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05.目覚めの夜と「始まり」の書斎
しおりを挟む「…さい、起きてください!」
「あ……」
フレアが私の顔を覗き込んでいた。
そうだ、私は彼女に猛スピードで引っ張られて、気を失っていたのだ。
あんなに眠れないってやってたのに普通に気絶してしまった。でも、寝ることと気絶することは別物だしな、うん。
「すいません、勢いで引っ張ってしまって……でも!マキナさんの腕はちゃんとくっついてますから!この通り!」
そう言ってフレアは私の腕を掴み、ぶんぶんと振る。
なんというかこの人、変わり者が過ぎる。まあ、天才ってこういう人の事を言うのかも知れない。
「ここは……」
起き上がって辺りを見回すと、そこは教室くらいの大きさの長方形の部屋だった。
奇妙な事に壁が全て本棚になっており、隙間なく本が納められている。本はそれぞれ大きさやデザインが異なっているが、背表紙には何も書かれていない。
それ以外の家具や置物は一切無く、幾つか燭台があるだけだ。暗がりの中、無数の本が私とフレアを取り囲んでいる。なんというか、圧巻だった。
「ここは、私の練習場所。読めない本の部屋です」
「読めない本……?」
「私が勝手にそう呼んでいるだけですが。どの本を取ろうとしても、本の背表紙に手が届かないんです。まるで、見えない壁があるみたいに」
それは不思議だけど、魔法の練習となんの関係が……?
そう思って横を見ると、いつの間にかフレアの全身から激しく煙が上がっている。そのまま彼女は何か呟き始めた。
「【炎の地より来るもの。水煙うち立たせ、蒼赫の顎を開く】」
燭台の火が消え、両手を合わせて瞑目する彼女の足下には赤い魔法陣と青い魔法陣が浮かび上がる。赤は炎属性、青は水属性の象徴だ。
あの、フレアさん……?まさか詠唱してます……?
こんな部屋で魔法を使ったら大変なことになる。でも、彼女の表情があまりに真剣なもので、何も言えなかった。
「【逆巻け、憤水獣】!」
魔法陣が合わさり、その中から巨大な、ワニのような怪物が飛び出してきた。その体は全て水で構成されているようだが、背中からは蒸気を噴き上げている。
怪物は大きく口を開け、本棚に向かって灼熱を吐き出すと、そのまま溶けるように消えた。
「はぁ、やはり、これが限界ですか……」
もろに火炎を浴びたはずなのに、本棚には何の変化もない。
「い、今のは……何?」
初等部ではお目にかかったことがない、高度な魔法だ。なるべく平静を装って、肩で息をするフレアに話しかける。
「見ての通りです。試作の混合魔法をたたき込んでも、この本棚たちはビクともしません。なので、魔法の練習にはもってこいというわけです。マキナさんもどうぞ」
やべー。これ何かしら実演しないと行けないやつ。腹をくくるしかない。
「あー、うん。じゃあ、やろうかな……」
「了解です。では、私は失礼します」
「え?」
「ご存じだとは思いますが、師匠は他の弟子との接触を禁じているので。お互い、今夜のことは秘密にしましょうね」
「そうなの……?」
ご存じじゃないです……
「修行のしおりに書いてありましたけど」
ああ、それ多分捨てたな。
「ではまた、機会がありましたら!」
「え?」
何か言う間もなく、フレアは目の前から消えた。嵐のようだった。
……普通に置いてかれた。
「ここ、どこ……?」
休憩時間は自室のベッドに突っ伏してたから、広大な塔の内部構造をろくに知らない。迷子って、コト……!?
とにかく、この部屋は本棚で行き止まりだ。フレアが去って行った扉の方から出ないと。
そう思った瞬間。木製の扉は、勝手に閉じた。外からの明かりが消え、部屋の中は完全な暗闇となる。
「な、なんで……!?」
押しても引いても、扉は塗り固められたように開かない。
……閉じ込められた。
燭台の炎が消え、完全な闇が訪れた部屋に私はひとり閉じ込められてしまった。
フレアは「師匠はもう寝ている」と言っていた。師匠に嵌められたという訳では無さそうだ。無いよね?
