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盗難
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盗んだヤツが逃げ続けているなら、探しに行く方向を間違えれば二度と追いつけなくなる。ここは勘頼みしかないのか。
「シルバー、犯人はどっちに行った?」
いつもの癖で愛車に話しかける。もちろん本気で答えを求めているわけではない。
だけどその時、チャリオッツのハンドルががくんと回転した。
デバッグを乗せてバランスを取っていたので、その重みがなくなったために動いたのだろう。だけどシルバーチャリオッツ号が何かを訴えかけたような気がして、その顔(ライトとかカゴの付いてるあたり)が向いたのと同じ方を見た。
車道を挟んでコンビニの向かい側にからあげ屋があった。商品を受け渡すカウンターだけ、テイクアウト専門の小さな店だ。そのカウンターの向こう側では高校生ぐらいの茶髪の女の子がお客さんに対応していた。
「そうか、もしかしてデバッグが盗まれた所を見ているかもしれないな」
ふつうに考えれば、接客をしている時に通りの反対側なんか見てないだろうけど、ここはダメ元だ。
車が来ていないのを確認してからシルバーチャリオッツ号を押して小走りで道路を渡る。
「あの、すいません」
「いらっしゃいませ」
笑顔もなにもないままそう言われたが、それはそれで客ではないことに引け目を感じなくて良い。
「あそこに自転車駐めてたんですけど、誰かがデバ……配達用のバッグを持って行ったのを見ませんでしたか?」
そう訊くと、店員はきょとんとした顔をした。なにを言われてるのかなかなか理解できないのだろう。
「コンビニ入って出てきたら、置いてたバッグがなくなってて」
「えーっと、つまり、バッグ盗まれたんすか?」
「そうなんです。黒くて四角くて大きなバッグなんです。白と緑のアルファベットでディーバーウーズって入ってるバッグなんですけど」
「お兄さん、ディーバーの人なんだ。でもごめん、ずっとお客さん来てたからうちは何も見てないよ」
愛想こそ良くはならなかったが、店員の女の子は意外と丁寧に対応してくれた。
だけど得られるものはなかった。となると、後は勘で見当を付けて追いかけるしかない。
「あら、私見たわよ」
横からそう声を掛けてくれたのは、五十代ぐらいのおばさんだった。
手にこのからあげ屋の小さなビニール袋を提げている。買い物帰りにからあげを買いに寄ったって感じだ。
「本当ですか!?」
「ええ、あの銀色の自転車よね? からあげ頼んで、待ってる間に何となく通りの方見てたら誰かが自転車に置いてあった箱みたいなの持ってってたわよ。あれ配達用のバッグなのね」
「どんなヤツでした? どっちに行きました?」
勢い込んでそう聞く。
おばさんは通りの先を指さした。
「同じようなバッグを背負って自転車に乗った人だったわ。だから盗んだようには見えなくて、お仲間の人のバッグを持っていってるようにしか思わなかったの。あっちの方へすごい勢いで走っていったわよ」
「ありがとうございます!」
お礼の言葉もそこそこに、シルバーチャリオッツ号に走って戻った。
犯人が自転車なら、逃げた方向が分かっても追いつけるかどうか分からない。というか追いつけない可能性の方が高い。向こうだって逃げているわけだし。それでも追いかけないワケにはいかない。
ペダルの上で立ち上がると、全力中の全力でペダルを踏み込んだ。
車道の左端でオレとシルバーチャリオッツ号は一陣の風になっていた。
前を走っていた原付を追い越す。我ながらかなりの速度か出ている。
相手はバッグを二つ持っているのだから、もしかすると追いつけるかもしれない。
「いた!」
まだかなり遠くだが、背中に二つのデバッグを引っ掛けたヤツが自転車──たぶんクロスバイクを漕いでいる。
デバッグはかなりデカい。普通にひとつだけ背負っても背中から頭にかけての全部が隠れるほどだ。
それが二つなのだからかなり不恰好だ。
そして心なしか、自転車の進みもヨロヨロしている気がする。
「シルバー、追いつけるぞ!」
愛車に声をかけると、腹筋に力を込めてさらに強くペダルを踏み込んだ。
先に見える信号機はタイミングの良いことにすべて青だ。ぐんぐんと距離が詰まっていく。
その時相手が振り返って後を確認した。遠目にも分かるほどにギクリとした。まさかオレが追いかけてきてるとは考えもしてなかったようだ。
そしてオレは確信した。
もしかするとそうかも知れないとの考えはあったが、根拠もなく疑うのも流石に悪いかと思い、その予想は自分の中でも伏せていた。
オレのデバッグを盗んだのは、ワックの前でシルバーチャリオッツ号の前輪を蹴りやがったあの野郎だった。
