裏腹なリアリスト

篠原皐月

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66.束の間の幸福感

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 淳が職場で醜態を晒した三日後。仕事帰りに淳と森口は連れ立って居酒屋に立ち寄り、差し向かいで酒を飲む事になった。

「小早川。その後、調子はどうだ?」
 森口が、昨日から面白過ぎる百面相をしている後輩に一応尋ねてみると、予想に違わぬ答えが返ってくる。

「はい、絶好調です。美実の家族に俺の事をきちんと認めて貰いましたし、今日送ってきたメールで、この間持ち上がっていた縁談の方も、きっちり断りを入れたと言ってました」
「そうか、それは良かった。どうなる事かと思っていたからな。安心したぞ」
 心底安堵して感想を口にした先輩に、淳は深々と頭を下げた。

「この間、色々ご心配をおかけして、本当に申し訳ありませんでした」
「いや、終わり良ければ全て良しって言うしな。それで入籍とか挙式とかはどうするんだ?」
「そこは無理には進めないつもりです。俺の実家の方で、まだ問題がありますし、美実のお腹も結構目立ってきた状態ですから、このまま事実婚を続けて、一年後位に親子三人で披露宴をしても良いかと考えています」
「ある意味、最先端だよなぁ……」
 もう苦笑するしかない森口に、淳も酒を飲む合間に、笑いながら話を続けた。

「取り敢えず今は、親子三人で暮らせる物件を物色中です。なるべく美実の実家と楽に行き来できる範囲で当たっている所ですが、まだめぼしい所が見つからないもので」
 それを聞いた森口は、実体験を踏まえてか、真面目くさって頷いた。

「そうだな。確かに実家が側にあれば、相手は心強いよな。特に初めての出産なんだし。でも今から探しても、出産までに間に合うのか?」
「それはちょっと無理そうですし、予定日が迫ってから引っ越しと言うのも大変なので、出産までこのまま実家でお願いして、体調が落ち着いたら一緒に暮らす事にしました」
「確かにその方が安心だな」
 一通り美実との事を聞いた森口は安心し、淳と一緒に機嫌良く飲み始めたが、暫くしてから淳が上着のポケットを押さえて断りを入れた。

「ちょっと失礼します」
「ああ、構わんぞ」
 そして森口は、淳がポケットからスマホを出して操作するのを眺めながら酒を飲んでいたが、いきなり淳が変な声を上げた為、思わず目を見張った。

「……はあぁ!?」
「おい、どうした?」
「すみません、ちょっと一本電話をかけます」
「あ、ああ、それは構わないが……」
 急に真剣な顔つきになってどこかに電話し始めた相手を、森口は何事かと眺めたが、その淳は応答があったと分かった瞬間、勢い込んで尋ねた。

「美実! さっきの写真の猫、どうしたんだ!?」
「それがね? ちょっと鼻づまりが酷くて、今耳鼻科に通ってるんだけど、そこで子猫が生まれて、貰い手を探すポスターが待合室に貼ってあったのよ」
「え? まさかそこで貰って来たのか? お前、子供の頃に顔を引っかかれて以来、猫は駄目だったんじゃ無いのか?」
 本気で驚いて淳が問い返すと、ちょっと気まずそうな声が返ってくる。

「だって写真が可愛くて……。ちょっと見せて貰うだけ見せて貰おうかなって先生にお願いしたら、ちんまりしてフワフワで超絶に可愛いんだもの……」
「そうか。それなら良いんだ」
 思わぬところで急遽猫派に転向したらしい美実の話を聞いて、淳は思わず笑ってしまった。

「一応、美子姉さんに飼っても良いか聞いたら、『襖や畳が多少傷む程度よね』とあっさり許可してくれたし。でも『小早川さんの家では、飼うのは駄目かもしれないわよ?』って言われたから、写真を送ってみたの。……駄目かしら?」
 電話越しに少々心配そうにお伺いを立ててきた彼女に向かって、淳は満面の笑みで力強く了承の返事をした。

「駄目なわけ無いだろう!? これから住む所もペット可の所を探すし、大型犬とか巨大爬虫類なんて物騒な生き物じゃないんだから、全然問題ないからな!」
「良かった。じゃあ済む所が決まったら、連れて行くわね? それで、もう名前は決めたから。全身真っ白な方がハナちゃんで、足首だけちょっと薄茶色の方がミミちゃんよ」
 それを聞いた淳は、不思議そうに問い返した。

