ヤンデレ設定の義弟を手塩にかけたら、シスコン大魔法士に育ちました！？

最終話 手塩にかけた未来へ

　白が基調の部屋を、シャンデリアが煌々と照らしている。硝子花瓶にいけられた生花は瑞々しい。鼻腔をくすぐるパウダリーな甘美な香りは、香水では出せない特別な香りである。
　訪れた者がうっとりする癒しの空間。それが、このピフラ・エリューズの私室である。

　けれど、現在。部屋の至る所に残された血痕と刀痕が、物々しい雰囲気を醸している。ウォラクとガルムが一戦交えた痕跡だ。ピフラは、早急に室内を一掃したかった。

（あっ、そうよ。ガルムの魔法なら容易に修繕出来るはずよね！？）
　そう思い立ち、ピフラはガルムに懇願した。けれど、彼は首を横に振りどこまでも固辞して。
　理由を訊けば「ピフラに自身の行いを悔い改めさせるため」だそうで。今回の騒動における彼女の非を、1から100まで列挙するのだった──。

　◇◇◇

　ツン、と鼻腔が刺激される。消毒臭い。
　けれど徐々に鼻が慣れてきた。ウォラクに負わされた切創の、連日の手当てのためである。ガルムは軟膏薬をたっぷり取り、ピフラの手にやさしく塗布した。使用人にされるよりこそばゆく感じ、ピフラは未だ慣れないでいる。

「ねえ、ガルム。これくらい自分で出来るわ」
　そう言って、ピフラはガルムに握られた手を引き抜こうと試みた。けれど巻きかけの包帯を掴まれ、あっさり阻止されてしまう。
　ガルムは赤い目を細め、白い歯を溢した。

「あははっ！　冗談言わないでください。大人は怪しい男にホイホイついて行ったりしません」
　ガルムのとびきり美しい笑顔に、一瞬で黒い陰が落ちる。赤い炯眼けいがんがピフラを射抜き、朗らな声音に苛立ちが滲んだ。
　「うちの義弟は怒らせたら怖い」先日の魔王騒動で学んだピフラは、あっさり口を噤んだ。

　──あの夜は、文字通り地獄だった。
　魔王を復活を目論む赤目と、転生者ピフラを欲する魔王。ピフラを取り巻くすべてが、魔王のシナリオだったいう真相。
　あれから、2人は答え合わせをした。双方の秘密や事情を明かし合ったのである。
　ピフラが明かしたのは、ここが乙女ゲーム『ラブハ』の世界である事。自分はガルムに殺される悪役令嬢だったという事だ。
　ガルムが明かしたのは、ピフラが転生者だと知っていた事。そして、悪しき黒魔法士からピフラを守るため、公爵に買われたという事だった。

「──きっと、魔王が作ったシナリオゲームの俺は、ヒロイン魔王に使役されていたんでしょうね。それでヤ・ン・デ・レ・という名のパーピルになり、姉上を殺した。……チッ！　あのクソババア……もっと痛めつけて嬲り殺せばよかった」
「ちょっと！　貴方クソババアなんて言葉どこで覚えたの！？」
「姉上は俺をいくつだと思っているんですか」
　不貞腐れたガルムは、ピフラの包帯を強めに締め直す。最近分かった事だが、ガルムは「痛っ！」とピフラが顔を顰めるたび、機嫌を直すきらいがある。
　そして、その後は決まって彼女の指先にキスを落とすのだ。ガルムの一連の行動を見て、ピフラは漠と考える。

　──『ラブハ』のガルムは、夜会でヒロインに一目惚れした。ともすれば、あの夜、ヒロイン魔王に一目惚れしていた可能性がある。
　しかし現実のガルムは立場上、義姉を守らざるを得なかったのでは？　それならば、ガルムは悔恨の念に駆られているはず。
　ピフラの心臓がぎゅっと締め付けられた。

　包帯を巻き終えたガルムは、ピフラと手のひらを合わせ五指を絡める。
　ピフラは我にかえり顔を上げた。熱を孕む赤い眼差しに捕らわれ、仕留められた獲物のように硬直する。
　秀麗な面がピフラの細面に近づき、2人の額が静かに突き合った。互いの鼻先が触れる。
　彼に対する罪悪感が膨れ上がる。ピフラはやっとの思いで口にした。

「ひっ、ヒロインじゃなくて、ごめんなさい」
「……はい？」
　ガルムの顔がパッと離れた。上目で表情を覗き見ると、目を見開き口を開けている。呆然としている様子だ。
　おそらく、現実に引き戻されたのだろう。
　ピフラは小さく溜め息を吐いた。いくらシスコンとはいえ、ガルムの運命の相手はヒロインである。自分は悪役令嬢で、ヒロインにはなり得ない。
　そうだ。ガルムは、目を背けたいのかもしれない。最愛のヒロインを失ったという酷な現実から。だから義姉に甘え、こうして求めてくるのだ。そう逡巡したピフラの眦に、うっすらと涙が滲む。

