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2章 囀り
03.分かり合う関係
研究に没頭してしまった教授の代わりに三宮が教壇に立っていた。
真樹は少しだけ憂鬱そうに外を見た。
風がやけに強かった。
「神社の鏡ってさ、神様を映してるわけじゃないんだ」
黒板に「鏡=依り代」って書かれた。
ぁ、手が色っぽいなぁ。
——ぇ。
なんで今そんなこと思ったんだろう。
頬が、少し熱かった。
三宮から視線を逸らせば、生徒たちの視線が三宮の手に集まっていた。
黒板を見ているのではなく、三宮自身に向けている。
ぇ?
気持ちにノイズが混ざるように、自分が行方不明になる不安。
同調する思いは無意識に真樹を浸食してくる。
(三宮先生ってかっこいいよね)
(なんか不思議なところがいいんだよね)
(その割に、フランクで接しやすい)
きっとそばに立つのは特別な人だろうなぁ~。
声に出さないのに、会話が成立しているかのような……そんな幻聴が真樹の脳裏に渦巻くのだ。
そして……小さく隠れた言葉が、ノイズの奥に聞こえる。
三宮の傍に立ちたい。
三宮はそんな思いに同期される事無く授業を進めていた。
「よく勘違いされるんだけどな、あれは神様を見るための道具じゃない」
少し笑って続ける。
「まぁ、毎朝使っている使い方が正しい。あれは、人間を見るための道具だ」
ここで普通なら
学生は「へえ」くらいの反応。
小さな笑いが返されるのが普通。
でも、学生達は理解が速すぎた。
三宮の言葉を遮り、得意げに語りだす。
「つまり先生、神って人の心の投影ですよね」
三宮は一瞬止まる。
そして生徒たちは、舌打ちをしたような……そんな感じがして、真樹は周囲を見回した。
「……いや、そこまで言ってない」
すると別の学生。
「でも分かります。神って“映るもの”ですよね」
さらに別の学生。
「人が祈るから神が形になる」
ここで教室が妙に気持ちよく回り始める。
みんなが同じ速度で理解する。
三宮の雑談は本来
考えるための余白
を作る話し方なのに、その余白を使わずに学生が答えを出してしまう。
三宮は少しだけ眉をひそめる。
「お前らさ」
黒板をトンと叩く。
「理解早すぎると、だいたい間違うぞ」
笑いが起きる。
でも学生は気にしない。
むしろ嬉しそうに言う。
「でも先生の言いたいこと分かります」
「先生ってこういう考えですよね」
「つまり――」
三宮の思考を先読みする学生たち。
奇妙な授業だった。
バイトを終えた帰り道、時間はかなり遅いのに、公園がやけに明るく感じた。
街灯が増えたわけじゃない。月が、妙に白いだけだ。
風はまだ強い。髪が頬に貼りつき、息が少しだけ冷たくなる。
ブランコが揺れて、きしむ音がした。こんな時間に子どもが?と視線を向ける。
――視線が合った。
井上さんと、サークルの仲間が二人。今日の講義にもいた顔。
視線でがっちり捕まえられて、逃げそびれた。
「真樹、バイトだったんでしょう?お疲れさま」
「ありがとう」
声が裏返って、咳払いでごまかして笑った。
「こんな遅い時間にどうしたの?もう遅いし、帰った方がいいよ」
私の言葉は通らず、三人に囲まれるように、公園の中へ誘導される。
胸の奥がざらつく。拒否感が強まる。
「真樹、受け入れて」
柔らかな井上さんの声に、残りの二人も同じ温度で頷いた。境界が溶けるみたいに。
「……なにを?」
「私、あなたとは仲良くしていたいの。ずっと上手くやってたでしょ?」
当たり前の会話みたいなのに、答えが違うのが分かってしまう。
なぜか“わかる”のだ。
「上手くやれてると思ってるけど……違うの?」
三人の目が揃っている。緊張で喉が渇く。
「うん。そう思ってるんだよね。……でも、違うよね?わかってるでしょう?」
塞いでないのに、塞がれた。
「ねえ」
優しい声。優しいのに、逃がさない。
「ここで、話してたよね」
疑問じゃない。“知ってる”の宣言だった。
風の音が一瞬遠のいて、代わりに誰かの息が聞こえた気がした。
「……何のこと?」
曖昧に笑う。笑みが浮かびきらない。
「三宮先生と一緒にいて、話してたよね」
名前が出た瞬間、空気がぴん、と張る。
「アイス、食べてた」
「二人で」
「ここ」
短い言葉が同じ高さで並ぶ。合唱みたいだった。
(見ていたのよ)
息を吸う。吸ったはずなのに、肺に入ってこない。
「偶然だよ。たまたま方向が――」
「うん、偶然って言うよね。……そうだよね」
受け止めたふりをして、受け止めていない。
