酸いも甘いも噛み分けて

篠原 皐月

文字の大きさ
上 下
5 / 225
第1章 ちょっとした変化

(5)愛しのジョニー様

しおりを挟む
 その二人の懸念通り、沙織は友之に更なる迷惑をかけていた。

「おい、関本。大丈夫か? 着いたぞ? 部屋まで行けるか?」
 一応、聞き出した住所に建つマンション前で、停めて貰った友之が彼女に声をかけたが、沙織はブツブツと呟いてから再び泣き出した。

「へや……、かえっても、だれもいないぃ……。じょにぃぃ~!」
「やっぱり駄目だな……。すみません、ここで降ります。お会計を」
「分かりました」
 当初は彼女をここで降ろして、自分はこのまま乗って帰ろうと考えていた彼は、予定を変更して会計を済ませ、彼女を半ば引きずり出すようにしてタクシーから降りた。そして未だにふらついている彼女の腕を取り、肩を支えながら、マンションの入り口に向かって歩き出す。

「ほら、関本。しっかり歩けよ?」
「……あるいてます」
「うん、歩いているがな? もう少し自主的に歩いてくれると、俺はもの凄く嬉しいんだが」
 溜め息を吐いてそのまま進み、彼女にエントランスの奥に続くドアを解除して貰い、エレベーターで三階まで移動する。そしてエレベーターホールから至近距離のドアの前で、沙織が立ち止まった。

「……とうちゃく」
 彼女がそう呟いた為、友之は安堵して彼女の身体から手を離した。
「ここか。よし、後は大丈夫だな? それなら俺はこれで失礼するから」
「かちょー、おちゃをどーぞ」
「はぁ?」
「ごめいわくかけて、そのままかえしたら、おんながすたります」
 声をかけて踵を返そうとした友之だったが、その袖を沙織がしっかり掴んだ。そして大真面目に言われた内容に、彼が微妙に顔を引き攣らせる。

「……できればこのまま帰して貰った方が、俺的には嬉しいんだが」
 控え目に辞退した友之だったが、それを聞いた沙織はたちまち涙ぐんだ。

「だめ……。やっぱりわたしのつくるもの……、おちゃですらダメなんだぁぁ――っ!!」
「分かった、一杯だけご馳走になるから! こんな所で喚くな!」
「それではどうぞ」
 いきなり大声を上げた為、彼が慌てて宥めながら申し出を受けると、途端に沙織は真顔になって玄関のドアを開けた。それを見た友之が、本気で溜め息を吐きながら額を押さえる。

「関本は中途半端に酔っていると、余計に厄介だな」
「とりあつかい、ちゅーいですね」
「……自分で言うな」
「じゃああがって、しょうめんのリビングでおまちください」
「ああ」
 もう余計な事は何も言わず、さっさと茶を飲んで帰ろうと心に決めた友之は、素直に玄関から上がり込んで奥に進んだが、先程から感じていた違和感が更に増大してきた為、首を傾げた。

(エントランスに入った時から思ったが、このマンションは単身者向けの賃貸じゃないよな? どう考えても、ファミリータイプの分譲マンション。正確な間取りは分からないが、関本は実家を離れて一人暮らしをしている筈だが……。どうしてこんな広い所に、一人で住んでいるんだ?)
 そして何気なくカーテンが開け放ってあった、ベランダに面した掃き出し窓に目を向けた彼は、ガラス越しに見えた物に少々驚いた。

「え? あれはまさか……」
「かちょー、りょくちゃとこうちゃとコーヒーだと、どれがいいですかー?」
 そこでオープンカウンター越しに、背後から沙織が間延びした声をかけてきた為、友之は窓の一か所を指さしながら振り返って尋ねる。 

「そんな事よりひょっとしたら、あれが例のジョニーとやらか?」
「……はい?」
 そこで不思議そうに友之の指し示す方に視線を向けた沙織は、一気に酔いが醒めたように目を見開いて叫んだ。

「うぇえぇぇっ!! ジョニー! 来てくれたのっ!! うわぁぁ――ん、会いたかったぁぁっ!!」
 その剣幕に、友之が目を丸くして驚いていると、そんな彼の前をもの凄い勢いで沙織が横切り、掃き出し窓に取り付いたと思ったら、慌ただしくロックを外して窓を開け放った。
しおりを挟む
1 / 3

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

いつか王子様が……

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:7pt お気に入り:30

次期社長と訳アリ偽装恋愛

恋愛 / 完結 24h.ポイント:298pt お気に入り:56

気が付けば奴がいる

ライト文芸 / 完結 24h.ポイント:28pt お気に入り:46

就職先は、あやかし専門の衣装店でした

キャラ文芸 / 完結 24h.ポイント:1,874pt お気に入り:54

夫に離婚を切り出したら、物語の主人公の継母になりました

恋愛 / 完結 24h.ポイント:1,590pt お気に入り:3,310

裏腹なリアリスト

恋愛 / 完結 24h.ポイント:14pt お気に入り:164

処理中です...