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第7話 侍女騎士
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「ラグナ……」
ウィナは目の前に立つ巨人の名を口にする。脅威を退けたラグナはゆっくりと拳を引き、ウィナに向き直った。日の光により照らされ、後光を纏うその姿は、荘厳たる威容を放っている。
驚きはない。やるべきことはわかっていた。
巨大な手がか弱い花を守るようにウィナを包み、胸の装甲が開かれる。手が持ち上がり、招き入れられたウィナは崩れ落ちるようにその身体をラグナの体内へと放り込んだ。
装従席に倒れ込んだ先で何か柔らかいものに受け止められる。香りがする。お日様によく似た香りだ。
「ミコト」
顔を上げると、黒髪に青いハンカチを飾りつけた少女がいた。その紅の瞳は潤み、涙が零れている。
『はい。ウィナフレッド』
前回会ったときと同じ無機質で、それでいて澄んだ声が響いた。
ミコトは目元をゴシゴシと擦り、ウィナの体を席に押し付ける。彼女が宙に絵を描くような仕草を行うと、装甲が閉じられ、内壁に外の風景が広がった。
『プレイア搭乗。認証登録を開始』
ミコトの言葉と共にウィナの【眼】に様々な古代文字が浮かび上がる。同時に、どこからか光の筋が身体に当てられるのがわかった。爪先から頭のてっぺんまで、その光はくまなく往復する。
その間にもウィナは自分の息がか細くなっていくのを自覚していた。
『走査を完了。プレイアの身体的損傷に処置を実行』
ミコトは席を離れ、宙に浮かぶ。黒髪を水の中にいるかのように揺らす彼女の周囲を、様々な光の板が囲い始めた。
『――霊素供給、術式の起動を確認』
背中がなにかに押し上げられる。それだけではない。四肢から胸、首に至るまで、何かを押し当てられている。見れば半透明の結晶板のようなものが、ウィナの体に無数に張り付いていた。これは何かと不思議に思った瞬間、ミコトに頭を抱え込まれ、嫌な予感がした。
「ぐっ……ぐあああああぁぁぁぁあぁぁぁ!」
全身を耐え難い苦痛が貫く。それは結晶板からのものではなく、体の内側から発せられていた。痛みは急速に体の芯から末端に広がり、全身を駆け巡る。その感覚にウィナは直感した。これは痛みが来たのではなく、戻ってきたのだと。
「うっ……ぐうっ!」
ウィナの体が弾けるような音と共に跳ねる。音の原因は骨だろう。体の中で骨が繋がり、嵌る感覚は背筋の凍るようなおぞましさだ。
その時、痛みと不快感の濁流に飲まれる意識へ追い打ちをかけるようなけたたましい音が響く。呻きを漏らしながら瞼を開くと、ミコトが焦燥の色を帯びた顔で背後を睨みつけているのが見えた。
『敵性体の接近を確認』
「敵……?」
視線を巡らせると背後を映し出していると思しき手鏡のような結晶が目につく。そこには先ほどラグナが殴り飛ばしたものと同種の化け物が二体映っていた。ゆっくりとこちらへ近づいてくるさまが見える。
――まだ敵がいる。
ウィナの中で怒りに似た衝動が沸き上がった。
『攻撃予兆検出。回避行動を――』
再び警報が鳴る。ミコトが片手で魔術式のような光を操りながら歯噛みした。
それを見てウィナは咄嗟に身体を賦活させ、上体を起こす。今できる全力をもってしても動いたのは右半身だけだったが、その反動で座席が起き上がり、体を前へと押しやった。
伸ばした手は桿を掴むと――何かが入り込んでくるような感覚があった。
