視える宮廷女官 ―霊能力で後宮の事件を解決します!―

島崎 紗都子

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第1章 運命は満月の夜に導かれて残酷に

6 虚ろの森の亡霊

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 空を見上げると、木々の合間から皎々と輝く満月がのぞいていた。
 おかげで夜の森を歩いていても足元は明るい。
 とはいえ、木枝や覆い茂る草葉、地面から盛り上がる木の根のせいで、馬の手綱を引きながらの徒歩は不便極まりなかった。
 さっ、と冷たい風が吹き、一颯は身を震わせた。
 春先とはいえ、夜はまだ冷え込む。
 静かな森であった。
 不思議なことに、生き物の気配すら感じられない。
「いやな感じですね。何だかさっきから背中がぞくぞく、ぞわぞわするようで、まるで、誰かに見られているような気がして、どうにも落ち着かないです」
 従者の一人が周りを気にしながら怖々と言う。
「言うな。俺まで怖くなる」
 他の者も寒さではなく、得体の知れない恐怖にぶるっと身体を震わせた。
「大の男が何を怖がっている」
 弱気なことを言い出す従者たちを叱りつけたものの、確かに背筋に寒気が走るような嫌な気配を感じる。
 自分は武人だ。これまで戦場で数え切れないほど恐ろしい経験や、不可思議な体験をしてきた。なのに、この薄気味の悪さはこれまで感じたことのない不安を孕んだものであった。
 一颯はいや、と心の中で弱気になりかけた己の心を叱りつけ、気を引き締め直す。
 蓮花はこの森に賊が潜み旅人を襲ったと言った。
 もちろん、賊など恐れるにたらない。
 それでも、どんな状況が起きても、咄嗟に対応できるようにと注意深く辺りに気を配る。
「そういえばあの娘。森に温泉が湧いていると言っていたな。温泉に浸かったら冷えた身体も温まりそうだ」
「確か高血圧に効果があると言っていたな。最近医師から血圧に気をつけるように言われた。どうにも年をとると……」
「俺は腹の調子が悪い」
「はは、俺は最近胸焼けがひどくて、胃が痛むんだ」
「わしは痛風だ」
 従者たちは互いに顔を見合わせた。そして、将軍をじっと見る。
「僕は先日、武芸の稽古で腕に切り傷を」
『切り傷、高血圧予防、整腸、胃酸過多、通風によく効く温泉だよ』
 男たちは蓮花が言った言葉を思い出す。
「あの娘、まるで俺たちの症状を知ったような物言いであったな」
「いやいや、当てずっぽうに言っただけだろう」
「そのわりには的確すぎないか?」
 そんなことを喋っていた一行であったが、次第に軽口も減っていき、とうとう言葉を交わすこともなくなった。
 ただ黙々と足を前に進めるだけ。しかし、どういうわけか足が鉛のように重い。まるで泥沼の底に落ちていく感覚のようであった。
「ひいいっ!」
 突然、後方にいる従者の一人が悲鳴をあげた。
「どうした!」
 振り返ると、従者が森の奥一点を指差し、震えている。
「あ、あそこに人が人影が! たくさんの人が!」
「人? こんな夜の森に人など……いや、賊か?」
 しかし、一颯は違うと首を振る。賊なら気配で分かる。
「亡霊……」
 と、誰かがぽつりと呟く。
「ばかばかしい!」
 と言い放ったものの一颯自身、幽霊の存在を否定しない。
 これまで何度か戦場に赴き人の死をたくさん見てきた。
 時には、普通では考えられない不思議なことも体験した。
「あれを見ろ!」
 木々の向こうで二人、三人。いや、もっといる。十人以上の人影が、ゆらゆらと身体を揺らしながらこちらに向かって近づいてくる姿が見えた。
 男もいれば女もいる。若者も年老いた者も。幼い子どもも。
「おまえたち、そこで何をしている?」
 一颯は問いかけた。しかし、彼らからの答えはない。
「ひいいいいいっ!」
 従者たちの口から情けない声がもれる。
 目の前に迫るそれらは、明らかに生きている人間ではなかった。血にまみれ、腹から腸が飛び出し引きずっている者もいた。
 彼らはだらりと手をたらし、一歩一歩近寄ってくる。
「く、来るな! 来るなーっ!」
 従者の一人が剣を抜き、近づいてきた亡霊たちに斬りかかる。しかし、薙いだ剣は虚空を切っただけ。
 従者は前につんのめって地面に倒れ込む。
「亡霊だ。本当に亡霊が現れた!」
 現れたのが賊の方がまだましであった。実体のない相手に剣は通用しない。
 気づけばいつの間にか、亡霊たちに周りを囲まれている。

 苦しい……助けて。
 どうして俺たちがこんな目に……この恨みどうしてくれよう。

 そんな声が聞こえてくるようだ。
 無残にも賊によって殺された亡霊たちは、怨み辛みを滲ませた目で一颯たちに距離を詰めてくる。
「将軍!」
「大丈夫だ。落ち着け!」
 一颯たちは互いに背中を預け、亡霊たちと対峙する。
「おのれ! おまえたちは逃げろ。ここは僕が食い止める」
「なりません! 将軍こそ逃げてください。我々がなんとかします!」
「いいから行け! 僕が亡霊どもにやられると思っているのか!」
 そうは言ってみたが、亡霊たちを倒す方法など何も浮かばない。
 お経でも唱えてみるか? と、一颯は考え苦笑いを浮かべる。
「くそ、来るなら来い! 死んだおまえらよりも、生きている者の方が強い……」
『これだけは覚えておいて。生きている者の方が強いということを』
 一颯は思い出したように懐に手を入れ、蓮花から渡された小袋を取り出す。
 指先にビリッと痺れる感覚が走ったと同時に、小袋から強烈な光が放たれた。
 凄まじいほどの眩しさに、腕を持ち上げ光から目を守る。
 どのくらいの時間が経ったか。
 数秒、数十秒。
 おそるおそる目を開けると、目の前にいた亡霊どもの姿は消えていた。
「何が起きたのだ」
「亡者たちは?」
「我々は夢でもみていたのか」
 一颯はいや、と小声で呟き、きつく握りしめていた手を開いた。
 手のひらには下手くそな刺繍が施された小袋。
 中を改めると、虫除けの乾燥した薄荷と艾の中に、小さく折りたたまれた紙切れが入っていた。
 それを指先でつまみ取り出した途端、呪文のような文字が書かれていた紙切れが一瞬にして燃え上がり、黒い炭となって虚空へ散っていく。
 お守りが亡霊どもから自分たちを救ってくれたのか。
 去り際、蓮花が言った言葉を思い出す。

『中身は薄荷と艾。それとお守り。あんたを守ってくれるはず』

 いったい、あの蓮花という娘は何者なのだ。
「またいつ亡霊どもが現れるとも限りません。将軍、先を急ぎましょう」
 従者たちは口々に、ここから離れようと言う。しかし、一颯はいや、と首を振り今来た道を振り返る。
「先程の娘の元へ戻る」
「あの娘の所にですか? どうして」
「分からない。だが、どうやら寄り道をしてでも、あの娘に会う価値があるような気がしてきた」
 空を見上げると、丸い月が明るい光を放っていた。
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