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1章 潮
09.女当主
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月明りを頼りに廊下を行く。
明かりをつけるという発想が野暮に思えるほど、月が明るかった。
私と高木は窓から景色を眺めながら、小さな声で会話を交わす。指先を弄ぶように手を繋ぎ、絡め合えば、指先がやけに冷たく感じ、どの指が絡められているのか分からなくなる。
感情が揺れ動く。
白い壁にうつる夜の影が、波のように揺れていた。
そして白壁に現れる重厚なドアの前で使用人は足を止めた。
鳴らされるノック。
「奥様、お連れいたしました」
返事は聞こえないが使用人の男性は僅かの間をもって扉を開いた。
「どうぞ」
部屋の中は広く、そして絵画を飾るかのような襖が部屋を遮っている。
顔の見えない男が、艶やかな装束をまとい、犬を従えて小さなカニを海へ返そうとしている場面が美しく描かれている。
「ここもカニ?」
私が静かに聞けば、そう、とでも言うように高木はうなずいて見せた。
先を歩く使用人のあとに続く。
一歩足を踏み入れれば、足元が重厚な黒檀で出来ていることが分かる。硬く、体温を吸い取るような冷ややかさで、足の裏から体温を奪われるかのように私を現実に引き戻す。
襖が開けば、大げさな床の理由が分かったような気になる。いや、それでも贅沢は贅沢過ぎるほどなのだが。
部屋に置かれた1台の最新式と思われる豪華な介護用電動ベッド。普通なら無機質で素っ気ないだろうソレにも、透かし彫りがなされた古木のパーテーションで病院のような生々しさを消していた。
壁には豪華だがかなり古く、使い古された書棚。書棚にあるのは絵画等の目録のように思える。ベッドの脇におかれたのは温かな光を放つ、古びたランプで、明かりはソレと月だけ。
それでもベッドに沈むように身を預けながら上体を起こしている老婆の姿がシッカリと見る事が出来た。
奥様とは――下品にならない程度に抑えられた化粧はしているが、それでも高木の祖母、いや曾祖母ぐらいに見える。
小ぶりな身体付き、狭い肩幅、薄い身体、布団の上に出された手は細く皺がよっている。その指の関節は身体に似つかわしくない骨張った様子で長く感じるのは、ランプの明かりから生まれた影?
「奥様」
執事の声に高木とよく似た黒目がちな視線が動いた。
「母さん、ただいま」
高木の言葉に驚いた。だけれど私はすぐに養子という言葉で納得した。そうでなければ辻褄が合わない。
老婆は息子である高木の声に反応せず、視線を使用人に向け瞼を下ろす。それで何かは通じたらしく使用人は老婆を抱きあげ窓際を眺めるウィングバックチェアへとゆったりと降ろし、軽いひざ掛けをかけて軽く頭を下げて一歩引く。
老婆の眼前には美しい景色が広がっていた。
窓辺に置かれた大きな耳付き椅子。
深緑のベルベットが月光を吸い込み、鈍く沈んでいる。
小柄な老婆の身体は、その重厚なベルベットの背もたれにすっぽりと包まれていた。
静かな吐息が落ちて流れる。
老婆の顔は見えないけれど、呼吸の音は穏やかで機嫌が良いと言う事は分かる。
老婆は動かない。
どうすればいいのかと私は高木へと視線を向けた。
「彼女は……母だ。母さん、彼女は榊マキさん」
その声に反応はない。
だけど、私に向かい使用人が告げる。
「榊様、奥様の側に」
使用人の男性と高木を交互に見た。高木はかすかに視線を逸らすのを見れば、使用人の男性の言葉に従うしかないのだろう。
老女の側に向かい、正面に腰を落とした。
老女を見上げ、私は少しだけ声をいつもより大きくハッキリと発音するよう気を付けて声をかけた。
「お招き下さりありがとうございます」
頭を下げて見せるが、やはり返される声はない。老女の様子を見ようとすれば、頭に手が乗せられる。
「ぇ?」
無理やり頭を上げるには、その手はあまりにもか弱いのに、ゆっくりと頭上を撫でるような触れる手を前に私は動けなかった。
「よく……来てくれました」
小さな声だが、柔らかくも凛としている。
彼女の手が力なく滑り降りるように頭上から耳に触れ、頬に触れ、滑り降り、私はようやく彼女を見上げた。
月の光が、左側から差し込み、深い皺を持つ老女の顔に影が差す。
「お気遣い、ありがとうございます」
彼女の唇の端がわずかに持ち上がる。
「お疲れでしょう。お部屋に戻っておやすみなさい」
ゆっくりと穏やかな声に送り出された。
光と影の釣り合いは、民俗学の古い頁をめくった時の感覚に似ていた。
老女の指が、高木の袖口に触れた。
かすかな仕草だった。
私と並んで歩き出しかけた高木は、すぐに足を止めた。
私を見て、高木は微笑む。
「おやすみ」
私は頭を下げて、ひとり部屋を出た。
部屋を出たあと、年の近い使用人女性。高乃さんに声をかけられた。
「坊ちゃまの仕事ぶりを聞かせて頂けませんか?皆楽しみにしているんです」
少し前のめりに、キラキラした表情で誘ってくる。
「えっと……みんなに頼りにされていますよ」
テンションの高さに少し引いた私を気にかけることがない。
「美味しいお菓子とお茶があるんです」
