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第1章 怪力令嬢

5.月夜のムードたっぷり訓練です!

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 青い空、白い雲、そして人気カフェテリアで穏やかなティータイム…の訓練中にそれは起きた。

「今夜はムードたっぷりで評判の湖に連れて行く」
「げほげほっ!たっぷり!?ダメですよ!」

 シャルロッテはスワードと共に郊外に赴いていた。
 スワードの訓練方針は「まずは形から」である。だから本日はこうして普通の令嬢がやりそうな模擬カフェデートをすることで、実際のデートでも怪力発動しないようにする訓練の真っ最中だった。

「だが君も成人した淑女だぞ。色気の訓練もしなければ。そうだろう?」
「でっでも殿下!わたし、昼間の爽やかな訓練もダメダメですし、絶対絶対たくさんご迷惑をかけますし…」
「私が許す。問題ない」

(そ・ん・な・無・茶・な!!)

 フルーツタルトを前に「感動」や「トキメキ」で怪力発動しないよう精神統一していたシャルロッテだったが、スワードの言葉でいとも簡単に崩れ去った。

 ──メキッ!

「よし、10本目だな。ほら口を開けろ」
「でっでも!人がたくさん見ています!」
「君がフォークを曲げ散らかすから見ているんだ。ほら早く、口を」
「ひいぃっ…」

 食事の訓練にはルールがあった。

 それはシャルロッテがカトラリーを10本ダメにすると、それ以降はスワードが食べさせるというとんでもルールである。

 スワードはゼリーを纏ってフルーツがキラキラ光るタルトをフォークで刺し、慣れた手つきでシャルロッテの口に運んだ。シャルロッテもまた慣れた様子で口で受け取る。

 ああこれもすっかり板についてしまった、とシャルロッテは自分の情けなさに肩を落とした。
 そんなシャルロッテを他所にスワードは楽しそうに、フルーツの配分を考えながらタルトを食べさせた。
 
「わたし、赤ちゃんになったみたいで恥ずかしいです」
「そうか?では訓練成功だな。赤ん坊ほど『か弱い』存在はない」
「そっ…!」

(そういう『か弱い』じゃなあああい!!)


◇◇◇


 昼は陽気でぽかぽか暖かったが、夜になると急に冷え込んだ。

 街外れの林は意外にも道が整備されていて歩きやすく、シャルロッテとスワードの影が街灯で地面に描かれ、靴音が林の奥に消えていった。

「ここがムーンティア湖だ」
「わあっ…綺麗!」

 林を抜けて着いたそこは大きな湖だった。その水面は凪いでおり、鏡のように夜空を映している。先程まで林で聞こえていた虫の鳴き声も遠くなり、時間が止まったような不思議な空間だ。

 シャルロッテが惚けていると、スワードが彼女の白い手をとって船乗り場までエスコートした。

 そうして手を取られたシャルロッテはスワードの体温を直に感じた。「王国の麗星」と呼ばれるスワードだが、当然彼も血の通った人間で、シャルロッテは初めてスワードという「1人の男」に触れた気がした。

 船乗り場は1ヶ所、ボートも1艇。スワードは先にボートに乗ってシャルロッテを手伝った。シャルロッテはこれが人生初ボートだが、乗り込もうにも足元が揺れてもう一歩が踏み出せない。

 スワードを待たせていることの焦りとボートの恐怖。シャルロッテが手汗をかいていると、スワードが悪い子供のように笑って手をとった。

「どうした?腰が引けてるぞ」
「きゃあ!」

 スワードが彼女の腰に手を回し、グイッと強引に抱き寄せた。彼の少し意地悪なところや、一瞬本当に抱きしめられたことで、シャルロッテは全身の産毛がサワサワ逆立って体温が上がるのを感じた。

 それからゆっくり進んだボートが湖の中央に着くとスワードが漕ぐのを止めた。そこにはちょうど月が映っていた。今宵の満月は一際大きく見え、シャルロッテは思わず見惚れた。


「満月の夜、ここで証人の前で願い事をすると叶うと言われている」

「証人…ですか?」

「証人がいると月の神ルーネが正式に願いを受諾してくれるんだ。今日は特別に『王国の麗星』が君の証人をしよう」

「ふふっご自分の異名をご存知だったのですね」

「まぁな。さあ目を閉じて願い事を」


 シャルロッテは言われるがままに目を閉じ、胸の前で手を組んで心の中で願い事をした。

(月の神ルーネ様、わたしの願いをお聞き届けください。どうかわたしを『か弱く』してください!そして燃えるような恋をして、あっもちろん結婚もさせてください!あら?そうしたら結婚生活も外せないわよね?そうね…わたしを愛してくれる旦那様と、質素でも温かくて優しい家庭が良いわ。子供はよく言う『一姫二太郎』がいいわね。それから、えっと…)
 

