
 レイシーはにっと笑った。
 愛らしい顔だちには似合わない嗤いであった。
「そうだよ。だって僕、あの子に気に入られたいもの。そのためなら嘘だってつくさ。それが何?」
 レイシーは悪びれた様子もなく言い、ちらりと上目遣いでコンツェットを見る。
「このことをあの子に告げ口でもする? いいよ。それでも別に僕はかまわないから」
 ふと、レイシーは口の端をゆがめた。
「でも、彼女はとてもいい子で人を疑うことを知らないから、君の話に耳を傾けたとしてもきっと、信じない」
 淡々と言うレイシーに、コンツェットは手を握りしめる。
 ファンローゼのことをよく知っているという口ぶりが気に入らなかった。
「あの子の性格をよく知っているなって思った? その顔は図星だね。当然だよ。だって僕はずっとずっと、あの子のことを見てきたんだもの」
 コンツェットはレイシーを見据え、口元を引き結ぶ。
「みんなお待たせ。お母様特製のアップルパイよ」
 そこへ、ファンローゼがキッチンから焼きたてのアップルパイを手に戻ってきた。
 ファンローゼの明るい声が部屋に響き、シナモンのきいたアップルパイの香りが部屋に満ち、大人たちもテーブルの回りに集まってきた。
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