「『ハナ』と『ミミ』? 二匹ともメスか?」
「ええ、そうよ。それがどうかした?」
「いや、メスは良いんだが……。名前はお前が付けたのか? 『ミミ』って名前で良いのか?」
「私が付けたし、勿論良いけど。何か拙い?」
 過去に自分の名前の読み方で、色々嫌な思いをしたと聞かされた経験があった淳が、慎重に尋ねてみたが、美実は何でもない事の様に言い返してきた。その為安心しながら、淳はもう一つの疑問を口にする。

「いや、お前がそうしたいって言うなら、それで構わないさ。だが、どうして『ハナ』と『ミミ』なんだ?」
「え? だって先生の自宅兼診療所から貰って来たから。診療所の上が、ご自宅になっているのよ」
「はぁ?」
 言われた意味が分からなかった淳が戸惑った声を上げると、美実が説明を加える。

「だから、耳鼻科だから、『耳』と『鼻』」
「…………」
「ちょっと、淳。急に黙ってどうしたの?」
 思わず無言になった淳に向かって美実が呼びかけた瞬間、淳が堪えきれずに爆笑した。

「ぶわぁっはははっ! 美実、お前っ! ネーミングセンスに難有りだぞ!? やっぱり子供の名前は、俺が考えて正解だ!」
「ちょっと! 何でそこで馬鹿笑いするのよ? 失礼ねっ!」
「悪い。つい、本音が出た」
「余計に悪いわよっ!」
 そこで怒り出した美実を、淳は苦笑いの表情で宥めた。

「とにかく、子供が産まれる前から美子さんの手間が増えるだろうし、猫達の事は俺からもお願いしておくから。見た感じ、まだ生まれて1ヶ月経ってない子猫だろう? これから世話をしながら、躾もちゃんとしなくちゃな」
 すると美実が、微妙にうんざりとした口調で言ってくる。

「もう美子姉さんに、しっかり釘を刺されたわ。『自分の子供の面倒を見て躾る練習のつもりで、しっかり世話しなさい』って」
「頑張れ。餌代やら必要な物の購入費用は、美子さんに言って俺が出すから」
「えぇ? でもそれは……。私が勝手に貰って来ちゃったんだし……」
 そこで躊躇う美実に、淳は少々強引に言い聞かせる。

「良いから。その猫達は俺達の家族になるんだから、俺が生活費を出すのは当然だろう? その代わり、今度そっちに顔を出した時は、その天使達を堪能させてくれよ?」
「分かったわ。美子姉さんに言っておくから。それじゃあね」
「ああ。早く寝ろよ」
 そして淳が笑顔で通話を終わらせると同時に、この間不思議そうに彼を観察していた森口が声をかけた。

「何だったんだ? 猫がどうとか言ってたが」
 すると淳が嬉々として、美実からのメールに添付されてきた画像を森口に見せるように、スマホを突き出す。
「見て下さい、森口さん!! 超絶可愛い天使がいます!」
「はぁ?」
 軽く首を傾げた森口が、目の前のスマホに映し出されている画像を確認すると、上に向けて左右を合わせた美実の掌の上に、白い子猫が二匹、カメラ目線で身を寄せ合って乗っているのを目にして、思わず呟いた。

「うおぅ……、手乗り猫……。確かに超絶可愛いな」
「猫も可愛いですが、こんな美実の照れくさそうな顔もレアなんですよ! 駄目だ、これは絶対美実の待ち受けにしないと。設定設定」
 そしていそいそと実行に移った淳を見て、森口は生温かい眼差しを彼に送った。

「……幸せそうだなぁ」
「はい!」
「うん……、まあ、頑張れ」
 満面の笑みで即座に応じた淳を見て、(もうこいつに関しては心配いらないな)と心の底から安堵しながら、森口はその後も気分良く飲み続けた。
 しかしそんな平穏な時期はそれほど長くは続かず、一月も下旬に突入し、美実と淳の間で普通にやり取りする様になってから半月程経過した所で、思わぬ方面から予想外の騒動が勃発した。
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