酸いも甘いも噛み分けて

篠原 皐月

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第6章 陰謀、動揺、時々誤解

(27)予想外の告白

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 騒動の翌日、出社した沙織を待ち構えていたのは、これまで以上に好奇心に満ちた視線と、それ以上に非難を含んだ視線だった。
「ほら……、あの人よ」
「昨日、エントランスで……」
「えぇ? そんな事が?」
 そんな囁き声が耳に入る毎に、沙織の機嫌が微妙に悪くなる。

(朝から他人の噂話に、花を咲かせてるんじゃないわよ)
 しかし沙織は、今日が一連の出来事の仕上げの日だと自分自身に言い聞かせながら、傍目には平然と職場へ向かった。

「おはようございます」
「…………」
 そんな彼女が営業二課がある部屋に入り、いつも通りに挨拶をした途端室内が静まり返り、その空気が緊張をはらんだ物に変化した。そして一瞬遅れて、あちこちから声がかかる。

「お、おはよう、関本」
「今日も早いな」
「皆さんも、いつもより早くありませんか? もう殆ど全員、揃っているみたいですし」
「そっ、そうだな……」
「偶々だ、偶々」
「こんな日もあるさ」
「……そうですね」
 周りを見回しながら沙織が何気なく口にすると、弁解がましい声が返ってきた事で、沙織は溜め息を吐きたくなった。

(何も吉村さん相手に暴れるつもりは無いのに、揃いも揃ってそんなに怯えたり警戒しなくても良いじゃ無いですか)
 沙織が自分の席で、うんざりしながら仕事の準備を始めていると、友之と吉村が連れ立ってやって来る。

「関本、ちょっと良いか?」
「はい、課長。何でしょうか?」
 何の話かは当然分かってはいたが、座ったまま不思議そうに見上げた沙織に、友之は慎重に声をかけた。

「その……、昨日、一之瀬社長が来社した時に遭遇した筈だが、その時に例の社内報の記事を載せたのは誰だったのかは聞いたか?」
「え? ……ああ、そう言えば、誰かは聞いていませんね。証拠を掴んだから社員を訴えるとか和洋さんがふざけた事を喚いていたので、叱り付けて追い返して以降、全て着信拒否にしていましたし」
「……やっぱり鬼だ」
「佐々木君、何か言った?」
「いえ、何も」
 素っ気なく答えた沙織の背後で、佐々木がぼそっと呟く。そんな彼を一睨みしてから、沙織は再び友之に向き直った。

「実はそれに、吉村が関わっていたんだ。それで、関本にきちんと詫びを入れたいそうだ」
「関本、今回は本当にすまなかった。この間、自分にあった偏見や誤解を正して、全面的に非を認める。あんな騒動を引き起こして、本当に申し訳なかった」
 これまで一歩下がっていた吉村が、友之の隣に並んで謝罪した上で、彼女に向かって深々と頭を下げた。しかし沙織はそれに対して感銘を受けた様子が無いまま、淡々と問い返す。

「はぁ、あれは吉村さんでしたか……。ですが何ヵ月か前に入社したばかりの人が、社内報の管理システムにおいそれとアクセスできるとは思えませんけど?」
「その……、それはだな……」
「まあ、誰でも良いです。その誰かさんには、また馬鹿な事はするなと言っておいてください。じゃあ、そう言う事で」
「……え?」
 さすがに人目があるところで田宮の名前を出して良いものか、咄嗟に判断が付かなかった吉村は口ごもったが、そこで沙織があっさり話を終わらせてしまった為、困惑した。周囲も同様であり互いに顔を見合わせる中、吉村が恐る恐る声をかける。

「あの……、関本?」
「何ですか、吉村さん。次は何の話ですか?」
「いや、次って……。その……、怒って無いのか?」
「怒る? さっきの事についてですか?」
「そうだが……」
 そこで沙織は一瞬変な顔をしてから、大真面目に言い切った。

「単に仕事に全く関係無い事で、馬鹿が馬鹿な話を真に受けて、馬鹿騒ぎしていただけじゃ無いですか。仕事に全く影響が無かったのに、怒る必要があるんですか?」
「…………」
 再び室内が静まり返ったが、ここで佐々木が口を挟んでくる。

「それなら先輩。万が一、仕事に影響が出ていたらどうしたんですか?」
「馬鹿な噂も馬鹿な奴も、纏めて全力で潰すだけよ」
「……やっぱり鬼だ」
「さっきから何なの、佐々木君。喧嘩を売ってるわけ?」
「惚れた」
「はい?」
「吉村?」
 佐々木の呻き声に沙織が不愉快そうに言い返すと、それに吉村の声が重なった。何を言われたのか良く分からなかった沙織は勿論、唐突過ぎて理解が追い付かなかった友之も不思議そうに吉村に視線を向けると、彼は真正面から沙織を見据えながら告げる。

「女には珍しい位の竹を割ったような潔さと、若さに似合わず他人の過ちをあっさり許せる懐の深さに惚れた。今はフリーと聞いていたし、俺と付き合ってくれ」
「…………」
 その告白で室内が三度(みたび)静まり返り、沙織と友之の顔が引き攣った。

(どこまで間が悪いのこの人! よりにもよって職場で、しかも友之さんの前で何ほざいてんの!? 取り敢えず友之さんを余計に怒らせないように、何とかこの場をさっさと終わらせないと!)
(ほぅう? 夫の前で妻を口説くとは、いい度胸をしているな。確かに俺達の関係は知らないだろうが、何か適当な、殴る理由は無いものか)
 友之がかなり物騒な事を考え始めた目の前で、沙織は内心相当焦りながらも、傍目には冷静に吉村に言い返した。

「生憎と私、自分より能力の無い人と付き合うつもりは無いので」
「それなら昔付き合ってたって言う、ダメンズとかは何なんだ?」
「…………」
 吉村は本当に何気無く尋ねたのだが、それで友之の機嫌が確実に悪化したのを見てとった沙織は、少々焦りながら弁解した。

「当時は偶々、自分とは違ったタイプが面白いとか錯覚してたんですよ! 人の黒歴史を、ほじくり返さないで貰えますか!?」
「それは悪かった。じゃあ取り敢えず、関本より営業成績を上げて能力があると証明できれば、俺と付き合ってくれるわけだな?」
「え? いえ、そんな事は一言も言ってませんよね!?」
「そうだな。まずは交際を考えると言う事で」
「そう言う類いの事も、言ったつもりは皆無ですが!?」
(何、この人! 微妙に日本語が通じていない気がするんだけど!? 友之さんの方から、益々不穏なオーラが漂ってきている気がするし!)
 全然終着点が見えないやり取りに、沙織が本気で焦ってきていると、突如として室内に女性の叫び声が響き渡った。

「いた、沙織! そこを動くな!」
「え?」
 そう叫ぶなり、出入り口から一直線に自分めがけて突進してきた由良に、沙織は本気で面食らった。他の者達も唖然とする中、やって来た由良は沙織に掴みかかって問答無用で怒鳴り付けた。
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