猫がいた風景

篠原 皐月

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クリエイティブな墓守宣言

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「はぁ? 以前の家に戻る?」
 ハナが死んで半年程経過した時にかかってきた電話で、藪から棒に言われた内容を聞いて、さすがに俺は面食らった。しかし父さんは既に気持ちを固めていたらしく、冷静に話を進めてくる。

「ああ。もう二匹とも居なくなって、田舎暮らしをする必要が無くなったしな。正直、最近あちこちガタがきて、通院に便利な所が良いから」
 それを聞いた俺は、盛大な溜め息を吐いてから問いかけた。

「だから、引っ越す時に言っただろうが。言わんこっちゃない……。だけど、これからまた猫を飼う気は無いのか?」
「無いことは無いがな……。今から飼って、その猫を最後まで責任を持って飼える自信が無い。俺達がよぼよぼになって足腰が立たなくなったら、猫を病院に連れて行く事もままならないだろう? 猫を飼えなくなったからと言って放り出すような、無責任な事はできないからな」
「そうか……。それもそうだな」
「それに、三匹見送れば十分だろう」
「確かにな……」
 父さんの気持ちを十分に理解できた俺は、それ以上余計な事は言わなかった。するとそこで漂っていた沈鬱な空気を打ち消すように、父さんが少々強引に話を変えてくる。

「それで、賃貸に出していた前の家の契約が再来月に切れるから、そのタイミングで戻る事にしたんだ」
「なんともタイムリーだな。ところでその家はどうするんだ?」
「売りに出そうと思っている」
 それを聞いた俺は、疑念に満ちた声で突っ込みを入れた。

「……売れるのかよ? あんな田舎の、無駄に敷地が広い家なんて」
「やってみなければ分からないだろう? 取り敢えずそういう事になったから。正確な引っ越しの日程が決まったら、また連絡する」
「分かった。ちゃんと病院の紹介状とかも準備しておけよ? それじゃあな」
 そこで話は終わり、俺がスマホを耳から離すと、家族全員が顔を揃えていたリビングで電話を受けた為、この間黙って俺の台詞を聞いていた佳代が、確認を入れてきた。

「太郎、お義父さんの話は何だったの? 前の家に戻るとか、家を売るとか言っていたけど」
「どうもこうも……。猫も居なくなったし、通院とか不便だから前の家に戻るとさ。賃貸契約が切れる、再来月以降の話らしいが」
「そうなの……。でもそもそもミミとハナの為に、田舎暮らしを始めたようなものだって言っていたものね……」
 俺が肩を竦めながら教えると、佳代がしんみりとした口調で応じる。するとここで、翔が口を挟んできた。

「パパ、おじーちゃんのうちはどうなるの?」
「うん? 売るとかなんとか言っていたが、あんな不便な物件、売れるとは思えないんだがなぁ……」
「あのおうちを売ったら、お庭はどうなるの?」
「え? 庭?」
 唐突に尋ねられて俺が戸惑っていると、佳代が考え込みながらその問いに答える。

「そうねぇ……。新しく買った人が畑にしたいとか、もっと広い家を建てたいとか思ったら、無くなるかもね」
「いや、それは無いだろう。結構広いし、あんな所に馬鹿でかい家を建ててどうするんだよ?」
「あら、本当にどうなるか分からないんじゃない?」
「おじーちゃんにでんわする!」
「え? おい、翔?」
「お義父さんに電話って、どうして?」
 佳代と怪訝な顔で言い合っていると、翔がいきなり立ち上がり、一声叫んでリビングから飛び出して行った。それを俺達は、唖然として見送る。

「何だ?」
「さあ?」
 しかしそのままにもしておけず、佳代が縁を抱え上げ、俺が先導して翔の後を追った。すると予想通り、翔は子供部屋でキッズケータイを手にして、ワンタッチ登録してある実家に電話しているところだった。

