飛んで火に入れば偽装結婚!?

篠原皐月

文字の大きさ
20 / 51
第1章 進退窮まった人々

(19)想定外の事態

しおりを挟む
「セレナ。もうじき、クライブ殿下がいらっしゃる時刻ね。この三ヶ月は、本当にあっという間だったわ……」
「ええ、お義母様。色々有り過ぎて、もう正直何が何やら……。この三ヶ月で、十年位経過した気分です」
 とある日の昼下がり。レンフィス伯爵邸の応接間で、どこか気の抜けた表情で語り合っている母と異母姉を見たエリオットは、本気で声を荒げた。

「母様、姉様! 何を呑気な事を言っているんですか! しっかりしてください! 王太子位を返上して正式にバルド大公になられたクライブ殿下が、今日からこの屋敷にいらっしゃるんですよ?」
 そう叱責されて我に返ったらしい二人は、真顔で相談を始める。

「え、ええ、そうね……。晩餐の準備は大丈夫かしら? どうしましょう……。予め殿下の好き嫌いを、お伺いしておくべきだったわ……」
「でも殿下だったら、ご自分からお知らせくださる気がしますから、そこら辺は大丈夫ではないかしら。それよりもお部屋が抜かりなく、整えてあるか心配になってきたわ」
「そうね。最終確認をしておかないと」
 どこかずれた事を心配している二人を見て、エリオットは顔を紅潮させながら更に声を張り上げた。

「そうじゃないでしょう! 殿下は愛人同伴で、この屋敷に乗り込んで来るんですよ!? それが私を後見して貰う条件とはいえ、正妻の姉様が蔑ろにされるのは許せません! 押さえるところは、ビシッと押さえなければ駄目です! 何事も最初が肝心なのに、二人とも何を呑気な事を言っているんですか!?」
 すっかり憤慨している彼の叫びを聞いて、室内の壁際に控えていた侍女や、廊下で室内の様子を窺っていた執事達は、主達に聞こえないように小声で言い合う。

「エリオット様、良くぞ言ってくれました!」
「本当に奥様もお嬢様も、人が良すぎるぞ」
「背に腹は代えられないとは言え、愛人同伴で結婚相手に乗り込まれるなんて」
「何ておかわいそうなお嬢様……」
 快哉を叫ぶ者、憤慨する者、涙ぐむ者、使用人達は様々な反応を示したが、当の本人達の反応は、実にあっさりしたものだった。

「エリオット。そうは言っても、これからお世話になる方ですし」
「寧ろ、相手の方を連れてきてくださるから、私は気が楽だもの」
「……分かりました。もう良いです」
 母からは困惑気味に、姉からは平然と言い返され、彼はそれ以上意見する事を諦めた。

(駄目だ……。母様は元々、悪女顔に似合わない底抜けのお人好しだし、姉様は敵意と下心が無い人間限定で、妙に警戒心を抱かないタイプだし。兄様は仕事でまだ王宮から戻らないし、僕がしっかりしないと)
 エリオットがそんな悲壮な覚悟をしながら応接室で待機していると、時計で時刻を確認したセレナが腰を上げた。

「そろそろご到着の予定時刻ね」
「それでは皆揃って、玄関でお出迎えしましょう」
「そうですね」
(エリオットが言っていたように、今日殿下付きの侍女も同伴してくる事になっているけど、一体どんな方かしら?)
 敵愾心を必死に抑えているのはエリオットのみで、フィーネとセレナの顔は好奇心に満ち溢れていたが、それも長くは続かなかった。予定時刻とほぼ同時に屋敷の門をくぐって来た王家の紋章付きの馬車が、仰々しい護衛を引き連れていたものの、一台のみだった為である。
 それを見て取ったセレナ達は、怪訝な顔を見合わせて囁き合った。

