44 / 67
2章 囀り
25.その後②
囀りの解放から、図書館に訪れれば、そばには森先輩がいる。
あの日、掛け軸を持ち出し破ったことがトラブルになるのでは――
そんな私の緊張感をよそに、私たちは沈黙の中にいた。
それを見ていた沙織さんが、手招きで私を呼ぶ。
「それで、何か進展あった?」
ニマニマした様子がイラッとして、ついデコピンしてしまった……。
「ありませんよ。本を読んでいただけです。それに、私は森先輩の論文が気になるって言いましたよね?」
「照れなくても~~」
話にならない。
それでも、森先輩があの日から閉架室に行っていないと聞かされ……
同時に、司書の女性の視線が痛いが……そのうち元に戻るだろうと気にしないことにした。
なのに、森先輩はいつも近くの席に座る……。
「あの……」
知らない人から声をかけられた。
食堂に向かう途中の出来事だった。
視線が定まらず、挙動不審な様子の男女二人。
「何か? 歩きながらでいいですか? 今日の定食は好物なので」
揃っている方が効率が良いとされた食堂のメニューは、学長の一声で元に戻っていた。
「ぁ、奢るから」
女性が怯えた様子で言う。
ウサギみたいな人だ……。
煮魚定食を前に、私は尋ねた。
「それで、どんなご用でしょうか?」
「その、森君と仲良いんだよね」
「そうでもありませんよ? 最近、図書館で一緒にはなりますが」
「あの……」
男女が顔を見合わせた。
「謝る機会を作ってもらえないかな」
女性が言い、男性が続ける。
「このままだと、アイツにも良くないと思うんだ」
「小池君!」
「だって、そうだろう! ゼミの中で一人はみ出していて良いわけないだろう」
どういう状況か分からないけれど、タラの煮つけは美味しい。
ちょこっとついた卵の部分は、ご飯をお代わりしたいくらいだった。
「できることがあれば力になりますが、確約はできません。それでよければ話してください」
それは、対の囀りが旅立った翌日の出来事。
10人以上の人間がゼミ室に集まり、全員の思考を共有しながら論文を書き進めていた。
情報において誰かが知っていれば、細かい知識がなくても検索がしやすかった。
何より、森清正は膨大な知識を持っていた。
「アイツ、揃う状態が起こるまでずっとボッチだったから暇だったんだろう」
「そんな言い方をしちゃダメでしょ、小池君」
「俺らと揃うことで仲間になれたのに、あんなことを思っていやがったなんて」
「あんなこと??」
小池という男の言い方は、決して森先輩の味方をするつもりではないのに、カチンとくるものがあった。
そして森清正は、こう考えていたらしい。
『こんなことも分からないのか……。
どんなに揃っていても個々のレベルが低いと全体的なレベルアップにつながらない。分かり合っても、揃いの中で誰かが負担を強いる構造。どうしてこんな、つまらないことになるんだ。
なぜ俺が、いつまでもこんな奴らに知識を貸さなければいけないんだ。
あぁ、頭が痛い……自分の作業に集中できない、気分が悪い』
「生意気なんだよ……ボッチが、少し自分が賢いからって。所詮こんな大学にしか来れなかった奴がさ」
「小池君!!」
「あの、文句を言いたいのなら、直接おっしゃった方がすっきりしますよ」
「ち、違うの!! 私は、私たちは、その……謝りたかったの。他のゼミでもね。
ちょっと知識があったりする子は、他人の情報が欲しい、書き方が分からない、どう読み解けばいいのか、どうアプローチすればいいのか…… そういう疑問を持つ子は、賢い人たちの負担になっていたらしいの……なのに、私達は彼が馬鹿にしたって責めたの……拒絶をしたの、揃いに、仲間から出て行けって」
囀りがいなくなり、現象が沈静化する際に知識の共有が薄まる。
薄まっているのに、変わらない情報を得ようとする。
情報の主体となった人の脳に負担がかかった――ということだった。
「確かに負担はあっただろうがさ、それでも人を馬鹿にするのは違うだろう」
「でも、あなたは森先輩を馬鹿にしていますよね?」
「アイツが人を見下しているからだ!なんだ、お前はアイツの味方ばかりして。揃いが薄まれば誰にも相手にされない陰気な奴が好きなのか?趣味悪いんじゃないのか?」
馬鹿にするように笑ってくる。
「あの、人を見下す態度はとても不愉快です。森先輩が見下したことに不快だと言うなら、同じようにするのはどうなのでしょう?