自身の体とは別の存在の体が傍にあり、そして体を包み込んでいるようで、とてつもなく重い感覚だ。だが同時に確信を得る。その体は共に動いてくれるという確かな自信を。
『ウィナフレッ――』
気づいたミコトが驚き、制止しようとするのがわかったが、感覚に任せて桿を引いた。
振り回されるような揺れに襲われ、風景が矢のように一瞬で流れ去る。
「うぐぁっ!?」
直後、激しい衝撃にウィナの体は装従席内に打ち付けられた。視界に砂塵が舞っており、どうやら近くの岩壁に激突したらしい。
二人を乗せた魔装――ラグナが飛び退いたのだ。離れた岩肌に爆炎が広がっているのが見えた。
『バランサー制御に異常。DIVs再調整。FSレセプターを最小へ。NFCリンク確立最優先処理』
ミコトが立て続けに魔術式を操作すると、その影響を受けているのか【眼】が凄まじい勢いで形を変え、何かの図や数字を見せては消えてゆく。
『ウィナフレッド。治療と機体調整が不完全です。現状での戦闘行動は危険と判断します』
「だいじょ――げほげほっ!」
言いかけて、強烈な胸の違和感に咳き込む。口を覆った手に血が飛び散ったが、ウィナの意識はすぐさま警報に引っ張られた。
注意を促す笛のような甲高い音が再び響く。
前方には魔装に迫るほどの巨大な化け物が三体。一体は先ほどラグナが殴り飛ばし、ひっくり返ったまま微動だにしないが、残りの二体がこちらに進んでくるところだった。脚は八本、前肢は鋏のように開き、尾のような器官が前を向いてこちらを狙っている。その足元にはキャンプを警備していた二騎の魔装が地面に伏していた。
ウィナの【眼】が敵の尾を強調表示し、脅威を知らせる。
来る、と思った。魔装の動かし方など習っていないが、とにかく動かすことはできるようだ。先ほどの感覚に受け入れるように幹を握り直すと、前側に鍵盤のようなものが展開された。
『ウィナフレッド』
ミコトが前に出て必死な顔で呼び掛けてくる。怪我を心配してくれているのだろう。確かに全身は痛い。痺れもある。だが体は動く。そしてこのラグナもそうだ。
退く気はない。見ただけで不快感を催す化け物を前に、ウィナは何かのくびきから放たれたかのように恐れも嫌悪感も抱いていなかった。今ならばどんなことでもできそうだ。もっとこの体を、ラグナを動かしたい。
「大丈夫。いけるよ」
欲望と怒りを混ぜ合わせたような何かがウィナを強く突き動かす。この敵を倒せと本能の叫ぶまま、鐙を踏み込んだ。
次の瞬間、大きく地面を蹴ったラグナが化け物に体当たりをかます。意図した行動ではない。有り余る膂力と速度で行き過ぎただけだ。ラグナは勢いのままキャンプを飛び出し、山肌を化け物諸共滑り落ちる。
ウィナは激しく揺れる装従席の中、至近距離で蠢く化け物を睨んだ。滑落の揺れを感じながら、手足に伝わる感覚を冷静に受け止める。
ラグナの足を踏ん張り、山肌へと化け物を上から押さえつけた。土砂が巻き上げられ、滑落が止まる。錆鉄を擦り合わせたような耳につんざく鳴き声を上げ、化け物は逃れようともがく。このまま頭を殴りつけて潰そうと桿を握り込んだウィナの耳にけたたましい警報が響いた。【眼】が真横からの脅威を示す。筒のような空洞を覗かせた尾がこちらに向いていた。
「っ!」
咄嗟に腕を跳ね上げ、尾の向く先を逸らす。目論見が外れたであろうにも関わらず、化け物は尾から衝撃を放った。至近距離の爆音に鋼の身体が揺れる。ウィナには何が放たれたのか確認できなかったが、射線上にいればタダでは済まないことくらいはわかった。ならば、最優先で狙うのは――!