「あら? 馬車は一台だけ? それなら先に、殿下だけいらしたのかしら?」
「さあ……、侍女の方も、同じ馬車に乗って来たのではないかしら?」
「でも同伴してくるのは、表に出せない恋人なのでしょう? 王宮から同乗させるなんて、そんな真似ができるのかしら」
「そうですよね……」
 屋敷内の者達が首を傾げる中、玄関正面に静かに停まった馬車の扉を御者が開くと、まずクライブが馬車を降り、車内に向かって手を差し伸べながら声をかけた。

「ゼナ、足元に気を付けて」
「ありがとうございます、クライブ様」
 その声を聞いた屋敷の者達は、やはり彼の恋人が同乗していたのかと緊張したが、続けて降りて来た女性を見て、全員の目が点になった。

(あら? どうして随分お年を召した方が、殿下と同乗しているの?)
(殿下付きの侍女の、恋人の方は?)
 密かにセレナを筆頭にレンフィス伯爵邸の者達が動揺していると、クライブは彼女達に向き直って微笑みかけながら頭を下げた。

「皆様、お出迎えありがとうございます。本日から当面、こちらの屋敷でお世話になります。セレナ、バルド大公邸は、何年かのうちに新築する予定ですので、許して下さい」
「それは構いません。住み慣れた屋敷に住み続けられますので、私には支障はありませんから」
「それは良かった」
「ところで、クライブ殿下。そちらの方は……」
 かなり恐縮気味にフィーネが会話に割り込みつつ、説明を求めると、クライブは笑顔で背後に佇んでいる老女を紹介した。

「ああ、紹介するのを忘れていました。私が生まれた時から世話をしてくれている、侍女のゼナです。まだまだ元気ではあるのですが、『そろそろ堅苦しい後宮勤めから退きたい』と相談されたので、今回一緒にこちらに連れてくる事にしました」
「まあ……、そうでしたの……」
 これは一体どういう事かと、フィーネは内心で狼狽しながらも何とか笑顔で応じたが、他の者達も似たり寄ったりの心境だった。しかし自分がクライブの秘密の愛人だと思われていたなど、夢にも思っていないゼナは、穏やかな笑みを浮かべながらフィーネ達に頭を下げる。

「レンフィス伯爵家の皆様、初めてお目にかかります。ゼナ・シュレイバーと申します。何卒、宜しくお願いします」
「い、いいえ、こちらこそ」
「ようこそ、ゼナ様。歓迎しますわ」
「まあ、奥様。私の事は、ゼナと呼び捨てていただいて結構ですから」
「……そうですか」
 セレナも何とか動揺を隠しながら応じたが、エリオットはあまりの事態に頭が真っ白になった。

(本当にこの人が、殿下が連れて来るって言っていた侍女!? それなら愛人のわけが無いじゃないか! 一体、どういう事なんだ!?)
 しかしさすがに年も苦労も重ねているフィーネは子供達より立ち直りが早く、笑顔でクライブ達を屋敷の中へと促した。

「それでは取り敢えず、中にお入り下さい。予め王宮から届けられた荷物は、全て部屋に運び込んでおきましたが、収納場所などは色々お考えがあるかと思いましたから、中身にはまだ手を付けておりませんの。指示していただければ、我が家の侍女達に片付けさせますから」
 それを聞いたゼナは、外見には似合わない生気みなぎる笑顔で頷いた。

「お気遣い、ありがとうございます。ですがクライブ様のお荷物位、私一人で片付けられますので。早速取りかかって、お夕飯が済むまでにきっちり収納してしまいましょう。お部屋はどちらになりますか?」
「クレア。彼女を案内しながら、お手伝いして差し上げて。人手がまだ必要なら、手すきの者に声をかけて頂戴」
「畏まりました。それではゼナさん、こちらになります」
「ありがとうございます」
 フィーネに指名された侍女が、すかさずそれに応じてゼナを案内する。それに伴い、使用人達も一礼して本来の持ち場に戻って行き、フィーネは改めてクライブに提案した。

