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第1章 忍び寄る黒い影
6 僕が守るから
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自分たちを探すことをあきらめたのか、追ってくる気配はない。
執拗に追われることを覚悟していたが、助かったようだ。
コンツェットに手を引かれ、暗闇の中を走り続けた。
もはや、どこをどう走ったのか分からない。
エスツェリア軍の追っ手から逃れることに無我夢中で、気がついたときには、木々が覆い茂る深い山の中に入り込んだ。
何度も後ろを振り返ったが、エスツェリア軍は追いかけてこない。
息があがって苦しい。
空気を吸い込もうと大きく息を吸い吐き出す。
しんとした静寂の中、聞こえるのは互いの息づかい。
吹雪はいっこうにやむ気配はない。それどころか、さらに激しさを増すばかり。
凍える寒さにすでに手足の感覚はない。
繋いだ手に伝わるのは相手の温もりではなく、互いの手の冷たさのみ。
母が撃たれたことを、今は嘆く余裕すらなかった。
「ファンローゼ、ごめん」
ようやくコンツェットが口を開いた。
「君のお母さんのことを救えなくて、あんなことに……許してもらえないかもしれないけど。君を守ることに必死で」
コンツェットの唇から苦渋の声がもれる。
ファンローゼは慌てて首を振った。
「コンツェットのせいではないわ」
確かにあの場は、逃げるしかなかった。
そうでなければ、自分もコンツェットも軍に捕まり連れていかれるところだった。そして、間違いなくその後に続くのは死。
「コンツェットは私を守ってくれた。なのに、私あんなことを。コンツェットなんて嫌いなんて言って。ごめんなさい」
「いや、当然だ。だけど、何があっても君を守るから」
立ち止まり、コンツェットはファンローゼの顔をのぞき込む。
その目は息を飲むほどに真剣であった。
コンツェットの存在をこれほど頼もしく感じたことはなかった。
「私たち、これからどうなるの」
「僕たちの乗っていた列車はフォルドゥイークから約一時間走った場所で止まった。そこからさらに東に向かって走ったから、この山はおそらくアルザス山だ。そして、この山を越えた向こうにスヴェリア国がある」
ファンローゼは唇を噛みしめた。
あの状況でもコンツェットは冷静に判断して行動していた。
自分はただ泣き叫び、とり乱していただけだというのに。
コンツェットがいなければ、今頃どうなっていたか。そう思うと、恐ろしさに身体が震えた。
「行こう」
再び歩き出そうとしたコンツェットは緊張した顔で、木々の向こうの一点を見つめる。
「見て、あそこ。何かが光っている」
吹きつける雪と木々の合間から、ちらちらと揺れるかすかな光をコンツェットは指差す。その指先の向こうに視線を凝らし、ファンローゼは息を飲み表情を強張らせた。
「まさか……」
エスツェリア軍が先周りをしていたのだろうか。
「違う。たぶん、あれは家の灯だ」
「家?」
「ああ! 行ってみよう」
コンツェットは足早に、光の揺れる方向へと歩き出した。
やがて木々が途切れ、ほんの少し開けた場所に一軒の山小屋があった。その横に小さな納屋があるのを見つけたコンツェットは、ためらうことなく納屋の扉を開け中に転がり込んだ。
吹きつける冷たい風からようやく逃れられほっとする。
風がしのげるだけでもずいぶんと違った。
「少しだけ休ませてもらおう」
「見つかったら怒られるわ」
「大丈夫。家の人が起きてくる前にここを出れば問題はない。それまで少し借りるだけ」
積み上げられた藁の中に潜り込むと、コンツェットはおいでと手招きをする。
一瞬、ためらったものの、ファンローゼもコンツェットの側にもぐりこんだ。
「暖かい」
コンツェットの身に寄り添うと、それに応えるようにコンツェットに肩を引き寄せられ抱きしめられる。
「安心して。ファンローゼのことは僕が必ず守るから」
コンツェットの優しい声と何度も守ると言ってくれた言葉が胸のうちに浸透していく。ファンローゼは言葉もなく頷いた。
閉じたまぶたから涙がこぼれ落ちる。
ほっと安心した途端、緊張が緩みこらえていた悲しみが一気にあふれだし、ファンローゼは肩を震わせた。
「ファンローゼ……泣きたいなら泣けばいい。我慢なんてすることはないんだ」
そっと優しく髪をなでてくれるコンツェットの手に甘えてしまいそうになる。
泣いてすがりたくなる。
けれど、ファンローゼは唇をきつく噛みしめこらえた。
悲しいのは自分だけではないと言い聞かせて。
決して寒さをしのぎきることはできなくとも、それでも二人で寄り添っていると暖かい気がして心が落ち着いた。
