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三月

2.非凡な姉妹

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「美子姉さん、今少し話をしても大丈夫?」
「ええ、構わないけど……。あなたこそ、今は勤務中じゃないの? 何か急用なの?」
「うん、急用と言えば急用なんだけど……。ちょっと困っている事があって、青柳建設に商談を持ちかけたいの。でもうちではこれまで直接の取引も伝手も無くて。姉さんは牛島会長の知り合いだったよね? 連絡を取ったら、現場に口を利いて貰えるかしら?」
 一気に言い切った美幸だったが、それに対して美子は否定的な言葉を返した。

「そうね……。それはちょっと難しいんじゃないかしら?」
「それはそうだよね……」
 清人に対して大見得を切った手前、気落ちした美幸だったが、美子は何気ない口調で尋ねてきた。

「でも、美幸が融通を利かせてくれなんて言ってきたのは、就職してから初めてね。そんなに困っているの?」
「私や二課じゃなくて、他の課の課長さんなんだけど」
 美幸が正直に述べると、美子の口調が訝しげな物に変化した。

「他の課長さん?」
「そうなの。実はその課長さんは、以前うちの課長がお世話になった人らしくて。だから是非とも恩返ししたいのよ。課長は今育休中だけど、もしこの場に居合わせたら、絶対全力で力になってた筈だし」
「課長さんの代わりに、ね」
 そして電話越しに笑う気配を伝えてきた美子は、了承の返事をよこした。

「分かったわ。そういう事なら、私の方から牛島さんに話を通してあげるから」
「本当!?」
「ええ。その後で牛島さんの方からそちらに連絡を取って貰うから、確実に連絡が取れる電話番号を教えて?」
「分かった。ここの直通番号を教えるから。メモは大丈夫?」
「ええ、良いわよ?」
 そして美幸は手早く電話番号を伝えてから、美子に再度頼み込んだ。

「じゃあ美子姉さん、お願いします」
「その代わり、少し時間を貰うわよ? すぐに牛島さんが捕まるとは限らないし。三十分経っても連絡が付かなかったら、一度そちらに連絡を入れるわ」
「うん。分かったわ」
 そして通話を終わらせて皆が集まっている所に美幸が戻って来た為、城崎が首尾を尋ねた。

「どうなった?」
「姉から直接、牛島会長に話を通してみてくれるそうです。駄目でも三十後に一度、こちらに連絡してくれる事になりましたから」
「そうか。それじゃあ取り敢えず、待ってみるか」
 安堵したように頷いた城崎から、未だに硬い表情をしている清人に向き直り、美幸は喧嘩腰で報告した。

「安心して下さい! 課長代理の話は、全然しませんでしたから!」
「……ああ。それではこれ以上議論をしても、有益な情報は出て来ないと思いますので、業務に戻って下さい」
「はい」
「分かりました」
 渋い顔の清人に促され、各自自分の席に戻って行ったが、隣の席の高須が美幸に囁いた。

「なあ、本当に牛島会長に話を付けて貰えると思うか?」
「さあ……、どうでしょう? 正直、姉と会長がどういう関係か、はっきり分かりませんし」
「お前……、そういう相手に、平気で名刺を配ったのか……」
「だって自宅に来る人に、変な人は居ないと思いますし」
「それはそうだろうが」
 溜め息を吐いた高須と共に机に戻り、中断していた仕事を再開した美幸だったが、十分程経過したところで勢い良く廊下に繋がるドアが開け放たれ、何となく見覚えがある男性が駆け込んで来た為、驚いて再び仕事の手を止めてしまった。

「柏木課長代理! 青柳建設の牛島会長に話を付けてくれたと言うのは本当か!?」
 それを見た清人が、苦笑いで立ち上がりながら彼を迎える。
「すみません、高倉課長。お話の途中で内線が切られてしまったもので。一応、牛島会長に繋がる伝手を頼っているところですが、確実に牛島会長に繋がるとは……」
 そんな挨拶を高倉課長と清人が交わしていると、美幸の机の電話が外線の着信を伝えた。

「はい。柏木産業企画推進部二課、藤宮です」
 それにいつも通り対応した美幸だったが、返ってきた声に思わず声を裏返らせた。
「やあ、美幸さん。お久しぶり。牛島だが、たった今美子さんから電話を貰ってね。ちょっとかけてみたんだ」
「うっ、牛島会長ですか!?」
 その叫びに、室内全員が驚いた視線を向けたが、美幸は狼狽しながらも通話のスピーカー機能をオンにしてから、なるべく冷静に言葉を返した。

「いえ、こちらこそご無沙汰しております! 昨年は社会人になって早々の若造と名刺交換をして頂き、誠にありがとうございました!」
 少々テンパり気味のその挨拶にも、牛島は鷹揚に笑いながら応じる。

