境界の音

迷い人

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2章 囀り

20.コイバナ

 司書カウンターへと向かった。

 来訪者の少なくなった図書館では、普段は手が回らない本の装丁直しや、おすすめ本の案内板づくりが静かに進んでいた。  
 いつもと違う雰囲気だけれど、それは悪いものではなく、ゆったりとした余裕が居心地のよさを作り出していた。

 こんな事情がなければ、私もここでゆっくり本を読んでいただろうと思う。

「沙織さん」

 私はエプロン姿の女性に声をかけた。

 三宮が名簿のコピーを借りた相手は大学専属の司書だった。  
 だから私は、顔見知りのパート職員に声をかける。とても気安い人だ。

 名簿に記載されていたのは来訪者のデータだけで、借りた本の記録まではなかった。  
 データ量が膨大になるから当然かもしれないけれど、今知りたいことには足りない。

 森清正が、なぜ毎日のように図書館へ来ているのか。  
 彼を早く見極めたかった。

 文学科の生徒の多くは揃っていて、揃っている人間は図書館に来なくなったのに、彼は今も……  
 いえ、揃い始める少し前から、毎日のように図書館へ来ていた。

「あら、最近顔を出さなかったけど。彼氏でもできた?」

 沙織さんが言いながら、視線が背後の三宮へ向く。  
 手で隠した口元がニヤニヤしていた。

「違うから。この人は助教授で……遠縁のおじさんなんだから。バイトが忙しかっただけだし」

 アピールたっぷりのからかい。
 クスクスと静かな笑い声。
 それだけ気安い関係ではあるけれど、個人的に連絡先を交換するほどではない距離感が、私と沙織さんの関係だ。

「それで、今日はどんな本をお探しですか?」

 急に“図書館のお姉さん”になる沙織さん。
 でも、本について聞きたいわけじゃない。

 私はモジモジと視線をそらす。

「本ではなくて、その……」

 言いよどんだ。  

 人を悪人と決めつけて何かを聞き出そうとするのは気が引ける。でも、その態度が沙織さんの思考を別方向へ膨らませたらしい。

「好きな人でもできた? できたのね」

「好きではなくて、ただ気になるだけ!!」

 慌てて言えば、誤解が誤解を呼んでいく。

「で、だれだれ?」

 もう誤解でもいいかと思ったけれど、ニヤニヤされ続けるのは居心地が悪い。
 視線をそらしながら尋ねた。

「その……森清正さんって人に、覚えはありますか?」

「彼がどうかしたの? どうかしたの?って、分かりきってること聞いたわね~。いいわね、羨ましい、恋ね、恋、すっぱい恋……うふふ……。そうね、森君は穏やかで知的で、図書館でも評判がいいのよ。教授たちからの覚えもいいし、おすすめね」

 親指を立てて励まされ、私は困ってしまう。

「あの、そうじゃなくて……」

 訂正しようとしたとき、背中をトンと軽く叩かれた。三宮だった。

「ムキになるから大人を楽しませるんだ」

 三宮が小声でそう言いながらニヤニヤするから、沙織さんも一層にやけてきた。

「はいはい、それで、どうしたのかなぁ? お姉さんに聞かせて」

 沙織さんが笑顔で続きを促す。  
 私は視線をそらしたまま、ボソリと言った。

「森清正さんの……読んでいる本が気になって、ぁ、ただ!! その、論文のことが気になるっていうか……そういうので」

「そうそう、そうなのねぇ~~」

 誤解は続くが、沙織さんは真顔になった。

「利用傾向は勝手に教えるわけにはいかないのよね」

 彼女はパートだ。権限がない。

「……そうですよね」

 当然だと分かっていた。  
 でもその瞬間、別のことに気づいた。

 沙織さんは、揃っていない。  
 他の図書館職員も揃っていなかった。  
 声をかけ合っていた。  
 他愛ない指示が声に出されていた。

 毎日ここにいる。  
 利用者と何度も関わる。  
 それなのに、揃っていない。

 揃わないことが当たり前で、今まで気づかなかった。
 田村店長と同じだ。
 場にいながら外にいる人たちが、ここにもいた。

 なぜか胸の奥がモヤリとした。
 理由が分からないから。

 それを沙織さんはまた、別の意味に受け取ったようだった。

「そうね……正式に借りているものは教えられないけど。特別なこと、教えてあげる」

 沙織さんは少し声を落とした。

「彼、普通に借りる本とは別に、閉架を調べているの。新しい版が出て閉架に回った古い資料を、新しいものと比べたいんですって。  
 だから時々、閉架室に入らせてもらっているのよ。毎日ほんの少しだけ。
 入ってはいけない場所だって気にしてるのかしら、律儀なくらい短いの」

「あの、私も閉架室を見せてもらえませんか」

 沙織さんはやっぱりニヤニヤした。

「仕方ないなぁ。お姉さんが頼んであげる」

「だから、そういうんじゃ……」

 否定しかけた声に、三宮が重ねる。

「ほら、まずはありがとうだろう」

「……ありがとうございます」

 そうして私たちは、少し後に閉架室へ向かうことになった。





榊真樹による観測記録・抜粋

対象: 図書館職員および利用者の接触状況、閉架利用の有無
観測日時: 〇月〇日

記録:
図書館職員は利用者と日常的に接触しているにもかかわらず、学内で進行している“揃い”の影響をほとんど示していなかった。
聞き取りの結果、文学部三年・森清正は通常貸出とは別に、閉架資料の閲覧を継続的に行っていることが判明した。
利用理由は旧版資料と新版資料との差分確認とされ、閉架室への出入りは短時間だが高頻度であった。

考察未満の所見:
図書館が影響圏内にありながら例外化している要因として、閉架資料、または閉架室そのものが現象に関与している可能性がある。
森清正の行動は現時点で断定できないが、追加観察対象として十分な不自然さを有する。
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