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24.ロイド・クレメンス、オスティルとテレビを見る

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 ヒースロー空港から日本まで、テレポートで一足飛びに帰還する……ということは不可能だ。
 オスティルによれば、テレポートは距離の3乗に比例してコストが跳ね上がるらしい。
 なので、俺たちは、ヒースロー空港からロンドン市街にテレポートし、ユーロスターでロンドンからパリ、パリから飛行機で成田と、乗り継ぎをして帰ってきた。
 最初こそ物珍しかった飛行機だが、海外で大きなダンジョンが出る度に長時間のフライトを余儀なくされるので、最近はかなり食傷気味である。
 機内で見られる映画が唯一の楽しみではあるのだが。

 ロンドンから戻った俺とオスティルは、桜塚家で数日を過ごしていた。
 この間、世界に大きな動きはなかった。
 新しいダンジョンが生まれない一方で、残存しているダンジョンは各国の軍によって徐々に攻略されていた。
 まだまだ混乱は続いているものの、世界は小康状態になりつつある。

 俺とオスティルも、図書館やネットカフェでこの世界について勉強しつつ、近くのレンタルビデオ屋で借りた映画を見て息抜きする、という毎日を送っていた。

 が、今朝になって、とんでもないニュースが飛び込んできた。

 俺とオスティルは、桜塚家のちゃぶ台で朝食を取りながら、テレビの報道特番を食い入るように見つめている。

『――繰り返します。中華人民共和国の人民解放軍が、今朝未明沖縄本島に上陸しました。多くの沖縄県民が避難を余儀なくされ、航空機や民間の船舶が、各地の空港や港に殺到しています。那覇市には既に人民解放軍が侵入を開始しており、アメリカ軍も基地の放棄を余儀なくされるのではないかとの観測も出ています。人民解放軍の兵力は十万を超えると見られ――』

 人民解放軍が、突如、沖縄に侵攻を開始したのだ。

「これだけの大軍なのに、米軍も日本政府も事前に察知できなかったのか?」

 俺のつぶやきに、オスティルが答える。

「オストーならば可能でしょう」
「どうやって?」
「べつに超常的な手段ではないわ。権力者を掌中に入れて、一夜にして軍を動かさせたのでしょう。事実、緊急出動した在日米軍や自衛隊との戦闘で人民解放軍はかなりの損害を出している。ろくな事前準備もなしに侵攻に踏み切ったのではないかしら。だからこそ、情報が事前に漏れなかった。漏れるべき情報が、直前まで存在しなかったのだから」
「人民解放軍は数で押し切ったみたいだな」
「普通は、そんなことはできないわ。一方的な攻撃を受ければ士気はくじけるものよ。損耗を気にしない波状攻撃で、さすがの米軍も沖縄を維持できなくなりそうね」

 今回の沖縄侵攻では、今朝未明の戦闘だけで数えきれないほどの戦死者が出ているらしい。
 まだ公式発表はないが、自衛隊や米軍の内部にいる人間が不用意にSNSに書き込んだ情報などから、相当な被害が出ているのではと、ネットでは騒ぎになっている。
 さらに、数任せの力攻めを行った中国側の戦死者は、それ以上にすさまじいのではないかとも言われている。

 それだけの犠牲を払い、国際世論を完全に敵に回すことを覚悟してまで、なぜ中国は沖縄に攻め入ったのか。
 テレビではコメンテーターの国際政治学者がそれらしい説明をひねり出そうとして失敗しているところだった。

 が、俺たちからしてみれば、事態の本当の原因はあきらかだ。

「オストーの仕業か。くそっ、めちゃくちゃやりやがって!」

 俺はちゃぶ台を拳で叩く。

 俺に、この世界の国家に対する帰属意識はない。
 だから、どこかの国が他の国に攻め入ったとしても、どちらかを味方する立場にはない。
 これだけ文明の進んだ世界でも、人間は愚かなのだなと思うだけだ。
 桜塚猛には、70年を過ごしたこの国に対する相応の愛着はあるのだろうが。

