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12.桜塚猛、エルヴァの隠れ里で長老たちに相談する

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「ふむ……異世界の住人の人格のみがこの世界の人間に宿った、か」

 事情を説明し終えると、長老のリーダー格(大老)が思案げにつぶやいた。

 長老と言っても、見た目はジュリアーノとさして変わらないくらいに若々しい。
 小屋で待たされている時に聞いたところによると、最初に現れたギリエントが百二十歳ほど、案内のエルヴァたちは若く、四十歳程度、そして目の前にいる大老は、なんと六百歳を超えているらしい。しかし、見た目で彼らの年齢を識別するのは難しい。慣れれば表情や口調やしぐさなどで年齢が推測できるとジュリアーノは言っていたが、勘の鋭いミランダでもまったく当てることができなかった。

 今わしらがいるのは、長老たちの評定所だ。
 聖域のエルヴァには議会と元老院の二つの立法機関がある。正確には、立法のみならず、行政も司法もこの二つの機関が行っているらしい。日本でなら、三権分立ができていないと言うところだろうが、エルヴァのみの住むこの聖域では議論の必要のある事件など滅多に起こらない。この二つの組織だけですべてが十分に間に合ってしまう。この二つの機関も、かっちりとした政府機関というよりは、長老たちの集まりと若いエルヴァの集まりというだけの町内会的な組織のようだ。

 評定所には、現在三人の長老がいた。
 一人が大老というこの里最高齢のエルヴァ。
 残る二人は大老に次ぐ高齢のエルヴァらしい。
 見た目ではほとんど年齢がわからないが。

「にわかには信じがたいが、正見のユリアヌスが認めたのであれば、我々もそれを前提として考えるべきであろう」

 大老が言う。
 ジュリアーノの彼らの中での評価はかなり高いようだ。

 別の長老が言う。

「この里で暮らすことに飽きたらず、真理を追求すると言って出て行ったはずのおまえが、わざわざ連れ帰ったのだ。伊達や狂言ではあるまい」

 ジュリアーノがこの聖域を出奔したのはそういう理由だったらしい。

「その節はどうも、ご迷惑をお掛けしたました」
「若い者に迷惑をかけられるのは年寄りの仕事だ。この里では、そんなことでもない限り年寄りの出る幕がないからな」

 青年にしか見えない大老がそう言って肩をすくめた。

「タケル・サクラヅカ殿の説明された異世界の知識は、我らですら聞いたことのないものばかりだ。悪魔が人間に化けていたとしても、このように説得力のある嘘をつくことはできまい」
「飛行機の話など、早速検証してみたいものですな。電話や電信といった仕組みは、サクラヅカ殿の話だけでは再現が難しそうではあるが」

 長老のひとりがそわそわと言う。

「発明のカンパネラよ。それは後にしてもらえまいか? 今は、この人間の元の人格がどうなったのかを究明するのが優先だろう」
「そ、そうですな。これは失礼を」

 大老に諌められ、長老――発明のカンパネラとやらが謝った。

「もし人格が身体を離れ、遊離しているようなことでもあれば、ことは一刻を争うかもしれぬ。よし、魂魄こんぱくの宝珠の使用を許可しよう」
「ありがとうございます!」

 大老の言葉にジュリアーノが頭を下げる。

「その……魂魄の宝珠というのは?」

 わしが聞く。

「人間の精神は、こんはくとに分けられる」

 大老がわしを見て言った。

「魂というのは、サクラヅカ殿が言うところの人格のことだ。『私が私である』意識、といおうか」
「は、はぁ」

 曖昧にうなずく。
 わしには哲学や宗教の素養はない。

「魄というのは、記憶や知識、経験といったものの総体のことだ」

 ここまで言われると、大老の言いたいことがわかってきた。

「わしの身体――ロイド・クレメンスのものである身体からは、ロイドの魂はなくなっている。魄――記憶や知識、経験は、冒険者になって以来のもの限定ではあるが残っている。では、ロイドの魂はどこへ行ってしまったのか」
「うむ。そう整理できるであろう。そして、魂魄の宝珠であるが、これは魂と魄との繋がりを辿って、その者の心象風景を映し出すという魔道具なのだ」
「魂と魄との繋がりを辿る……」