眠ることなどできないと思っていたのに、疲れが一気にでたのか、二人はまたたく間に深い眠りの底に落ちていった。
執拗に追われることを覚悟していたが、助かったようだ。
コンツェットに手を引かれ、暗闇の中を走り続けた。
もはや、どこをどう走ったのか分からない。
エスツェリア軍の追っ手から逃れることに無我夢中で、気がついたときには、木々が覆い茂る深い山の中に入り込んだ。
何度も後ろを振り返ったが、エスツェリア軍は追いかけてこない。
息があがって苦しい。
空気を吸い込もうと大きく息を吸い吐き出す。
しんとした静寂の中、聞こえるのは互いの息づかい。
吹雪はいっこうにやむ気配はない。それどころか、さらに激しさを増すばかり。
凍える寒さにすでに手足の感覚はない。
繋いだ手に伝わるのは相手の温もりではなく、互いの手の冷たさのみ。
母が撃たれたことを、今は嘆く余裕すらなかった。
「ファンローゼ、ごめん」
ようやくコンツェットが口を開いた。
「君のお母さんのことを救えなくて、あんなことに……許してもらえないかもしれないけど。君を守ることに必死で」
コンツェットの唇から苦渋の声がもれる。
ファンローゼは慌てて首を振った。
「コンツェットのせいではないわ」
確かにあの場は、逃げるしかなかった。
そうでなければ、自分もコンツェットも軍に捕まり連れていかれるところだった。そして、間違いなくその後に続くのは死。
「コンツェットは私を守ってくれた。なのに、私あんなことを。コンツェットなんて嫌いなんて言って。ごめんなさい」
「いや、当然だ。だけど、何があっても君を守るから」
立ち止まり、コンツェットはファンローゼの顔をのぞき込む。
その目は息を飲むほどに真剣であった。
コンツェットの存在をこれほど頼もしく感じたことはなかった。
「私たち、これからどうなるの」
「僕たちの乗っていた列車はフォルドゥイークから約一時間走った場所で止まった。そこからさらに東に向かって走ったから、この山はおそらくアルザス山だ。そして、この山を越えた向こうにスヴェリア国がある」
ファンローゼは唇を噛みしめた。
あの状況でもコンツェットは冷静に判断して行動していた。
自分はただ泣き叫び、とり乱していただけだというのに。
コンツェットがいなければ、今頃どうなっていたか。そう思うと、恐ろしさに身体が震えた。
「行こう」
再び歩き出そうとしたコンツェットは緊張した顔で、木々の向こうの一点を見つめる。
「見て、あそこ。何かが光っている」
吹きつける雪と木々の合間から、ちらちらと揺れるかすかな光をコンツェットは指差す。その指先の向こうに視線を凝らし、ファンローゼは息を飲み表情を強張らせた。
「まさか……」
エスツェリア軍が先周りをしていたのだろうか。
「違う。たぶん、あれは家の灯だ」
「家?」
「ああ! 行ってみよう」
コンツェットは足早に、光の揺れる方向へと歩き出した。
やがて木々が途切れ、ほんの少し開けた場所に一軒の山小屋があった。その横に小さな納屋があるのを見つけたコンツェットは、ためらうことなく納屋の扉を開け中に転がり込んだ。
吹きつける冷たい風からようやく逃れられほっとする。
風がしのげるだけでもずいぶんと違った。
「少しだけ休ませてもらおう」
「見つかったら怒られるわ」
「大丈夫。家の人が起きてくる前にここを出れば問題はない。それまで少し借りるだけ」
積み上げられた藁の中に潜り込むと、コンツェットはおいでと手招きをする。
一瞬、ためらったものの、ファンローゼもコンツェットの側にもぐりこんだ。
「暖かい」
コンツェットの身に寄り添うと、それに応えるようにコンツェットに肩を引き寄せられ抱きしめられる。
「安心して。ファンローゼのことは僕が必ず守るから」
コンツェットの優しい声と何度も守ると言ってくれた言葉が胸のうちに浸透していく。ファンローゼは言葉もなく頷いた。
閉じたまぶたから涙がこぼれ落ちる。
ほっと安心した途端、緊張が緩みこらえていた悲しみが一気にあふれだし、ファンローゼは肩を震わせた。
「ファンローゼ……泣きたいなら泣けばいい。我慢なんてすることはないんだ」
そっと優しく髪をなでてくれるコンツェットの手に甘えてしまいそうになる。
泣いてすがりたくなる。
けれど、ファンローゼは唇をきつく噛みしめこらえた。
悲しいのは自分だけではないと言い聞かせて。
決して寒さをしのぎきることはできなくとも、それでも二人で寄り添っていると暖かい気がして心が落ち着いた。
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