それにしても、こんな不気味な部屋で一夜を過ごすわけにはいかない。
「こうなったら……」
外に出る方法は1つ。魔法で扉を壊すしかない。強力な力を、ていねいにイメージするんだ。
扉を粉々にする、凄まじい一撃を……本気の魔法で放つ!
「【壊す者、お願い】!」
私の一声で魔力が集まり、空中に破壊の形を作り出していく。
やがて、私の背よりずっと大きな銀色のハンマーが出現した。純粋で単純な破壊の力。そして、この力を扱うには相応の「ウデ」が必要だ。
ハンマーの頭上に白い魔法陣が浮かび上がり、中から現れた半透明の「ウデ」がハンマーの柄を掴んだ。
私の体より大きな一本のウデ。何度か試すように巨大なハンマーを振り、暗闇の中で銀色の光沢が微《かす》かに煌《きら》めく。
そして、腕は大きく振りかぶった。
あとは私の合図でウデを動かし、ハンマーを扉にぶつける!
「いけえええ!!!!!」
ウデに破壊の指示を出す。ハンマーは猛烈な勢いで、破壊の一撃を木の扉に浴びせた。
が、何も起きなかった。固いものにぶつかった時になるような音も、衝撃も、何も。扉は依然として無傷のままそこにある。
それならもう一回と、魔力の腕に指示を出そうとした瞬間。
部屋中の本が一斉に、激しく輝き始めた。
「な、なに……?」
そちらに気を取られ、ハンマーとウデは元の魔力に還って宙に霧散《むさん》していく。
瞬く間に白い光が部屋を満たし、燭台の火が付いていたときよりも、部屋の内部がはっきり見えるようになった。
そして私は、息を呑んだ。
燭台の火やフレアの魔法では照らされなかった、天井や床。
それらに、大量のひっかき傷が刻まれていたのだ。明らかに、人間が刻んだものではない。
「あ……」
どうすればいいのか。呆然と立ち尽くしていると、沢山の光る本の中に、一冊だけ青く光っている本があることに気付いた。
※
ーーどの本を取ろうとしても、本の背表紙に手が届かないんです。まるで、見えない壁があるみたいに。
※
フレアの言葉が脳裏をよぎる。それなのにゆっくりと、私の足は青く光る本へ近づいていく。
明かりにおびき寄せられる虫のように、何の疑問も持たなかった。そうすることが自然のように思えたから。
そしてなんの迷いもなく、手を伸ばした。
本の背表紙に、手が触れる。
「さわれ、た……?」
無数の本に囲まれているのに、その本棚には1冊しか本がないような、奇妙な感覚が手に伝わる。そのまま背表紙を掴んで、青く光る本を引き出そうとした。
するっ。いとも容易く本は本棚から引き出され、私の手の中に渡る。そして、光が消えた。青い光が消えて、ようやくその本が白色であることが分かった。
本の表紙にはタイトルらしき文字が並んでいる。でもそれは、見たことのない言語の文字だった。この世界の言語ではなく、私がかつていた世界の言語でもない。
それなのに、私はその文字を……本当に見たことがないのに、意味もわからないのに、ずっと前から知っていたような気がするのだ。
「……」
私は、本を開いた。【読めない本を、読んでいる】。でも、幾らページをめくっても、そこには空白があるばかり。ひたすらにページをめくり、ついに最後のページに辿り着く。
相変わらず文字は無い。でも、そこには、見たこともない魔法陣の絵が描かれていた。
ほとんど無意識だった。私の意思が、本を握っている間は消されているかのようだった。私の手が勝手に魔法陣の上に伸びていく。それを私は他人事のように眺めていた。
手のひらが魔法陣にふれ、まばゆい光を放つ。
光が消えると、本はゆっくりと私の手を離れ、本棚に戻っていく。私の瞼は静かに、ひとりでに降りてきて、やがて目の前は真っ暗になった。
それが、すべての始まり。
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