「――ここぉッ!」
ウィナは二射目を撃たせる前に側面へと回り、尾を両手で掴んだ。化け物の巨大な鋏がラグナの足を狙って振るわれるが、こちらの方が速い。鉄の体の全体重を乗せて尾の付け根を踏み砕く。化け物の体の前方が浮き上がるほどの衝撃に、苦悶の鳴き声が上がった。それでもなお化け物の動きは止まらない。なら、とウィナは全力で桿を引く。
「これならどうだああぁぁ!」
ウィナの気合がラグナに伝わったかのように更なる活力が末端の剛腕に行き渡り、尾を引き千切らんと唸りを上げた。化け物は未だ逃れようと体を左右に激しく捻るが、ウィナは構わない。ラグナにかかる負荷が伝わるのか、より重さを増した桿をさらに引き絞った。
「あああぁぁぁぁぁッ!」
限界まで引き延ばされた尻尾の各所から体液が飛び散る。魔装の足ほどの太さを持つ尾が、その耐久力を超えて一気に引き千切られた。様々な色の液体と器官らしきものを道ずれに尾を引っこ抜かれた化け物は、ひと際大きな断末魔と共に地に伏せた。
ラグナの手を離れた尾が重たい音を立てて地面に落ちる。
ウィナは荒い呼吸を整えながら、吹き出していた汗を拭った。
「し、死んだ……? 殺した……。こいつ、なに?」
乾いた口で唾を飲み込みながら、ウィナは自問するように呟く。改めて、絶命せしめたであろう化け物を見た。
足元に転がるそれは、臓腑を引き裂けば死ぬのだから生物なのだろう。体毛がなく甲殻を背負いながらも肉に覆われた個所もあり、脚そのものが爪のように鋭い。
『マインドインテンション検知』
ミコトの声に思考が遮られる。左上方向からの圧力を感じさせる音の先を見上げると、もう一体の化け物が尾をこちらに向けていた。
「うわっ!」
『NFCリンク確立完了。防御します』
ウィナは咄嗟に体を庇うように腕を交差する。直後に眩い光と爆音。だが、予想していたような衝撃はない。視界を覆う爆炎が晴れた時、そこには氷のような障壁がそこにあった。花のような紋様を広げるそれに、ウィナは見覚えがある。
「防御……魔法?」
魔法を使うものが防御に使用する魔力の障壁。ウィナが行使できないはずのそれが、ラグナを通して展開されていた。
戸惑いにウィナは思わず動きを止める。
狼狽しているのか、それとも憤激しているのか、化け物は雄たけびを轟かせた。しかし、二射目、三射目を続けて放つもラグナには傷ひとつ負わせられない。
「凄い……!」
感嘆したウィナの横で、ミコトが魔術式を展開する。【眼】にラグナの体と思しき輪郭が浮かび上がり、その右肩後部に懸下された武装――身の丈ほどもある長剣があることを示した。
「使えって?」
言いながらも既にウィナは行動に移している。
そうすることが当たり前のように、幹に備えられたいくつものボタンに指を走らせた。懸下された剣がその位置を前側に移動させ、固定を外した刀身を滑らせる。
「剣なんてアタシに――!」
ラグナは右腕で剣の握りを掴み、巨体を低く沈ませた。
『セイフティリグ展開』
ミコトの操作によるものか、ウィナ自身の体に結晶のような鎧がまとわりつく。重さを感じないそれは体を操縦席へと堅牢に固定したようだった。
「おあつらえ向きじゃんッ!」
瞬間、抜剣と共にラグナを跳躍させる。目に捉えられないほどの速度で放たれた物体が、一瞬前まで立っていた地面を穿つ。
ラグナは高々と飛び上がった先で長剣を振り上げた。狙いは胴体。空中から、目標を見失った化け物がゆっくりと上を向くのが見える。
「はああぁぁぁ!」
ウィナは雄叫びと共に、重力の助けを借りて加速された剣を敵に叩きつけた。
