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第四章 12歳

15 サンヌルの王女

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「ようこそ、お戻りになられました、旦那様」

 屋敷に入った父さんを、銀髪の老執事が出迎えた。
 この世界では髪の色は精霊の加護に影響されるが、白髪になってしまえば関係ない。肌が浅黒いから、ジト(火)かホド(地)かヌル(闇)なんだろうけどな。

「お世話になります、セルゲイさん」

「セルゲイで結構ですよ。国王陛下から、エリオス様がいらっしゃる間はエリオス様を主人と思ってお仕えせよと申し付けられておりますので」

「じゃあ、よろしく、セルゲイ。
 ミスラは、セルゲイのことは知ってたね?」

「ええ、よろしく、セルゲイ」

「こちらこそよろしくお願いします、ミスラ奥様」

 母さんが会釈し、セルゲイさんが礼を返す。

 父さんは俺に向き直り、

「エリアック、この方はセルゲイさん。つい最近まで王家の執事長を務めておられた方だ。僕らがラングレイに滞在するあいだ、屋敷と僕たちの世話を見てもらえることになってる」

「ほっほっほ。執事長はもう引退いたしました。いまはただの老いぼれですよ。もっとも、そのおかげで救国の英雄であるブランタージュ伯のお役に立てるわけですがな。
 エリアック坊っちゃま。短い間ではございますが、何かございましたらこのセルゲイめに遠慮なく申し付けてくだされ」

「うん、よろしく、セルゲイさん」

 俺はそう言って会釈する。

 父さんはこの王都の別邸をあまり使ってないそうで、普段は最低限の管理人しか置いてないらしい。
 かといって、急にしかるべき人を見つけるのも難しい。
 そこで、国王陛下が気を利かせて、セルゲイさんを紹介してくれたというわけだ。
 もう退役したとはいえ、王家の執事長を務めたというから、使用人の立場であっても、へたな貴族より影響力がありそうだ。

「長旅でお疲れでしょう。部屋は整えておりますゆえ、まずはゆっくりおくつろぎくださいませ」

 セルゲイさんの勧めに従い、俺たちは各自の部屋に向かうことにした。





 俺の部屋は二階の玄関側で、屋敷の正面を窓から見下ろすことができた。
 そろそろ夕食どきかなと思ってると、門の前にやたら豪華な馬車が乗り付けられた。
 馬車の前後には、白馬にまたがった騎兵が何人もいる。