 わかりの悪いわしに、ジュリアーノが補足する。

「ロイドの魂と魄とは、今分裂してしまっていると思われる。だが、魂魄の繋がりを辿ることのできるこの魂魄の宝珠を使えば、ひょっとするとロイドの魂が置かれている状況を映し出すことができるかもしれないだろう?」
「な、なるほど」
「あるいは、あんたの魂から魄を辿ってみてもいい。そうすれば、あんたの魄が今どういう状態に置かれているかがわかるだろう」

 わしの魄――つまり、桜塚猛としての70年の記憶や経験か。
 これは今現在わしの魂と一緒にロイドの中にあるはずだ。
 ただ、それ自体がおかしなことなので、調べてみれば何かしら現状を理解するヒントがえられる可能性がある。

「もともとは、精神修養のための道具なんだ。ほら、さっき話した、長生きするための方法だよ。魂魄の繋がりをあきららめることで、人の精神は強くなり、身体もそれに応えて老いにくくなる」

 ジュリアーノが言った。
 大老が言う。

「もっとも、長生きも良し悪しだがな。精神性が高まると言えば聞こえはいいが、煩悩が失せて俗事に力が入らなくなる。エルヴァの箴言では、『歳を取ると森になる』という。植物のように動きがなくなっていくのだ。むろん、個人差はある。私などは未だに俗事から精神が逃れられん。好奇心の塊なのでな」

 そこまで言って、大老が立ち上がる。

「さて、雑談が過ぎたな。魂魄の宝珠はすぐに用意させる。しばらくここで待っていてもらおう。あと、宝珠を使用する時には私も立ち会おう」
「助かりますが……なぜです?」

 ジュリアーノが聞き返すと、大老はバツが悪そうな顔をした。

「いや何、とても興味深い事例なのでな」
「大老も私のことを言えませんな」

 発明のカンパネラが混ぜっ返し、長老三人が笑いあった。


「……さて、始めるぞ?」

 薄暗くした部屋の中で、ジュリアーノが言う。
 ジュリアーノの前には、魂魄の宝珠が置かれていた。
 占いに使う水晶球ほどの大きさで、その中にはさまざまな色の綾のようなものが揺らめいている。

 評定所には、わし、ジュリアーノ、ミランダ、アーサー、大老の5人がいる。
 あまり人が多すぎると影響が出るとのことで、他の長老たちは席を外した。

 わしは、評定所の床に敷かれたマットの上に横たわっている。
 ジュリアーノはわしの頭の上の位置に小卓を置き、その上で宝珠に手をかざしている。
 ごくり、と誰かが唾を飲み込む音が聞こえた。

「魂魄の宝珠よ、この者、ロイド・クレメンスの魂魄をけみし、その精神のかたちを表し給え」

 ジュリアーノの言葉に、宝珠が光る。
 宝珠から鮮やかな色の綾がするすると抜け出した。
 その綾はゆるやかに弧を描きながら、わしの頭へと吸い込まれていく。
 ……わしの視点で見るとちょっと恐ろしくもある光景だ。

 綾は、わしの頭と宝珠とを結んだまま、光が強くなったり弱くなったりする。
 何かを通信しているように見えた。

「おおっ……」

 誰かが声を上げる。
 わしは寝ながらなので若干見にくいが、わしの頭上方向に宝珠が何かを映写しているようだった。

「サクラヅカ翁、もう起き上がっても大丈夫ですよ。ただ、あまり激しく動かないように」

 ジュリアーノの言葉に、わしはその場で起き上がる。
 そのままあぐらをかいて、宝珠が映写している風景へと目を向けた。

「どこかの高層ビルか?」

 評定所の壁に映し出されていたのは、ガラスが一面に張られた展望スペースのような空間だった。ガラスの外は夜で、無数のビルの明かりが星空のように広がっている。
 が、わしの目を引いたのは別の部分だ。
 展望スペースと思しい部分に、それはいた。