「でもさ」
首を傾げる。責めない顔。困っている顔。
「それ、みんなの気持ち考えた?」
“みんなの気持ち”。
どこに行っても増えている言葉。私はその“みんな”に含まれていない。
「私……」
言いかけた瞬間、足音が増えた。振り返る前に分かる。人が来る。
道の反対側にも、もう二人。
偶然じゃないのに、偶然みたいな顔で立っている。
「ねえ真樹」
井上さんが笑う。サークルの時と同じ笑い方で――だから余計に怖い。
「私たち、分かり合えてるよね?」
――質問じゃない。答えを合わせろ、だ。
私は頷けなかった。
頷いたら何かを差し出してしまう気がした。頷かなかったら、ここから出られない気がした。
井上さんの目が、少しだけ悲しそうに細まった。
「……そっか」
その“そっか”が、宣告みたいに聞こえた。
(やっぱり)
(そういう子なんだ)
(身勝手)
声にしてないのに、言葉だけが届く。
輪郭が薄くなる。行方不明になる不安が喉元まで上がってくる。
そのとき――
カァ。
乾いた一声が、上から落ちた。
電線に、カラスが一羽。目が合った気がした。
もう一度。
カァ。
乱暴で無遠慮で、“合意”の空気を切り裂くみたいな声。
ぴし、と何かが割れた。
井上さんの笑みが途中で止まる。隣の子が息を吸いすぎてむせた。
揃っていたはずの表情が揃わなくなる。視線の置き場がばらける。
“気持ちよさ”が抜けた。
代わりに残ったのは、生々しい現実だった。
井上さんが自分の喉元に触れる。確かめるみたいに。
「……え、私たち、今……」
言いかけて、言葉が折れる。
カラスが鳴く。
カァ。
さっきまで“正しい”と思っていた空気が、急に不安定になる。
――正義じゃない。快楽だった。
彼女たちの目が揺れる。揺れて、互いを見る。
「ねえ……私、なんだか……」
「……うん、でも……」
「さっき、気持ちよかったのに。急に……気持ち悪い」
言葉が個人のものに戻る。戻ったから、怖くなる。
誰かが袖を握りしめ、誰かが笑おうとして笑えない。
「やだ……怖い……」
「私、なんで……」
「裏切ってない」
それぞれが必死に、どこかにしがみついていた。
誰も私を見ていない。自分のことで精一杯だ。
でも、その怯えが――私の足を縫い留めた。
カラスが鳴く。
カァ。
真樹は少しだけ憂鬱そうに外を見た。
風がやけに強かった。
「神社の鏡ってさ、神様を映してるわけじゃないんだ」
黒板に「鏡=依り代」って書かれた。
ぁ、手が色っぽいなぁ。
——ぇ。
なんで今そんなこと思ったんだろう。
頬が、少し熱かった。
三宮から視線を逸らせば、生徒たちの視線が三宮の手に集まっていた。
黒板を見ているのではなく、三宮自身に向けている。
ぇ?
気持ちにノイズが混ざるように、自分が行方不明になる不安。
同調する思いは無意識に真樹を浸食してくる。
(三宮先生ってかっこいいよね)
(なんか不思議なところがいいんだよね)
(その割に、フランクで接しやすい)
きっとそばに立つのは特別な人だろうなぁ~。
声に出さないのに、会話が成立しているかのような……そんな幻聴が真樹の脳裏に渦巻くのだ。
そして……小さく隠れた言葉が、ノイズの奥に聞こえる。
三宮の傍に立ちたい。
三宮はそんな思いに同期される事無く授業を進めていた。
「よく勘違いされるんだけどな、あれは神様を見るための道具じゃない」
少し笑って続ける。
「まぁ、毎朝使っている使い方が正しい。あれは、人間を見るための道具だ」
ここで普通なら
学生は「へえ」くらいの反応。
小さな笑いが返されるのが普通。
でも、学生達は理解が速すぎた。
三宮の言葉を遮り、得意げに語りだす。
「つまり先生、神って人の心の投影ですよね」
三宮は一瞬止まる。
そして生徒たちは、舌打ちをしたような……そんな感じがして、真樹は周囲を見回した。
「……いや、そこまで言ってない」
すると別の学生。
「でも分かります。神って“映るもの”ですよね」
さらに別の学生。
「人が祈るから神が形になる」
ここで教室が妙に気持ちよく回り始める。
みんなが同じ速度で理解する。
三宮の雑談は本来
考えるための余白
を作る話し方なのに、その余白を使わずに学生が答えを出してしまう。
三宮は少しだけ眉をひそめる。
「お前らさ」
黒板をトンと叩く。
「理解早すぎると、だいたい間違うぞ」
笑いが起きる。
でも学生は気にしない。
むしろ嬉しそうに言う。
「でも先生の言いたいこと分かります」
「先生ってこういう考えですよね」
「つまり――」
三宮の思考を先読みする学生たち。
