裏腹なリアリスト

篠原皐月

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76.些細な嫌がらせ

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 半月ぶりに桜査警公社を訪問した美子は、いつも通り一階ロビーで、秘書の寺島を従えた金田の、恭しい出迎えを受けた。

「会長、いらっしゃいませ」
「こんにちは、金田さん、寺島さん。今日も宜しくお願いします。ところで、加積さんと桜さんは、今日はどちらに?」
 いつもなら美樹を引き取って一緒に遊ぶ為に、ロビーで待ち構えている二人の姿が見えない事を尋ねると、金田が恐縮気味に答えた。

「それが……、『屋敷で美子さんの妹を軟禁して連絡を断たせているのに、美子さんと私達が普通に顔を合わせてお喋りするのはおかしいわよね?』と仰いまして。当分、会長がここに出向かれる時には、お二人ともいらっしゃらない事になりました」
「……そうですか、分かりました」
 話を聞いて静かに頷いたものの、当てが外れた美子は内心でがっかりした。

(この機会に、美実を帰して貰うように桜さん達を説得しようと思っていたけど、仕方がないわね)
 しかしすぐに気を取り直し、いつも通り連れて来てしまった美樹を見下ろしながら、言い聞かせる。

「美樹。今日は桜さん達と遊べないの。私の仕事が済むまで、大人しく待っていてね?」
「や! まーちゃん、あそぶ」
 だだを捏ねられたら困ると思いながら話しかけたが、真顔で言い返された内容を聞いた美子は、本気で困惑した。

「え? 『まーちゃん』って…………。確か……、小野塚さんの事だったかしら?」
「うん、かずま。げぼく。かづちゃん、さくちゃん、もらった」
「あら……」
「え? 下僕?」
「貰ったって……」
 美樹が淡々と続けた内容を聞いて、金田は勿論、彼に付き従っていた寺島も困惑顔になったが、美子は一瞬呆気に取られた表情になってから、くすくすと小さく笑った。

「そんな事になっていたなんて、全然知らなかったわ。この前、美実にお屋敷に連れて行って貰った時に、そんな話になってたの?」
「うん! つば、つけた!」
 満面の笑みで頷いた娘を見て、美子も負けず劣らずの笑顔で金田を振り返った。

「そう言う事なら、仕事中は小野塚さんに美樹の相手をお願いしましょう。金田さん、案内して下さい」
 その要求に、さすがに金田が当惑した表情で応じる。

「ですが会長、それは……」
「案内して、頂けますよね?」
 しかし微妙に凄みを増した美子の笑顔を見て、彼はあっさり方針を変えた。
「……こちらです」
「あの、副社長……」
「さあ、美樹。行くわよ?」
「うんっ!」
 そして金田は若干物言いたげな表情の寺島を従えて、大人しくロビーの奥に向かって歩き出し、美子は美樹を従えて、その後に続いた。

「かずま、みーっけ!」
 いきなり広い室内に響き渡った場違いな声に、仕事中だった和真は反射的に顔を上げた。室内に存在していた少数の者達も、何事かと驚いて顔を上げる中、自分に向かって真っ直ぐに歩いてくる一行を認めた和真が、怪訝な顔になる。

「美樹さん、会長?」
「お久しぶりね、小野塚さん。美樹の指名なの。私が書類の決済をしている間、遊び相手をお願いしますね」
 当然の如く言われた内容に、さすがに和真は憮然としながら、控え目に反論しようとした。

「は? 申し訳ありませんが、私は今、仕事中でして」
「まさか、お断りになりませんわよね? 何と言っても小野塚さんは、加積さんと桜さん公認の、美樹の下僕だそうですし」
「うん! もらった! かずま、よしきの!」
「…………」
 母娘のとんでもない発言によって室内が静まり返ったが、そんな事など気にも留めずに、美子が和真に一方的に告げてから踵を返した。

「そういう事ですから、暫くの間、美樹を宜しくお願いします。さあ、金田さん。会長室に参りましょう」
「はい。……吉川部長、後を頼む」
「畏まりました」
 その場の責任者である信用調査部門部長に声をかけて、金田はさっさと出入り口に向かって歩き出した美子の後を追った。その間に美樹は和真の机に駆け寄り、彼を見上げながら大声で呼びかける。