それに、初対面の私に同じように不快な態度をとるあなたも、性格よくありませんよね?揃っていたとき、言われませんでしたか?」
私は女性の方へ視線を向けた。
「ぇ、えっと、ほら、小池君は裏表のない人で、元からこういう人だったから……
そりゃぁ少しは嫌だなって思ったりもしたけど……小池君、嫌がられるのも喜ぶような人だし……」
女性の声が小さくなっていき、男性はそっぽを向いた。
「それより森君だよ。あの時は、まさかそんな風に思っているって思わなくて……言葉にせずに講義の分からないこととか、色々聞いていたけど。他所のゼミのことを聞いた今なら、森君の負担も理解できるなって……あぁ言われても仕方がないかなって……」
「まぁ、俺たちも悪かったから、そろそろゼミに顔を出したらどうだ?って、伝えたいんだが、オマエ代わりに言っておいてくれよ」
そうは言うが、聞いた話では閉架に行かなくなった理由は「論文が終わったから」。
そう沙織さんから聞いている。論文を書いている最中のゼミに彼が行く理由は?
そう思えば、自然と二人の目を見据えていた。
「本音は?」
「ぇ?」
「揃っている時は、本音で語っていたんですよね?」
「……揃うっていう状態は、本音を預けるってことなのよ」
そう女性は言うが、視線はそらされていた。
「あんな奴、眼中にないって言うの」
「違うの!!森君は、その……善人で、正論を語って、知識もあって、揃いの中でのトラブルを扱うのが上手かったから、揃うのが気持ちの良い人だった。それは本当よ!」
「でも、そうやって善人ぶって、ずっと人を見下していたんだぜ。詐欺だろう」
「あなたは森先輩をどう思っていたんですか?」
「あんな地味な奴、視界にも入らねぇよ。何か思う理由もねぇよ。まぁ、頭のいい奴がいるってのは、便利だなぁとかは思っていたが……」
「小池君黙っていて!!
私たちは、その……とにかく謝りたいのよ」
結局、私は断った。
定食代も自分で払った。
話し合いのきっかけを作ることが、森先輩にとって良いことだとは思えなかったから。
あの二人が謝りたいのは、自分たちのためだろうと思ったから。
そして今日も、森先輩は無言で私の近くにいる。
何かを言うわけでもなく。
何かを求めるわけでもなく。
ただ、そこにいる。
それが何を意味するのか、私には分からない。
分からないまま、本のページをめくる。
2章終わり
あの日、掛け軸を持ち出し破ったことがトラブルになるのでは――
そんな私の緊張感をよそに、私たちは沈黙の中にいた。
それを見ていた沙織さんが、手招きで私を呼ぶ。
「それで、何か進展あった?」
ニマニマした様子がイラッとして、ついデコピンしてしまった……。
「ありませんよ。本を読んでいただけです。それに、私は森先輩の論文が気になるって言いましたよね?」
「照れなくても~~」
話にならない。
それでも、森先輩があの日から閉架室に行っていないと聞かされ……
同時に、司書の女性の視線が痛いが……そのうち元に戻るだろうと気にしないことにした。
なのに、森先輩はいつも近くの席に座る……。
「あの……」
知らない人から声をかけられた。
食堂に向かう途中の出来事だった。
視線が定まらず、挙動不審な様子の男女二人。
「何か? 歩きながらでいいですか? 今日の定食は好物なので」
揃っている方が効率が良いとされた食堂のメニューは、学長の一声で元に戻っていた。
「ぁ、奢るから」
女性が怯えた様子で言う。
ウサギみたいな人だ……。
煮魚定食を前に、私は尋ねた。
「それで、どんなご用でしょうか?」
「その、森君と仲良いんだよね」
「そうでもありませんよ? 最近、図書館で一緒にはなりますが」
「あの……」
男女が顔を見合わせた。
「謝る機会を作ってもらえないかな」
女性が言い、男性が続ける。
「このままだと、アイツにも良くないと思うんだ」
「小池君!」
「だって、そうだろう! ゼミの中で一人はみ出していて良いわけないだろう」
どういう状況か分からないけれど、タラの煮つけは美味しい。
ちょこっとついた卵の部分は、ご飯をお代わりしたいくらいだった。
「できることがあれば力になりますが、確約はできません。それでよければ話してください」
それは、対の囀りが旅立った翌日の出来事。