奇妙な授業だった。
バイトを終えた帰り道、時間はかなり遅いのに、公園がやけに明るく感じた。
街灯が増えたわけじゃない。月が、妙に白いだけだ。
風はまだ強い。髪が頬に貼りつき、息が少しだけ冷たくなる。
ブランコが揺れて、きしむ音がした。こんな時間に子どもが?と視線を向ける。
――視線が合った。
井上さんと、サークルの仲間が二人。今日の講義にもいた顔。
視線でがっちり捕まえられて、逃げそびれた。
「真樹、バイトだったんでしょう?お疲れさま」
「ありがとう」
声が裏返って、咳払いでごまかして笑った。
「こんな遅い時間にどうしたの?もう遅いし、帰った方がいいよ」
私の言葉は通らず、三人に囲まれるように、公園の中へ誘導される。
胸の奥がざらつく。拒否感が強まる。
「真樹、受け入れて」
柔らかな井上さんの声に、残りの二人も同じ温度で頷いた。境界が溶けるみたいに。
「……なにを?」
「私、あなたとは仲良くしていたいの。ずっと上手くやってたでしょ?」
当たり前の会話みたいなのに、答えが違うのが分かってしまう。
なぜか“わかる”のだ。
「上手くやれてると思ってるけど……違うの?」
三人の目が揃っている。緊張で喉が渇く。
「うん。そう思ってるんだよね。……でも、違うよね?わかってるでしょう?」
塞いでないのに、塞がれた。
「ねえ」
優しい声。優しいのに、逃がさない。
「ここで、話してたよね」
疑問じゃない。“知ってる”の宣言だった。
風の音が一瞬遠のいて、代わりに誰かの息が聞こえた気がした。
「……何のこと?」
曖昧に笑う。笑みが浮かびきらない。
「三宮先生と一緒にいて、話してたよね」
名前が出た瞬間、空気がぴん、と張る。
「アイス、食べてた」
「二人で」
「ここ」
短い言葉が同じ高さで並ぶ。合唱みたいだった。
(見ていたのよ)
息を吸う。吸ったはずなのに、肺に入ってこない。
「偶然だよ。たまたま方向が――」
「うん、偶然って言うよね。……そうだよね」
受け止めたふりをして、受け止めていない。
「でもさ」
首を傾げる。責めない顔。困っている顔。
「それ、みんなの気持ち考えた?」
“みんなの気持ち”。
どこに行っても増えている言葉。私はその“みんな”に含まれていない。
「私……」
言いかけた瞬間、足音が増えた。振り返る前に分かる。人が来る。
道の反対側にも、もう二人。
偶然じゃないのに、偶然みたいな顔で立っている。
「ねえ真樹」
井上さんが笑う。サークルの時と同じ笑い方で――だから余計に怖い。
「私たち、分かり合えてるよね?」
――質問じゃない。答えを合わせろ、だ。
私は頷けなかった。
頷いたら何かを差し出してしまう気がした。頷かなかったら、ここから出られない気がした。
井上さんの目が、少しだけ悲しそうに細まった。
「……そっか」
その“そっか”が、宣告みたいに聞こえた。
(やっぱり)
(そういう子なんだ)
(身勝手)
声にしてないのに、言葉だけが届く。
輪郭が薄くなる。行方不明になる不安が喉元まで上がってくる。
そのとき――
カァ。
乾いた一声が、上から落ちた。
電線に、カラスが一羽。目が合った気がした。
もう一度。
カァ。
乱暴で無遠慮で、“合意”の空気を切り裂くみたいな声。
ぴし、と何かが割れた。
井上さんの笑みが途中で止まる。隣の子が息を吸いすぎてむせた。
揃っていたはずの表情が揃わなくなる。視線の置き場がばらける。
“気持ちよさ”が抜けた。
代わりに残ったのは、生々しい現実だった。
井上さんが自分の喉元に触れる。確かめるみたいに。
「……え、私たち、今……」
言いかけて、言葉が折れる。
カラスが鳴く。
カァ。
さっきまで“正しい”と思っていた空気が、急に不安定になる。
――正義じゃない。快楽だった。
彼女たちの目が揺れる。揺れて、互いを見る。
「ねえ……私、なんだか……」
「……うん、でも……」
「さっき、気持ちよかったのに。急に……気持ち悪い」
言葉が個人のものに戻る。戻ったから、怖くなる。
誰かが袖を握りしめ、誰かが笑おうとして笑えない。
「やだ……怖い……」
「私、なんで……」
「裏切ってない」
それぞれが必死に、どこかにしがみついていた。
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でも、その怯えが――私の足を縫い留めた。
カラスが鳴く。
カァ。
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