境界の音

迷い人

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2章 囀り

25.その後②

 囀りの解放から、図書館に訪れれば、そばには森先輩がいる。

 あの日、掛け軸を持ち出し破ったことがトラブルになるのでは――
 そんな私の緊張感をよそに、私たちは沈黙の中にいた。

 それを見ていた沙織さんが、手招きで私を呼ぶ。

「それで、何か進展あった?」

 ニマニマした様子がイラッとして、ついデコピンしてしまった……。

「ありませんよ。本を読んでいただけです。それに、私は森先輩の論文が気になるって言いましたよね?」

「照れなくても~~」

 話にならない。

 それでも、森先輩があの日から閉架室に行っていないと聞かされ……
 同時に、司書の女性の視線が痛いが……そのうち元に戻るだろうと気にしないことにした。

 なのに、森先輩はいつも近くの席に座る……。



「あの……」

 知らない人から声をかけられた。
 食堂に向かう途中の出来事だった。

 視線が定まらず、挙動不審な様子の男女二人。

「何か? 歩きながらでいいですか? 今日の定食は好物なので」

 揃っている方が効率が良いとされた食堂のメニューは、学長の一声で元に戻っていた。

「ぁ、奢るから」

 女性が怯えた様子で言う。
 ウサギみたいな人だ……。

 煮魚定食を前に、私は尋ねた。

「それで、どんなご用でしょうか?」

「その、森君と仲良いんだよね」

「そうでもありませんよ? 最近、図書館で一緒にはなりますが」

「あの……」

 男女が顔を見合わせた。

「謝る機会を作ってもらえないかな」

 女性が言い、男性が続ける。

「このままだと、アイツにも良くないと思うんだ」

「小池君!」

「だって、そうだろう! ゼミの中で一人はみ出していて良いわけないだろう」

 どういう状況か分からないけれど、タラの煮つけは美味しい。
 ちょこっとついた卵の部分は、ご飯をお代わりしたいくらいだった。

「できることがあれば力になりますが、確約はできません。それでよければ話してください」



 それは、対の囀りが旅立った翌日の出来事。

 10人以上の人間がゼミ室に集まり、全員の思考を共有しながら論文を書き進めていた。

 情報において誰かが知っていれば、細かい知識がなくても検索がしやすかった。
 何より、森清正は膨大な知識を持っていた。

「アイツ、揃う状態が起こるまでずっとボッチだったから暇だったんだろう」

「そんな言い方をしちゃダメでしょ、小池君」

「俺らと揃うことで仲間になれたのに、あんなことを思っていやがったなんて」

「あんなこと??」

 小池という男の言い方は、決して森先輩の味方をするつもりではないのに、カチンとくるものがあった。

 そして森清正は、こう考えていたらしい。

『こんなことも分からないのか……。
 どんなに揃っていても個々のレベルが低いと全体的なレベルアップにつながらない。分かり合っても、揃いの中で誰かが負担を強いる構造。どうしてこんな、つまらないことになるんだ。
 なぜ俺が、いつまでもこんな奴らに知識を貸さなければいけないんだ。  
 あぁ、頭が痛い……自分の作業に集中できない、気分が悪い』

「生意気なんだよ……ボッチが、少し自分が賢いからって。所詮こんな大学にしか来れなかった奴がさ」

「小池君!!」

「あの、文句を言いたいのなら、直接おっしゃった方がすっきりしますよ」

「ち、違うの!! 私は、私たちは、その……謝りたかったの。他のゼミでもね。
 ちょっと知識があったりする子は、他人の情報が欲しい、書き方が分からない、どう読み解けばいいのか、どうアプローチすればいいのか…… そういう疑問を持つ子は、賢い人たちの負担になっていたらしいの……なのに、私達は彼が馬鹿にしたって責めたの……拒絶をしたの、揃いに、仲間から出て行けって」

 囀りがいなくなり、現象が沈静化する際に知識の共有が薄まる。  
 薄まっているのに、変わらない情報を得ようとする。
 情報の主体となった人の脳に負担がかかった――ということだった。

「確かに負担はあっただろうがさ、それでも人を馬鹿にするのは違うだろう」

「でも、あなたは森先輩を馬鹿にしていますよね?」

「アイツが人を見下しているからだ!なんだ、お前はアイツの味方ばかりして。揃いが薄まれば誰にも相手にされない陰気な奴が好きなのか?趣味悪いんじゃないのか?」

 馬鹿にするように笑ってくる。

「あの、人を見下す態度はとても不愉快です。森先輩が見下したことに不快だと言うなら、同じようにするのはどうなのでしょう?
 それに、初対面の私に同じように不快な態度をとるあなたも、性格よくありませんよね?揃っていたとき、言われませんでしたか?」

 私は女性の方へ視線を向けた。

「ぇ、えっと、ほら、小池君は裏表のない人で、元からこういう人だったから……
 そりゃぁ少しは嫌だなって思ったりもしたけど……小池君、嫌がられるのも喜ぶような人だし……」

 女性の声が小さくなっていき、男性はそっぽを向いた。

「それより森君だよ。あの時は、まさかそんな風に思っているって思わなくて……言葉にせずに講義の分からないこととか、色々聞いていたけど。他所のゼミのことを聞いた今なら、森君の負担も理解できるなって……あぁ言われても仕方がないかなって……」

「まぁ、俺たちも悪かったから、そろそろゼミに顔を出したらどうだ?って、伝えたいんだが、オマエ代わりに言っておいてくれよ」

 そうは言うが、聞いた話では閉架に行かなくなった理由は「論文が終わったから」。  
 そう沙織さんから聞いている。論文を書いている最中のゼミに彼が行く理由は?

 そう思えば、自然と二人の目を見据えていた。

「本音は?」

「ぇ?」

「揃っている時は、本音で語っていたんですよね?」

「……揃うっていう状態は、本音を預けるってことなのよ」

 そう女性は言うが、視線はそらされていた。

「あんな奴、眼中にないって言うの」

「違うの!!森君は、その……善人で、正論を語って、知識もあって、揃いの中でのトラブルを扱うのが上手かったから、揃うのが気持ちの良い人だった。それは本当よ!」

「でも、そうやって善人ぶって、ずっと人を見下していたんだぜ。詐欺だろう」

「あなたは森先輩をどう思っていたんですか?」

「あんな地味な奴、視界にも入らねぇよ。何か思う理由もねぇよ。まぁ、頭のいい奴がいるってのは、便利だなぁとかは思っていたが……」

「小池君黙っていて!!  
 私たちは、その……とにかく謝りたいのよ」



 結局、私は断った。
 定食代も自分で払った。

 話し合いのきっかけを作ることが、森先輩にとって良いことだとは思えなかったから。
 あの二人が謝りたいのは、自分たちのためだろうと思ったから。

 そして今日も、森先輩は無言で私の近くにいる。

 何かを言うわけでもなく。
 何かを求めるわけでもなく。
 ただ、そこにいる。

 それが何を意味するのか、私には分からない。

 分からないまま、本のページをめくる。



2章終わり
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