「まーちゃん、あーそーぼー!」
 それを見た和真は、椅子に座ったまま盛大に舌打ちし、近くにいた新人に言いつけた。

「峰岸、遊んでやれ」
「はっ、はいっ! 美樹様、会長が戻られるまで、私が一緒に」
「やっ! かずま!」
「…………」
 指名された峰岸は慌てて立ち上がって声をかけたが、美樹がきっぱりと拒絶した為、室内の空気が緊迫する。そのまま美樹と和真が無言で睨み合っている為、その緊張を解消するべく、吉川が冷静に指示を出した。

「小野塚。お相手をして差し上げろ」
「部長」
「業務命令だ」
「…………」
 和真は憤慨しながら相手を睨み付けたが、さすがに和真の上司らしく、吉川はその視線を真っ正面から受け止めた上で跳ね返した。そして緊張感が和らぐどころか、徐々に殺気すら満ちてきた室内に、和真の忌々しげな声が響く。

「……分かりました。それでは美樹さん。何をして遊びましょうか?」
「うま! よしき、のる!」
「…………」
 美樹が即答した内容を聞いて、和真が無言で眉間にしわを寄せ、周囲の者達は安堵したのも束の間、先程まで以上に戦慄した。

「……小野塚」
 しかし吉川だけは色々諦めた口調で和真に呼び掛け、それを受けた彼は再度上司を一睨みしてから、渋々といった感じで床に四つん這いになる。

「美樹様。これで宜しいですか?」
「うん! よいしょ、っと!」
 そして嬉々として和真の背中に跨がった美樹は、和真と峰岸に向かって、元気良く指示を出した。

「まーちゃん、はしって! おにーちゃん、しゃしん!」
「え、えぇ!? あの、その……、写真を撮るんですか!?」
「うん! かっこいいの!」
「…………」
 笑顔の美樹と、憤怒の形相の和真に視線を向けられた不幸な峰岸は、涙目になって上司にお伺いを立てた。

「部長……」
 吉川は心底部下を不憫に思いながらも、容赦なく指示を出す。
「格好良く、撮って差し上げろ。……美樹様。後で会長に、データをお渡しすれば良いですか?」
「まるっ!」
「……だそうだ」
「はっ、はいぃ……」
 それからは吉川を初めとする信用調査部門の面々は、今日外に出ていなかった己の不幸を心の中で嘆きつつ、必死に美樹達に視線を向けず、会話も聞かないようにして、緊迫した空気の中で仕事をする羽目になった。

 その日の夜。帰宅した秀明に、プリントアウトしたスナップ写真を手渡して説明した美子は、面白く無さそうに話を締めくくった。
「それで今日は桜さん達に会えなかったけど、美樹が色々やらかしてくれた事で、少しは鬱憤晴らしができたわ」
 話を聞き終え、しげしげと数枚の写真を眺めた彼は、思わず素直な感想を述べた。

「俺は今……、本当に、ほんの少しだけだが……、小野塚に同情した」
「何よこの位。馬になったままフロアを回って、ままごとでペットの役をする事位。周りは皆同僚とか部下で、見ず知らずの大勢の前で醜態を晒しているわけじゃないし」
「この場合、同僚や部下に見られた方が、ダメージが大きいと思うんだが……」
「諸悪の根源の心境なんかに、一々構っていられますか。この際半月毎じゃなくて、二・三日おきに桜査警公社に顔を出してあげようかしら」
 相変わらず憤慨した口調で言い出した美子を、秀明は本気で窘める。

「止めておけ。小野塚は仕方がないが、巻き込まれる周りが気の毒過ぎる」
「……分かったわよ」
 心底面白く無さそうな美子だったが、一応そこで話を終わりにした為、秀明は安堵の溜息を吐いた。

(後から一言、金田に詫びを入れておこう。あの小野塚の怒りの余波をまともに受けて、周囲が神経をすり減らしているだろうからな)
 さすがに申し訳なく思った秀明だったが、実は彼や美子も知らない所で、桜査警公社の面々は他にも迷惑を被っていた。

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