「いやいや、振袖姿で帯の中から、颯爽と名刺入れを取り出した姿には惚れ惚れしたね。そんな正月早々仕事熱心なお嬢さんと名刺交換くらいしなければ、男が廃ると言うものだ」
「ありがとうございます」
「しかも二十近くある肩書き毎に作った私の名刺の中から、見事に一度で青柳建設会長の名刺を引き当てたのは天晴れだった。さすがは美子さんの妹さんだと、あれで名前と顔をしっかり覚えたよ」
「そう言えば、そうでしたね……」
 当時の事を思い出し、(そう言えば、なかなか楽しいおじさんだったなぁ)と遠い目をした美幸を、周囲の者達は生温かい目で見守った。

「何をやってるんだか」
「でかしたぞ、藤宮さん」
 そんな中、妙にしみじみとした口調の牛島の声が響いた。

「だがあの美子さんの妹さんにしては、なんて普通で平凡で標準的で、常識的なお嬢さんだと感心したし。……うん、普通が良いよ。やっぱり普通が一番だ」
 それを聞いた美幸は、少々納得しかねる顔付きになった。

「あの、牛島会長。姉は確かにサッカーフリークで我が家の大黒柱的な存在ですが、世間一般的に見ればごくごく普通の、平均的な女性だと思いますが……」
 控え目に問い返してみると、牛島は微妙に口調を変えて応じる。

「……ああ、ご家族にしてみればそうだろうね。変な事を口走ってすまなかった。美子さんは十分、平均的な女性だとも。うん、美徳溢れる、標準的な大和撫子だ」
「はぁ……」
 まだ何となく疑問に思いながら相槌を打つと、牛島がさり気なく話題を変えてきた。

「それで美幸さん。何やら我が社に商談を持ちかけたいとか」
「はい、実はそうなんです」
 慌てて気持ちを切り替えた美幸に、牛島が事務的に話を進めた。

「美子さんから聞いた話では、美幸さんが直接関わっている案件では無いらしいが、今近くに詳細が分かる人物は居るのかな?」
「はい、ちょうど担当者が側に居りますので、是非とも直接話を聞いて頂きたいのですが」
「分かった。あと二十分程は時間に余裕があるから、聞かせて貰おう」
「少々お待ち下さい」
 そこで美幸は送話口を手で押さえながら、緊張した面持ちの高倉に声をかけた。

「高倉課長。牛島会長は、二十分位なら時間があるそうです。お願いします」
「あ、ああ、分かった。借りるよ」
 かなり緊張しながらも、何回か深呼吸して気持ちを落ち着かせた高倉は、スピーカー機能をオフにしてから電話の向こうの牛島に挨拶した。

「お待たせしました。柏木産業、営業七課課長の高倉と申します。実は……」
 高倉が話し始めたのを見て、清人は各自業務を再開する様に呼びかけ、高倉に手振りで椅子を譲った美幸は、時間を無駄にせず、棚の資料整理を始めた。しかし高倉は十分程で、話を終わらせる。

「ありがとうございます。それでは明日、そちらにお伺いします」
 そうして受話器を戻した彼は、喜色満面で清人に報告した。

「柏木課長代理、本当に助かったよ。明日、資材調達課と設計課の担当者に会える事になった」
「それは何よりでした。ですが礼なら藤宮さんに。今回の話は、彼女の口利きですから」
 笑顔で応じた清人が美幸を手で示しながらそう告げると、高倉は美幸の所まで駆け寄り、しっかりと握手しながら感謝の言葉を述べた。

「藤宮さん、本当に助かったよ! まさに地獄に仏とはこの事だ!」
 涙ぐまんばかりに告げてくる高倉に、美幸は苦笑しながら言葉を返した。

「高倉課長、大袈裟ですよ。それに課長には、うちの柏木課長が以前お世話になったと聞いています。その時のご恩返しが、今回少しでもできたら嬉しいです」
「本当に……、『情けは人の為ならず』と言うが、あの時の助力が何年も経ってから、何十倍にもなって返ってくるとは……」
 そこで声を詰まらせた高倉に、美幸は励ます様に声をかけた。

「高倉課長、商談が纏まるかどうかは、明日、青柳建設に出向いた時の成果にかかってるんですよね? 是非とも頑張って下さい」
 それを聞いた彼は、力強く頷く。

「ああ、泣いてる暇なんか無いな。一応用意はしてあるが、これから再度資料を精査して、サンプルも確認しないと。本当にありがとう。この機会を無駄にはしないよ。絶対に話を纏めてくるから!」
「はい、吉報をお待ちしています」
 そうして笑顔で職場に駆け戻って行った高倉を見送った美幸に、背後から皮肉まじりの声がかけられた。

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