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第三章 9歳
9 いずれにせよデスマーチ
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そのまま、もう一晩が経過した。
徹夜三日目の朝を迎えたネルズィエンは、もはや窓のカーテンを開ける気力すらないようだ。
(徹夜明けの朝日は目にしみるからな)
心にもしみる。今日もまた眠れなかったと、おのれの運命を呪いたくなる。
そういう心理は、ブラック企業勤めでよく知ってる。
「ぐうう……っ! くそっ、くそっ、くそがぁぁぁっ!」
ネルズィエンは、苛立ちに任せて乗馬用の鞭を振るい、執務室の壁をめちゃくちゃに殴った。
壁紙がずたぼろに裂けて、壁に幾条もの傷が刻まれる。
(おい、やめてくれよ! 父さんの部屋なんだぞ!)
ネルズィエンのやつあたりに、部屋のドアがノックされた。
「な、何事です!?」
「はあ、はあ……ジノフ将軍か。入れ」
ネルズィエンは我に返り、いつもの将軍を招き入れる。
将軍は、状況を見て察したようだ。
「心中お察しいたしまする」
「やめろ。私もまだ修練が足りていなかったということだ」
「このような状況では、自制するにも限度がありましょう」
悲観的になるのも、徹夜が続いた時のよくある心理だ。
最初の徹夜明けは、テンションが妙に上がってることも多い。
だが、二日目、三日目に入るとテンションはどん底に落ち、苛立ちや焦燥感ばかりが表に出る。
「敵軍の出方は? ブランタージュ伯はどこへ行った? 早くこの手で、やつを八つ裂きにしてやりたい……!」
完全に据わった目で皇女が言う。
「それなのですが、斥候によると、ブランタージュ伯は領民を近隣の村へ送り届けると、こちらへ向かって引き返し、ランペジネの東、徒歩で半日ほどの位置に陣取っておるようです」
「半日、か。つくづく嫌らしい男よな……」
ネルズィエンが悪態をつく。
半日。
軍隊の移動距離としては、珍しくもない距離だろう。
「さようですな。普段なら、鍛え抜かれ、甲冑の力もある赤装歩兵には、難なく踏破できる距離です。ザスターシャ兵も体力には定評がございますからな。本来ならば苦にするような距離ではござらんのですが……」
「われらはまる三日眠れていないのだ。半日の行軍ののちにそのまま戦闘に入ることになれば、本来の力を出し切れるはずもない」
わかるわかる、わかるマン。
三徹明けに半日歩けとか拷問だよね。
その上、歩いた先に待ってるのは休息じゃない。陣地を築き、万全の構えで迎撃しようと待ち構えてる敵軍だ。
比喩じゃない、本当のデスマーチになってしまう。
「かといって、無視するわけにも参りませぬ。
徒歩半日の距離であれば、向こうからランペジネに迫り、戦闘を仕掛けてくるおそれがありまする。
もっとも、向こうは千にも満たぬ兵。四千を超えるわが方が、籠城戦で負けることはありますまいが」
「だが、向こうには無理に攻城戦をしかける必要がない。時たま戦いそうな気配を見せられるだけで、われらは警戒のためにさらなる消耗を強いられよう。眠れぬ状況では、実際に敵が来なくとも敵が来たと錯覚し、錯乱する兵も出るであろうな。いらぬ内紛やから騒ぎが続発しよう……」
暗澹たる声で言うネルズィエンに、さしもの将軍も返す言葉がないようだ。
どんよりとした目を上げて、ネルズィエンが将軍に聞いた。
「斥候の戻りが遅かったのではないか? 半日の距離なのだろう?」
「それが、なのですがな。斥候は街を離れ、しばらく進んだところで眠気に襲われ、そのまま寝込んでしまったというのです」
「たるんでおる……とも言えんな。眠りたくても眠れぬこの状況が三日も続いておることを思えば……。
……いや、待て。街から離れれば、この妖術から逃れられるということか?」
「そのようですな。むろん、斥候にはこのことを口外せぬよう命じました」
「このことが知られれば脱走兵が続出するだろうな。私だって、逃げられるものなら逃げたいくらいだ。敵からではなく、徹夜からな。
