好きな人が媚薬を飲んで帰ってきた

ちづる

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好きな人が媚薬を飲んで帰ってきた(※微)

#2

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「危ねえ、危ねえ……!」
 リビングに戻った明人は、自分の頬を平手で何度も打ちながら理性を取り戻そうとしていた。
「襲う所だった……!」
 必死に熱に抗おうとする凪を、苦しそうに朦朧とした凪を、雰囲気にのまれて抱き着いて、唇を押し当てて、身体を覆うバスタオルを剥いで、滑らかな白い肌に手を滑らせて……。
「よせ、よせ!」
 平手をしていた手で今度は頭を掻き毟って、明人は自分の中の不純な妄想を追い出した。萎えろ萎えろとどうしようもなく熱くなった中心に言い聞かせ、部屋をうろうろと歩き回る。そして再び、一体誰がこんな事をと怒りが込み上げる。もしも傍に居るのが自分でなかったら。あの凪の状態では碌な抵抗も出来ないだろう。脅されて好きにされて、写真でも撮られていたら。とんでもない卑怯者だ。考えただけで背筋が凍る。
 休めと言われてとても寝ていられる気分ではなく、明人は顔を洗い、どうしようもない自分の中心を黙らせて理性を引き戻した。こういう時は「凪は俺が守る」なんてセリフをヒーロー気取りで口にしていた少年の頃の自分を思い出せば、残念ながら恥ずかしくて冷静になれる。

 結局放っておくことが出来ず、明人は冷蔵庫のペットボトルを持って凪の様子を見に行った。扉を軽く叩いてそっと開く。凪は布団の上で上体を起こして、怠そうに頭を押さえていた。
「もう平気なのか?」
「ん……、大分ね。今は二日酔いのような頭痛がする」
 顔を上げて明人を目にした凪の表情はどこか安堵したように見えた。一人が心細いのならそう言えばいいのに。明人はそう思いつつも心の中に留めておく。困ったように笑う凪に視線を向ければ、真っ赤だった顔色が今度は真っ青になっていて、まだまだ万全とは言い難かった。
「ほら水。これ飲んで早く寝ろ」
「ありがとう」
 凪は明人の渡したボトルを素直に受け取って口を付けた。飲み過ぎた、と肩を落とす凪だったが、勿論問題はそこではない。
「……説明しろよ。よく無事に帰って来たな」
「早めにお開きになったんだ。酔っていない振りをしてマネージャーの車に乗って送ってもらった」
「誰にやられたのか分かってんのか?」
「……うーん……。薬を混ぜられたと決まった訳ではないし……」
「あのな。アルコールだけでそんな風にはならねえよ」
 明人の言葉に凪はハッとして、バスタオルで包んだだけの自分の身体に視線を落とした。先程までの失態を思い出し、途端に頬が赤くなる。
「いいから……。今日はもう休もう」
 朦朧としていた記憶をわざわざ呼び起こす必要もないだろう。明人はあくまで気にしていないような素振りを見せながら、このマンションには些か不釣り合いな薄い敷布団に凪を寝かせて、上から毛布を掛ける。
「ごめんね。狭い部屋に押し込んでしまって」
 じっと部屋の天井を見つめながら凪が言った。明人が使用していたのは凪が余らせていた四畳半の部屋だった。十分な広さのリビングとキッチンが別にあって、凪がいて、到底自分だけでは借りる事の出来ない部屋に転がり込んだ明人にとって不満などあるはずもないのだが、お坊ちゃん育ちの凪にとっては心配らしい。
「事務所の都合で、しばらく自由に引っ越しが出来ないんだ」
 何故か凪が申し訳なさそうに言うので、ほとんど居候という立場の明人は急に居心地が悪くなった。やはりそろそろ自分のアパートに戻るべきか。
 買い物の仕方で揉めた事があったけれど、休みが合えば二人で部屋で映画を観て過ごしたな、などと明人は思い出して、それからここから出て行ってしまえばもう会う事もなくなってしまうかもしれないな、と生きている世界の違う凪を思って寂しくなった。
「ねえ、ベッド買う?」
 値段だけを見て通販で購入した薄手の布団を指で触れながら凪が言う。予想外の言葉に明人は凪の方を見る。凪はなんて事ない顔をして、布団を買い替えるかどうか、明人の返事を待った。
「ベッドなんて買ったら俺がここに住むみたいじゃねえか」
「え? 出て行くの?」
 きょとんとした凪であったが、すぐに気付いたように視線を落とした。
「そっか……。いつまでもここにはいないか……」
 気の抜けたような、がっかりするような凪の声。落胆するくらいには自分の存在が凪にとって大切なのだと心の中で歓喜の声を上げるが、それを素直に口に出す事はない。それが出来ればこの進展しない初恋はいつまでも続かない。
「ま……、今回みたいな事があって傍で誰か見てないと面倒だけどな……」
 結局自分が何をしたかと言えば水を持ってウロウロしていただけだと思うと反省点は多いのだが、一人にしておけばきっと凪は今回の事を誰にも話さなかっただろう。周りに心配掛けたくない、なんて言いながら。
「うん。ぼうっとして記憶が途切れ途切れなんだけど……、明人がいてくれてほっとした」
 明人は帰宅した凪の様子を部屋まで見に行って、唐突に抱き着かれた事を思い出した。ギリギリの状態で家まで辿り着き、よく知る顔を見て安心でもしたのだろうか。気が抜けて冷水のシャワーを浴びながら倒れるくらいだ。やはり、一人にしておくには不安だった。
「引き留めるつもりはないよ。明人には明人の生活があるよね。ごめん。頼り過ぎた」
「いや、まあ、会社はここから近いんだよなあ」
 一転して追い出しムードになると、途端に明人はごにょごにょと捲し立て始めた。近所の焼き鳥屋は美味いだとか、改装中の蕎麦屋のオープンが待ち遠しいとか、街が静かで素晴らしいだとか、みっともないと思いながらもぐだぐだと遠回しにこの部屋が気に入っていると伝える。
「つまり? ここにいるって事?」
 明人の照れ隠しを察してか、凪が期待するように目を輝かせた。
「まあ……。ああやって抱き着かれちゃあなあ……」
「え、抱き着くって。いつそんな事を?」
「じゃあ、ベッド買いますか」
「ちょっと!」
 その時の記憶が本人にあるかどうか定かではないが、明人は恥ずかしそうに焦る凪をわざとらしくじっと見つめた。真面目な話は凪が回復してからにしようと思いつつ部屋を暗くして、明人はワンルームの解約を決めた。



【好きな人が媚薬を飲んで帰ってきた 完】
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