「多過ぎる」
「はっ!もっ申し訳ございません!つい!」


 シャルロッテが慌ててスワードに向き合うと、肘をついた彼がニヤリと笑った。

「当てようか。『か弱く』なって恋がしたいと願っただろう。それから結婚や子供のことも」
「そ、そうです。いけませんか?」

 シャルロッテは自分の切実な願いを口にされて恥部が晒されたような感覚になった。
 そうしてシャルロッテが顔を赤くすると、スワードはおもむろにポケットから何かを取り出してオールのハンドルにカチャリと嵌めた。

「ルーネに願わずとも私といれば全て叶う。ほら」
「あっ!?ちょっ!」

 まだ冷めやらぬ恥ずかしさで体が火照っているとスワードがシャルロッテにオールをぽいっと投げ、シャルロッテは慌ててそれを受け取った。

(あれっ?壊れない)

 正直言って、受け取った瞬間に壊してしまうだろうとシャルロッテは思っていた。
 シャルロッテが持つハンドルはスワードが嵌めたカバーで被われており、それは月の光を浴びて金にも銀にも輝く不思議な鉱石でできていた。

「殿下、これは何という石ですか?」

 シャルロッテは社交に疎い自分だから知らない物だろうとスワードに何気なく問うたが、それを聞いたことをすぐに後悔した。

「ああ、それは聖オリハルコンだ」
「……おり…え?え?」
「オリハルコン」
「まさか…伝説で王が悪竜の頭をカチ割ったという、あのオリハルコンですか…?」
「そうだが?」

 シャルロッテは怪力発動してはなるまいと一生懸命深呼吸をした。
 気を抜くな、怪力発動をしないために。いやでもこんな風に気を張りすぎても怪力発動してしまうのだった。なんて不便な体だ。
 
「力加減を学ぶために、まずは壊れにくい物が必要だろう?オリハルコンなら流石の君も破壊できまい」
「でっでもこんな貴重な物を、もし壊しでもしたら…?」
「打ち首だな」

 スワードが大真面目な顔で断言したのでシャルロッテは青ざめて縮み上がった。

(これを壊したら文字通りわたしの人生は終わりよ!ああもうシャルロッテ…ご自慢の怪力で自分の人生まで壊すつもり!?)

 当然のことながらシャルロッテの感情は昂まった。「焦り」「恐怖」「プレッシャー」、あらゆる感情が濁流の如く押し寄せて全身を駆け巡る。
 
 そしていつもの如く体が膠着するのを感じたが、スワードの施したオリハルコン製のハンドルカバーのおかげでオールは壊れなかったし、その経験に痛く感動してもハンドルは無傷だった。
 シャルロッテが感極まって言葉を失っていると、スワードがオールを持つシャルロッテの手を握った。

「もう少し指を緩めるんだ。こうして1本ずつ指を上げて」

 スワードはそのままシャルロッテの手の甲や指先に触れて指導した。

「指とハンドルの間に1mm隙間を空けるイメージで持ってみろ」

「あっ…!」

「力が分散されるだろう?怪力発動してしまっても、持ち方に気をつければ多少和らぐかもしれない。はじめは難しいだろうが、これから何度も私と訓練すればいい」

 スワードは頬杖をつきながら、シャルロッテの手の甲をつついた。それはまるで手に言い聞かせているようで、彼はシャルロッテの手を相手に綺麗に微笑んで見せた。

「殿下、わたし…何だかもう『か弱く』なれた気分です!」
「はあ…ハンドルをよく見ろ」
「へ?」

 シャルロッテは言われるがままにハンドルを見ると、伝説級に硬いオリハルコンにシャルロッテが握りしめた指の跡が薄っすら残っていた。

「この分だと1ヶ月後には駄目になっているかもな」
「そっ、それってつまり…打ち…?」

(打ち首ですか────!?)

「私も鬼ではない。そうだな…体で返してもらおうか」
「はいっ!?」
「ふっはは!冗談だ!半分な」
「半分…?」

 スワードは青くなるシャルロッテを見てケラケラ笑い、揺れるボートで水紋ができた。

 彼はどうにもシャルロッテを困らせたい性分らしく、訓練に協力的な反面、シャルロッテの怪力ぶりを楽しんでいるようにも見えた。

 一方のシャルロッテも訓練に真剣だが、スワードの冗談やからかいで気持ちが和み、最後は何かと笑顔で訓練を終えるのであった。

 ほんのひと時、2人だけの世界。

 湖は夜空の濃紺と星屑が散らばり、青い月光がスワードの銀髪を季節外れの雪のように輝かせ、深く青い瞳にはシャルロッテだけが映る。

 「か弱く」なれたら、いつかスワードのような素敵な男に愛してもらえる日が来るのだろうか。その時自分はどんな気持ちになるのだろうか。

 願わくば「今の」気持ちのように、キラキラして温かい、幸せなものでありますように。
 
 シャルロッテがそう願うと、流れ星が1つ湖の水面に描かれたのであった。

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