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1章 潮
01.インターン
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初めてのインターン。
緊張してはいる――だけど胸の奥は静かだった。
息を吸えば、湿気を含んだ空気の匂いが肺を満たす。
私は深呼吸と共に扉を押し開けた。
ガラス越しの光が、ゆるりと揺れる。
秋の日差しが白い壁に反射し、波を打っていた。
空調が作り出す音が一定のリズムで満ち引きする。
眩しさに私は静かに瞼を降ろした。
波の音?
耳を傾けた。
「おはようございます。 本日はどのようなご用件ですか?」
何かが霧散し、私は視線を声の方に向けた。
声をかけてきたのは、モデルと言っても不思議ではない美女。
受付に並ぶ2人のうちの1人。
2人の微笑みに息を飲んだ。
カフェ、ケーキ屋、文具店、ファミレスでのバイト経験がある。だけれどオフィスビルを本社とするような場所に足を踏み入れたことはなかった。
空気が違っていた。
ホテルのエントランスのような高い天井が音を吸い込む。質素だけれど安っぽさはなく、見栄えの良いテーブルと椅子がカフェのようにバランスよく配置されているのを視線の端で覗き見ながら、受付の女性に声をかけた。
「おはようございます。 あの……」
今日からインターンとして働くことを告げると、静かな笑みを私へと向けてソファに座り待っているようにと告げる。 女性の1人が社内電話へと手を伸ばし、もう一人は温かなお茶の準備をし始める。
ソファに腰を下ろせば、身体が沈む。
テーブルに置かれたお茶が湯気をあげた。
私は礼を述べ、お茶に口をつけようとした。
ちんっ
聞こえた乾いた音はエレベーターの到着音。
お茶に唇が触れる前に、私はお茶を置き身構える。
エレベーターの扉が開き、わずかに空気がゆれた。
停滞した空気という色をまとい男性が歩み寄る。
少し癖のある音。
「君が、今日から手伝いをしてくれる、榊……真樹さんだね?」
……違う。
彼は、マキではなくシンジュと私を呼んだ。
真樹は唇を微かに噛みながら、反射的に立ちあがり振り返る。
背が高く細い肩幅から伸びる腕や足がやけに長く、既成のスーツではサイズがないのでは?などと考えれば、無意識に、無遠慮に、理不尽に見つめていた。
らしくない――私。
「どうかしたのかい?そんなに、見つめられると緊張してしまうんだけど」
からかうような柔らかな声は笑い、水を揺らすように私に届く。
ガラスの揺れる光が波になり、揺れ、時間の感覚が鈍くなる。
見つめあってはいない。
だからと言って、視線をそらしているわけでもない。
不思議と緊張感を感じさせない相手。
「高木さん、突然部署の方に彼女を連れて行っては、彼女もきっと緊張してしまうわ。ここでお茶を飲みながら業務の説明でもしてはどうかしら?」
「そうね、ちょうどよいお菓子があるんですよ」
受付の女性2人が交互に愛想よく高木に声をかけていた。
高木と呼ばれた男の両サイドから声をかける受付の女性、ソファから立ち上がり、正面という位置取りになった私。 無意識で、より華やかな女性の方へ身体をずらした。 自然と男性の視線は私を追い、そして受付の女性へと向かった。
高木と視線があう受付の女性は早口になり、
そして、割って入る受付の女性は、声を高くし高木の側に寄り添おうとする。
私は、もう半歩動き、私を睨む女性の視線は、もう一人の受付女性へと向かう。
私の存在は、自然と女性2人の意識から逸れ、その視線を高木は奪い去る。
「ありがとう、でも……今日は忙しいから。また、改めてご一緒させてください。さぁ、榊君、行きましょうか?」
気付けば波のように高木と言う男の腕は私の背に伸ばされ、軽く連れ去って行く。
背に感じる視線。
白い壁に揺れる波。
エレベーターに乗り、振り返る。
存在しない波音……に、耳を傾けるような穏やかな笑みを浮かべ、次の来客に受付の女性は対応し始めていた。
アルフライラ――私がインターンとして訪れた企業。バイト先のカフェの常連である臨床心理学部の教授が声をかけてきたから――そう、全ては偶然、吉野教授の来店中にかかってきた通話相手にとって私が都合良かったから。
しばらく言葉を繰り返しながら、吉野教授は私を視線で追っていた。
私?