「なんだ、ゴブリンか。数も少ないの」

 アーサーがつまらなそうに言う。

 が、わしにとってはとんでもない。
 日本のどこかと思しい風景の中に、この世界のモンスターがいるのだ。

 そのゴブリンに、斬りかかるひとつの人影があった。
 わしにとっては、見覚えがあるどころでは済まない人影。
 それは、まぎれもなくわし・・だった。

「あれはわしだ!」

 わしの声に皆が注目する。
 その人影は、どういうわけか鼻から上を隠す金属製の仮面をつけていた。
 それでも、毎朝鏡の中で見ていた顔だ。口の形、皺の寄り方、ほくろの位置などで自分だとわかる。背格好もそのままだ。
 ただし、服装だけはまったくわしの趣味ではない。派手なアロハの上に白いジャケット。下半身はジーンズで、足下は安全靴のようだ。

「なるほど、あれがサクラヅカ翁の元の姿なのか。だが、サクラヅカ翁はここにいる」
「ふむ。魂がここにある以上、あそこにはサクラヅカ殿の魂はないはずだ」

 ジュリアーノと大老が言葉をかわす。

 その間に、わしはゴブリンの群れを片付けていた。
 むろん、映像の中のわしが、だ。
 手にした日本刀のようなものを白く光らせ、ゴブリンたちを撫で斬りにしている。

「ロイド! ロイドじゃないかい!?」

 ミランダが叫ぶ。
 ジュリアーノが冷静に言う。

「たしかに、あの戦い方はロイドに似ているな」
「似ているなんてもんかい! 癖までそっくりじゃないか!」

 映像の中のわしは、ゴブリンをあっという間に片付け、刀の血振りをしている。
 その隣には、いつの間にか別の人影が現れていた。紫のドレスに身を包んだ銀髪の美女――いや、美少女か。艶やかなドレス姿ではあるが、年齢としては14、5歳というところだろう。
 二人は何事かを話してるが、その声までは聞こえない。
 と、二人が急に視線をスペースの奥へと向けた。

 その視線の先で、展望スペースのガラスが破られた。
 その外から飛び込んできたのは、

「ヤバい! ワイヴァーンだ!」
「くっ……ロイドひとりじゃ荷が重いね」

 アーサーとミランダが焦りをにじませる。
 ワイヴァーン。ロイドの知識では、下級の亜竜だという。毒を持ち、空を飛ぶことから、生半可な冒険者では太刀打ちができない。ロイドのパーティが総出で戦ってなんとか勝てるかどうかといった強敵である。

 しかし、映像の中のわしは逃げ出さない。
 それどころか、ワイヴァーンに向かって近づいていく。
 右手には例の白熱した日本刀、左手にはいつの間にかワンドのようなものを持っていた。

 ワイヴァーンが鎌首をもたげる。
 映像の中のわしは左手のワンドを突き出す。
 ワンドから紫電が閃いた。

「サンダーボルトだって!?」

 ジュリアーノが驚く。

 紫電はワイヴァーンの胴に直撃した。
 直撃箇所は黒く焦げ、全身は感電して麻痺しているようだ。

 映像の中のわしが、苦しみ悶えるワイヴァーンに、悠然と近づいていく。

 ワイヴァーンの首筋に、白熱した日本刀が振り下ろされる。

 ワイヴァーンの頭が、展望スペースに転がった。

「う、嘘だろ……ワイヴァーンの首を一撃でかい!?」

 ミランダが絶句している。

「でも、今のは間違いなく白熱斬りだった。ロイドの得意技だ」
「得意技というか、それしかできなかったんだがな」

 ジュリアーノとアーサーが言う。

この・・ロイドは、白熱斬りを常時発動しているな。あいつの魔力ではとてもそんなことはできなかったはずだが」
「それより、さっきのサンダーボルトだろう。ワイヴァーンの表皮をやすやすと貫いて無力化していたぞ。このレベルでサンダーボルトを使える魔術師なんてそうはいない」