甲殻がその刃に抵抗できたのは、ないにも等しい時間だろう。剣は甲殻の中心に沿って滑らかに滑り込み、臓腑と骨を断ち切り、その下にあった地面に衝撃を伴って剣身を沈める。
身体を両断された化け物は、やがてその尾と脚を弛緩させ、地面に倒れ伏した。
ラグナは剣をずるりと引き抜く。
化け物を装従席で見下ろしていたウィナが顔を上げると、短音が響いた。視界に周囲の地形と思われる図が表示され、反応がないことを示している。
「お、終わった……」
ウィナの全身から力が抜ける。
『周囲に敵性反応なし』
声と同時に陽気な短音が鳴って、何か柔らかいものに顔を包まれた。
『ウィナフレッド。ウィナフレッド』
ミコトがウィナの頭にしがみつき、じゃれついていた。まるで猫を可愛がるように頭を撫でられるので、さすがのウィナも抗議の声を上げる。
「おふっ……。わかった、わかったから」
ひとしきりじゃれつき終わったのか、ミコトは体を離すと、いまだ桿に食い込むウィナの指に触れた。何かと思い、ミコトの手を取ろうとしたが、そこで気づく。
――桿を握る手が開かない。
「あ、あれ?」
その状態で凍ってしまったかのように、ウィナの指は動かない。固く握られたウィナの指をミコトは一本一本ゆっくりと引き剥がした。そのうち自由になった右手を見ると、小刻みに震えている。手だけではない。視線を落とした先の鐙に置かれた足も、ガクガクと痙攣していた。
一心不乱に戦っていた間には感じなかった死への恐怖。一度は生きることを諦めかけるまでになった事実を、徐々に実感してゆく。ミコトによって左の手も外されると、ウィナは自分の身体を掻き抱いた。
生きている。息もしているし、手もちゃんと使える。手が使えなければお茶を淹れることも料理をすることもできなくなっていた。失うところだった自分の命と身体が今になって惜しく感じて、ウィナは堪えきれず嗚咽を漏らす。
不意に暖かいものが体に寄り添い、頭を撫でられる感触がした。
それは凍り付いたような体と心を溶かしてくれているようで、ウィナはしばらく身を預けた。
ウィナは目の前に立つ巨人の名を口にする。脅威を退けたラグナはゆっくりと拳を引き、ウィナに向き直った。日の光により照らされ、後光を纏うその姿は、荘厳たる威容を放っている。
驚きはない。やるべきことはわかっていた。
巨大な手がか弱い花を守るようにウィナを包み、胸の装甲が開かれる。手が持ち上がり、招き入れられたウィナは崩れ落ちるようにその身体をラグナの体内へと放り込んだ。
装従席に倒れ込んだ先で何か柔らかいものに受け止められる。香りがする。お日様によく似た香りだ。
「ミコト」
顔を上げると、黒髪に青いハンカチを飾りつけた少女がいた。その紅の瞳は潤み、涙が零れている。
『はい。ウィナフレッド』
前回会ったときと同じ無機質で、それでいて澄んだ声が響いた。
ミコトは目元をゴシゴシと擦り、ウィナの体を席に押し付ける。彼女が宙に絵を描くような仕草を行うと、装甲が閉じられ、内壁に外の風景が広がった。
『プレイア搭乗。認証登録を開始』
ミコトの言葉と共にウィナの【眼】に様々な古代文字が浮かび上がる。同時に、どこからか光の筋が身体に当てられるのがわかった。爪先から頭のてっぺんまで、その光はくまなく往復する。
その間にもウィナは自分の息がか細くなっていくのを自覚していた。
『走査を完了。プレイアの身体的損傷に処置を実行』
ミコトは席を離れ、宙に浮かぶ。黒髪を水の中にいるかのように揺らす彼女の周囲を、様々な光の板が囲い始めた。
『――霊素供給、術式の起動を確認』
