令嬢は元暗殺者に恋をする ─ 私が愛した人は異国の暗殺者だった人でした ─

島崎 紗都子

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一日を終えて

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 うさぎの治療を終え、無事少年を家まで送り届け家に戻った時には、すでに夜も遅い時間であった。
 振り返ってみると、何ともめまぐるしい一日であった。

 診療所を出ていったハルは、まだ帰ってこない。
 もしも、ハルがあの場に現れたら、少年は喜ぶだろうと思った。しかし、それはできれば避けたいことであった。

 ひょんなことで少年の口から、カーナの森の事件のことが他人にもれ、それが役人の耳にでも入れば、ハルの身が危うくなるかもしれないからだ。
 もっとも、彼がそう簡単に捕まるわけなどないであろうが。

 あの幼い少年にとって、ハルは通りすがりの名前すら知らない、自分を救ってくれた英雄として、いつまでも心に残り続けるだろう。
 厳重に戸締まりの確認をし、テオは師の書斎へと足を運んだ。

 今日起こった出来事を包み隠さず師に語る。
 自分が薬の調合を誤り、患者を命の危険にさらしてしまうところだったこと。そして、ハルの行動も。
 ことの次第を全て告白するテオに、ベゼレートは変わらない笑みを浮かべるだけであった。とくにテオを責めるわけでもなく、いつもの優しく穏やかな眼差しで。

「テオはよくがんばりましたね。説明を聞く限り、間違いなくその子は肺炎を起こしかけていたのでしょう。ですがその患者さんは結局、夕刻にはお見えにならなかった。テオの薬がよく効いたのですね。最善の処置を施してくれたこと、お礼を言います。ありがとう、テオ」

 ですが、と声を上げるテオをベゼレートは手で制した。

「私は少し過保護になっていたのかもしれませんね。本当はあなたは立派に薬師として一人でもやっていける能力をもっているにもかかわらず、私の存在があなたの才能を押し潰していた」

 ベゼレートはいったん言葉を切る。
 テオは不安そうに膝の上に置いた手を動かした。
 何やら考えるところがあるのか、しばしの間無言だったベゼレートは、やがて決心したように顔を上げ、真剣な面持ちで再び口を開く。

「前々から考えていたことがあったのですよ。もしかしたら、良い機会かも知れませんね。どうでしょう、テオ、私から離れて自立してみるのは?」

 よもや、師の口からそんな言葉が出るとは思いもよらず、テオは声を出すこともできず愕然とした。だが、すぐに我に返り首を振る。

「できません、それはできません。僕をずっと先生のお側に置いて下さい」

 ベゼレートはそっとテオの肩に両手をかけた。

「テオ、よく聞きなさい。世の中にはまだまだ医者や薬師を必要としている地域がたくさんあるのですよ。あなたを必要としている人が大勢いるのです。そういった人々の助けとなるのがあなたの役目だと思うことはできませんか?」

 いいえ、とテオは弱々しい目を師に向ける。

「先生は僕を評価しすぎです。一人でやっていくには僕は未熟です。もっと、たくさんのことを先生から学び、勉強しなければ」
「私の知っていることはすべてテオに教えたつもりですよ。それにテオはあまりにも堅苦しすぎます。もっと、気を楽にして他のことにも目を向けてみるのも悪くはありませんよ。そうですね、たとえば恋をしてみるとか」

 ベゼレートはふと、口元に笑いを浮かべた。

「考えてみると、あなたの回りではそういった華やかな話の一つも聞きませんからね。もっとも、それは私も反省しなければならないこと。毎日勉強に私のお手伝いでは、恋をする暇もなかったのでしょうから。そういった意味ではサラを見習ってみてはどうですか? あの少年に恋をしているサラの表情は生き生きとして、楽しそうとは思いませんか?」
「それは……確かにそうですが。ですが、相手が悪すぎます! だいいち、サラとあいつとでは身分が違いすぎる」
「本当にテオは堅いですね。男女の恋愛に理屈などないのですよ。ましてや、身分の違いなど。私だって、これでも若い頃は数々の浮き名を流したものですよ」

 師の意外な告白に、テオは驚きのあまり言葉を失う。
 かたや、ベゼレートは若き日のことを思い出したのか、嬉しそうに目元を緩ませて笑っていた。が、不意にベゼレートは真顔に戻り、真剣な面持ちでテオを見つめ返した。

「ひとつ、テオにだけ今まで誰にも言えなかったことを告白しましょう。けれど、私の告白はあなたをがっかりさせてしまうかもしれませんが」

 師の告白という言葉に、テオは表情を引き締め、居住まいを正す。
 そして、ベゼレートは語り始めた。
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