境界の音

迷い人

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2章 囀り

07.構造の変化

 森清正先輩と渡り廊下で会った日から、私は輪から外れていた。

 寂しいかと言えば、そんなことはない。
 むしろ、雑音が消えたことにスッキリしたと思ったし、同じではない自分が好きなのだと実感して苦笑してしまった。

「一人で思い出し笑いって……エッチな奴だな」

 どこから現れたのか、松沢教授の資料室から探しものを頼まれていた私の背後から声がかけられた。

 私は無言で、三宮のふくらはぎを軽く蹴った。

「コーヒーを返しに来たのに、冷たい奴だな」

 そう言いながら自分の分を飲みながら、やっぱり三宮は笑っている。

「何が、あったのだと思う?」

 私の質問を無視し、三宮は逆に問いかけて来た。

「平気そうだな」

「それは、まぁ……考えてみたんだけど、私の幸福は人との関わりではなくて、自分の中に幸福の定義があるみたい。って、言うと恰好つけているかな?」

 あぁ、これだと思った時、誰かに言いたいと思ったそんなセリフだった。

「なるほどね」

 そう言って、三宮は去って行った。

 私の手元に一冊の資料を残して。それは、表紙に松沢教授の印はない。代わりに、三宮の手書きの走り書きが挟まっていた。
 結局、松沢教授が必要としていた資料を見つけたのは昼食の少し前、私は急ぎ教授のもとへと走り出した。



 食堂では少しばかり騒動が起きていたらしい。

 “わかる~”を繰り返していた人達。
 伝えたい思い、知りたいという思いを強化され、共感に至った人達。

 そう現象をハッキリと言えるのは、三宮が私に渡した書類に今大学で起きている現象、昨日喫茶店で見た不思議な鳥の伝説が記されていた。

 あの鳥は囀りと呼ばれる一対の鳥と書かれている。

 知って欲しい、理解して欲しい、そんな思いを『解放』する鳥。
 心を閉ざし、自分の内側の思いを具現化し『閉鎖』する鳥。

 ツガイで行動する事で効果は制御され害をなさない。
 それでも同じところに長くとどまれば害となる渡りの鳥。

 人の心が分かると言っていたなら……かなり重症だ。



 そんな事を考えながら、私は食事を奢ってくれるという松沢教授と三宮と共に食堂へと向かっていた。

 そこでは、読めるはず”の世界では、言い訳は最初から罪になる。そんな景色が広がっていた。

「何あれ?」

 食堂が人によって塞がれていた。

「何があったの?」

 質問してみたが、答えの代わりに冷ややかな視線が向けられただけ。

「罪人か……」

「はぁ?!」

 怒りの火が瞬発的にともったが、ぽんっと三宮が肩に触れた瞬間、感情の火が……かき消えた。

「何があったんだね?」

 いつも通り耳を澄まさないと聞こえない小さな声の教授。
 それでも、唇の動きでなんとなくわかる。
 そして、言葉を聞いて欲しいと願う教授の声は届くのだ。

 と、安易に思っていた。

「ちょうどよい所に来ましたね。教授」

 人で封じられていた入口が開いた。
 中に入れば数人の人間が、十数人の人間に囲まれていた。

「あれは……」

 食堂には、自然に二つの塊ができていた。
 片方は声を揃え、片方は押し黙っている。
 境界線なんて引かれていないのに、誰の目にも分かる分かれ方だった

 “わかる”ことを拒否して、揃うことを、共感を拒否していても、人は安全を得るために語り合わずとも集まる性質を持つらしい。

 そして、今目の前で繰り広げられているのは、

 “わかろうとしない”側の人間が、“わかる”側の集団に囲まれて迫られていた。

「あなたの罪は、とても悲しく、深いものです。
 あなたが行った行為……自分の贅沢のためにさせた行為が、
 奢らせ、勉強の邪魔をし、課題を代筆させ、そして退屈だからと言って万引きをさせていた。
 ……そんな事をさせられていた人間がどれほど傷つくか分かっているのですか?
 心からの謝罪と、貴方が消費した金品の保証を求めます。いえ、それだけで済む訳などありません。彼は貴方のせいで心が乱れ続けているのです……責任をとってください」