だがそれなら、街を出て東側に陣を敷けば……」
「それはそれで危険なのです。もしわれらが腹をくくって、ブランタージュ伯の陣に近づき、野営したといたしましょう。
不眠の妖術は途中で切れるわけですが、そうなると、敵と半日もない地点で、眠気に耐えかね、兵どもは眠りに落ちるでありましょう。兵だけならともかく、わしや殿下まで眠りに落ちては冗談にもなりませぬ。
悪魔のように狡猾なあの伯爵が、そのような隙を見逃すとは思えませぬ。間違いなく急襲をしかけてくるでしょう。
山越えでこちらには騎兵がありませぬが、向こうには少ないながらも騎兵部隊があるようですからな。複合魔法の使い手であるブランタージュ伯自身もまた、決して侮ってはならぬ相手です」
「かといって、ここに居続けてもジリ貧だ。
この状態があと何日も続くこと、それ自体も大問題だが、眠れぬ状態がいつまで続くかわからぬこと、これはそれ以上にキツい。
まるで、終わりの見えぬ悪夢の中をさまよってるかのようだ。……いや、この際、悪夢でもよいから眠らせてほしいものだがな」
ネルズィエンの切実なセリフには、ちょっと皮肉が効いてて、俺はおもわずクスリとした。
ネルズィエンは頭を振ると、改めて将軍をひたと見つめた。
「将軍。われらはどうすべきだと思う?」
ネルズィエンのセリフに、将軍がしばし黙考する。
「もっとも安全なのは、後方に下がることですな。街の外まではこの妖術が及ばぬのならば、西の峠まで下がって野営するのがよいでしょう」
「そうして、どうなる?
おそらく、ブランタージュ伯はランペジネには戻らんぞ。それどころか、近隣から兵力を集め、峠を背にして退却の難しいわれらに野戦を挑んでくるかもしれん」
「ですが、妖術からは逃れられるのではありますまいか? 将兵ともども眠りを取らねば、戦わずして自滅を待つのみですぞ」
「敵の妖術が峠には及ばぬという保証もない。
街中を探させたが、結局術者どもの姿は見つかっていないのだ。
いともたやすくこのような術をかけてきた以上、峠前に陣取ったわれらに再び術をかけてくるおそれもある」
「そうでなくとも、徹夜が続いたわが軍を立て直すには時間がかかりましょうな。そのような時間をあの悪魔めがむざむざ与えてくれるものかどうか……」
二人が揃ってため息をつく。
「……いっそ、ブランタージュ伯の陣を攻撃してはどうか。いくら徹夜続きとはいえ、数の上では優勢だ。赤装歩兵の力もある」
「ブランタージュ伯は夫婦揃っての複合魔法の使い手。さらに、陣にはいくえにも罠がしかけてございましょう。眠気で脱落する兵も出ることを考えれば、相当な苦戦を強いられるでしょうな」
「ああ、そうだった……そちら側に行っても、妖術が切れて眠れるのだったな」
ネルズィエンが顔をしかめた。
さっき聞いたばかりの話が、もう頭から漏れている。
もともとは切れ者みたいだが、三徹で頭がイってるな。
そっちに行けば「眠れる」って言ってしまってるあたりも末期的だ。
「赤装歩兵の力をもってすれば勝ちはできましょう。ただ、この先王国の中枢に攻め入るだけの戦力に事欠くことになり、こたびの戦略目標が達成できなくなります」
「くっ……どうすればいいのだ……頭がろくに回らぬ」
「ただひとつ言えるのは、このままここに居続けるのはマズいということですな」
「そんなことは言われなくてもわかっているッ!
くっ……はぁ、すまない。おまえに責はないのだ。指揮官たるわたしがこの街に入れと言ったばかりに……」
激昂してから落ち込むネルズィエン。
(だいぶネガが入ってるな)
普段は皇女らしい堂々とした態度なだけに、不謹慎ながらちょっと萌えてしまった。
「……もうすこし考えさせてくれ。正午までには決断を下す」
「はっ。かしこまりました。われら帝国兵は、皇女殿下のいかなる決断にも従いまする」
将軍が敬礼をして執務室から出て行った。
その途端、崩れ落ちるように、ネルズィエンが執務用の椅子に倒れこむ。
「ふぅぅぅっ……!
