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シルバーの爪
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全身が粟立った。まるで体の中で暴発した恐怖がすごい勢いで皮膚表面へと浮き出てきたかのようだった。
吐き気と呼吸困難が同時に起こり、呻き声さえ上げられない。
事態を理解するより先に、死よりも酷い死を覚悟した。
死神の掌が胸に触れようとしていた。
ヨールの心臓を握りつぶし、ルシッドの肩を腐らせた力をまざまざと感じた。
瞬間移動──そんなことができるのかどうか分からないが、少なくともリッチはオレが知覚できない方法で目の前に移動してきた。
杖を奪い返すことが目的なのか。一番弱そうだったからとりあえず消しておこうとしているのか。あるいは特に理由もない適当な選択なのか。いずれにせよ、この次の瞬間にもオレは殺される。
硬直し、呼吸すらできない。オレに取れる行動はほとんどない。
そうだ杖を返せば許してくれるかもしれない──ひらめきなどとはとても呼べない惨めな思い付き。それにすがるより他にオレの選択肢はなかった。
いや、選択したのかさえもあやふやだ。もしかするとただの反射的な行動だったのかもしれない。
オレは杖を持っていた右手をリッチに向かって差し出した。パニックの極致にあり、手の左右を間違えていることにも気付かないままに。
リッチは杖を受け取ってくれるだろうかと、働かない頭の中はそれだけを考えていた。しかし杖を握っていた手にはカサリ、あるいはサクリといった何ともいえない感触が伝わってきた。
そこでようやく気付いた。リッチの杖は左の脇腹で抱え込んでいるんだった。
じゃあ右手に持っていたのは何だ?
そうだ剣だ。じゃあこの感触はなんだ?
視線を落とすと、剣の切先がリッチの手の平に深々と突き刺さっていた。
「あ」
思わず声が漏れた。
その感想はリッチも同じだったようで、声こそ出さなかったがポカンとした顔で自分の手を見ていた。
当然血などは流れていない。生々しさは微塵もない。
思わず剣を横に薙ぎ払う。ウエハースにナイフの刃をあてたかのような軽い手応えとともに、親指以外の四指がぱらりと地に落ちた。
「え、ちょっと、なんで切れるんだよ」
我ながら間抜けな声が出ていた。
貴人には攻撃できないんじゃなかったのか。あれ、もしかしてオレ人間じゃなかったのか。いやそんなはずはない。路地裏では貴人にフルボッコにされてるし。それとも気付かないうちに殺されてて今のオレはすでにゾンビとして甦っていたとか。いやそれならリッチが自分を傷つけさせるはずはない。
「いや理由はとにかくとして──」
こういう時、オレの切り替えは早い。理由は分からないが剣は刺さる。それならどうするか。決まっている。ひたすら刺すのだ。
リッチの杖を投げ捨てると、両手で握り直した剣を振り上げて袈裟懸けに斬り下ろす。
これまたほとんど抵抗もなく肩口に食い込み、鎖骨とその下の肋骨数本を切断した。
シルバーの剣の非現実的なまでの切れ味のおかげで、まるで枯れ木を斬るかのような手応えだ。
手だけじゃない。身体にもきちんと刃は届いた。
それを確信したオレは、すぐにでもリッチが瞬間移動で逃げてしまうのではないかとの焦りから呼吸をする間も惜しんで、抜いた剣を再び腹部目掛けて突き刺した。
「そうか、その剣は鉱竜殿の爪で作ったといっていたな」
ヤムトが呟くようにそう言ったのは、リッチに馬乗りになったオレが逆手に握った剣をその体のあちこちに散々突き刺した後だった。
すでにリッチは動かなくなっていた。アンデッドではなく、ただのデッドだ。
それでもまだ心配だったオレは最後にこちらを見上げる虚ろな両の眼窩の真ん中に剣を突き立ててからようやく手を止めた。
のっそりと立ち上がったオレを、ヤムトたち三人は何も言わずにただ見ていた。