 しかし、この戦争がオストーによって仕組まれたものだとしたら話は別だ。

「人間は神のおもちゃじゃねぇんだぞ!」
「……そうね」

 吐き捨てるように言った俺に、オスティルが暗い顔をする。

「……すまん。オスティルがそうじゃないってことはわかってるよ」

 ともに暮らし、ともに戦うオスティルは、その超常的な能力を別にすれば、驚くほど人間と同じだ。
 いつのまにか、神であることを忘れそうになる。

「しかし、中国でアメリカに勝てるのか? オストーは何をしたいんだ?」

 アメリカ軍は世界最強のハイテク軍隊。一方、中国人民解放軍は、兵数こそ多いものの、装備や実戦経験の面で米軍には劣る。
 また、今回の沖縄侵攻は、国際法を無視した暴挙だとして、早くも国際的な非難に晒されている。完全に世界を敵に回したような状態で、中国が長くもつとは思えない。

「オストーにとっては、勝てなくてもいいのでしょう。オストーの目的は混乱の拡大よ」
「人民解放軍も利用されてるだけってことか」

 だとしたら、むしろ最大の被害者だ。

「それに、中国は核保有国なのでしょう? 下手に手を出して核を使われたら、アメリカも核を使って報復せざるをえない。同盟国に核を落とされて、アメリカが黙っているわけにはいかないのだから」
「核戦争、か。背筋が寒くなる話だ」

 九州に発生したダンジョンを攻略した帰り道に、広島へ寄ったことがある。原爆ドームもこの目で見た。悪夢のような兵器だ。純粋に科学技術のみで造られたというそれは、この世界を何度も滅ぼせるほどの量が、既に存在しているのだという。

「そんなことして、オストーはどんな得をするっていうんだ?」
「人の数を減らしたいのでしょうね」
「人の数を?」
「この世界の人口は、わたしたちにとっては多すぎるもの。いくら神でも、八十億もの人をコントロールすることはできないわ」
「身勝手な理屈だな」
「オストーというのはそういう神よ」
「あんたとは兄妹なんだろう?」
「人間の兄妹とは違うわ」
「そりゃそうだろうが……兄妹の情とかないのか?」
「少なくとも、オストーにはないでしょう。オストーは人間の悪しき部分を象徴する神なのだから、肉親を愛する気持ちなんてひとかけらも持っていないわ」
「その言い方だと、おまえの方はそうでもないのか?」
「…………」

 オスティルが黙る。

「オストーが人の悪しき部分を象徴してるなら、オスティル、おまえは逆なんだろう? オストーと戦うことに迷いがあるのか?」
「そ、れは……」

 口ごもる。
 それ自体が答えだった。

「そういや、オストーとおまえは抱き合わせになって封印されてたんだったな。ってことは、オストーを見つけた場合、おまえは再びオストーもろとも封印される気だったのか?」

 オスティルが再び黙り込む。
 しばらくして、オスティルが口を開く。

「……それが、わたしの存在意義よ。悪の化身であるオストーを、身を以て封じる善の化身。悪を相殺するために生まれた神。それが、わたし――オスティルという神の正体よ」
「それでおまえはいいのか?」
「……いいわ。オストーのことは兄と思っているけれど、それで多くの人が救われるのなら」

 オスティルが目を伏せてそう答える。

 自己犠牲に酔うような安っぽいやつじゃない。そんなことくらいはとっくにわかってる。
 実際、オスティルの表情にそんなチープな感情はかけらもない。
 それなのに……どうしてだ。俺は苛々してしょうがない。

「気に入らねぇな」
「……なんですって?」
「気に入らねぇって言ったんだ。他人を犠牲にしてでも生き残れ。それが、辺境の冒険者の心得だ。自分の命以上に尊いものはねぇ。自分の命があってこそ、仲間を助けることができるんだ。簡単に自分の命をあきらめちまうような奴が、他人を助けるなんてできるわけがねぇ。この考えは間違ってるか?」
「冒険者の心得としては、正しいでしょうね」
「神の心得としては間違ってるってことか?」
「間違ってるとまでは言わないわ。ただ、時と場合によるでしょう」
「もちろん、冒険者にだって、大切な誰かのために自分の命を犠牲にする奴もいる。それを否定するつもりはないが……おまえの場合、最初から自己犠牲が義務になってるってのがどうもな……」
「わたしに同情しているの? ロイド・クレメンス」