くそっ。せめてこの術の正体だけでもわかれば……」
机に肘を立て、頭を抱えてうめくネルズィエン。
俺は、カーテンの陰から抜け出した。
そのままネルズィエンの正面に立ってみるが、皇女は頭を抱えたままで気づかない。
俺は、出し抜けに言ってやる。
「――教えてやろうか?」
ネルズィエンの反応は劇的だった。
顔を跳ね上げ、立ち上がろうとし、足をもつれさせて、椅子ごと後ろにすっ転んだ。
徹夜三日目の朝を迎えたネルズィエンは、もはや窓のカーテンを開ける気力すらないようだ。
(徹夜明けの朝日は目にしみるからな)
心にもしみる。今日もまた眠れなかったと、おのれの運命を呪いたくなる。
そういう心理は、ブラック企業勤めでよく知ってる。
「ぐうう……っ! くそっ、くそっ、くそがぁぁぁっ!」
ネルズィエンは、苛立ちに任せて乗馬用の鞭を振るい、執務室の壁をめちゃくちゃに殴った。
壁紙がずたぼろに裂けて、壁に幾条もの傷が刻まれる。
(おい、やめてくれよ! 父さんの部屋なんだぞ!)
ネルズィエンのやつあたりに、部屋のドアがノックされた。
「な、何事です!?」
「はあ、はあ……ジノフ将軍か。入れ」
ネルズィエンは我に返り、いつもの将軍を招き入れる。
将軍は、状況を見て察したようだ。
「心中お察しいたしまする」
「やめろ。私もまだ修練が足りていなかったということだ」
「このような状況では、自制するにも限度がありましょう」
悲観的になるのも、徹夜が続いた時のよくある心理だ。
最初の徹夜明けは、テンションが妙に上がってることも多い。
だが、二日目、三日目に入るとテンションはどん底に落ち、苛立ちや焦燥感ばかりが表に出る。
「敵軍の出方は? ブランタージュ伯はどこへ行った? 早くこの手で、やつを八つ裂きにしてやりたい……!」
完全に据わった目で皇女が言う。
「それなのですが、斥候によると、ブランタージュ伯は領民を近隣の村へ送り届けると、こちらへ向かって引き返し、ランペジネの東、徒歩で半日ほどの位置に陣取っておるようです」
「半日、か。つくづく嫌らしい男よな……」
ネルズィエンが悪態をつく。
半日。
軍隊の移動距離としては、珍しくもない距離だろう。
「さようですな。普段なら、鍛え抜かれ、甲冑の力もある赤装歩兵には、難なく踏破できる距離です。ザスターシャ兵も体力には定評がございますからな。本来ならば苦にするような距離ではござらんのですが……」
「われらはまる三日眠れていないのだ。半日の行軍ののちにそのまま戦闘に入ることになれば、本来の力を出し切れるはずもない」
わかるわかる、わかるマン。
三徹明けに半日歩けとか拷問だよね。
その上、歩いた先に待ってるのは休息じゃない。陣地を築き、万全の構えで迎撃しようと待ち構えてる敵軍だ。
比喩じゃない、本当のデスマーチになってしまう。
「かといって、無視するわけにも参りませぬ。
徒歩半日の距離であれば、向こうからランペジネに迫り、戦闘を仕掛けてくるおそれがありまする。
もっとも、向こうは千にも満たぬ兵。四千を超えるわが方が、籠城戦で負けることはありますまいが」
「だが、向こうには無理に攻城戦をしかける必要がない。時たま戦いそうな気配を見せられるだけで、われらは警戒のためにさらなる消耗を強いられよう。眠れぬ状況では、実際に敵が来なくとも敵が来たと錯覚し、錯乱する兵も出るであろうな。いらぬ内紛やから騒ぎが続発しよう……」
暗澹たる声で言うネルズィエンに、さしもの将軍も返す言葉がないようだ。
どんよりとした目を上げて、ネルズィエンが将軍に聞いた。
「斥候の戻りが遅かったのではないか? 半日の距離なのだろう?」
「それが、なのですがな。斥候は街を離れ、しばらく進んだところで眠気に襲われ、そのまま寝込んでしまったというのです」
「たるんでおる……とも言えんな。眠りたくても眠れぬこの状況が三日も続いておることを思えば……。
……いや、待て。街から離れれば、この妖術から逃れられるということか?」
「そのようですな。むろん、斥候にはこのことを口外せぬよう命じました」
「このことが知られれば脱走兵が続出するだろうな。私だって、逃げられるものなら逃げたいくらいだ。敵からではなく、徹夜からな。
だがそれなら、街を出て東側に陣を敷けば……」
「それはそれで危険なのです。もしわれらが腹をくくって、ブランタージュ伯の陣に近づき、野営したといたしましょう。
不眠の妖術は途中で切れるわけですが、そうなると、敵と半日もない地点で、眠気に耐えかね、兵どもは眠りに落ちるでありましょう。兵だけならともかく、わしや殿下まで眠りに落ちては冗談にもなりませぬ。
悪魔のように狡猾なあの伯爵が、そのような隙を見逃すとは思えませぬ。間違いなく急襲をしかけてくるでしょう。
山越えでこちらには騎兵がありませぬが、向こうには少ないながらも騎兵部隊があるようですからな。複合魔法の使い手であるブランタージュ伯自身もまた、決して侮ってはならぬ相手です」
「かといって、ここに居続けてもジリ貧だ。
この状態があと何日も続くこと、それ自体も大問題だが、眠れぬ状態がいつまで続くかわからぬこと、これはそれ以上にキツい。
まるで、終わりの見えぬ悪夢の中をさまよってるかのようだ。……いや、この際、悪夢でもよいから眠らせてほしいものだがな」
ネルズィエンの切実なセリフには、ちょっと皮肉が効いてて、俺はおもわずクスリとした。
ネルズィエンは頭を振ると、改めて将軍をひたと見つめた。
「将軍。われらはどうすべきだと思う?」
ネルズィエンのセリフに、将軍がしばし黙考する。
「もっとも安全なのは、後方に下がることですな。街の外まではこの妖術が及ばぬのならば、西の峠まで下がって野営するのがよいでしょう」
「そうして、どうなる?
