酸いも甘いも噛み分けて

篠原 皐月

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第4章 駆け引き

(18)沙織の本音

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「待ち合わせの前にちょっと買い物もしたかったので、夕方の早めにマンションを出たんです。そうしたら偶々、飼い主の女性と一緒に散歩をしているジョニーと遭遇しました」
「へえ? それは凄い偶然だったな」
「本当にそうですね。日中にジョニーを見たのは初めてでしたが、日の光の中でもジョニーは抜群のイケネコでした……」
「お前の、ジョニーの魅力に関する主張は分かった。それで?」
 その時の情景を思い返しながら、しみじみと語る沙織を見て、友之は少々うんざりしながら話の先を促した。

「飼い主の方は、夜に猫用の出入口からジョニーが抜け出しているのを把握していましたが、ケージに入れようとすると怒って暴れるので、黙認していたそうです」
「しかし外に出るのが分かっていたのなら尚更、首輪は付けておいた方が良くはないのか?」
「どうもジョニーは、束縛されるのが嫌いみたいで。首輪とかは断固として、拒否しているそうです」
 それを聞いた友之が、グラスを傾けながら呆れ顔で感想を述べる。

「随分と気位が高い猫だな」
「ある意味、お貴族様ですから」
「え?」
「ジョニーの本名は、『アレクサンダー・ユーグリクス・ラスティネル・フローリドⅡ世』だそうです」
 それを聞いた友之は、飲んでいたウイスキーを噴き出しかけた。

「う、ぶはっ! ぐっ……。おい、それって、血統書付きって事だよな?」
「そういう事ですね」
「そっ、そうかっ……」
 そのまま笑い出したいのを堪えるように、片手で口元を覆って俯いた友之に向かって、沙織が説明を続けた。

「飼い主の女性が、如何にも上品な女性で……。あの女性なら、ジョニーを従えて歩いていても納得できます。まさに女王陛下と、それに付き従う騎士って感じで。あの二人を眺めていたら、なんとなく柏木さん達を思い出しました」
 沙織のその台詞を聞いて、友之は瞬時に笑いを消して項垂れる。

「……今ので、一気に笑えなくなった。洒落にならん」
「そんな素に戻って、呻かないでくださいよ」
 軽くそんな文句を言ってから、沙織は話を続けた。

「ジョ二ーと私が顔見知りな事を察した飼い主さんから話しかけられて、時々家に来ている事を話したら、『迷惑をかけて申し訳ありません』と謝られました。『こっちは好きで餌をあげたり構っていたので、気にしないでください』と言いましたが」
 それを聞いた友之が、さもありなんと言う表情で同意を示す。

「それはやっぱり、自分の知らないところで餌を貰っていたと知ったら、普通飼い主は気にするだろう。ジョニーの夜間外出が、今後禁止になるかもな」
「う~ん、でもジョニーなら、どうにかしてフラフラ出歩きそうな気がするんですよね。その方に外出の頻度を聞いたら、明らかに私の所に来る時以上の回数で、出かけているみたいですし」
 そこで友之は、眉間に軽くしわを寄せながら考え込んだ。

「そうなると……。まさか沙織の所以外にも、顔を出している可能性があるのか?」
「その可能性は濃厚ですね」
 沙織が頷いて同意すると、友之は途端に不機嫌な顔になって飲み始める。

「……猫の分際で許せん。あちこち渡り歩きやがって」
「猫に対して、そんな風に真顔で怒らなくても」
(本当に、時々意外な顔を見せる時があるのよね)
 そのままブチブチと小声でジョニーに対する悪態を吐いている友之に、沙織は笑いを堪えながら一口飲み、結論を述べた。

「そういうわけで、別に私が引っ越しても、ジョニーの事は心配無いのが判明しましたから」
「それなら取り敢えず、懸念が一つ減って良かったと言うべきか」
 そこで気分を直したらしい友之が、いつもの表情で飲み進めるのを横目で見た沙織は、改まった口調で声をかけた。

「友之さん?」
「うん? どうした?」
「ハンデ上乗せで、勝負してみても良いですよ? それで友之さんが勝ったら、この場でプロポーズの返事をしますけど。どうですか?」
 沙織がそんな賭けを持ち出すと、友之は即座にすこぶる真顔で反応してくる。

「受けて立つ。どういう条件だ?」
「そっちがマッカランをあと十杯飲んでから、私が三球で8番を落とせる条件です」
「却下」
 友之が微塵も迷わずにはねつけたのが予想外だった為、沙織は驚きながら問い返した。

「そこまで即答しますか……。お酒には強い方だから、それ位飲んでもふらつく程度で泥酔はしないでしょう? それならハンデとしては、ちょうど良いかと思ったんですけど」
 しかしその問いに、友之は渋面になりながら言い返す。

「あのな……。俺は明日の朝一番で部長と春日と一緒に、手越マテリアルに出向く予定があるんだ」
 それを聞いた沙織は、少し前から職場内で話題に上っていた商談の事を思い出した。

「ああ……、決まれば大口契約締結って言うあれは、明日だったんですか……。でも、一晩でお酒は抜けますよね?」
「冗談を言うな。万が一抜けなかったり、寝坊したり二日酔いで商談に支障をきたしたらどうする。お前は大事な商談の前夜に、平気で大酒をあおれるのか?」
 険しい表情で叱責されて、沙織はさすがに自分の非を認めた。

「すみません……。失言でした」
「分かれば良い。取り敢えず、結婚をかけた勝負はお預けだ。あと1、2回ゲームしたら出るぞ」
「そうですね」
 冷静に言い聞かせてくる友之に素直に頷き、沙織はグラスを舐めるように少しずつ飲み進めた。そして少ししてから、友之に声をかける。

「……友之さん」
「どうした?」
「どんな仕事に対しても決して手を抜かないところ、前から結構好きですよ?」
 微笑みながらそんな事を言ってみると、友之は驚いたように軽く目を見開いてから、盛大に溜め息を吐く。

「あのな……」
「はい。何ですか?」
「今の発言は、上司としてって事だよな?」
「勿論そうですが、一人の人間としても好きですよ?」
 すました顔で沙織が言ってのけると、友之はカウンターの上で両手を握り締めて俯きながら、かなり無念そうに呻いた。

「明日、あの商談が入っていたのが、本当に悔やまれる……」
「その悔しさを糧にして、何が何でも話を纏めてきてください」
「当たり前だ。上司としても一人の人間としても、惚れ直させてやる」
「吉報を待ってます」
 決意漲る表情で再びグラスを手にした友之に、沙織は明るく笑いながら応じた。
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