境界の音

迷い人

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1章 潮

08.お屋敷

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 撮影の仕事の合間に高木は私に何度もカメラを向けてきた。

 高木のその視線……それはとても熱がこもっているように感じた。妙に恥ずかしくて、私は沈黙のまま窓の外を眺めていた。チラリと視界の端で高木を眺める。運転している彼は、どこか真剣で……それでも私の視線に気づいたのか、黒目がちな視線が動き私を見て笑う。

「前見て」

「はいはい」

 軽く笑いあいながら車は進む。

 夕暮れが美しく海を染めていた。

「そろそろですよ」

 視線を前に向ければ、小高い丘の上に、悠然と大地に根を下ろすかのような平屋建ての広い邸宅が姿を現した。車はその丘へと向かい左折する。近づく建物は、温泉宿と言うほどの広さはないが、それでも一般住宅とは到底思えない広さで、新しさと、長年受け継がれてきた格式が不思議な調和を醸している。

 流石にそこが目的地とは思えない。

 車が近づけば、黒光りする木製の引き戸が、音もなく左右に滑るように開いてガレージが現れた。

「ぇ、ここ?」

「そう、ここ、私の実家」

 ニッコリとどこまでも愛想の良い笑み。そして建物から現れる使用人と思われる人達は、役割に合わせただろう揃いの作業服を身に着けていた。

「おかえりなさいませ、坊ちゃま」

「坊ちゃまは止めて下さい」

 使用人が荷物を持ち、来た道を戻って行った。

「案内するよ。シンジュちゃん」

 そうして、手が差し出された。

 どういう家なのか?そう問うのは浅ましい気がした。手入れの行き届いた枯山水の庭園に、風雅な枝ぶりの松が影を落とし、苔むした岩が時の流れを語っている。真新しい木材の艶と、磨き抜かれた瓦の鈍い光が、決して衒うことなく威厳を放っていた。

 玄関先には、荷物を持って行った使用人が出迎えていた。

「いらっしゃいませ」

 玄関先、誘われるままに広々とした玄関の踏み台に上がれば、靴を整える前に無言で差し出された盆の上へと靴は回収され、檜の香りが仄かに漂う靴棚にしまわれる。正面の磨き上げられた黒檀の衝立が物語の一節のように、荒波の中を悠々と進むカニの群れが精緻に彫られていた。

「カニ?」

 控えた声で訊けば、同じように声を控えて返される。

「そう、カニ。金毘羅宮は海の守り神だからね。うちは神に救われ使いとなったカニの加護を受けていると昔から言われているんだ」

「そう、それでご利益のほどは?」

「どうかな?金運はそこそこ、子宝はダメらしいね。恋人もいないし」

「へぇ、いると思ってた」

「いたら、あんなに食事に誘ったりしないよ」

「慣れない旅にお客様もお疲れでしょう。よろしければお部屋の方にご案内したいのですが?」

 使用人の声は、どこまでも丁寧で、しかし一切の隙もない。

「そうだね、食事までゆっくりと休んでいるといいよ」

 案内された先は、美しい木目が部屋全体の装飾と化している和風仕立ての美しい部屋だが、畳敷きのゆったりとしたくつろぎスペースに置かれたソファとテーブル、その上に置かれた私の荷物。備え付けのクローゼット。その横の作り棚には飲み物やグラス、小さめの冷蔵庫。
 少し高い位置で空間から切り離されたかのような印象を与える一対のベッドが置かれた場所。そこからは横になったまま広い空と遠くに海を眺めることができる窓が広がっていた。

