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04.変化

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 痛い、痛い、痛い、痛い……。
 あぁ、痛い……。

 結ばれた手足。
 それは荒い縄で繋がれていた。
 口は塞がれ、助けも呼べない。

 縛られた手足は圧迫され、痛みとなり、呼吸が乱れ吐き気を覚えた。 そのまま意識が飛んでしまうように目の前が暗くなり視界が失われる。 はっと正気に戻り、手足を結ぶ縄を緩める事が出来ないかと、ぎりぎりと手足を動かせば、弱い皮膚が擦れ削られ、皮膚の内側が傷ついているだろう痛みを感じた。

 視線を上げれば、両手首の傷口を確認することが出来るが、確認するのが怖かった。

 馬鹿妹は余計な事ばかりが上手くて、逃げ出せないようにキッチリと私をしばっていったようだ。 口がふさがれていては溜息すらつけないのに、溢れる唾液が口を塞ぐ布地に吸われ喉が渇く。 本当に余計な事ばかり……。

 油断をした。
 なんては、思ってはいません。

 ですが、妹が考える事は想像がつきます。 齢100歳を超える老人との結婚はイヤだけど、餌として見せられた金銀装飾品や宝石が欲しい。 彼女であれば姉である私を売るぐらいするでしょう。 彼女は私を嫌悪していますから。

 それはいいのです。

 いえ、よくはありませんが、彼女の妄想や要望だけであれば、私はこんな目にあうことはなかったでしょう。 彼女は恐ろしく怪力と言うか運動神経の良い女性ではありますが、意味もなくこんな面倒くさい事をするために、私に近寄るなどはしませんから。

 私がこういう目に合うと言うことは、彼女に利益があるからです。 そして、こんな時間に妹に利益を与え対価を奪うような相手など、ろくでもない相手に決まっているじゃないですか。

 何時の間にか眠っていた私は、窓を叩く音で起こされた。 窓に張り付いているのは、多くの時間を生きてその皮が鱗のようになり、そして乾き枯れ果てた木々のような皮膚を持つ人型の何か。

 顔面を多く占有する目はトカゲのように大きく瞳孔が縦に細い。 トカゲよりもヤモリの方がすきだけど、そう言う問題ではないのだと冷静に考えていた。 いえ、そんなことを考えているあたり既に冷静ではないのかもしれませんが。

 化け物の類には、単純に獣が変化したものと、神の意思に反する存在と言うものがあり、後者であれば人の許可なく家の中に入る事は出来ない……そう資料で読んだ気がします。

 木製のトカゲはヘラリと笑ったかと思えば、ガラスでできた窓をアッサリと開け入ってきた。 馬鹿妹がカギを開いていたらしい。 この場合、鍵をあけておく=入室許可 になるかは疑問ですが、少なくとも今の瞬間は通用してしまったようです。

「あぁあぁぁぁぁあっあぁっ、か・ぐわ・しぃ」

 ギコチナイ音で話すソレは、ウットリとしているように思えた。

「か、わぁ、いぃそ、まぃ、あまあまっままままます、ぅうたぁ」

 その存在を作る部品は、人外だけど、形はかろうじて人型を保ち、這いながらベッドに横になる私の元へやってくる。

「ぁぁぁっぁぁああいああいあいあい、いいいいいにほい」

 拘束された手頸にソレは口をつける。 長い舌が擦れた皮膚にそっと触れる。 思ったよりも冷たかった。 細く薄い舌先は、想像していたよりも不快ではない。 不快ではないけれど、いつまで不快ではないかなんてわからない。 ソレは私の顔を覗き込みニッと笑って見せているような気がした。

 安心してとでも言っているのでしょうか?

 拘束を解いて。 そう伝えたくて、塞がれたままの口でウーフー呻いて訴える。

「やぁああ、ぃあ、いやですよ。 逃げられたくないんで」

 ぎりぎりとしたギコチナイ音をたてながら、彼は一言一言をユックリと話す。 目の前のアヤシイ者を、人型にしている木の枝や皮が黒く染まり、闇に溶け、粘液状の墨汁のようにウネリ形を成して完全な人型となった。

 それは、30代前半ほどの男性の姿。
 ただ、変わらず瞳孔はトカゲ。
 角が存在し、全身が赤黒い鱗で覆われていた。

 人に見えなくもない……。

 いえ、人に見えたから少し困りだした。 触れる手に嫌悪感を感じなくなっていた。 顔の作りがイケメンだからでしょ。と、言われればそれまでだけど、強引な行為にも関わらず私は嫌だとは思わなかったのだ。

「あぁ、安心してください。 これでも俺は気遣いの出来る男ですから。 ただ、人の世に紛れるため長く老人の姿をしていたので、なかなか直ぐには若い姿に馴染めないと言うか……」

 枯れ枝のような指先が私の肌を優しく撫でる。

 ザラリとした感触は、決して心地良いものではなかったはずなのに、鼓動がドクンと大きく脈打った。 木の枝から、トカゲ特有の手に代わり、そして細くしなやかな人の指を作り出す。 彼の髪の色や、身を包む鱗の色は、私が好んで来ていた赤いドレスとよく似ていた。 そして人として認識させる白い肌は、私と変わらない程に白かった。

 鱗が月明かりに光り、綺麗だと思った。

 そう思った瞬間、手足の皮膚が削られたことで流れた血を舐めていた彼が驚いたように顔を上げた。 声に出さずとも言葉は通じているのでしょうか?

「まぁ、そうだな。 俺に話しかけている分には、理解はできる」

 そうですか……。

 拘束を解いて

「イヤだね。 こんな機会なんて二度とないに違いない。 だが、そうだな。 口の布地は外してやっていいぜ。 そのままだと口づけもできやしないからな」

 冗談のような口調だけど、トカゲのような目は真剣で、何処までも熱がこもっている。

 自分を見つめる瞳は、好意があった。

 この神の休息地で、私を見つめるものは殆どいない。 好意を瞳に写す者などもっといない。 愛されたいと思っていた。 美しい妹をほめながら馬鹿にし、学ばぬ妹を馬鹿にしながら羨んでいた。

「私を褒め称えなさい。 坊や」

 無意識の言葉は傲慢だった。

「昔も恐ろしく美人だったが、今回のアンタもなかなかイケてるぜ。 特に俺のために処女をとっておいてくれたなんて最高だ。 300年の禁欲生活も嘘みたいに、俺はアンタを求めているよ」

 綱に繋がれたままの足を手に取り、縄を避けるように薄く白い私の皮膚をそっと優しく撫でた彼は、足の甲に口づける。 指を口に含み、指の間に舌を這わせる。

 ピチャピチャと鳴る水音が、チュッとわざとらしく鳴らされる口づけの音が、いやらしく部屋に響いた。 なのに、ソレは聖人の足を洗う信者のようにとても尊いものに見えるから、不思議だ。

「マスター、マスター、あぁ、なんて素敵な足だ……甘い、香りがする。 あぁ、もう我慢できない」

 恍惚として語った男は、私の足にユックリと牙をたてる。
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