 金の縁取りのされた豪華な馬車の側面には、俺にも見覚えのある紋章がかけられていた。
 この国でもっとも有名な紋章だ。

 先触れの騎士に声をかけられた門番が、平身低頭で応対し、やがて大急ぎで屋敷の中へ飛び込んできた。

 ほどなくして、俺の部屋の扉がノックされた。
 父さんの声が聞こえてくる。

「エリアック! お客さんが来た。一緒に来てくれ」

「わかった、父さん」

 俺は、緩めていた襟を直しながら廊下に出る。
 父さん、母さんと合流し、階下に向かう。

 父さんは急ぎ足でホールを横切ると、玄関扉を開けて前庭に出る。

 前庭にはすでに豪華な馬車が停まっていた。

 馬車の扉が開く――かと思ったら、近くにいた鼓笛隊みたいな格好の騎士が、パラッパラッパラー!と金管楽器を吹き鳴らす。

「「「国王陛下の、おなーりー!」」」

「おいおい、そこまではせんでいい。大げさにはしたくねえんだ」

 扉を自分で押し開き、中からいかつい大男が現れた。

 金の王冠やびろうどのマント、といった王様専用のアクセサリーを身につけてはいるが、そんなものより中の人物のほうが特徴的だ。

 大柄で筋骨たくましい身体。黒い髪と黒い肌。いたずらに成功した子どもみたいな豪快な笑み。

「はっ! 失礼いたしました!」

 鼓笛隊が男に敬礼をする。

「いいっていいって。よかれと思ってやったことだ」

 前情報では、父さんと同年齢って話だったが、優男の父さんと比べると、四十くらいのおっさんに見える。

 父さんが、国王相手にしか使わない、深いお辞儀をしてから言った。

「ようこそ、おいでくださいました、サルゴン陛下」

「なぁに堅苦しいこと言ってやがるエリオ! 俺とおまえの仲だろうが!」

「来るなら来るで、先触れくらい出してくださいよ。僕はともかく、妻は身支度もあるんですよ?」

「ミスラさんは、もともと身なりを気にしねえさっぱりしたいい女じゃねえか。
 あんまり仰々しくはしたくなかったんで、セルゲイにだけ含んでおいていきなり来てやったってわけよ。王様のこの気遣いがわからんもんかなぁ?」

「気を使うなら使うで、もっと徹底して忍んで来てほしかったですよ。これ、明日には近所中の話題になってますよ? ただでさえ肩身が狭いっていうのに……」

「なに情けねえこと言ってやがる! おめえは救国の英雄なんだ、おまえがデンと構えてなくちゃ、他の貴族に示しがつかんだろうが。
 って、んなこたぁどうでもいいんだよ!
 エリオ、ひさしぶりだなぁ、おい! 何年ぶりだ!?」

「戦役の後以来ですから、三年ですかね」

「そん時も園遊会に顔を出しもしねえ、せっかくの息子を見せにもこねえ。俺も冷たい友だちを持ったもんだぜ」

 王様と父さんが、やったら馴れ馴れしい感じで話し出した。
 大丈夫か、こんなの。

 さすがの母さんも、相手が国王陛下とあって口を挟めないでいる。

 セルゲイさんが顔をのぞかせ、王様に言った。

「陛下。そのようなところで立ち話もなんでしょう。お食事の準備は整っておりますゆえ、食堂にお越し願えませんか?」

「おう、行く行く。腹が減ってんだ。
 と、その前に……ミスラさんはあいかわらず美人だな」

「どうも、サルゴン陛下。ご無沙汰しております」

 母さんが外行きの顔でそう言った。

 王様が視線を下ろし、今度は俺のほうを見る。

「こいつが、おめえらの子どもか。エリアックとか言ったっけ。なかなか賢そうな面構えをしてやがんな。両親とも美男美女とか、おめえ、ちょっと恵まれすぎなんじゃねえの?」

 王様が、返しに困る絡み方をしてきた。
 言ってることには、まったく同感なんだけどな。
 この夫婦の間に生まれた時点で、容姿の面でだけは勝利が約束されてたようなもんだ。
 神話のナルシスじゃないが、最近は鏡に映った自分の顔を見て「これが俺? マジに?」と思うこともある。

 もちろん、そんな素振りを見せては顰蹙を買うどころの話じゃない。
 前世でフツメンだった俺は、イケメンがどれだけ同性から煙たがられるかを身に染みて知ってるからな。

「お初にお目にかかります、サルゴン陛下。ブランタージュ伯エリオスが息子、エリアック=サンヌル=ブランタージュと申します」

 俺は事前に母さんに仕込まれた通りにお辞儀する。

 俺の名乗りに、王様はあごひげを無骨な指で撫でながら言った。

「サンヌル、か。これから苦労も多いだろうが、何も魔法だけが人生じゃねえや。この二人の子どもなら、きっと魔法以外だって優秀だろう。腐らず行こうや、な?」

「は、はぁ……ありがとうございます」

 なんか、情に厚い親戚のおっちゃんみたいな人だな。
 そんな親戚いたことないけど。

「おい、おまえも挨拶しろい」

 王様が馬車の中に声をかける。

「お、お父様はやることなすこと急すぎます……」

 か細い声でそう答えながら、馬車から一人の女の子が降りてきた。

 その子を見て、俺はおもわず息を呑んだ。

 黒いつややかな髪と、闇色の瞳。
 抜けるように白い肌。
 オフホワイトのブラウスと紫のロングスカートという出で立ちは、いかにも清楚で奥ゆかしい。

(うわっ……かわいいな)

