世界が色付くまで

篠原 皐月

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番外編 これも異文化交流~思いがけない消息

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「はい、企画推進部二課課長、柏木です」
 それは仕事中、呼び出し音が鳴り響いた机上の電話の受話器を、真澄が取り上げた事から始まった。

「内藤支社長? 帰国してらしたんですか? これは内線ですから、今本社内におられるんですよね?」
 相手が分かった途端、嬉々として応答し始めた真澄を見て、彼女の部下の一人である蜂谷が、自分の机で仕事をしながらピクリと反応する。しかし真澄はそんな彼の気配など全く感じ取れないまま、久方振りに連絡を寄越した、かつての上司と言葉を交わした。

「はい……、ええ、是非! お昼休みにですね? ……私も久しぶりに、支社長にお目にかかりたいです。……はい、それでは十三時に、一階ロビーで。…………はい、分かりました。失礼します」
 そして会話を終えて静かに受話器を戻した真澄は、それから二時間程を自分の机で機嫌良く仕事を進めていたが、その様子を目の当たりにした蜂谷は、顔を蒼白にしつつ昼休みの算段を立てていた。
 そして約束の時間に真澄が一階ロビーに出向くと、紙袋を片手に提げた内藤が、軽く手を振って出迎えた。

「やあ、柏木君久しぶり。元気そうだな。そうそう、結婚と出産おめでとう。この間、直に顔を合わせる機会が無かったな」
「ありがとうございます。お互いに、この二年程は忙しなかったですね」
 年の頃も雰囲気も、義理の叔父である清吾に似ている彼に自然と笑顔を向けながら、真澄は軽く一礼して挨拶を交わした。すると内藤が傍らの椅子に座る様に真澄を促し、自分も座ってから、二人の間の小さなテーブルに紙袋から幾つかの包みを取り出しつつ、如何にも申し訳無さそうに口にしてくる。

「先程の内線では昼食を奢ると言ってしまったが、日本滞在中に色々顔を出さないといけない所ができてしまってね。昼もゆっくり時間を取れないんだ。こんな物ですまないが、勘弁してくれ。飲み物も缶コーヒーだし」
 それを聞いた真澄は、おかしそうに笑った。

「一課長の分際で、アメリカ支社長を使い走りにできるなんて贅沢な事、そうそう出来る事ではありませんから。加えて経費ならともかく、支社長のポケットマネーで奢って頂けるなら、何でもありがたくお相伴に預かります。それにここのサンドイッチ、手作りで具材もたっぷり入っていて、美味しいんですよ? うちの社員にも、とても人気があるんです」
「そうなんだ。秘書課の人間に尋ねてみて良かったな」
 真澄の話を聞いて安堵した様に内藤は微笑し、二人は早速サンドイッチに手を伸ばして食べ始めた。そしてすぐに、内藤が世間話の様に言い出す。

「それで柏木君。早速だが、君の弟は柏木産業を辞めていたんだな。驚いたよ」
 いきなり真顔でそんな事を言われた為、真澄は反射的に顔を顰めてしまった。

「父が、報告をしに本社に出向いた支社長にまで、愚痴を零したんですか?」
(全く、未だにぐちぐち言ってるなんて、なんて恥さらしなのよ)
 雄一郎が無関係の人間にまで、浩一達に対する愚痴を垂れ流して悪態を吐いているのかと一瞬本気で呆れた真澄だったが、内藤はそれをあっさりと否定した。

「いや、違うんだ。実は取引上で付き合いのある、某会社の社長とプライベートで付き合いがあって、先日そこの娘さんの結婚披露宴に招かれたんだが、そこに君の弟夫婦が来ていたんだ。まさかそんな所で旧知の人間と顔を合わせるとは、想像だにしていなくてね」
 そんな予想外の事を聞かされた真澄は、軽く驚いて問い返した。