「反省?してるしてる。もうそんな事してないだろう?ガキのお遊びだろうが、小学生の頃だぞ」

「あなたが勝手に改心をしても、彼は救われません。彼の心が救われるよう誠心誠意、正しくなった自分を伝えて下さい」

 そんな声が聞こえた。

 そして、入口を塞いでいた人が、断罪をしていた人物……喫茶店で試練を乗り越えた者に耳打ちをしにいった。

「教授、ここで出会えてよかった。教授には深く反省していただかないと。私達は教授の講義が好きです。ですが、貴方の清廉さが保証されないことには、語られる講義が、歪に歪みその素晴らしい内容が耳に届きません。どうか、謝罪をして、贖ってください」

「何を言っているのかね?」

 ボソボソといつものように聞こえない声だが、唇の動きで分かる。
 そして“わかる”女性にも分かっていた。

 三宮はそっと私を自分の後ろに下がらせた。

 わかる女性が、一人の男性に視線を向ければ、男性はスマホを見てそれを読み始めた。まるで罪状を伝える裁判官のように。

「教授が、貴重な資料をその価値を伝える事無く、譲受け、いえ、その行為は盗みと変わりません。人の財産を搾取したのですから」

「資料の多くは、ちゃんと許可を得ている。資料も残っている。見たいなら見せよう」

「それは事実ですか?」

「あぁ、そうだとも」

「子は、孫は、納得していましたか? ここにいる彼女は祖父の形見を、自分がもらい受けるはずだった形見を教授が奪ったと言っています。どう弁明されるのですか?彼女も傷ついていますが、教授を尊敬していた私達もまた傷ついているのです。正してください」

 合唱のように周囲から声があがる。

「正してください」
「謝罪してください」
「贖って下さい」
「保証してください」

「こんなところでする話ではないだろう。君、教授が君の祖父から譲り受けた資料のことを話そうか?教授は引き受ける際の資料があるんですよね」

「あぁ、あるとも。貴重なものだ。保管も大変だからと言って、大抵のものは譲ってくれたり、預けてくれている。書類を探して話をしよう」

「じゃぁ、行こうか?」

 三宮は、教授と、祖父の形見を欲しがっている少女に向かって言えば、“わかる”女性も後をついてきた。そして女性のあとに数人ついて行く。



 騒ぎは一応去った。

 嫌な言い方だが、ボスが居なければ静かに同調を楽しんでいるだけ。
 それでもヒソヒソと話す声が聞こえる。

「罪人だわ」
「えぇ、罪人よ」
「心を見られたくないなんて、やっぱり罪人だったのにね」
「酷い話だったわ」

 ヒソヒソとどこまでも続いていた。

「罪人だから心を解放できないのよ」

 身に覚えのないレッテルは分かっていない者の発言だった。
 私は“わかろうとしない”側へと向かった。

「榊さん」

 知っている顔だった。
 ゼミが同じなのか、授業が同じなのか、すぐには思い出せない。
 でも向こうは、私を“輪の外にいる人”として認識していたらしい。

「……聞こえてた?」
 責める感じはなかった。

 私は少しだけ考えてから、頷いた。
 嘘をつく必要はないと思った。

「少し」
「最悪だね」
「別にいいよ。今は違う」

 男子が肩をすくめる。

「知られて困るような、立派な話してないし」

 その言い方に、笑いが起こった。

 笑えるんだ……

 息がしにくい。
 距離がある。
 馴染めそうにない。

「榊さんって、あっちじゃないよね」

 ひとりが言う。
 雑ではあるけれど、今の状況では正確な分類だった。

 私はすぐには答えなかった。
 答えないまま、その人たちを見る。

 見ようとしている人。
 見られたくない人。
 どちらでもなく、ただ巻き込まれたくない人。

 同じに見えて、少しずつ違う。

「……分からない」

 そう言うと、数人がきょとんとした。

 でも、それが今の本音だった。
 分かる側でもない。
 完全に同じ側とも、まだ言い切れない。
 雑に括られるには、情報が足りない。

「ただ」

 私は続ける。

「見えないことと、悪いことは、同じじゃない。それだけは胸を張って言えるよ」

 静かになった。
 反論はなかった。

 同意とも違う沈黙だった。
 その言葉を、それぞれが自分の場所に置いてみているような沈黙。

 すぐに混ざらない方がいいと思った。
 ここで“分かる”を取りに行くと、さっきの輪と同じになる。

 だから私は、それ以上言わなかった。

 風が抜けて、枝が揺れる。
 遠くでまた、カラスが鳴いた。

 誰かが「不吉」と笑い、
 別の誰かが「むしろ正直」と返した。

 私は少しだけ、そのやりとりを見ていた。
 まだ信用はしない。
 でも、さっきの輪よりは、ずっと息がしやすかった。
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