かなり強引な誘いだったけれど――その日、私は数日ぶりにぐっすりと眠りについた。
明かりをつけるという発想が野暮に思えるほど、月が明るかった。
私と高木は窓から景色を眺めながら、小さな声で会話を交わす。指先を弄ぶように手を繋ぎ、絡め合えば、指先がやけに冷たく感じ、どの指が絡められているのか分からなくなる。
感情が揺れ動く。
白い壁にうつる夜の影が、波のように揺れていた。
そして白壁に現れる重厚なドアの前で使用人は足を止めた。
鳴らされるノック。
「奥様、お連れいたしました」
返事は聞こえないが使用人の男性は僅かの間をもって扉を開いた。
「どうぞ」
部屋の中は広く、そして絵画を飾るかのような襖が部屋を遮っている。
顔の見えない男が、艶やかな装束をまとい、犬を従えて小さなカニを海へ返そうとしている場面が美しく描かれている。
「ここもカニ?」
私が静かに聞けば、そう、とでも言うように高木はうなずいて見せた。
先を歩く使用人のあとに続く。
一歩足を踏み入れれば、足元が重厚な黒檀で出来ていることが分かる。硬く、体温を吸い取るような冷ややかさで、足の裏から体温を奪われるかのように私を現実に引き戻す。
襖が開けば、大げさな床の理由が分かったような気になる。いや、それでも贅沢は贅沢過ぎるほどなのだが。
部屋に置かれた1台の最新式と思われる豪華な介護用電動ベッド。普通なら無機質で素っ気ないだろうソレにも、透かし彫りがなされた古木のパーテーションで病院のような生々しさを消していた。
壁には豪華だがかなり古く、使い古された書棚。書棚にあるのは絵画等の目録のように思える。ベッドの脇におかれたのは温かな光を放つ、古びたランプで、明かりはソレと月だけ。
それでもベッドに沈むように身を預けながら上体を起こしている老婆の姿がシッカリと見る事が出来た。
奥様とは――下品にならない程度に抑えられた化粧はしているが、それでも高木の祖母、いや曾祖母ぐらいに見える。
小ぶりな身体付き、狭い肩幅、薄い身体、布団の上に出された手は細く皺がよっている。その指の関節は身体に似つかわしくない骨張った様子で長く感じるのは、ランプの明かりから生まれた影?
「奥様」
執事の声に高木とよく似た黒目がちな視線が動いた。
「母さん、ただいま」
高木の言葉に驚いた。だけれど私はすぐに養子という言葉で納得した。そうでなければ辻褄が合わない。
老婆は息子である高木の声に反応せず、視線を使用人に向け瞼を下ろす。それで何かは通じたらしく使用人は老婆を抱きあげ窓際を眺めるウィングバックチェアへとゆったりと降ろし、軽いひざ掛けをかけて軽く頭を下げて一歩引く。
老婆の眼前には美しい景色が広がっていた。
窓辺に置かれた大きな耳付き椅子。
深緑のベルベットが月光を吸い込み、鈍く沈んでいる。
小柄な老婆の身体は、その重厚なベルベットの背もたれにすっぽりと包まれていた。
静かな吐息が落ちて流れる。
老婆の顔は見えないけれど、呼吸の音は穏やかで機嫌が良いと言う事は分かる。
老婆は動かない。
どうすればいいのかと私は高木へと視線を向けた。
「彼女は……母だ。母さん、彼女は榊マキさん」
その声に反応はない。
だけど、私に向かい使用人が告げる。
「榊様、奥様の側に」
使用人の男性と高木を交互に見た。高木はかすかに視線を逸らすのを見れば、使用人の男性の言葉に従うしかないのだろう。
老女の側に向かい、正面に腰を落とした。
老女を見上げ、私は少しだけ声をいつもより大きくハッキリと発音するよう気を付けて声をかけた。
「お招き下さりありがとうございます」
頭を下げて見せるが、やはり返される声はない。老女の様子を見ようとすれば、頭に手が乗せられる。
「ぇ?」
無理やり頭を上げるには、その手はあまりにもか弱いのに、ゆっくりと頭上を撫でるような触れる手を前に私は動けなかった。
「よく……来てくれました」
小さな声だが、柔らかくも凛としている。
彼女の手が力なく滑り降りるように頭上から耳に触れ、頬に触れ、滑り降り、私はようやく彼女を見上げた。
月の光が、左側から差し込み、深い皺を持つ老女の顔に影が差す。
「お気遣い、ありがとうございます」
彼女の唇の端がわずかに持ち上がる。
「お疲れでしょう。お部屋に戻っておやすみなさい」
ゆっくりと穏やかな声に送り出された。
光と影の釣り合いは、民俗学の古い頁をめくった時の感覚に似ていた。
老女の指が、高木の袖口に触れた。
かすかな仕草だった。
私と並んで歩き出しかけた高木は、すぐに足を止めた。
私を見て、高木は微笑む。
「おやすみ」
私は頭を下げて、ひとり部屋を出た。
部屋を出たあと、年の近い使用人女性。高乃さんに声をかけられた。
「坊ちゃまの仕事ぶりを聞かせて頂けませんか?皆楽しみにしているんです」
少し前のめりに、キラキラした表情で誘ってくる。
「えっと……みんなに頼りにされていますよ」
テンションの高さに少し引いた私を気にかけることがない。
「美味しいお菓子とお茶があるんです」
かなり強引な誘いだったけれど――その日、私は数日ぶりにぐっすりと眠りについた。
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