わずかに私は首を傾げれば、教授は頷き手招きをした。他の客の手前、教授の声は控えられていたけれど、困っているのは表情から分かった。
「良かったらインターンを試してみませんか?」
飄々としてはいるけれど、頼りなさを感じる笑み。背は高く骨太な印象。体格だけで言えばコワイ人?そんな印象だけど、眼鏡の奥の表情は頼りない。
眼鏡の奥で瞳が愛想笑いを浮かべている。
「試す?ですか?」
「えぇ、試してみませんか?お願い、できませんかねぇ~」
多くを語る気はないらしい。
求められた業務は、ほぼ雑用だった。
辿り着いた部署。
広い空間には、砂上に作られたお城のようにデスクが置かれているかのように見える。
私をその場所まで連れて来た高木と言う男性は時間に追われながら営業へと向かい、今は女性社員が案内してくれている。
「感受性が大事な仕事なのよ」
熱心に言うが――
「お茶、お菓子、これが私達の好みだから」
渡されるメモ。
最初の仕事は買い出しだった。
(はぁ)
何とも言えない気持ちを飲み込んだ。
「他に、何かお手伝いすることありますか?」
そう問えば、お茶のお代わりが要求された。
「また、コーヒー?胃が悪くなるわ」
「飽きるんだけど。気が利かない奴」
嗜好メモを覚えても、目の前の飲み物の種類では対応できない現実。
居心地が悪い。
不意に両肩に手が乗せられた。
ヒヤリとした。
振り返ろうとしたけれど、肩に置かれた手は強かった。
高木と言う男性だった。
「これで、買い物をお願いできますか?」
渡されたのはギフトカード。
私は首を傾げる。
「使い方、分かりませんか?」
少し馬鹿にされたような言い方。
「大丈夫です」
誰にでもできるけど、誰もしたがらないようなこまごまとしたもの。ゴミの処理、お茶だし、菓子の買い出し。嗜好を覚え、飽きないように。
緊張してはいる――だけど胸の奥は静かだった。
息を吸えば、湿気を含んだ空気の匂いが肺を満たす。
私は深呼吸と共に扉を押し開けた。
ガラス越しの光が、ゆるりと揺れる。
秋の日差しが白い壁に反射し、波を打っていた。
空調が作り出す音が一定のリズムで満ち引きする。
眩しさに私は静かに瞼を降ろした。
波の音?
耳を傾けた。
「おはようございます。 本日はどのようなご用件ですか?」
何かが霧散し、私は視線を声の方に向けた。
声をかけてきたのは、モデルと言っても不思議ではない美女。
受付に並ぶ2人のうちの1人。
2人の微笑みに息を飲んだ。
カフェ、ケーキ屋、文具店、ファミレスでのバイト経験がある。だけれどオフィスビルを本社とするような場所に足を踏み入れたことはなかった。
空気が違っていた。
ホテルのエントランスのような高い天井が音を吸い込む。質素だけれど安っぽさはなく、見栄えの良いテーブルと椅子がカフェのようにバランスよく配置されているのを視線の端で覗き見ながら、受付の女性に声をかけた。
「おはようございます。 あの……」
今日からインターンとして働くことを告げると、静かな笑みを私へと向けてソファに座り待っているようにと告げる。 女性の1人が社内電話へと手を伸ばし、もう一人は温かなお茶の準備をし始める。
ソファに腰を下ろせば、身体が沈む。
テーブルに置かれたお茶が湯気をあげた。
私は礼を述べ、お茶に口をつけようとした。
ちんっ
聞こえた乾いた音はエレベーターの到着音。
お茶に唇が触れる前に、私はお茶を置き身構える。
エレベーターの扉が開き、わずかに空気がゆれた。
停滞した空気という色をまとい男性が歩み寄る。
少し癖のある音。
「君が、今日から手伝いをしてくれる、榊……真樹さんだね?」
……違う。
彼は、マキではなくシンジュと私を呼んだ。
真樹は唇を微かに噛みながら、反射的に立ちあがり振り返る。
背が高く細い肩幅から伸びる腕や足がやけに長く、既成のスーツではサイズがないのでは?などと考えれば、無意識に、無遠慮に、理不尽に見つめていた。