「もしもし、おじーちゃん? 翔だよ!」
 一体何を父さんに話すつもりかと、ドアを少し開けて佳代と一緒に聞き耳を立てていると、迷いの無い翔の声が聞こえてきた。

「……うん。あのね、おじーちゃんのおうちを売るってきいたの。ほんとう?」
 そこで少し相手の言葉に耳を傾けた翔は、無言で頷いてからとんでもない事を言い出した。
「あのね、それならそのおうち、翔に売って?」
「はぁ? ちょっと待て、翔。お前、何言ってるんだ?」
 俺は思わず室内に足を踏み入れながら問いただしてしまったが、翔は電話越しの会話に夢中になっているのか、俺を綺麗に無視して話を続けた。

「りゆう? だってほかの人に売ったら、お庭がなくなっちゃうかもしれないよね? そうなったらたいへんだよ! ミミとハナのおはかは、翔がまもる!」
「…………」
 その力強い宣言を聞いて、俺は佳代と顔を見合わせた。しかし次に翔の口から出てきた台詞に、激しく脱力する。

「あ、だけどローンと、しゅっせばらいでおねがい!」
「……いきなり何を言ってる」
「お義父さん達に、散々ローンを組んでいるのかって言われそう……」
「大きくなったらサラリーマンじゃなくて、クリエイティブなしごとをすれば、いなかくらしでもだいじょうぶ!」
「だから、何の話をしている……」
「『クリエイティブ』って……、本当に何の事か、分かって言っているかしら?」
「え? うん、分かった」
 力が抜けた上に頭痛までしてきたが、ここで翔が振り返り、俺にキッズケータイを差し出してきた。

「パパ、おじーちゃんがお話したいって」
「……ああ」
 何を言われるのかは粗方察しがついていたが、俺がおとなしく小さなそれを受け取って耳に当てると、予想に違わず馬鹿笑いが聞こえてきた。

「ぶわはははははっ!」
「もしもし? 俺だけど。父さん、声がデカい」
「太郎! 前々から思っていたが、翔は本当に見所があるな! お前よりよほど頼りになるぞ!」
「……甲斐性無しの息子で悪かったな」
「決めたぞ。あの家は売らずに、固定資産税を払っておく。そして翔が成人したら、生前贈与をしてやるからな!」
 上機嫌な大声に多少うんざりしつつ、俺は冷静に問題点を指摘してみた。

「ちょっと待て。それならその家を、無人の状態で放置しておくのか? そんな事をしたら確実に荒れるし、傷みが早くなると思うんだが。場所が場所だけに、野性動物にも荒らされそうだし」
「だから賃貸に出す」
 あっさりと一言で片付けられた俺は、本気で呆れて声を荒げた。

「阿呆か!? あんな辺鄙な所、誰がわざわざ家を借りて住むんだよ!?」
「やってみなければ分からないだろう? まだ小学校に上がったばかりの翔がクリエイティブな職業を目指すと言っているのに、お前は相変わらず発想が貧困だな」
 呆れた口調で言われたが、俺の方が心底呆れとるわ!
 もう何も言う気にならなかった俺は、半ばなげやりに言葉を返した。

「ああ、そうだな……。日本には結構人間が居るし、ひょっとしたら父さん以上の物好きがいるかもしれないからな……」
「じゃあそういう事だ。翔に言っておいてくれ。俺は寝る」
「……全く」
 嫌みが全然通じていないし……。
 自分が言いたい事だけ言ってあっさり通話を切った相手に、心の中で悪態を吐きつつ、俺はキッズケータイを耳から離して通話を終わらせた。

「パパ、おじーちゃん、なんて言ってた?」
 期待に満ち溢れた表情で、こちらを見上げてくる翔。
 俺は翔にケータイを返し、憮然としながら望み通りの答えを返してやった。

「あの家は売らずに、翔が大人になったらくれるそうだ」
「やった! じゃあがんばって、クリエイティブなおしごとする!」
 途端に上機嫌で叫び、ウキウキとキッズケータイを片付ける翔。その様子を見ながら、俺と佳代は囁き合った。

「……絶対、分かって無いよな」
「それはともかく、あそこを空き家のまま、放置しておくの?」
「賃貸に出すそうだ」
「………………」
 俺の台詞を耳にした途端、佳代は「こいつ、何を言ってるんだ」とでも言わんばかりの顔になった。

「何も言うな。俺だって同じ気持ちなんだから」
 そこで強引に話を打ち切った俺は、佳代と翔を促してリビングに戻った。
 
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