おそらく、ブランタージュ伯はランペジネには戻らんぞ。それどころか、近隣から兵力を集め、峠を背にして退却の難しいわれらに野戦を挑んでくるかもしれん」
「ですが、妖術からは逃れられるのではありますまいか? 将兵ともども眠りを取らねば、戦わずして自滅を待つのみですぞ」
「敵の妖術が峠には及ばぬという保証もない。
街中を探させたが、結局術者どもの姿は見つかっていないのだ。
いともたやすくこのような術をかけてきた以上、峠前に陣取ったわれらに再び術をかけてくるおそれもある」
「そうでなくとも、徹夜が続いたわが軍を立て直すには時間がかかりましょうな。そのような時間をあの悪魔めがむざむざ与えてくれるものかどうか……」
二人が揃ってため息をつく。
「……いっそ、ブランタージュ伯の陣を攻撃してはどうか。いくら徹夜続きとはいえ、数の上では優勢だ。赤装歩兵の力もある」
「ブランタージュ伯は夫婦揃っての複合魔法の使い手。さらに、陣にはいくえにも罠がしかけてございましょう。眠気で脱落する兵も出ることを考えれば、相当な苦戦を強いられるでしょうな」
「ああ、そうだった……そちら側に行っても、妖術が切れて眠れるのだったな」
ネルズィエンが顔をしかめた。
さっき聞いたばかりの話が、もう頭から漏れている。
もともとは切れ者みたいだが、三徹で頭がイってるな。
そっちに行けば「眠れる」って言ってしまってるあたりも末期的だ。
「赤装歩兵の力をもってすれば勝ちはできましょう。ただ、この先王国の中枢に攻め入るだけの戦力に事欠くことになり、こたびの戦略目標が達成できなくなります」
「くっ……どうすればいいのだ……頭がろくに回らぬ」
「ただひとつ言えるのは、このままここに居続けるのはマズいということですな」
「そんなことは言われなくてもわかっているッ!
くっ……はぁ、すまない。おまえに責はないのだ。指揮官たるわたしがこの街に入れと言ったばかりに……」
激昂してから落ち込むネルズィエン。
(だいぶネガが入ってるな)
普段は皇女らしい堂々とした態度なだけに、不謹慎ながらちょっと萌えてしまった。
「……もうすこし考えさせてくれ。正午までには決断を下す」
「はっ。かしこまりました。われら帝国兵は、皇女殿下のいかなる決断にも従いまする」
将軍が敬礼をして執務室から出て行った。
その途端、崩れ落ちるように、ネルズィエンが執務用の椅子に倒れこむ。
「ふぅぅぅっ……!
くそっ。せめてこの術の正体だけでもわかれば……」
机に肘を立て、頭を抱えてうめくネルズィエン。
俺は、カーテンの陰から抜け出した。
そのままネルズィエンの正面に立ってみるが、皇女は頭を抱えたままで気づかない。
俺は、出し抜けに言ってやる。
「――教えてやろうか?」
ネルズィエンの反応は劇的だった。
顔を跳ね上げ、立ち上がろうとし、足をもつれさせて、椅子ごと後ろにすっ転んだ。
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