 部屋の中をチェックすれば、豪華なホテルのように洗面台、トイレ、風呂が備えられていた。

「私の部屋よりも広くて素敵」

 ボソリと呟きながら、ベッドに視線を送りながら、ソファに腰を下ろした。気後れした私の心は落ち着かない。

 ノック音。

「はい」

「マキ様、お風呂はいかがでしょうか?」

 返事をした時点で、高木と似た年ごろに思える正統派メイド服を着た女性が、扉を開き入って来た。その手には浴衣のセット。

 部屋にお風呂が備わっていることを考えて、早く入れという催促だろうかと悩んでいれば、控えめな笑みが向けられる。

「大浴場の方に湯が溜めてあります。食事の準備が出来るまでユックリされてはいかがでしょうか?」

「そう、ですか……ありがとうございます」

 反論する気にもなれず私は後をついて行った。

 小ぶりな温泉宿のお風呂と言っても遜色はない。いや、金銭に余裕がある邸宅な分こちらの方が豪華かもしれない。

 お風呂を上がれば、脱いだ下着類が持ち出され、困惑した私を視線で窘めるメイドに浴衣を着せられ、食事の部屋へと誘われた。

 落ち着かない。
 居心地が悪い。

 溜息。

「大丈夫?」

 背後から高木の声が聞こえて、振り返り、向けられる笑みに安堵してしまう。

「緊張する」

「普通の家だよ」

「普通の家って言われる方が緊張する」

「なら、温泉だと思って」

「そんな無茶な」

「まぁ、自由に。リラックスして。慣れると多分平気でしょう。ここにいる人達だって、皆最初はシンジュちゃんのように落ち着かなかったけど、今では馴染んでいるし」

「軽いなぁ~」

「そりゃぁね~」

 食事も豪華で、軽くだがお酒もご馳走になり、火照った身体のまま美しく整えられた庭に出て高木とくつろぐことになった。

 縁側に面した庭園。隙間から見える海と空。

 風が頬を撫でる。

「美味しかった~~」

 慣れないお酒は私を酔わせ、それが程よくリラックスを誘ってくれた。

「それは良かった。頑張ってもらったからね~」

 縁側に招かれ高木の横に腰を下ろしていた。

 他愛無い会話を交わす。明日は少し観光へ向かおうとか、明後日の仕事の予定とか、何か食べたいものがあるか?行きたいところは?お勧めは?そんな感じ……で言葉は交わすけれど。

 家族は?

 そんな大事な言葉は、踏み込むことはできないでいた。

 でも、気になる。気になるから……気にしないようにしないと。気を逸らせば、風に乗って私の耳に聞き覚えのある音が、リズムが聞こえた。

「祭りばやし?」

「練習だね。うちの町内は少し独特なんだ」

「どんな?」

「カニ様を乗せた神輿を各家を回るんだ」

「そう、うちは獅子舞だったよ。昼の間は子供が演じる天狗の弟子が獅子を倒すの。こんな感じ」

 だんッと力強く土を踏み、
 両足を固定した状態で腰を落とす。
 私は、儀式に没入する。

 足元が行儀悪いが……踏み出した瞬間、私は、遠くの笛と太鼓の祭囃子が迫って来て私を煽っているように聞こえる。

 存在しない槍を手に、私はクルリと回り、リズムを刻む。

 右回転、左回転、姿勢を前に構えては踊る。

 土を踏み、風を切る。

「はれっ……」

 酒に酔っていた私はフワリと足元が崩れ、慌てた高木が手で支えた。

 抱きしめられた顔が近く、私達は見つめあう。

「奥様が、お待ちです」

 その時――

 私を抱きしめていた高木の肩が強張り、腕に力が入った。

「……っ」

 小さな呻きのような私の声に高木は気づいていないかのようで、黒目がちな瞳は、私を見ているのに焦点が合わず、唇がわずかに噛み締められている。

「坊ちゃま」

 静かだが、催促するような声に高木の身体の力が抜け、私は静かにその腕から距離を置いた。

 目は私に向けられている。
 けれど――見ていない。

「あの」

 その腕にそっと寄り添うように触れた。

「ぇ、あぁ、ごめん……悪いけど付き合ってもらえるかな?」

 私は軽く微笑み、そして頷いてみせる。
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