「それではクライブ様。侍女達の作業の邪魔をするのも悪いので、取り敢えず私達と、応接室でお茶にいたしませんか?」
「そうですね。頂きましょう」
 即座に頷いたクライブは、フィーネの先導で玄関ホールから続く廊下を歩き始めたが、すぐにセレナに顔を向けて話しかけてきた。

「セレナ。夕食の後で、ご家族全員に時間を取って貰う事は可能でしょうか? 今後の事について、重大な話がありますから」
 前置き無しの話にセレナは面食らったが、取り敢えず頷いてみせた。

「全員特に予定は無いので、それは構いませんが……」
「それからあなたのご家族に加えて、この屋敷内であなた達が信用している、口が堅い使用人数名にも、聞いて貰いたい話なのですが」
「信用できる口が堅い人間、ですか?」
「はい」
 ここでセレナは、はっきりと困惑した顔になったものの、フィーネに目線で尋ねてから落ち着き払って了承の返事をした。

「分かりました。それでは夕食後に該当者全員で、クライブ様の話をお伺いします」
「お願いします」
 そんな事を和やかに話しながら応接室に向かったクライブとセレナだったが、数歩後ろを歩いているエリオットは、気が気では無かった。

(一体どういう事なんだ? クライブ殿下が愛人同伴では無いのなら、姉様にちょっかいを出される可能性が出てくるじゃないか! 冗談じゃないぞ!)
 エリオットは内心で激しく狼狽しつつも、それを全く面には出さず、注意深くクライブを観察し続けていた。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます

菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。 嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。 「居なくていいなら、出ていこう」 この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし

はじめまして、私の知らない婚約者様

有木珠乃@『ヒロ弟』コミカライズ配信中
ファンタジー
ミルドレッド・カーマイン公爵令嬢は突然、学園の食堂で話しかけられる。 見覚えのない男性。傍らには豊満な体型の女性がいる。 けれどその女性から発せられた男性の名前には、聞き覚えがあった。 ミルドレッドの婚約者であるブルーノ王子であることを。 けれどミルドレッドの反応は薄い。なぜなら彼女は……。 この世界を乙女ゲームだと知った人々による、悪役令嬢とヒロイン、魔女の入れ替え話です。 悪役令嬢を救いたかったはずなのに、どうしてこんなことに? ※他サイトにも掲載しています。

白い結婚だったので、勝手に離婚しました。何か問題あります?

夢窓(ゆめまど)
恋愛
「――離婚届、受理されました。お疲れさまでした」 教会の事務官がそう言ったとき、私は心の底からこう思った。 ああ、これでようやく三年分の無視に終止符を打てるわ。 王命による“形式結婚”。 夫の顔も知らず、手紙もなし、戦地から帰ってきたという噂すらない。 だから、はい、離婚。勝手に。 白い結婚だったので、勝手に離婚しました。 何か問題あります?

初夜に暴言を吐いた夫は後悔し続ける──10年後の償い【完結】

星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
王命により、辺境伯ロキアのもとへ嫁いだのは、金髪翠眼の美しき公爵令嬢スフィア。 だが、初夜に彼が告げたのは、愛も権限も与えないという冷酷な宣言だった。噂に踊らされ、彼女を「穢れた花嫁」と罵ったロキア。 しかし、わずか一日でスフィアは姿を消し、教会から届いたのは婚姻無効と慰謝料請求の書状──。 王と公爵の怒りを買ったロキアは、爵位も領地も名誉も奪われ、ただの補佐官として生きることに。 そして十年後、運命のいたずらか、彼は被災地で再びスフィアと出会う。 地位も捨て、娘を抱えて生きる彼女の姿に、ロキアの胸に去来するのは、悔恨と赦しを乞う想い──。 ⚠️本作はAIの生成した文章を一部に使用しています。