らしくない――私。
「どうかしたのかい?そんなに、見つめられると緊張してしまうんだけど」
からかうような柔らかな声は笑い、水を揺らすように私に届く。
ガラスの揺れる光が波になり、揺れ、時間の感覚が鈍くなる。
見つめあってはいない。
だからと言って、視線をそらしているわけでもない。
不思議と緊張感を感じさせない相手。
「高木さん、突然部署の方に彼女を連れて行っては、彼女もきっと緊張してしまうわ。ここでお茶を飲みながら業務の説明でもしてはどうかしら?」
「そうね、ちょうどよいお菓子があるんですよ」
受付の女性2人が交互に愛想よく高木に声をかけていた。
高木と呼ばれた男の両サイドから声をかける受付の女性、ソファから立ち上がり、正面という位置取りになった私。 無意識で、より華やかな女性の方へ身体をずらした。 自然と男性の視線は私を追い、そして受付の女性へと向かった。
高木と視線があう受付の女性は早口になり、
そして、割って入る受付の女性は、声を高くし高木の側に寄り添おうとする。
私は、もう半歩動き、私を睨む女性の視線は、もう一人の受付女性へと向かう。
私の存在は、自然と女性2人の意識から逸れ、その視線を高木は奪い去る。
「ありがとう、でも……今日は忙しいから。また、改めてご一緒させてください。さぁ、榊君、行きましょうか?」
気付けば波のように高木と言う男の腕は私の背に伸ばされ、軽く連れ去って行く。
背に感じる視線。
白い壁に揺れる波。
エレベーターに乗り、振り返る。
存在しない波音……に、耳を傾けるような穏やかな笑みを浮かべ、次の来客に受付の女性は対応し始めていた。
アルフライラ――私がインターンとして訪れた企業。バイト先のカフェの常連である臨床心理学部の教授が声をかけてきたから――そう、全ては偶然、吉野教授の来店中にかかってきた通話相手にとって私が都合良かったから。
しばらく言葉を繰り返しながら、吉野教授は私を視線で追っていた。
私?
わずかに私は首を傾げれば、教授は頷き手招きをした。他の客の手前、教授の声は控えられていたけれど、困っているのは表情から分かった。
「良かったらインターンを試してみませんか?」
飄々としてはいるけれど、頼りなさを感じる笑み。背は高く骨太な印象。体格だけで言えばコワイ人?そんな印象だけど、眼鏡の奥の表情は頼りない。
眼鏡の奥で瞳が愛想笑いを浮かべている。
「試す?ですか?」
「えぇ、試してみませんか?お願い、できませんかねぇ~」
多くを語る気はないらしい。
求められた業務は、ほぼ雑用だった。
辿り着いた部署。
広い空間には、砂上に作られたお城のようにデスクが置かれているかのように見える。
私をその場所まで連れて来た高木と言う男性は時間に追われながら営業へと向かい、今は女性社員が案内してくれている。
「感受性が大事な仕事なのよ」
熱心に言うが――
「お茶、お菓子、これが私達の好みだから」
渡されるメモ。
最初の仕事は買い出しだった。
(はぁ)
何とも言えない気持ちを飲み込んだ。
「他に、何かお手伝いすることありますか?」
そう問えば、お茶のお代わりが要求された。
「また、コーヒー?胃が悪くなるわ」
「飽きるんだけど。気が利かない奴」
嗜好メモを覚えても、目の前の飲み物の種類では対応できない現実。
居心地が悪い。
不意に両肩に手が乗せられた。
ヒヤリとした。
振り返ろうとしたけれど、肩に置かれた手は強かった。
高木と言う男性だった。
「これで、買い物をお願いできますか?」
渡されたのはギフトカード。
私は首を傾げる。
「使い方、分かりませんか?」
少し馬鹿にされたような言い方。
「大丈夫です」
誰にでもできるけど、誰もしたがらないようなこまごまとしたもの。ゴミの処理、お茶だし、菓子の買い出し。嗜好を覚え、飽きないように。
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