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第三幕
【3-E】長谷川 陽翔(海外留学生/シドニー)編 第三幕
しおりを挟むシドニーの部屋で、陽翔はキーボードを打つ手を止めた。
実名で投稿した文章には、いくつかの≪ありがとう≫と≪見つけたよ≫という返信がついている。
けれど、それ以上の反応は流れに埋もれていく。
――自分の言葉は、どこまで届いたのだろう
窓の外には青空が広がっていた。
真夏のオーストラリアの空は、吸い込まれるような濃い蒼。
蝉に似た虫の鳴き声がジジジと木々から響き、潮風に混じってユーカリの葉の匂いが漂ってくる。
陽翔は目を細め、モニターに視線を戻した。
ノートPCの画面に向かい、陽翔は指を迷わせた。
≪Japan earthquake help online……≫
英文の検索結果が並ぶが、どれも遠回りに感じる。彼は思わず、AIのChatGPTに問いかけた。
≪What can I do to help Japan from Australia?≫
数秒後、機械的な返答が返ってくる。
> 正確な情報を英語で発信する
> 募金先を共有する
> SNSでメッセージを届ける……
無機質な文面を目で追いながら、陽翔は胸の奥がじんと熱くなるのを覚えた。
――こんなことしかできないのかもしれない。それでも……誰かに届くかもしれない
彼はもう一度、指先を震わせながらキーボードを叩いた。
ニュース映像は無音で流れていた。
ヘリコプターから撮影された街並み。崩れた高速道路。瓦礫の山と化した住宅地。
画面下のテロップに≪M7.9≫と数字が踊り、目を覆うように被災地の全景が映し出される。
「……本当に、あの街なのか」
日本に残した両親や友人の顔が、次々と脳裏に浮かぶ。
指先が震え、ノートPCのタッチパッドをカチッと押し間違えた。ブックマークしていたアダルトなサイトが開き、あわてて閉じた。
何度リロードしても、SNSのタイムラインは絶望と混乱で埋まっている。
≪家がつぶれた≫ ≪連絡とれない≫ ≪誰か、知ってる人いない?≫
数分前に書き込まれたものも、すぐに新しい投稿に押し流されていく。
陽翔は深呼吸し、言葉を打ち込んだ。
≪○○区の避難所、母親と弟さんを見かけました。無事です≫
指が震えてEnterキーを叩くと、カタッという音がやけに大きく響いた。
送信を終えた画面に、自分の名前が光っている。
それだけで胸が熱くなった。
彼が動き始めたのは、たまたまだった。
友人の安否を探してネットを巡っているうちに、同じ地区の避難所で目撃情報を共有する掲示板を見つけた。
そこには数え切れない≪探しています≫が並んでいた。
――情報が埋もれてしまう
――誰かがまとめないと、見つけてもらえない
そう思った瞬間、指は自然に動き始めていた。
翻訳サイトを開き、日本語と英語を交互に入力する。
≪○○中学校に避難している人がいます≫
≪The person you are looking for is safe at XX junior high school.≫
モニターの光に照らされながら、彼の部屋にはキーを叩く音が絶え間なく響いた。
窓を開けると、海からの湿った風がゴォと吹き込んでくる。
ベランダ越しに見えるオペラハウスは、観光客で賑わい、どこか別世界のようだった。
道を歩く人々の笑い声、バスのブレーキ音、遠くで鳴るサーフボードの衝撃音。
日常があまりに普通すぎて、胸が軋んだ。
――自分だけ、平和な場所にいる……その罪悪感が、彼の背中を押していた。
「陽翔、まだ起きてたのか?」
ルームメイトのマットが、キッチンから顔を覗かせた。
髪は濡れ、シャワーの匂いとコーヒーの香りが混ざって漂ってくる。
「ずっとPCだな。大丈夫か?」
陽翔は笑ってみせた。
「ちょっと、日本のニュースをまとめてるだけ」
「ニュース?……オーケー、でも無理するなよ」
マットは肩をすくめ、マグカップを置いて去っていった。
その背中を見送りながら、陽翔は自分の指先に視線を落とす。
――無理をしているのかもしれない
でも、やめられない。
投稿した文章に、新しい返信がついていた。
≪見つけました。本当にありがとう≫
≪母が生きていました。信じられません≫
陽翔の胸に熱いものが込み上げる。
画面の文字がにじみ、視界がぼやけた。
涙が頬を伝い、キーボードにポタッと落ちる。
彼は額を両手で押さえ、深く息を吐いた。
シドニーの夜空に、遠くジェット機の音がゴォォと響いていた。
その音は、どこか日本へ向かっているように感じられた。
夜明け前、陽翔はベランダに出た。
薄い空気が冷たく頬を撫で、鳥のさえずりがピチチと響く。
地平線が少しずつ赤く染まり、シドニーの街が光に包まれていく。
その美しい光景の中で、彼は小さく呟いた。
「届いてくれ……」
スマホの電波が海を越え、誰かの心に届くことを願いながら。
彼にできたことは、ただ記録を残すことだけ。
けれど、その記録が誰かを救うのなら――それで十分だった
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