10人以上の人間がゼミ室に集まり、全員の思考を共有しながら論文を書き進めていた。
情報において誰かが知っていれば、細かい知識がなくても検索がしやすかった。
何より、森清正は膨大な知識を持っていた。
「アイツ、揃う状態が起こるまでずっとボッチだったから暇だったんだろう」
「そんな言い方をしちゃダメでしょ、小池君」
「俺らと揃うことで仲間になれたのに、あんなことを思っていやがったなんて」
「あんなこと??」
小池という男の言い方は、決して森先輩の味方をするつもりではないのに、カチンとくるものがあった。
そして森清正は、こう考えていたらしい。
『こんなことも分からないのか……。
どんなに揃っていても個々のレベルが低いと全体的なレベルアップにつながらない。分かり合っても、揃いの中で誰かが負担を強いる構造。どうしてこんな、つまらないことになるんだ。
なぜ俺が、いつまでもこんな奴らに知識を貸さなければいけないんだ。
あぁ、頭が痛い……自分の作業に集中できない、気分が悪い』
「生意気なんだよ……ボッチが、少し自分が賢いからって。所詮こんな大学にしか来れなかった奴がさ」
「小池君!!」
「あの、文句を言いたいのなら、直接おっしゃった方がすっきりしますよ」
「ち、違うの!! 私は、私たちは、その……謝りたかったの。他のゼミでもね。
ちょっと知識があったりする子は、他人の情報が欲しい、書き方が分からない、どう読み解けばいいのか、どうアプローチすればいいのか…… そういう疑問を持つ子は、賢い人たちの負担になっていたらしいの……なのに、私達は彼が馬鹿にしたって責めたの……拒絶をしたの、揃いに、仲間から出て行けって」
囀りがいなくなり、現象が沈静化する際に知識の共有が薄まる。
薄まっているのに、変わらない情報を得ようとする。
情報の主体となった人の脳に負担がかかった――ということだった。
「確かに負担はあっただろうがさ、それでも人を馬鹿にするのは違うだろう」
「でも、あなたは森先輩を馬鹿にしていますよね?」
「アイツが人を見下しているからだ!なんだ、お前はアイツの味方ばかりして。揃いが薄まれば誰にも相手にされない陰気な奴が好きなのか?趣味悪いんじゃないのか?」
馬鹿にするように笑ってくる。
「あの、人を見下す態度はとても不愉快です。森先輩が見下したことに不快だと言うなら、同じようにするのはどうなのでしょう?
それに、初対面の私に同じように不快な態度をとるあなたも、性格よくありませんよね?揃っていたとき、言われませんでしたか?」
私は女性の方へ視線を向けた。
「ぇ、えっと、ほら、小池君は裏表のない人で、元からこういう人だったから……
そりゃぁ少しは嫌だなって思ったりもしたけど……小池君、嫌がられるのも喜ぶような人だし……」
女性の声が小さくなっていき、男性はそっぽを向いた。
「それより森君だよ。あの時は、まさかそんな風に思っているって思わなくて……言葉にせずに講義の分からないこととか、色々聞いていたけど。他所のゼミのことを聞いた今なら、森君の負担も理解できるなって……あぁ言われても仕方がないかなって……」
「まぁ、俺たちも悪かったから、そろそろゼミに顔を出したらどうだ?って、伝えたいんだが、オマエ代わりに言っておいてくれよ」
そうは言うが、聞いた話では閉架に行かなくなった理由は「論文が終わったから」。
そう沙織さんから聞いている。論文を書いている最中のゼミに彼が行く理由は?
そう思えば、自然と二人の目を見据えていた。
「本音は?」
「ぇ?」
「揃っている時は、本音で語っていたんですよね?」
「……揃うっていう状態は、本音を預けるってことなのよ」
そう女性は言うが、視線はそらされていた。
「あんな奴、眼中にないって言うの」
「違うの!!森君は、その……善人で、正論を語って、知識もあって、揃いの中でのトラブルを扱うのが上手かったから、揃うのが気持ちの良い人だった。それは本当よ!」
「でも、そうやって善人ぶって、ずっと人を見下していたんだぜ。詐欺だろう」
「あなたは森先輩をどう思っていたんですか?」
「あんな地味な奴、視界にも入らねぇよ。何か思う理由もねぇよ。まぁ、頭のいい奴がいるってのは、便利だなぁとかは思っていたが……」
「小池君黙っていて!!