背中がなにかに押し上げられる。それだけではない。四肢から胸、首に至るまで、何かを押し当てられている。見れば半透明の結晶板のようなものが、ウィナの体に無数に張り付いていた。これは何かと不思議に思った瞬間、ミコトに頭を抱え込まれ、嫌な予感がした。
「ぐっ……ぐあああああぁぁぁぁあぁぁぁ!」
全身を耐え難い苦痛が貫く。それは結晶板からのものではなく、体の内側から発せられていた。痛みは急速に体の芯から末端に広がり、全身を駆け巡る。その感覚にウィナは直感した。これは痛みが来たのではなく、戻ってきたのだと。
「うっ……ぐうっ!」
ウィナの体が弾けるような音と共に跳ねる。音の原因は骨だろう。体の中で骨が繋がり、嵌る感覚は背筋の凍るようなおぞましさだ。
その時、痛みと不快感の濁流に飲まれる意識へ追い打ちをかけるようなけたたましい音が響く。呻きを漏らしながら瞼を開くと、ミコトが焦燥の色を帯びた顔で背後を睨みつけているのが見えた。
『敵性体の接近を確認』
「敵……?」
視線を巡らせると背後を映し出していると思しき手鏡のような結晶が目につく。そこには先ほどラグナが殴り飛ばしたものと同種の化け物が二体映っていた。ゆっくりとこちらへ近づいてくるさまが見える。
――まだ敵がいる。
ウィナの中で怒りに似た衝動が沸き上がった。
『攻撃予兆検出。回避行動を――』
再び警報が鳴る。ミコトが片手で魔術式のような光を操りながら歯噛みした。
それを見てウィナは咄嗟に身体を賦活させ、上体を起こす。今できる全力をもってしても動いたのは右半身だけだったが、その反動で座席が起き上がり、体を前へと押しやった。
伸ばした手は桿を掴むと――何かが入り込んでくるような感覚があった。
自身の体とは別の存在の体が傍にあり、そして体を包み込んでいるようで、とてつもなく重い感覚だ。だが同時に確信を得る。その体は共に動いてくれるという確かな自信を。
『ウィナフレッ――』
気づいたミコトが驚き、制止しようとするのがわかったが、感覚に任せて桿を引いた。
振り回されるような揺れに襲われ、風景が矢のように一瞬で流れ去る。
「うぐぁっ!?」
直後、激しい衝撃にウィナの体は装従席内に打ち付けられた。視界に砂塵が舞っており、どうやら近くの岩壁に激突したらしい。
二人を乗せた魔装――ラグナが飛び退いたのだ。離れた岩肌に爆炎が広がっているのが見えた。
『バランサー制御に異常。DIVs再調整。FSレセプターを最小へ。NFCリンク確立最優先処理』
ミコトが立て続けに魔術式を操作すると、その影響を受けているのか【眼】が凄まじい勢いで形を変え、何かの図や数字を見せては消えてゆく。
『ウィナフレッド。治療と機体調整が不完全です。現状での戦闘行動は危険と判断します』
「だいじょ――げほげほっ!」
言いかけて、強烈な胸の違和感に咳き込む。口を覆った手に血が飛び散ったが、ウィナの意識はすぐさま警報に引っ張られた。
注意を促す笛のような甲高い音が再び響く。
前方には魔装に迫るほどの巨大な化け物が三体。一体は先ほどラグナが殴り飛ばし、ひっくり返ったまま微動だにしないが、残りの二体がこちらに進んでくるところだった。脚は八本、前肢は鋏のように開き、尾のような器官が前を向いてこちらを狙っている。その足元にはキャンプを警備していた二騎の魔装が地面に伏していた。
ウィナの【眼】が敵の尾を強調表示し、脅威を知らせる。
来る、と思った。魔装の動かし方など習っていないが、とにかく動かすことはできるようだ。先ほどの感覚に受け入れるように幹を握り直すと、前側に鍵盤のようなものが展開された。
『ウィナフレッド』
ミコトが前に出て必死な顔で呼び掛けてくる。怪我を心配してくれているのだろう。確かに全身は痛い。痺れもある。だが体は動く。そしてこのラグナもそうだ。