ため息ひとつ――王宮に散る花びらのように

柴田はつみ
恋愛
「離縁を、お願いしたいのです」 笑顔で、震えずに、エレナはそう言った。 夫は言葉を失った。泣いてくれれば、怒ってくれれば、まだ受け止め方があった。しかしあの静けさは、エレナがもう十分に泣き終わった後の顔だと、ヴィクトルにはわかった。 幼なじみと結ばれた三年間。すれ違いは静かに始まり、深紅のドレスの令嬢によって加速した。ため息を飲み込み、完璧な微笑みを保ち続けた公爵夫人が、最後に選んだのは――。 王宮に散る花びらのような、夫婦の崩壊と再生の物語。

主人公の恋敵として夫に処刑される王妃として転生した私は夫になる男との結婚を阻止します

白雪の雫
ファンタジー
突然ですが質問です。 あなたは【真実の愛】を信じますか? そう聞かれたら私は『いいえ!』『No!』と答える。 だって・・・そうでしょ? ジュリアーノ王太子の(名目上の)父親である若かりし頃の陛下曰く「私と彼女は真実の愛で結ばれている」という何が何だか訳の分からない理屈で、婚約者だった大臣の姫ではなく平民の女を妃にしたのよ!? それだけではない。 何と平民から王妃になった女は庭師と不倫して不義の子を儲け、その不義の子ことジュリアーノは陛下が側室にも成れない身分の低い女が産んだ息子のユーリアを後宮に入れて妃のように扱っているのよーーーっ!!! 私とジュリアーノの結婚は王太子の後見になって欲しいと陛下から土下座をされてまで請われたもの。 それなのに・・・ジュリアーノは私を後宮の片隅に追いやりユーリアと毎晩「アッー!」をしている。 しかも! ジュリアーノはユーリアと「アッー!」をするにしてもベルフィーネという存在が邪魔という理由だけで、正式な王太子妃である私を車裂きの刑にしやがるのよ!!! マジかーーーっ!!! 前世は腐女子であるが会社では働く女性向けの商品開発に携わっていた私は【夢色の恋人達】というBLゲームの、悪役と位置づけられている王太子妃のベルフィーネに転生していたのよーーーっ!!! 思い付きで書いたので、ガバガバ設定+矛盾がある+ご都合主義。 世界観、建築物や衣装等は古代ギリシャ・ローマ神話、古代バビロニアをベースにしたファンタジー、ベルフィーネの一人称は『私』と書いて『わたくし』です。

彼女にも愛する人がいた

まるまる⭐️
恋愛
既に冷たくなった王妃を見つけたのは、彼女に食事を運んで来た侍女だった。 「宮廷医の見立てでは、王妃様の死因は餓死。然も彼が言うには、王妃様は亡くなってから既に2、3日は経過しているだろうとの事でした」 そう宰相から報告を受けた俺は、自分の耳を疑った。 餓死だと? この王宮で?  彼女は俺の従兄妹で隣国ジルハイムの王女だ。 俺の背中を嫌な汗が流れた。 では、亡くなってから今日まで、彼女がいない事に誰も気付きもしなかったと言うのか…? そんな馬鹿な…。信じられなかった。 だがそんな俺を他所に宰相は更に告げる。 「亡くなった王妃様は陛下の子を懐妊されておりました」と…。 彼女がこの国へ嫁いで来て2年。漸く子が出来た事をこんな形で知るなんて…。 俺はその報告に愕然とした。

【完結】英雄様、婚約破棄なさるなら我々もこれにて失礼いたします。

ファンタジー
「婚約者であるニーナと誓いの破棄を望みます。あの女は何もせずのうのうと暮らしていた役立たずだ」 実力主義者のホリックは魔王討伐戦を終結させた褒美として国王に直談判する。どうやら戦争中も優雅に暮らしていたニーナを嫌っており、しかも戦地で出会った聖女との結婚を望んでいた。英雄となった自分に酔いしれる彼の元に、それまで苦楽を共にした仲間たちが寄ってきて…… 「「「ならば我々も失礼させてもらいましょう」」」 信頼していた部下たちは唐突にホリックの元を去っていった。 微ざまぁあり。

処理中です...