私たちは、その……とにかく謝りたいのよ」
結局、私は断った。
定食代も自分で払った。
話し合いのきっかけを作ることが、森先輩にとって良いことだとは思えなかったから。
あの二人が謝りたいのは、自分たちのためだろうと思ったから。
そして今日も、森先輩は無言で私の近くにいる。
何かを言うわけでもなく。
何かを求めるわけでもなく。
ただ、そこにいる。
それが何を意味するのか、私には分からない。
分からないまま、本のページをめくる。
2章終わり
あなたにおすすめの小説
心霊タクシーでおかえりなさい
黄鱗きいろ
ホラー
十八歳の少女、凪は、
心霊タクシーの噂を頼りに片田舎のロータリーを訪れる。
そこで出会った心霊タクシーの運転手に
凪は札束を突きつけて頼み込んだ。
「お願いします。このお金で、行けるところまで私を連れて行ってください! 両親を探してるんです!」
おっさん運転手と訳あり少女の
優しくて少し哀しい心霊譚。
※他サイトにも掲載しています。
「お前のカメラ、ずっと映ってるよ」〜ホラースポット配信者が気づいた時には、もう遅かった〜
まさき
ホラー
ホラースポット専門のYouTuber・桐島悠は、霊も怪異も一切信じない合理主義者だ。
ある廃病院での配信中、今まで感じたことのない「違和感」を覚えた。しかし撮影は無事終了。その後も普通に配信を続け、あの夜のことなど忘れかけていた頃——深夜、金縛りにあう。
疲れてるだけだ。
しかし、それは始まりに過ぎなかった。
記憶の空白。知らない足跡。動画に毎回映り込む、同じ女の姿。そして——「やっと、見つけた」という声。
カメラが映し続けていたのは、心霊スポットではなかった。もっとずっと、近いところにいるものだった。
愛していました。待っていました。でもさようなら。
彩柚月
ファンタジー
魔の森を挟んだ先の大きい街に出稼ぎに行った夫。待てども待てども帰らない夫を探しに妻は魔の森に脚を踏み入れた。
やっと辿り着いた先で見たあなたは、幸せそうでした。
私がみた夢の話を誰かきいてくれませんか?※これはあくまでフィクションです。
芝 稍重
ホラー
私は子供の頃から夢日記を書いています。
この話には続きがありますが、ここでは書きません。この話でピンときた人は、コメント欄で知らせてほしいです。
(※このあらすじは、本文にでてくる「夢日記」投稿当時のものを復刻した内容です)
表紙はぱくたそのフリー写真です
お二人共、どうぞお幸せに……もう二度と勘違いはしませんから
結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
【もう私は必要ありませんよね?】
私には2人の幼なじみがいる。一人は美しくて親切な伯爵令嬢。もう一人は笑顔が素敵で穏やかな伯爵令息。
その一方、私は貴族とは名ばかりのしがない男爵家出身だった。けれど2人は身分差に関係なく私に優しく接してくれるとても大切な存在であり、私は密かに彼に恋していた。
ある日のこと。病弱だった父が亡くなり、家を手放さなければならない
自体に陥る。幼い弟は父の知り合いに引き取られることになったが、私は住む場所を失ってしまう。
そんな矢先、幼なじみの彼に「一生、面倒をみてあげるから家においで」と声をかけられた。まるで夢のような誘いに、私は喜んで彼の元へ身を寄せることになったのだが――
※ 他サイトでも投稿中
途中まで鬱展開続きます(注意)
老聖女の政略結婚
那珂田かな
ファンタジー
エルダリス前国王の長女として生まれ、半世紀ものあいだ「聖女」として太陽神ソレイユに仕えてきたセラ。
六十歳となり、ついに若き姪へと聖女の座を譲り、静かな余生を送るはずだった。
しかし式典後、甥である皇太子から持ち込まれたのは――二十歳の隣国王との政略結婚の話。
相手は内乱終結直後のカルディア王、エドモンド。王家の威信回復と政権安定のため、彼には強力な後ろ盾が必要だという。
子も産めない年齢の自分がなぜ王妃に? 迷いと不安、そして少しの笑いを胸に、セラは決断する。
穏やかな余生か、嵐の老後か――
四十歳差の政略婚から始まる、波乱の日々が幕を開ける。
【奨励賞】初恋のその先で、私は母になる
妄夢【ピッコマノベルズ連載中】
恋愛
第19回恋愛小説大賞にて、奨励賞を受賞いたしました。読者の皆様のおかげです!本当ありがとうございます。
王宮で12年働き、気づけば28歳。
恋も結婚も遠いものだと思っていたオリビアの人生は、憧れの年下公爵と一夜を共にしたことで大きく動き出す。
優しく守ろうとする彼。
けれどオリビアは、誰かに選ばれるだけの人生を終わらせたいと思っていた。
揺れる想いの中で、彼女が選んだのは――
自分の足で立ち、自分の未来を選ぶこと。
これは、一人の女性が恋を通して自分を取り戻し、母として、そして一人の人間として強くなっていく物語。
※表紙画像はAI生成イラストをつかっています。
出来レースだった王太子妃選に落選した公爵令嬢 役立たずと言われ家を飛び出しました でもあれ? 意外に外の世界は快適です
流空サキ
恋愛
王太子妃に選ばれるのは公爵令嬢であるエステルのはずだった。結果のわかっている出来レースの王太子妃選。けれど結果はまさかの敗北。
父からは勘当され、エステルは家を飛び出した。頼ったのは屋敷を出入りする商人のクレト・ロエラだった。
無一文のエステルはクレトの勧めるままに彼の邸で暮らし始める。それまでほとんど外に出たことのなかったエステルが初めて目にする外の世界。クレトのもとで仕事をしながら過ごすうち、恩人だった彼のことが次第に気になりはじめて……。
純真な公爵令嬢と、ある秘密を持つ商人との恋愛譚。