 少女の顔だちは、職人の手になる人形のように整っていた。
 小柄で華奢な身体は、そろそろ子どもとばかりも言えないが、まだ大人とも言うのも早すぎる。
 十代前半の少女にしかない、やがてはなくなる儚さが、目の前の美少女を薄いヴェールのように包んでる。

 さいわいなことに、父親にはあまり似なかったらしい。
 王女ともなれば、幼くても公職者としてのふるまいを求められるはずだが、少女の物腰はどこかおどおどとしてて危なっかしい。

「きゃっ」

「おっと」

 ふらつきながら馬車から降りた少女を、父親の無骨な腕が受け止めた。

「あ、ありがとうございます、お父様」

「それより、英雄殿とそのご家族に挨拶してやれ」

「そ、そうでした」

 王女が名乗りを上げる前に、父さんが優雅に礼をした。

「ローゼリア王女。ようこそおいでくださいました。幼いみぎりに一度お会いしたことがあるのですが、覚えておいでではないでしょう。エリオス=ホドアマ=ブランタージュでございます」

「こ、これはどうも、ブランタージュ伯。戦役でのご活躍は聞き及んでおります。救国の壮挙、王家の一員として深く感謝いたします。
 えっと……ああ、そうでした。わたしは、ローゼリア=サンヌル=ミルデニヴァです」

 王女の名乗りに、「あ、やっぱりそうなんだ」と内心で思う俺。
 そのあいだに母さんが一歩進み出て、王族に対する淑女の礼をした。

「ローゼリア殿下。エリオスの妻、ミスラ=ジトヒュル=ブランタージェでございます」

「伯爵夫人も戦役ではご活躍だったと聞いております。お、同じ女性として誇らしく思います……。
 もっとも、ジトヒュルとサンヌルでは、比較するのもおこがましいかもしれませんが……」

 王女様の自虐に、父さん、母さん、俺、王様は、そろって困った顔をした。

 なんでかって?

 次は俺が自己紹介する番だからさ。
 どうも王女様は、俺が王様に名乗るのを聞いてなかったみたいだな。

 俺は両親に視線を向けてみるが、二人も困った顔を返すばかり。

 しかたないので、率直に名乗ることにする。
 王様も事前に言っておいてくれればよかったのに、と思いながら。

「ええっと、ブランタージュ伯の息子、エリアック=サンヌル=ブランタージュです」

「えっ、サンヌル……ですか?」

 王女様の顔が、みるみるうちに青くなる。

「ご、ごごご、ごめんなさいっ! わたし、とっても失礼なことを……!」

 がばっと頭を下げてくる王女様。

(ん……?)

 いま一瞬、右耳にかかる髪の房が、明るい緑に見えたんだが。

「ああ、いや、慣れっこですよ。王女様も大変でしょう。王女様とは同じ属性で、生まれは一週間ちがいだと聞きました。短い間ですが、子ども同士仲良くいたしましょう」

 失礼にならない程度に笑みを浮かべ、俺は王女様に改めてお辞儀する。二度目以降は軽めに、だっけな。

 王様が、あごひげを撫でながら言ってくる。

「エリアックはできた子よなぁ。
 うちのときたら、人の顔色をやたらと気にしておるくせに、すぐにいっぱいいっぱいになりおって、まるで人の話を聞いておらぬ。馬車の中で挨拶の文句ばかりを繰り返しておったからな。俺たちの話をろくすっぽ聞いておらんかったのだろう。いくつになってもそそっかしいやつよ」

 言葉とは裏腹に、王様の口調は優しかった。
 が、王女様はがくりと首を落とす。

「うう……だって、お父様が急に、ブランタージュ伯に会いに行く、おまえも一緒について来い、なんて言うんですもの……。英雄様に粗相でもあったらどうしようかと……」

「こいつとはマブダチだって言っといたろ」

「そ、それで済ませられるのはお父様だけです!」

 涙目になって王女様が言った。

 王様のフォローのおかげで、その場の空気が弛緩する。

「……皆様がた、ご夕飯が冷めてしまいますぞ?」

 セルゲイさんが、再び顔を出してそう言った。
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