「浩一と恭子さんに、アメリカでお会いになったんですか?」
 内藤と浩一の接点の有無を思い返した真澄は、少しして納得したように話を続けた。

「そう言えば浩一が入社した時は、まだ支社長は本社の部長職で、面識がありましたね」
「ああ、直接顔を合わせたのは、数回だったと思うが。しかも会場で話を聞いたら、家も柏木産業も出て、今では川島姓を名乗っていると言うじゃないか。それを聞いて本気で驚いたよ」
「少し前に、色々ありまして……」
 しみじみと告げる内藤に、その時のあれこれを思い出してしまった真澄は若干顔を引き攣らせつつ、言葉少なに告げた。そしてさり気なく話の先を促す。

「それで浩一達は、向こうの友人の披露宴に招かれていたんですか?」
「いや、厳密には招待客では無く、披露宴の余興として芸を披露していた」
 内藤がさらりと告げた内容を一瞬理解し損ねた真澄は、彼女には珍しく、かなり間抜けな声を出した。

「…………はいぃ? 支社長、今、何と仰いました?」
 その問い掛けに対し、内藤はジャケットの内ポケットから白い封筒を引っ張り出しながら、事も無げに詳細について語り始めた。

「長さが十メートル位はありそうな紐で輪を作って、それで二人がかりで全身を使ってあやとりをしていた。因みに、その時の様子を写した写真がこれだ」
「…………」
 内藤が封筒から取り出して見せたスナップ写真を凝視して、真澄は無表情でサンドイッチを取り落としかけた。するとそんな真澄には構わず、内藤が心底感心した風情で説明を続ける。

「インカムで解説を加えながら、羽織袴姿で次々と複雑な縁起物の形を作り出して、会場中から拍手喝采を浴びていたよ。その後奥さんが回している和傘の上に、色々な物を放り上げて、彼女は一つも落とさずにきちんと回していたし。柏木君は芸人と結婚しようとして、社長に反対されたのか?」
 そんな見当違いの推測を述べてきた内藤に、真澄は若干顔を引き攣らせながら、ぼそぼそと告げた。

「彼女は芸人という訳ではありませんが……、人並み以上に器用で多才な女性である事は、間違いないです」
「そうか。しかし、最初のボールや桝はお約束だが、ライターに時計にグラスやボトルまで、見事に落とさず回しきったのには感動した。『どれだけ角があっても回して見せます。これが夫婦円満の秘訣です』とか、要所要所で会場から笑いを取りながら。いや、本当に大したものだ」
「そうでしたか……。出席者の皆さんに、喜んで貰えたのなら良かったです」
(一体、アメリカくんだりまで行って、何をやってるのよあんた達はっ!!)
 神妙に内藤には答えつつ、真澄は心の中で弟夫婦を盛大に叱りつけた。勿論内藤は、そんな彼女の心情などは分からないまま、また一口サンドイッチを食べてから話を続ける。

「披露宴会場は、本当に大盛り上がりだったよ。それで彼らの出番が終わってから、会場を抜け出して声をかけに行ったら、柏木君に驚かれてね。どうしてあんな芸人もどきの事をしているのかは、尋ねても言葉を濁していたんだが、『この事は家族には内密に』と懇願されたんだ。だが話の流れで、近々一時帰国する予定がある事を何気なく口にしたら、奥さんから『できれば真澄さんに、元気だから心配しないで欲しいと伝えて頂けませんか?』とこっそり頼まれたもので、撮っておいた写真持参で帰国したんだ。良かったら受け取ってくれ」
 あくまでも善意から写真を持って来てくれたのは分かった為、真澄は何枚かの写真に目を通してから、元通り封筒にしまって内藤に礼を述べた。

「ありがとうございます。思いがけず、弟達の消息が分かって嬉しいです」
「それは良かった」
「あの……、支社長。この事は父には……」
 そんな懸念を口にすると、内藤は笑って応じる。

「社長とは顔を合わせたが、余計な事は何も言っていない。安心してくれ」
「ありがとうございます」
(良かったわ。こんな事がお父様とお祖父様の耳に入ったら、血圧が際限なく上がるに決まっているもの)
 それを聞いた真澄は安堵して胸をなで下ろし、それからは内藤と社内外の話で盛り上がって、有意義な一時を過ごした。