 茶化すように、オスティルが言う。
 大事な話を茶化されるのは嫌いだ。
 俺はオスティルを真っ向から睨み返す。

「そうだよ。おまえはいい奴だ、オスティル。オストーなんていうわがまま放題のクソガキのために犠牲にするには惜しいと思う」
「えっ……」

 率直に答えると、オスティルが珍しく驚いた顔をした。
 ついで、血の気のなかった白い頬が赤く染まる。

「なっ……おい、勘違いするなよ!? 俺はただ……そう、ただ、仲間を犠牲になんてしたくねぇって思っただけだ」
「な、仲間……? わたしが?」
「それ以外の何だっていうんだ? オスティルはもう俺のパーティメンバーだよ。それ以上でもそれ以下でもねぇ」

 だいたい、俺の本命はキャリィちゃんだ。
 こうなってしまってから全く会えてないが、元気にしているだろうか。俺が会いに行かないから寂しがってないだろうか。いや、俺と入れ替わりになった桜塚のじいさんとは会ってるかもしれないが。

 オスティルが、ぽかんとした表情で俺を見る。

 俺は、気恥ずかしくなって横を向く。

「ふふっ……ありがとう」
「けっ、ジジイの顔した奴に言われて喜んでんじゃねーよ」
「あら、わたしには外見なんて関係ないわ」

 オスティルが淡く笑う。
 つややかな銀髪とルビーの瞳。神だけに、容姿は端麗の一言だ。触れば壊れてしまいそうな危うい魅力に引きこまれそうになる。
 俺はオスティルからむりやり視線をはがし、テレビのニュースに集中する。

 昼近くになっても、報道特番が続いていた。
 が、今のところ新しい情報はなく、これまでの情報を繰り返しているだけだ。
 沖縄沖に碇泊する中国海軍の空母遼寧を捉えた衛星画像。
 本土との連絡が途絶する前の沖縄からの情報。
 海と空から本土に避難してきた沖縄県民の様子。
 官邸やホワイトハウスでの記者会見。
 右派の若者が路上で中国の国旗を燃やして沖縄奪還を叫び、この期に及んで平和的解決をと訴えた左派の学者が非難の的になっている。
 その他、占領された那覇市内で略奪が横行しているという未確認の噂なども取り上げられている。
 しかし、多くの日本国民は、政府の指示通り「冷静に」普段通りの生活を送っている。荒くれ者だらけだったサヴォンと比べると、統制が取れすぎていてむしろ薄気味悪いくらいだ。

 当たり前だが、報道にはオストーの影も形も見当たらない。

 俺とオスティルは、書店で本を買い占めて、中国の政治体制について勉強している。

「中国は政治局常務委員と呼ばれるごく少数の指導者が支配してるんだな。しかも、近年は国家主席に権力が集中していた」

 だとすれば、国家主席を押さえてしまえば中国の政治を簡単に支配することができてしまう。オストーにとっては格好の標的だ。

「なんでアメリカじゃなかったんだ?」
「アメリカ人は、あれで敬虔な人たちだから。そういう人を騙すのはオストーには難しいのよ」
「そんなもんか」
「あの国家主席は権力基盤が揺らいで、追い落とされるのではとも言われていたわね。その弱みに付け込んだのではないかしら」

 これまでに、中国政府は沖縄侵攻について何の釈明もしていない。
 通常であれば、会見を開いて、国家主席が説明を行うところだ。
 中国の思惑が見えないことについては、報道特番でも繰り返し議論されている。
 宣戦布告もなかったことから、識者の中には軍の暴走を疑う声も多かった。

「オストーに支配されているから出て来られないのか?」
「そうでしょうね。あるいは、オストーが支配しているのは別の常務委員で、国家主席は既に謀殺されているか……」
「なるほど、クーデターが起こってる可能性もあるのか」
「もっとも、誰がトップであろうと、わたしたちがやることに変わりはないわ」
「だがな。奴は中国の中枢深くに潜り込んでるんだぜ? 広い中国のどこにいるかもわからねぇ。どうやってそんな奴を捕まえるって言うんだ?」

 俺が聞くと、オスティルが立ち上がった。
 オスティルが座ったままの俺を見下ろす。

「権力には権力で。わたしが話をつけてくるわ」

 オスティルはそう言って、俺を家(桜塚家)に残して出かけていった。
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