「待ちやがれ!」
叫んでオレはさらにスピードを上げた。
当然向こうもペースを上げているが、それでもジワジワと距離は縮まる。
相手が交差点を渡った。
時間にして数秒後にオレもその交差点に差し掛かる。
信号は青が点滅しているがまだまだ渡れる。なんの問題もない。もう追いつく。
その時、窃盗野郎がオレのバッグを放り投げた。
交差する道路、オレたちからすると左側の方へ。
デバッグは数度跳ねて路上に転がった。
オレはバッグに釣られて、思わずにハンドルを左へと切っていた。
猛スピードで車体も倒さずに急ハンドル──もし一瞬でも考えれば、どうなるのかは分かったはずだ。
だけどこの時のオレはその一瞬すら考えることははなく反射的にそうしていた。
結果は激しい転倒。
たぶん頭とか肩とかから地面にダイブしたはずだ。その痛みはなんとなく覚えている。
最悪の最悪に運が悪かったのはその直後だ。
反対車線を走っていたワゴン車が、信号が変わるギリギリ、あるいは変わった直後に交差点を猛スピードで右折してきた。
どうやらシルバーチャリオッツ号と絡まり合う形で転倒しているオレは見えなかったらしい。
迫ってきたバンパーがシルバーチャリオッツ号の後輪をへし曲げるのは見た。
それから次はオレの腰の辺りの骨が砕かれた気がする。
痛みは感じなかったのが救いだ。
痛みを感じる前の即死だったんだろう。
……そう、こうしてオレの25年に渡るなんの変哲も面白みもない人生は幕を下ろしたのだった。
一度でいいから可愛い女の子と付き合ってみたりしたかったな。
一度でいいから海原雄山が行くような高級料亭で食べてみたかったな。
一度でいいからフランスの三ツ星レストランで食事がしたかったな。
一度でいいから中国の満漢全席を食べたかったな。
一度でいいからタイで宮廷料理を食べたかったな。
一度でいいからベトナムの生春巻きとか台湾の小籠包とか韓国の参鶏湯とかイタリアの生ハムとかスペインのパエリアとかロシアのピロシキとかハワイのロコモコとかイギリスのフィッシュアンドチップスとかインドのカレーとか、あと色々、その国の本場のやつが食べてみたかったな。
走馬灯ってのは回らなかったが、果たされなかった欲望だけがぐるぐるとオレの意識の中で回っていた。
というか、我ながら食べることばっかりじゃないか。
それからふわっと意識が闇に霧散したような感覚がきて
完全な無が訪れた。
と思ったんだけど、気が付いてみると、こっちの世界に……
「シルバー、犯人はどっちに行った?」
いつもの癖で愛車に話しかける。もちろん本気で答えを求めているわけではない。
だけどその時、チャリオッツのハンドルががくんと回転した。
デバッグを乗せてバランスを取っていたので、その重みがなくなったために動いたのだろう。だけどシルバーチャリオッツ号が何かを訴えかけたような気がして、その顔(ライトとかカゴの付いてるあたり)が向いたのと同じ方を見た。
車道を挟んでコンビニの向かい側にからあげ屋があった。商品を受け渡すカウンターだけ、テイクアウト専門の小さな店だ。そのカウンターの向こう側では高校生ぐらいの茶髪の女の子がお客さんに対応していた。
「そうか、もしかしてデバッグが盗まれた所を見ているかもしれないな」
ふつうに考えれば、接客をしている時に通りの反対側なんか見てないだろうけど、ここはダメ元だ。
車が来ていないのを確認してからシルバーチャリオッツ号を押して小走りで道路を渡る。
「あの、すいません」
「いらっしゃいませ」
笑顔もなにもないままそう言われたが、それはそれで客ではないことに引け目を感じなくて良い。
「あそこに自転車駐めてたんですけど、誰かがデバ……配達用のバッグを持って行ったのを見ませんでしたか?」
そう訊くと、店員はきょとんとした顔をした。なにを言われてるのかなかなか理解できないのだろう。
「コンビニ入って出てきたら、置いてたバッグがなくなってて」
「えーっと、つまり、バッグ盗まれたんすか?」
「そうなんです。黒くて四角くて大きなバッグなんです。白と緑のアルファベットでディーバーウーズって入ってるバッグなんですけど」
「お兄さん、ディーバーの人なんだ。でもごめん、ずっとお客さん来てたからうちは何も見てないよ」
愛想こそ良くはならなかったが、店員の女の子は意外と丁寧に対応してくれた。
だけど得られるものはなかった。となると、後は勘で見当を付けて追いかけるしかない。
「あら、私見たわよ」
横からそう声を掛けてくれたのは、五十代ぐらいのおばさんだった。
手にこのからあげ屋の小さなビニール袋を提げている。買い物帰りにからあげを買いに寄ったって感じだ。
「本当ですか!?」