 ミランダ、ジュリアーノ、アーサーの三人がそれぞれの理由で呆然としていると、映像に変化があった。

 再び、展望スペースのガラスが割れる。
 それも複数枚同時にだ。
 飛び込んできたのはやはりワイヴァーン。
 全部で三体になる。

「ワイヴァーンが三体だって!?」

 ミランダたちが驚く。

 が、映像の中のわしには驚いた様子はなかった。
 落ち着いてワンドの照準を一体のワイヴァーンに合わせる。
 次の瞬間、ワイヴァーンの頭部が紅蓮の炎とともに弾け飛んだ。

「エクスプロージョン!」

 ジュリアーノが叫ぶ。

 仲間がやられたことに怒り、残りの二体が前後からわしに襲いかかる。
 わしは片方の攻撃をワンドで受け止め、もう片方は日本刀でいなしている。
 サンダーボルト。
 ワンドで止められた方が戦闘不能になる。
 日本刀でいなされた方は体勢を整えるが、ワイヴァーンは老人の姿を見失っていた。
 わしはそのワイヴァーンの背に上り、白熱した日本刀で首を斬り落とす。
 崩れ落ちるワイヴァーンを足場に大きく跳ぶ。
 同時に振りかぶっていた日本刀で、もう一体の頭を真っ向から縦に斬り裂いた。
 二体のワイヴァーンが、展望室の床に崩れ落ちる。

 映像の中のわしは、複数体のワイヴァーンを相手に、危なげなく勝ちを収めていた。

 映像を見る皆が絶句している。
 しばらくして、ミランダが口を開く。

「なんだい、ありゃあ?」
「さぁ……わからない。だが、サクラヅカ翁の身体に、ロイドの人格が入っていることはほぼ確実だろう」

 ジュリアーノがそう分析する。

「ロイドにしては、いささか魔法の威力が高いようだが……どういうことだ?」
「あれが『いささか高い』なんてもんかい! ほとんどAランクの魔術師並みじゃないか!」

 アーサーの言葉にミランダが噛みつく。

 たしかに、ロイドの記憶と、今見た光景とが一致しない。
 ロイドはサンダーボルトは微弱な威力でしか使えず、実戦では使用していなかった。白熱斬りと呼ばれる呪文によるエンチャント攻撃も、ごく短い時間しか使えない切り札だったはずだ。ましてエクスプロージョンに至っては発動することすらできていなかった。そもそも、エクスプロージョンという魔法は、高ランク冒険者の魔術師か、どこかの国のお抱えでもなければ使えない高難度の魔法なのだ。

 映像はまだ続いている。
 が、戦闘は今ので終わったようだ。
 ドレスの少女が映像の中のわしに話しかけている。

「あの少女はまさか……」

 大老ががたんと立ち上がる。
 大老はそのまま何も言わずに評定所を飛び出していく。
 大老は数分で戻ってきた。
 手には小さな額のようなものを持っている。

「やはり間違いない! 向こうのサクラヅカ殿と一緒にいるのは――いや、一緒におられるのは、双子神の片割れであるオスティル様だ!」

 大老が手にした額を皆に見せる。
 そこに描かれていた少女の顔にハッとする。
 映像を見る。
 ちょうど少女が振り返るところだった。
 少女の顔は額の中に描かれた似姿とそっくりだった。

「どういうことだ……?」

 わしは思わずつぶやいた。
 その問いに答えられる者はいなかった。
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