さすがにちょっと狂気じみていただろうか。みんな引いているだろうか。
「なんだよ、やりすぎだとか言うんじゃないだろうな」
気恥ずかしさも相まってオレは攻撃的な口調でそう言った。
いや、そうじゃない。まだ恐怖が去っていないのだ。
「おそらくは二度目の斬撃がすでに致命傷だっただろう」
ルシッドが特に鼻白むでもなく言った。
「だから何だよ。いきなり目の前にきてあの手の平向けられてこっちはめちゃくちゃ怖かったんだぞ。今だってまだ安心できなくて、もっと粉々にするべきじゃないかって思ってるぐらいだぞ」
「いや、気持ちは分かるが……」
気持ちなんて全然分かってなさそうな声でヤムトが言う。
その続きを引き受けたかのようにレミックが口を開いた。
「それ言わなかったら、ちょっとカッコ良かったのに」
「べ、別にオレはカッコ良さとか求めてないからな。というか怖かったっていってもちょっとビックリした程度で、オレが真の力をみせれば倒せるのは分かっていたし。それにしてもオレが真の力を出さざるを得ないとは、こいつもなかなかの強敵だったな」
「そんなことより、どうしてあなたの攻撃は届いたのよ。人間は貴人を攻撃できないんじゃなかったの? あ、あなたホントはゴブリンかオークだったの?」
「こんなイケメンのゴブリンとかオークはいないだろ」
「そんなことないわ。そう思ってみたら、もうオークにしか見えなくなってきたもの」
「おそらくその剣の力だろうな」
レミックがあまりに真剣な顔で言うので、オレも半ばその言葉を信じかけていたのだが、割って入ったヤムトの言葉にハッと我に返った。
「でもシルバーは、魔力を込めれば普通の攻撃に魔法力をプラスさせれるとはいってたけど、それ以外の特殊な効果があるようなことは言ってなかったけどな」
「鉱竜殿の爪なのだろう、元は。だからカズではなく鉱竜殿が攻撃した扱いになったのではないか?」
言われて思い出した。シルベネートのダンジョンでシルバーは爪を飛ばして識人たちを攻撃してみせた。ならばオレが振るったこの剣もシルバーが飛ばした爪と同じ扱いになったということだろうか。
理屈としては通る、気がする。だけどそれじゃオレはただの推進力扱いではないのか。なんだか面白くない。リッチを倒した高揚なんてすっかりと消えてしまったような気がする。
「なんにしても助かった。礼を言う」
ヤムトがそう言ったが、慰められてるように感じてしまうのはオレの僻み根性のせいだろうか。
吐き気と呼吸困難が同時に起こり、呻き声さえ上げられない。
事態を理解するより先に、死よりも酷い死を覚悟した。
死神の掌が胸に触れようとしていた。
ヨールの心臓を握りつぶし、ルシッドの肩を腐らせた力をまざまざと感じた。
瞬間移動──そんなことができるのかどうか分からないが、少なくともリッチはオレが知覚できない方法で目の前に移動してきた。
杖を奪い返すことが目的なのか。一番弱そうだったからとりあえず消しておこうとしているのか。あるいは特に理由もない適当な選択なのか。いずれにせよ、この次の瞬間にもオレは殺される。
硬直し、呼吸すらできない。オレに取れる行動はほとんどない。
そうだ杖を返せば許してくれるかもしれない──ひらめきなどとはとても呼べない惨めな思い付き。それにすがるより他にオレの選択肢はなかった。
いや、選択したのかさえもあやふやだ。もしかするとただの反射的な行動だったのかもしれない。
オレは杖を持っていた右手をリッチに向かって差し出した。パニックの極致にあり、手の左右を間違えていることにも気付かないままに。
リッチは杖を受け取ってくれるだろうかと、働かない頭の中はそれだけを考えていた。しかし杖を握っていた手にはカサリ、あるいはサクリといった何ともいえない感触が伝わってきた。
そこでようやく気付いた。リッチの杖は左の脇腹で抱え込んでいるんだった。
じゃあ右手に持っていたのは何だ?
そうだ剣だ。じゃあこの感触はなんだ?
