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広がりゆく戦火

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「終わりました」

 人身売買組織の男達を拘束したゼロが振り返るとレナが白けた目でゼロを見ている。

「呆れた。いつの間にバンシーを潜り込ませていたの?」

 明らかに機嫌が悪い。
 例によってゼロに何も聞かされていなかったからだ。

「ちょっと待ってください。別にレナさんに隠していたわけではありませんよ。調査の初期段階からスペクター達を投入したのと同じで彼女を囮にしてみたらまんまと連中が策に嵌まってくれたんですよ」
「で?」
「バンシーにはそのまま捕らえられてもらって他の被害者を守ってもらいつつ、内部から様々な情報を送ってもらったんです」

 必死で説明するゼロの背後では被害者達が衛士達によって保護されている。
 人間とハーフエルフの女性は旅の途中で捕らわれ、獣人やシルバーエルフの子供達は貧困地域から攫ってきたらしい。
 幸いなことに組織の男達は商品には手出ししなかったため、結果として商品としての彼女達の純潔は守られたのだ。
 仮に彼女達に危機が及ぶようなことがあった場合、ゼロはバンシーに対して自分の判断で暴れてよいと許可していたが、それには至らなかったのである。

「なら、一斉摘発の時に内側からバンシーが援護すれば、そもそも逃げられるようなことにはならなかったんじゃない?」
「そうかもしれません。ただ、私の目の届かない場所で彼女自身が衛士の皆さんと連携できるかどうか確証がなかったようで、あえて動かなかったそうです。本来ならば彼女の泣き声で敵を無力化することも可能なのですが、そうしますと被害者の、特に子供達に深刻な精神障害を与えかねませんからね」

 その場での強行策は危険だと判断して行動を起こさなかったバンシーと他の被害者を押し込んだ馬車は衛士の包囲を突破し、逃走に成功したかに見えたが、実のところバンシーからの情報でその位置は筒抜けであり、直ぐにゼロが放ったジャック・オー・ランタンとスペクターに捕捉されたのだ。
 その後は極めて迅速に事が運び、1人の犠牲者を出すことなく終わったのである。
 レナはため息混じりながらも笑みを浮かべた。

「・・・まあ、いいわ。被害者も無事だったことだし納得してあげる」

 そのレナの表情を見たゼロは胸を撫で下ろした。

 その後のことであるが、捕縛された彼等は凄まじい恐怖を味わうことになる。
 王国では人身売買は重罪である、しかも彼等の背後にある取引先の情報を洩らせば自分達の命が危うい。
 幸いにして王国では拷問による取り調べが行われることは無いので何一つ口を割るつもりはなかったが、その気概は1週間と持たなかった。
 確かに衛士による取り調べで拷問は一切行われなかった。
 しかし、彼等が拘束されている監獄では昼間は普通の看守が勤務しているのに、夜になるといつの間にか看守がスケルトン等の死霊にごっそりと入れ替わっているのだ。
 牢の前を乾いた足音を立ててスケルトンが巡回する。
 夜な夜な監獄の中には女性のすすり泣く声が響く。
 いつの間にか牢の中に亡霊が佇んでいる。
 そんな毎日で精神を削られる中で、昼間は衛士が親身になって落ち着いて話しを聞く。
 男達は揃って術中に嵌まり、1週間を待たずして全員が全てを自供した。

 その後の捜査と摘発は聖務院と衛士隊、出動を要請された王国軍によって行われ、捕縛された男達の供述で幾つかの人身売買のルートが判明し、それらの殆どのルートと背後組織を潰すことに成功。
 中には貴族が取引に荷担していたルートもあったが、貴族もろとも摘発され、多くの被害者が保護された。
 しかし、そのルートの1つ、組織の主犯ですら取引先の素性が分からなかったものだけが真相を追うことができず、売られた被害者のその後の消息も分からず終いだった。

 一方、東方の連邦国と帝国との戦況はというと、大きく動いていた。
 国境を挟んで膠着状態であった両軍だったが、再び攻勢に転じた帝国軍の猛攻を連邦軍は抑えることが出来ず、国境線を食い破られてしまった。
 その後も連邦軍は戦線を維持出来ず、帝国軍に連邦領土深部への侵入を許すことになってしまった。
 加えて連邦軍の基幹となる部隊が次々と敗北し、最早帝国軍を押し戻すことも難しい状況に陥った。
 王国から援軍に向かった第2騎士団と第3軍団も王国に帰還することはなかった。

 王国軍務省は難しい選択を迫られていた。
 次々と入ってくる連邦国の戦況に関する情報から連邦軍の劣勢は明らかであり、王国から送った援軍の損失も分からない。
 更に援軍を送って連邦国を援護するのか、連邦国の敗北は免れないと踏んで自国の守りを固めるのか、意見が割れているのである。

「連邦国が敗北し、その後の標的が我が国となると守りきることは困難だ。ならば、危険を冒してでも増援を送り、連邦軍の残存兵力と協力して帝国に対峙するべきだ」
「危険すぎます!これ以上の派遣をして万が一にも失敗したらこの国を守ることができなくなります。ここは非情と見られても自国の守りを固めるべきです」

 更なる増援を主張する軍務大臣と自国の守りを第一にするべきとの軍務次官の意見がぶつかりあう。
 単純に考えれば軍務次官の意見に一理あるように見えるが、軍務大臣の考えはその意見の更に上を考えたものであった。

「次官の言うこともよく分かる。我々は自国を第一に考えればならん。これは当然だ。しかし、私の主張も劣勢に立たされている連邦国の心配をしているだけのことではない。私の意見は更に非情なものだ。連邦国を盾にし、連邦軍の残存兵力を利用して帝国軍を消耗させようとしているのだからな。その為には更なる増援が必要不可欠なのだ」

 国王が臨席する御前会議の席で軍務大臣が熱弁を振るう。

「しかし、あまりにも危険すぎます。我が国と連邦国の間には自然の防壁として険しい山脈が連なっています。連邦国から我が国に通じる道はただ1つだけです。他に山脈の北側を強行踏破する手段もありますが、雪も深く、道もないため大軍を送り込んでくることは困難です。我が国に攻め入るにはこの2つしかありません。ならば険しい山を抜け、隊列も兵站も長く伸びきり、疲労も蓄積された敵を迎え撃った方が現実的です」

 互いの意見を尊重し、更に双方の主張が尤もな意見であるため結論が出ない。
 御前会議であるが故に国王も会議の席に臨席しているが、何も言葉を発することなく会議の行く末を静かに見守っている。
 御前会議において国王は自分の意見を述べてはいけないことになっているのだ。
 国王は会議を見届けて、その結論に対して承認するか否かを判断するだけなのである。
 会議の結論の責任を大臣以下の政府役人が負い、国王を守るための決まり事である。
 その時、紛糾する会議室に軍務省情報部の役人が飛び込んできた。

「失礼申し上げます!緊急情報です。連邦国首都が陥落、残存兵力も崩壊しつつあります!更に、未確認ながら、帝国軍部隊に魔物が混ざっているとの情報があります!」

 会議室に戦慄が走った。
 しかし、この知らせも世界に絶望が満ち渡る前兆でしかなかった。
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