境界の音

迷い人

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2章 囀り

23.解放

 空にいるカラスは、空の色をした鳥の周りを飛び回っていた。

 近づくなと威嚇するように。
 安心しろと説得するように。

 カラスのおかげで、囀りの影響は避けられている。
 囀りが近寄れば、誰かの声を受信しようとするように、思考にノイズが走るのだ。

 喫茶店に向かう道中、私は口ずさむ。

「渡り鳥と言うなら、定期的に来るんでしょう。どうして問題にならなかったんでしょう」

「渡り鳥だからだろう。少しだけ人の気持ちと近くなる。虫の知らせって言うだろう? ああいう“人の気持ちが近くなるとき”、囀りは近くにいる。誰もが経験していることだし、それ以上の影響が落ちる前に飛び去る存在だからだろう」

 どうして留まっていたのかなんて、聞かなくても分かる。
 対の一羽が捉えられているなら、留まるのも仕方がない。

 なら、掛け軸の鳥を解放すれば囀りは去る――考えずとも分かる理屈。
 でも、どうやって?

 ジリジリと、頭の中で音が激しくなった。
 音が揺れて、思考の邪魔になって、目がくらむ。

「前見て歩け、ぶつかるぞ」

 不意に目の前を塞ぐように手が現れた。電柱にぶつからないように。

「ぁ、ごめん。ありがとう」

 囀りは鳴き声の代わりに、人の声を届けているのかもしれない。
 そう思っても、頭の中のノイズは止まらなかった。



 夕刻の木漏れ日は学生で混んでいた。
 ここは、誰かの思考に引かれ続ける疲れから逃れるための店だと、噂で聞いたことがある。

 入口の扉を開いた。

 カランカランと鳴る鈴の音。

 鳴った瞬間、耳を抑えて顔をしかめる学生たち。
 学生たちはぐらつき、耳を塞ぎ、こめかみを押さえ、口元を覆っていた。

 反応はそれぞれなのに、次の瞬間、逃げるように立ち上がった動きだけが奇妙に揃っていた。

 その様子に店内がざわつき、店長が私の顔を見て安堵した。

「真樹ちゃん、いいところに来た。レジに入って!」

「ぇ、あ、はい!!」

 私は店を後にする学生たちを送り出すためにレジに入り、落ち着く頃には店内は静かさを取り戻していた。

「店長、少しここを使わせて欲しいのだけど」

「えぇ、構いませんよ。私は明日の支度が残っていますからね」

 片付けを終えたテーブルの上に、掛け軸を広げる。

 絵のサイズは横18センチ、縦68センチ。
 実家にある掛け軸と比べれば小さめだ。
 白い本紙部分からはみ出すように描かれた鳥籠。
 その鳥籠が鳥の動ける範囲らしく、鳥はその中で騒々しく動き回っていた。

「どうすれば解放できると思う?」

 私は三宮に視線を向ける。

「籠を壊せばいいだろう」

 そう言われても――。

 マジックで落書きされた絵は、すでに芸術品としては壊れてしまっている。
 けれど持ち主の愛着を考えれば、ハサミで切ることには躊躇いがあった。

 スマホを取り出し、マジックを消す方法がないか検索する。

「良い方法……」

 早く出たいとバタつく鳥。
 早く出てこいと急かすように、外でも鳥が騒いでいる。
 その声を抑え込むように、カラスの鳴き声が何度も重なった。

 店の外はひどく騒々しい。
 バイト一時間分くらい、カラスのおやつ代に消えそうだな――なんて、場違いなことまで考えてしまう。

 催促は激しくなるのに、方法は思いつかない。  
 籠を消す? 切る? 上から何かを貼る? 
 スマホの画面を見つめても、決め手になる言葉はどこにもなかった。

 掛け軸の中で鳥は暴れ続ける。
 外でも、もう一羽が落ち着きなく旋回している。

 早くしなければいけない。
 そう分かっているのに、手が止まる。

 持ち主の顔も知らない掛け軸だ。
 だからといって、勝手に壊していい理由にはならない。
 けれど、このまま閉じ込めておけるわけもない。

 ジリジリと焦りだけが胸の内で膨らんでいく。
 考えても、考えても、都合のいい答えは出てこない。

 あぁ、もう。

 心の中で叫んで、私は顔を上げた。

「これは、もう、マジックで籠を書いた人が悪いで終わらせよう」

 半分は言い訳で、半分は決意だった。

 掛け軸を手にしたまま、私は店の外へ歩き出す。
 鳥たちの気配が、じっとこちらを見守っていた。

 深く息を吸う。
 破ったら戻れない――そんな当たり前のことを、今さらのように思う。

 それでも私は、迷いを振り切るように両手へ力を込めた。

 和紙が裂ける。

 その瞬間、慌てたように三宮が動いた。
 三宮は掛け軸を私の手から奪い、人のいなくなった道路へ投げつける。

 小さな竜巻と共に、鳥が掛け軸から飛び出した。

 空色の二羽の鳥は、月明かりに淡く輝きながら、夜の色の中をくるくると踊るように数回旋回し、飛び去っていった。



 あっさりとした終わりだった。

「三宮」

「なんだ?」

「掛け軸、元の場所に返しておいてね」

「……都合よく利用するな」

「私の事件じゃないもん。さて、店長!! 何か温かいもの飲ませてくださ~い」

 喫茶店に戻る私のあとを、三宮は苦笑まじりについてきていた。
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