視線を落とすと、剣の切先がリッチの手の平に深々と突き刺さっていた。
「あ」
思わず声が漏れた。
その感想はリッチも同じだったようで、声こそ出さなかったがポカンとした顔で自分の手を見ていた。
当然血などは流れていない。生々しさは微塵もない。
思わず剣を横に薙ぎ払う。ウエハースにナイフの刃をあてたかのような軽い手応えとともに、親指以外の四指がぱらりと地に落ちた。
「え、ちょっと、なんで切れるんだよ」
我ながら間抜けな声が出ていた。
貴人には攻撃できないんじゃなかったのか。あれ、もしかしてオレ人間じゃなかったのか。いやそんなはずはない。路地裏では貴人にフルボッコにされてるし。それとも気付かないうちに殺されてて今のオレはすでにゾンビとして甦っていたとか。いやそれならリッチが自分を傷つけさせるはずはない。
「いや理由はとにかくとして──」
こういう時、オレの切り替えは早い。理由は分からないが剣は刺さる。それならどうするか。決まっている。ひたすら刺すのだ。
リッチの杖を投げ捨てると、両手で握り直した剣を振り上げて袈裟懸けに斬り下ろす。
これまたほとんど抵抗もなく肩口に食い込み、鎖骨とその下の肋骨数本を切断した。
シルバーの剣の非現実的なまでの切れ味のおかげで、まるで枯れ木を斬るかのような手応えだ。
手だけじゃない。身体にもきちんと刃は届いた。
それを確信したオレは、すぐにでもリッチが瞬間移動で逃げてしまうのではないかとの焦りから呼吸をする間も惜しんで、抜いた剣を再び腹部目掛けて突き刺した。
「そうか、その剣は鉱竜殿の爪で作ったといっていたな」
ヤムトが呟くようにそう言ったのは、リッチに馬乗りになったオレが逆手に握った剣をその体のあちこちに散々突き刺した後だった。
すでにリッチは動かなくなっていた。アンデッドではなく、ただのデッドだ。
それでもまだ心配だったオレは最後にこちらを見上げる虚ろな両の眼窩の真ん中に剣を突き立ててからようやく手を止めた。
のっそりと立ち上がったオレを、ヤムトたち三人は何も言わずにただ見ていた。
さすがにちょっと狂気じみていただろうか。みんな引いているだろうか。
「なんだよ、やりすぎだとか言うんじゃないだろうな」
気恥ずかしさも相まってオレは攻撃的な口調でそう言った。
いや、そうじゃない。まだ恐怖が去っていないのだ。
「おそらくは二度目の斬撃がすでに致命傷だっただろう」
ルシッドが特に鼻白むでもなく言った。
「だから何だよ。いきなり目の前にきてあの手の平向けられてこっちはめちゃくちゃ怖かったんだぞ。今だってまだ安心できなくて、もっと粉々にするべきじゃないかって思ってるぐらいだぞ」
「いや、気持ちは分かるが……」
気持ちなんて全然分かってなさそうな声でヤムトが言う。
その続きを引き受けたかのようにレミックが口を開いた。
「それ言わなかったら、ちょっとカッコ良かったのに」
「べ、別にオレはカッコ良さとか求めてないからな。というか怖かったっていってもちょっとビックリした程度で、オレが真の力をみせれば倒せるのは分かっていたし。それにしてもオレが真の力を出さざるを得ないとは、こいつもなかなかの強敵だったな」
「そんなことより、どうしてあなたの攻撃は届いたのよ。人間は貴人を攻撃できないんじゃなかったの? あ、あなたホントはゴブリンかオークだったの?」
「こんなイケメンのゴブリンとかオークはいないだろ」
「そんなことないわ。そう思ってみたら、もうオークにしか見えなくなってきたもの」
「おそらくその剣の力だろうな」
レミックがあまりに真剣な顔で言うので、オレも半ばその言葉を信じかけていたのだが、割って入ったヤムトの言葉にハッと我に返った。
「でもシルバーは、魔力を込めれば普通の攻撃に魔法力をプラスさせれるとはいってたけど、それ以外の特殊な効果があるようなことは言ってなかったけどな」
「鉱竜殿の爪なのだろう、元は。だからカズではなく鉱竜殿が攻撃した扱いになったのではないか?」
言われて思い出した。シルベネートのダンジョンでシルバーは爪を飛ばして識人たちを攻撃してみせた。ならばオレが振るったこの剣もシルバーが飛ばした爪と同じ扱いになったということだろうか。
理屈としては通る、気がする。だけどそれじゃオレはただの推進力扱いではないのか。なんだか面白くない。リッチを倒した高揚なんてすっかりと消えてしまったような気がする。
「なんにしても助かった。礼を言う」
ヤムトがそう言ったが、慰められてるように感じてしまうのはオレの僻み根性のせいだろうか。
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