「ええ、あの銀色の自転車よね? からあげ頼んで、待ってる間に何となく通りの方見てたら誰かが自転車に置いてあった箱みたいなの持ってってたわよ。あれ配達用のバッグなのね」
「どんなヤツでした? どっちに行きました?」
勢い込んでそう聞く。
おばさんは通りの先を指さした。
「同じようなバッグを背負って自転車に乗った人だったわ。だから盗んだようには見えなくて、お仲間の人のバッグを持っていってるようにしか思わなかったの。あっちの方へすごい勢いで走っていったわよ」
「ありがとうございます!」
お礼の言葉もそこそこに、シルバーチャリオッツ号に走って戻った。
犯人が自転車なら、逃げた方向が分かっても追いつけるかどうか分からない。というか追いつけない可能性の方が高い。向こうだって逃げているわけだし。それでも追いかけないワケにはいかない。
ペダルの上で立ち上がると、全力中の全力でペダルを踏み込んだ。
車道の左端でオレとシルバーチャリオッツ号は一陣の風になっていた。
前を走っていた原付を追い越す。我ながらかなりの速度か出ている。
相手はバッグを二つ持っているのだから、もしかすると追いつけるかもしれない。
「いた!」
まだかなり遠くだが、背中に二つのデバッグを引っ掛けたヤツが自転車──たぶんクロスバイクを漕いでいる。
デバッグはかなりデカい。普通にひとつだけ背負っても背中から頭にかけての全部が隠れるほどだ。
それが二つなのだからかなり不恰好だ。
そして心なしか、自転車の進みもヨロヨロしている気がする。
「シルバー、追いつけるぞ!」
愛車に声をかけると、腹筋に力を込めてさらに強くペダルを踏み込んだ。
先に見える信号機はタイミングの良いことにすべて青だ。ぐんぐんと距離が詰まっていく。
その時相手が振り返って後を確認した。遠目にも分かるほどにギクリとした。まさかオレが追いかけてきてるとは考えもしてなかったようだ。
そしてオレは確信した。
もしかするとそうかも知れないとの考えはあったが、根拠もなく疑うのも流石に悪いかと思い、その予想は自分の中でも伏せていた。
オレのデバッグを盗んだのは、ワックの前でシルバーチャリオッツ号の前輪を蹴りやがったあの野郎だった。
「待ちやがれ!」
叫んでオレはさらにスピードを上げた。
当然向こうもペースを上げているが、それでもジワジワと距離は縮まる。
相手が交差点を渡った。
時間にして数秒後にオレもその交差点に差し掛かる。
信号は青が点滅しているがまだまだ渡れる。なんの問題もない。もう追いつく。
その時、窃盗野郎がオレのバッグを放り投げた。
交差する道路、オレたちからすると左側の方へ。
デバッグは数度跳ねて路上に転がった。
オレはバッグに釣られて、思わずにハンドルを左へと切っていた。
猛スピードで車体も倒さずに急ハンドル──もし一瞬でも考えれば、どうなるのかは分かったはずだ。
だけどこの時のオレはその一瞬すら考えることははなく反射的にそうしていた。
結果は激しい転倒。
たぶん頭とか肩とかから地面にダイブしたはずだ。その痛みはなんとなく覚えている。
最悪の最悪に運が悪かったのはその直後だ。
反対車線を走っていたワゴン車が、信号が変わるギリギリ、あるいは変わった直後に交差点を猛スピードで右折してきた。
どうやらシルバーチャリオッツ号と絡まり合う形で転倒しているオレは見えなかったらしい。
迫ってきたバンパーがシルバーチャリオッツ号の後輪をへし曲げるのは見た。
それから次はオレの腰の辺りの骨が砕かれた気がする。
痛みは感じなかったのが救いだ。
痛みを感じる前の即死だったんだろう。
……そう、こうしてオレの25年に渡るなんの変哲も面白みもない人生は幕を下ろしたのだった。
一度でいいから可愛い女の子と付き合ってみたりしたかったな。
一度でいいから海原雄山が行くような高級料亭で食べてみたかったな。
一度でいいからフランスの三ツ星レストランで食事がしたかったな。
一度でいいから中国の満漢全席を食べたかったな。
一度でいいからタイで宮廷料理を食べたかったな。
一度でいいからベトナムの生春巻きとか台湾の小籠包とか韓国の参鶏湯とかイタリアの生ハムとかスペインのパエリアとかロシアのピロシキとかハワイのロコモコとかイギリスのフィッシュアンドチップスとかインドのカレーとか、あと色々、その国の本場のやつが食べてみたかったな。
走馬灯ってのは回らなかったが、果たされなかった欲望だけがぐるぐるとオレの意識の中で回っていた。
というか、我ながら食べることばっかりじゃないか。
それからふわっと意識が闇に霧散したような感覚がきて
完全な無が訪れた。
と思ったんだけど、気が付いてみると、こっちの世界に……
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