「それでは失礼するよ。色々話が聞けて良かった。日本を離れていると、やはり時節に疎くなってね」
「いえ、こちらこそご馳走になった上、弟達の事や参考になる話を伺えて良かったです。ありがとうございました」
 そうしてエレベーターホールに向かって歩き出した内藤を、一礼して見送った真澄だったが、少し前から気になっていた事を確認するべく、内藤の背中を眺めながら少し大きめの声を出した。

「蜂谷さん、そこに居るわよね? 出て来なさい」
 真澄がそう口にした途端、彼女の斜め後方に位置する、観葉植物の鉢植えを三つ並べて配置した、高さが1メートル程の仕切りの陰から、蜂谷が勢い良く立ち上がった。

「はっ。はいぃっ!! ど、どうして俺がここに居ると、お分かりになられたんですか、女神様!?」
 入社当初は自分に反抗しまくりだったものの、自分が産休に入る前後に清人からの指導、及び調教を受けて、すっかり従順になってしまった彼が、狼狽しながらオロオロと問い掛けてくるのを見て、真澄は溜め息を吐きたいのを堪えた。

(だって向こう側にいる人達全員、変な顔で観葉植物の下方を見ているんだもの。バレバレじゃない)
 しかしそれを一々指摘して指導するのも面倒になった真澄は、腕組みして憮然としながら短く告げた。

「女神の私に、分からない事があると思って?」
 そう口にした途端、蜂谷は満面の笑みで真澄を褒め称える。

「確かに、仰る通りでございます! さすがは女神様!!」
「清人に言っておきなさい。支社長とは話をしただけで、内容は帰宅したら伝えるからって。分かったわね?」
「畏まりましたっ!!」
 清人が彼の「ご主人様」であり、自分の行動を逐一報告する様に言い含められているのだろうと推察して蜂谷に告げれば、予想通りの反応を返され、真澄は一瞬遠い目をした。しかしすぐに意識を現実に引き戻し、蜂谷がこれからするべき事について言及する。

「それから、スーツの腕や膝に付いた汚れをきちんと落としてから、二課に戻る様に」
「ははっ! 了解しました。それでは課長、ごみは私が片付けますので」
「そう? ありがとう。それでは先に二課に戻ります」
「ご苦労様でございます」
 おそらくロビーの床に這いつくばって様子を窺っていた為に、埃が付いたスーツについて注意してから、最敬礼した蜂谷に見送られて、真澄は職場へと足を向けた。

「…………疲れた」
 エレベーター内で思わず漏れたその台詞は、浩一達の予想外の行動を知った故か、蜂谷の無駄な忠犬っぷり故か、はたまた清人が嫉妬深くて狭量な所故か、発言した真澄自身にも良く分からなかった。
 その日真澄が帰宅すると、蜂谷から注進を受けた清人が待ち構えており、夕飯を食べながら詳細に付いて語る事になった。

「そういう訳で、今日会社で、内藤支社長からこの写真を頂いてきたのよ」
 そう言いながら、隣の椅子に置いた鞄から貰った写真入りの封筒を取り出すと、それを受け取った清人が中身を確認して、呆れかえった表情になった。

「社内で真澄が、内藤と顔を合わせたってのはムカつくが……。あいつらはアメリカまで行って、一体何をやっているんだ?」
「激しく同感だし、どういう事情でこんな事をしているのかは皆目見当が付かないけど、元気そうで何よりじゃない?」
 真澄が苦笑いして感想を求めると、清人は写真に目を落としながら笑って頷いた。

「そうだな。こんな馬鹿な事を真面目にやる位、元気みたいだからな」
「今度、皆にも見せてあげないとね」
「そうだな。ろくに挨拶もせずに渡米したんだから、この際笑いのネタになる位、仕方がないだろう。皆、腹を抱えて爆笑する事請け合いだ」
 そう言って人の悪い笑みを浮かべた清人を窘める事はせず、真澄も楽しげに笑いながら食事を再開した。
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