退く気はない。見ただけで不快感を催す化け物を前に、ウィナは何かのくびきから放たれたかのように恐れも嫌悪感も抱いていなかった。今ならばどんなことでもできそうだ。もっとこの体を、ラグナを動かしたい。
「大丈夫。いけるよ」
欲望と怒りを混ぜ合わせたような何かがウィナを強く突き動かす。この敵を倒せと本能の叫ぶまま、鐙を踏み込んだ。
次の瞬間、大きく地面を蹴ったラグナが化け物に体当たりをかます。意図した行動ではない。有り余る膂力と速度で行き過ぎただけだ。ラグナは勢いのままキャンプを飛び出し、山肌を化け物諸共滑り落ちる。
ウィナは激しく揺れる装従席の中、至近距離で蠢く化け物を睨んだ。滑落の揺れを感じながら、手足に伝わる感覚を冷静に受け止める。
ラグナの足を踏ん張り、山肌へと化け物を上から押さえつけた。土砂が巻き上げられ、滑落が止まる。錆鉄を擦り合わせたような耳につんざく鳴き声を上げ、化け物は逃れようともがく。このまま頭を殴りつけて潰そうと桿を握り込んだウィナの耳にけたたましい警報が響いた。【眼】が真横からの脅威を示す。筒のような空洞を覗かせた尾がこちらに向いていた。
「っ!」
咄嗟に腕を跳ね上げ、尾の向く先を逸らす。目論見が外れたであろうにも関わらず、化け物は尾から衝撃を放った。至近距離の爆音に鋼の身体が揺れる。ウィナには何が放たれたのか確認できなかったが、射線上にいればタダでは済まないことくらいはわかった。ならば、最優先で狙うのは――!
「――ここぉッ!」
ウィナは二射目を撃たせる前に側面へと回り、尾を両手で掴んだ。化け物の巨大な鋏がラグナの足を狙って振るわれるが、こちらの方が速い。鉄の体の全体重を乗せて尾の付け根を踏み砕く。化け物の体の前方が浮き上がるほどの衝撃に、苦悶の鳴き声が上がった。それでもなお化け物の動きは止まらない。なら、とウィナは全力で桿を引く。
「これならどうだああぁぁ!」
ウィナの気合がラグナに伝わったかのように更なる活力が末端の剛腕に行き渡り、尾を引き千切らんと唸りを上げた。化け物は未だ逃れようと体を左右に激しく捻るが、ウィナは構わない。ラグナにかかる負荷が伝わるのか、より重さを増した桿をさらに引き絞った。
「あああぁぁぁぁぁッ!」
限界まで引き延ばされた尻尾の各所から体液が飛び散る。魔装の足ほどの太さを持つ尾が、その耐久力を超えて一気に引き千切られた。様々な色の液体と器官らしきものを道ずれに尾を引っこ抜かれた化け物は、ひと際大きな断末魔と共に地に伏せた。
ラグナの手を離れた尾が重たい音を立てて地面に落ちる。
ウィナは荒い呼吸を整えながら、吹き出していた汗を拭った。
「し、死んだ……? 殺した……。こいつ、なに?」
乾いた口で唾を飲み込みながら、ウィナは自問するように呟く。改めて、絶命せしめたであろう化け物を見た。
足元に転がるそれは、臓腑を引き裂けば死ぬのだから生物なのだろう。体毛がなく甲殻を背負いながらも肉に覆われた個所もあり、脚そのものが爪のように鋭い。
『マインドインテンション検知』
ミコトの声に思考が遮られる。左上方向からの圧力を感じさせる音の先を見上げると、もう一体の化け物が尾をこちらに向けていた。
「うわっ!」
『NFCリンク確立完了。防御します』
ウィナは咄嗟に体を庇うように腕を交差する。直後に眩い光と爆音。だが、予想していたような衝撃はない。視界を覆う爆炎が晴れた時、そこには氷のような障壁がそこにあった。花のような紋様を広げるそれに、ウィナは見覚えがある。
「防御……魔法?」
魔法を使うものが防御に使用する魔力の障壁。ウィナが行使できないはずのそれが、ラグナを通して展開されていた。