（ヒロインに転生したかった。そうしたらガルムはわたしを……）
　ピフラは恐る恐る顔を上げる。すると、眉間に渓谷を作るガルムと視線がぶつかった。眦を吊り上げ、苛立ちを露わにしている。そして猟犬が威嚇するような鋭さで、ガルムは噛みつくように言った。
　
「姉上って、本っっっっ当に俺を苛立たせる天才ですよね」
「……へ？　きゃあ！？」
　一瞬でガルムに組み敷かれる。ピフラはソファの座面に横たえ、手首を縫い付けられた。白んだ金髪が桃色のソファの上で、絹糸のように流れる。
　ガルムは、怒気を含蓄する声音で言った。

「貴女が好きだって散々言ってきたつもりでしたが、まだ解りません？」
「で、でもガルムはヒロインに一目惚れする運命だから。もし魔王に一目惚れしてたなら、わたし──」
　瞬間、唇が熱いもので塞がれた。出し抜けな事に理解が追いつかず、ピフラは黙って受け入れる。
　何度も唇を喰まれ、熱い呼気が混ざり合った。熱を孕む赤瞳に見つめられ脳が痺れていく。意識が遠くなり、そして唇を咬まれた。

「痛いたっ！？」
「今まで良・い・子・にしてきたのが間違いでした」
「え？」
　ピフラの眦に滲んだ涙を、ガルムは指の背で優しく拭う。そして、咬まれた玉唇を指でなぞるピフラを見やり、吐息だけで一笑した。

「せっかく手塩にかけて育てたのに、こんな男でがっかりしました？」
　ピフラの目と鼻の先で、ガルムは艶然と微笑んだ。勝利を確信しているような、好戦的な眼差しで。

「ガガガガルムッ！？　こんな女たらしみたいな事、外でしちゃだめよ！？！？」
　ピフラはガルムを突き飛ばし、爆ぜるように飛び起きた。

（こっこれじゃ……ときめきすぎて、人死が出てしまう。ああもう、心臓うるさい！！）
　紅潮したピフラは、自分の胸に手を当てる。強く打ちつける鼓動が体内で反響し、自分の耳にも聞こえた。

（待って。ガルムは昔からスキンシップが近かったから……もしかしてキスも姉弟でやるものだと思ってる？）
　あり得る。なにせ相手は大がつくほどのシスコンだ。特に矯正する事もなく成長させてしまったので、ず・れ・て・いるのかも。
　だとすれば、これは一大事だ。無自覚に乙女心を挫き泣かせる、悪い男になってしまう（というか、すでになっているかも）。
　今後、不本意な浮き名が流れないよう、ガルムにスキンシップの距離感を教えなければならない。
　……そう思い、ピフラは開口した。

「ん゛んっ！　あのねガルム。わたし達、これまで姉弟きょうだいとしてスキンシップをしてきたでしょう？　でもあれって正直近すぎたのよ」
「そうですか」
　咳払いをして改まって言う。しかし、肝心のガルムは他人事のように平然としている。その様子にたじろぐも、ピフラは続けた。
　
「そっ、そうよ。だからね、キスも姉弟のスキンシップだと思ったのでしょうけど、あれは本来恋人同士がするもので……」
「恋人って何ですか？」
「はあ！？」
　ピフラの高声が部屋に響いた。

（え！？　恋人の概念を知らないなんてことある！？　いや、もしかしてわたしが手塩にかけすぎたせいで、その辺の情緒が育たなかった！？　あり得る！！）
　これぞまさしく、手塩にかけすぎた弊害である。
　ガルムの質問に答えようと、久方ぶりに脳内のシナプスが集合した。ピフラは慎重に、訥々と説明する。

「……こ、恋人っていうのは、ほら、好き合っている人達のことで……だから貴方もいつかは姉離れをして……スキンシップは恋人とするもので──」
　改めて言葉にすると、現実をまざまざと感じる。感情の軋轢に耐え忍び口を噤むと、顔を覗き込まれた。
　
「俺は姉上が好きです。だからキスしましたけど、だめでした？」
　そう言って、ピフラの顎を指頭で掬う。熟れた果実のような紅顔を見やり、ガルムは目尻を垂らした。

「かわいい姉上。りんごみたいです」
「もうっ！　姉をバカにしないの」
「でも、血は繋がってません。違いました？」
　口の端を上げ、ガルムは悪戯にとぼける。言い返す理由をなくしたピフラは口を閉ざした。
　ガルムは彼女の赤い頬を指の背で撫ぜる。

「愛してます。姉上」

　そう言って、シスコン大魔法士は太陽の笑みを浮かべたのだった。
　

　ー完ー　


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最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。外伝へ続きます。