半世紀の契約

篠原 皐月

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第50話 すれ違い

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「見合いをした直後に私の家に出向いた時には、自分の計画の駒の一つとして私を利用する為。課長就任後に乗り込んで来たのは、私の反応を見て面白がる為。今回改めて結婚を申し込む理由を、是非聞かせて貰いたいんだけど?」
「……ムカついたから」
 心底面白く無さそうに呟いた秀明に、美子ははっきりと顔を顰めた。

「私に腹を立てたのなら、尚更結婚を申し込んだりしない方が良いんじゃない? 限りある人生を、無駄にする事は無いわ」
「確かにお前に腹を立てたが、そうじゃない」
「万人に理解できる日本語で喋って頂戴」
「お前の隣に、他の誰かが居るのは許せない。しかも俺以外の男に笑いかけてるなんて、冗談じゃない」
 本気で腹を立てている様に見える相手に、美子は正直うんざりした。

「……馬鹿じゃないの? 世界で私と二人きりにでもなりたいわけ?」
「それも良いかもな」
「少し頭を冷やすのね。寝込んで以来、常軌を逸してるわ」
 素っ気なく切り捨てた美子に、秀明は一瞬眉根を寄せたものの文句などは口にせず、唐突に横の椅子に置いてあった鞄を手にして立ち上がった。

「まあ、いい。それは渡しておくから、次に会う時まで考えておいてくれ」
「ちょっと! そんな勝手に押し付けないでよ!!」
「一ヶ月は日本に戻れないから、その間にゆっくり考えていれば良い」
「日本に居ないって……、しかも一ヵ月ってどういう事?」
 慌ててリングケースを押しやろうとした美子が、秀明の台詞に怪訝な顔になると、彼は淡々と今後の予定を口にした。

「社長の手腕は相当だな。恐らく弟から話を聞いてから、即行で話を纏めてねじ込んだんだろう。南米四ヶ国視察の仕事が、管轄外の部署の俺に回ってきた。来週から取引のある提携企業や、現地の生産工場を視察しながら、1ヶ月かけて複数の契約を締結してくる強行軍だ」
「……ご苦労様です」
 思わず顔を引き攣らせた美子に、秀明は小さく笑い返す。

「そして俺が日本に居ない間に、倉田議員が俺の周囲を徹底的に探らせて、変な所に繋がってないか確認を取るつもりなんだろうな。探られても別に痛くも痒くもないが、徒労に終わる部下やスタッフはご苦労な事だ」
「…………」
 その光景を頭に浮かべて、とんだとばっちりを受ける羽目になった関係者の面々に、美子は申し訳ない気持ちになった。そして一歩足を踏み出した秀明が、思い出した様に足を止めて振り返る。

「ああ、そうだ。何か土産に欲しい物はあるか?」
「別に無いわ」
「そうか。それじゃあ、帰国したら連絡する。どうせお前の携帯は、俺からの電話やメールは受け付けないままだろうから、家の固定電話にさせて貰うからな」
 言うだけ言って再び歩き出そうとした秀明を、美子は座ったまま反射的に呼び止めた。

「ちょっと待って!」
「何だ?」
 再度足を止めて振り返った秀明に、美子は一番気になっていた事を口にした。

「その……、叔父の事務所に送りつけられたデータは、本当にあれだけ? 他にコピーとかは……」
「さっき、無いと言った筈だ」
「それはそうだけど……」
(確かにそれも気になっているけど、大体どうしてこんなタイミングでまた結婚を申し込んでくるのよ。お父さんや叔父さんからしたら、まるでデータと交換に結婚を強要されてるみたいじゃない)
 咄嗟に自分の気持ちを上手く表現できなかった美子が、口ごもってしまうと、そんな彼女を見下ろした秀明の表情が、いつもの取り繕った冷静なものから、若干傷付いた様なそれになった。

「……そんなに信用できないって言うのなら、俺の居ない間に本格的に家捜しでも何でもしたらどうだ? お前の叔父なら伝手を使ってどうにでも令状は取れるし、警察も動かせるだろう。構わないから安心できるまで好きにしたら良い」
「それは……」
 さすがにそこまでするつもりも、させるつもりも無かった美子だったが、秀明はあっさりと踵を返して立ち去って行った。そして美子は呆然としている間に指輪を返すのを忘れていた事に気付くのと同時に、後ろめたい思いに駆られる。

(何よ。いつもふてぶてしい顔をしてるのに、こんな時だけあんな顔しなくたって良いじゃない)
 そして無言でケースを凝視していると、隣のテーブルに座っていた清原が歩み寄り、腰を屈めて恐る恐る美子に声をかけてきた。

「美子さん、何か不都合でもありましたか?」
「いえ、大丈夫です」
 清原がチラッとテーブル上のリングケースに視線を向けつつ、心配そうな顔を向けてきた為、美子は慌ててそれを掴んで、ハンドバッグにしまい込んだ。すると続けて清原が、最大の懸念を口にする。

「それで……、例のデータに関しては……」
「コピーの類は無いし、彼がどこかに持ち込む可能性は皆無ですから、安心して下さい。勿論あれを叔父さんに対しての、何かの取引材料にするような真似もしませんから」
「あの……、それは本当に?」
 彼らの立場からすれば不安が拭えなかったのは十分理解していたが、美子は疑われた事に腹を立て、反射的に清原を睨んだ。

「私の保証では、信用して頂けませんか?」
 若干棘のある言い方になってしまったと美子自身分かってはいたが、清原以下、事の成り行きを見守っていた面々にそれが分からない程鈍い者は皆無だった為、慌てて皆一斉に謝罪の言葉を口にする。

「いっ、いえ!! とんでもございません!」
「本日はご足労頂いた上、色々とお手を煩わせて申し訳ございませんでした!!」
「ご協力、感謝いたします」
「ご自宅まで、お送りしますので」
 自分の座っている椅子をぐるりと取り囲んだ男達が、一斉に自分に向かって頭を下げた事で、周囲からの視線で悪目立ちしている事を悟った美子は、更に怒りを募らせながら静かに立ち上がった。

「いえ、結構です。それでは失礼します。叔父に宜しくお伝え下さい」
「あのっ! 美子さん!?」
 表面上は穏やかに、しかし断固とした口調と態度で、追いすがる清原達をホテルの車寄せにいたタクシーに乗る事で振り切った美子は、後部座席に一人きりになってから、張り詰めていた気を漸く緩めた。そして帯の形が崩れるかもしれない可能性を考えずに、乱暴に背もたれに身体を預ける。

(確かに傍若無人で物言いが一々ムカつくし、無駄に行動力と判断力があるせいで、やる事なす事節度が無いし、根性が曲がってるから隠し事はされたけど……。よくよく考えたら他の人に対してはともかく、少なくとも私に対しては、これまで嘘を吐いた事は無かったかも……)
 その結論に達した美子は、先程の自分の振る舞いについて素直に反省した。

(あからさまに疑っている口調で、繰り返し尋ねたのは悪かったかもしれないわ。でも……、これまでの行動が行動だし、信用できなくても仕方ないじゃない。俊典君じゃないけど、自業自得だわ)
 秀明に対して罪悪感を覚えた美子だったが、それは短い時間に過ぎず、すぐに相手に責任転嫁した。しかしどうにもすっきりしない気分と理由の分からない苛立ちを抱えたまま、美子は帰宅した。
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