戸惑いにウィナは思わず動きを止める。
狼狽しているのか、それとも憤激しているのか、化け物は雄たけびを轟かせた。しかし、二射目、三射目を続けて放つもラグナには傷ひとつ負わせられない。
「凄い……!」
感嘆したウィナの横で、ミコトが魔術式を展開する。【眼】にラグナの体と思しき輪郭が浮かび上がり、その右肩後部に懸下された武装――身の丈ほどもある長剣があることを示した。
「使えって?」
言いながらも既にウィナは行動に移している。
そうすることが当たり前のように、幹に備えられたいくつものボタンに指を走らせた。懸下された剣がその位置を前側に移動させ、固定を外した刀身を滑らせる。
「剣なんてアタシに――!」
ラグナは右腕で剣の握りを掴み、巨体を低く沈ませた。
『セイフティリグ展開』
ミコトの操作によるものか、ウィナ自身の体に結晶のような鎧がまとわりつく。重さを感じないそれは体を操縦席へと堅牢に固定したようだった。
「おあつらえ向きじゃんッ!」
瞬間、抜剣と共にラグナを跳躍させる。目に捉えられないほどの速度で放たれた物体が、一瞬前まで立っていた地面を穿つ。
ラグナは高々と飛び上がった先で長剣を振り上げた。狙いは胴体。空中から、目標を見失った化け物がゆっくりと上を向くのが見える。
「はああぁぁぁ!」
ウィナは雄叫びと共に、重力の助けを借りて加速された剣を敵に叩きつけた。
甲殻がその刃に抵抗できたのは、ないにも等しい時間だろう。剣は甲殻の中心に沿って滑らかに滑り込み、臓腑と骨を断ち切り、その下にあった地面に衝撃を伴って剣身を沈める。
身体を両断された化け物は、やがてその尾と脚を弛緩させ、地面に倒れ伏した。
ラグナは剣をずるりと引き抜く。
化け物を装従席で見下ろしていたウィナが顔を上げると、短音が響いた。視界に周囲の地形と思われる図が表示され、反応がないことを示している。
「お、終わった……」
ウィナの全身から力が抜ける。
『周囲に敵性反応なし』
声と同時に陽気な短音が鳴って、何か柔らかいものに顔を包まれた。
『ウィナフレッド。ウィナフレッド』
ミコトがウィナの頭にしがみつき、じゃれついていた。まるで猫を可愛がるように頭を撫でられるので、さすがのウィナも抗議の声を上げる。
「おふっ……。わかった、わかったから」
ひとしきりじゃれつき終わったのか、ミコトは体を離すと、いまだ桿に食い込むウィナの指に触れた。何かと思い、ミコトの手を取ろうとしたが、そこで気づく。
――桿を握る手が開かない。
「あ、あれ?」
その状態で凍ってしまったかのように、ウィナの指は動かない。固く握られたウィナの指をミコトは一本一本ゆっくりと引き剥がした。そのうち自由になった右手を見ると、小刻みに震えている。手だけではない。視線を落とした先の鐙に置かれた足も、ガクガクと痙攣していた。
一心不乱に戦っていた間には感じなかった死への恐怖。一度は生きることを諦めかけるまでになった事実を、徐々に実感してゆく。ミコトによって左の手も外されると、ウィナは自分の身体を掻き抱いた。
生きている。息もしているし、手もちゃんと使える。手が使えなければお茶を淹れることも料理をすることもできなくなっていた。失うところだった自分の命と身体が今になって惜しく感じて、ウィナは堪えきれず嗚咽を漏らす。
不意に暖かいものが体に寄り添い、頭を撫でられる感触がした。
それは凍り付いたような体と心を溶かしてくれているようで、ウィナはしばらく身を預けた。
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